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国家の猟犬、呪導拳銃「黒曜」の咆哮

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キィン――。


 鼓膜を強引に引き裂くような、硬質で冷徹な金属音が暗渠の奥に響き渡った。


 直後、月城葵のすぐ耳元のコンクリート壁に弾丸が着弾し、激しい火花が散る。飛び散ったコンクリートの破片が頬をかすめ、一筋の赤い血が静かに滴り落ちた。ヘドロの湿った臭気と、火薬の焦げた匂いが鼻腔を同時に突き刺す。


 葵の動きが、完全に止まった。


 泥まみれのヘドロの中に転倒した姿勢のