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傲慢なる光、土御門の神将召喚

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冷たいアスファルトの匂いと、皮膚を刺すような夜の静寂が、渋谷のスクランブル交差点を支配していた。


 月城葵は、坂口から借り受けた安価なパイプ製の車椅子に深く腰掛け、長い前髪の隙間から、変貌してしまった世界を見つめていた。先の禊(みそぎ)によって半壊した霊力経絡は辛うじて繋ぎ止められたものの、両足は鉛のように重く、自力で立ち上がることは叶わない。右腕は指先から肘の先まで完全に冷徹な「黒水銀」と化し、坂口が施した黒い「呪印の包帯」によって辛うじてその流動を封じ込められている。


 そして何より、左目だ。


 前髪の奥に隠された葵の左目の瞳孔は、人間のそれを捨て去り、不気味に輝く銀色の「月蝕」の形へと変異していた。失明状態に近いその左目を通すと、世界は色彩を失ったモノクロームの陰影として映る。だが、その代わりに、大地の底を流れる霊脈の歪みや、毒々しい紫色にうねる「穢れ」の霧だけが、網膜の奥に鮮明に浮き上がっていた。


「……ハァ、……ッ」


 息を吸い込むたびに、肺の奥が凍りつくように冷たい。声帯は水銀の冷気によって半分麻痺しており、掠れた呼吸音を絞り出すのが精一杯だった。不眠症による慢性的な疲労が脳を締め付ける中、葵の「不眠の霊視」が、交差点のコンクリートの隙間から染み出す紫色のモヤを捉えた。


 霊脈汚染・レベル1(局所)。


 深夜零時を過ぎた渋谷の闇から、人間の焦燥や嫉妬が凝縮した「這いずり級」の下級怪異が、不気味な指の幻影を這わせながら這い上がってこようとしていた。葵が右手の包帯を解き、黒水銀を放とうとした、その瞬間だった。


 キィィィィィン――ッ!


 鼓膜を劈くような、極めて清浄で、かつ暴力的なまでの高周波の「音」が夜の街を切り裂いた。同時に、モノクロームだった葵の左目の視界に、眩いばかりの黄金と純白の「光」が突入する。それは、暗闇に慣れた葵の目を焼き切らんとするほどに傲慢な、圧倒的な光の奔流だった。


 ハザードランプを明滅させながら、スクランブル交差点の四隅に滑り込んできたのは、数台の漆黒の高級セダンだった。静寂を破る重厚なドアの開閉音。その中から現れたのは、十数人の黒衣の男たち、そして――その中心に立つ、一人の少年だった。


 金髪の美しい髪が、街灯の光を反射してきらびやかに揺れている。身に纏っているのは、伝統的な陰陽道の狩衣を現代的なタクティカルスーツ風にアレンジした、汚れなき純白の装束。腰には、名門の権威を示す神聖な霊刀が佩(は)かれていた。


 土御門泰雅(つちみかど たいが)。平安の世から日本の裏の守護を担ってきた名門・土御門家の次期家元にして、十七歳の若き天才陰陽師。


「ふん、この程度の不浄が、我が土御門の領域を汚そうとはな。片腹痛い」


 泰雅は傲慢に唇を歪め、群がる這いずり級の怪異たちを冷ややかに見下ろした。その瞳には、自らの血統に対する絶対的な自信と、泥に汚れた怪異への徹底的な嫌悪が満ちていた。


「消え去れ、不浄の塵芥ども。我が光の前に、跪くことすら許さん」


 泰雅が流麗な動作で霊刀を抜くと、刃から黄金の火花が散った。彼は瞬時に指先で複雑な召喚印を結び、大声でその名を呼びかける。


「土御門流――十二神将召喚(つちみかどりゅう・じゅうにしんしょうしょうかん)! 来たれ、白虎(びゃっこ)!」


 天を割って、眩いばかりの黄金の光柱が交差点の中央へと降り注いだ。コンクリートが激しく震動し、光柱の中から、全身に神聖な破魔の雷を纏った巨大な白虎の獣人が威風堂々と降臨する。神将が咆哮を上げると、周囲の空気がビリビリと電磁気的に震えた。


 白虎が鋭い爪を振るう。一閃。それだけで、スクランブル交差点に群がっていた這いずり級の怪異たちは、物理的な接触を待つことなく、眩い光の塵へと一瞬で「消滅」させられていった。凄まじい光の暴力。それは、大人の陰陽師たちをも圧倒する、天才の名に恥じぬ圧倒的な力だった。


 泰雅は霊刀を鞘に収め、誇らしげに胸を張った。


「見たか。これが我が土御門の、悪を許さぬ『清らかなる破魔』の力だ」


 だが、その光の乱舞を、交差点の陰から見つめていた葵の「月蝕瞳」は、全く異なる真実を看破していた。


 泰雅の光は、確かに表面の怪異を一瞬で消滅させた。しかし、それはただ「症状」を力ずくで吹き飛ばしたに過ぎない。大地の底に流れる霊脈は修復されるどころか、神聖な破魔の熱によって水分を奪われ、まるで乾燥した砂のようにボロボロに崩壊し、不毛の地へと変質していた。


(違う……。そんなやり方では、大地の傷口は塞がらない。逆に、底にある圧力を、余計に刺激して……)


 葵は掠れた喉で警告を発しようとした。しかし、水銀の冷気で麻痺した声帯からは、かすれた吐息しか漏れない。彼は creak... と安っぽい金属音を立てる車椅子を自ら回し、影の中から泰雅の前に進み出た。


「ん……? 誰だ、そこにいるのは」


 泰雅が敏感に気配を察知し、鋭い眼光を葵へと向けた。純白の装束を着たエリートの前に現れたのは、ボロボロの黒い和羽織を羽織り、安物の車椅子に座った、死人のように青白い顔の少年だった。


 泰雅は葵の姿、そして彼の右腕から漏れ出る、重く澱んだ黒水銀の霊圧を感知した瞬間、その美しい顔を激しい不快感に歪めた。


「……何だ、その不浄な気配は。大地の霊脈を泥で汚し、穢れを自らの体内に溜め込んでいるのか? まさか、噂に聞く『野良の異端者』とは、お前のことか」


 泰雅は葵の「黒水銀」を、大地の清流を汚す外法、あるいは「不浄の sorcery」として蔑むように霊刀の柄に手をかけた。


「お前のような不浄の存在が、我が土御門の神聖な戦場に立ち入ることは許されない。その澱んだ血ごと、ここで祓ってやる」


 泰雅は懐から、神聖な湧き水に祈祷を施して精製された「祓いの神水(はらいのしんすい)」の小瓶を取り出し、容赦なく葵に向けて散布した。


 パシャリ、と冷たい水滴が葵の頬や、右腕の包帯の隙間に飛び散る。一般の穢れを祓うための清めの水。しかし、闇の神核と同化し、体内に大量の穢れを内包している葵にとって、それは文字通りの「強酸」だった。


「――ッ、ガ、……あ」


 水滴が触れた葵の皮膚が、ジュウウウッ!と不気味な音を立てて激しく沸騰し始めた。皮膚の下の水銀が異常反応を起こし、ガラスが結晶化するように白く強張っていく。焼け付くような激痛が葵の全身を貫き、彼は車椅子の手すりを左手できつく握りしめ、歯を食いしばって耐えた。痛覚の麻痺があるはずの右腕さえも、霊的な拒絶反応によって内側から引き裂かれるような熱さに震えている。


「どうした、その程度で怯むか。やはり、不浄の怪異と同類だな」


 泰雅は冷酷に言い放ち、霊刀を抜いた。彼の刃に、再び破魔の黄金の雷が収束していく。


「不浄の野良犬め。我が伝統の光の前に、その歪んだ車椅子ごと平伏せ!」


 泰雅が刀を振り下ろす。放たれた「破魔の雷」が、凄まじい衝撃波となって葵の足元の地面を爆破し、車椅子ごと彼を転倒させようと迫った。


 葵は、狭まった視界の中で冷徹に計算した。避けることはできない。彼は生身の左手で、羽織の裾を掴んで前方に掲げた。月城家相伝の「漆黒の和羽織」が、夜の闇と同化するようにして光を歪め、破魔の雷の直撃を屈折させて受け流す。ズズズン!と葵のすぐ脇のアスファルトが爆破され、激しい土煙が舞い上がった。


 煙の向こうから、泰雅が驚愕の表情を浮かべるのが見えた。


「なに……!? 我が雷を防いだだと?」


 葵は、その隙を見逃さなかった。本気で泰雅を傷つけるつもりはない。だが、このまま彼の「清らかすぎる光」が霊脈を攻撃し続ければ、地下のバランスが完全に崩壊する。葵は包帯の隙間から、右手の指先に意識を集中させた。


(……止まれ)


 葵は、指先から極小の黒水銀弾を射出する「水銀の飛沫(みなわ)」を放った。狙いは泰雅の肉体ではない。彼の足元の、大地の経絡の結節点だった。


 ピシャッ!と、黒い液体金属の弾丸が、泰雅の靴のすぐ近くの地面に着弾した。瞬間、黒水銀は大地の霊流に化学反応のように溶け込み、そこから泰雅の足元へと逆流した。泰雅が操る「清流の経絡」が、一時的に重い黒水銀の泥によって「汚染」され、霊力の循環が強制的に遮断される。


「ぐっ……!? 霊力が、流れない……? 何をした、不浄の者が!」


 泰雅は自らの体内の霊力ラインが泥で詰まったような閉塞感に襲われ、召喚していた白虎の幻影が、ノイズのように激しくブレて霧散した。召喚の強制解除。泰雅は激しい怒りと屈辱に顔を赤く染め、葵を睨みつけた。


「お前、……ただの野良ではないな。我が土御門の術式を乱すとは、万死に値する!」


 泰雅が再び刀を構え、全霊の呪力を込めて葵を切り裂こうとした、まさにその時だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!


 渋谷の街全体が、これまでにない不気味な超低音の地鳴りに包まれた。スクランブル交差点の中央のコンクリートが、ガラスのようにピキピキと音を立ててひび割れていく。泰雅の過剰な「消滅の光」によって表面を乾燥させられ、限界を迎えていた霊脈の「栓」が、ついに地下の圧力に耐えかねて破裂したのだ。


「な、何だ、この地鳴りは……!? 結界が、崩壊しているのか?」


 泰雅が動揺して足元を見つめる中、割れたコンクリートの裂け目から、ドロドロとした不気味な、底知れぬ漆黒の「黄泉の泥」が、間欠泉のように大量に地上へと噴出し始めた。泥は周囲の街灯の光を吸い込み、交差点を一瞬にして、現世と冥府の境界へと変貌させていく。


 そして、その噴き出す泥の奥深くから、この世のものとは思えぬ、巨大で禍々しい「何か」の気配が、静かに這い上がってこようとしていた。葵の「月蝕瞳」が、その圧倒的な破滅のビジョンを捉え、彼の右手の刻印が、これまでにない冷たさで激しく脈動し始めた。

HẾT CHƯƠNG

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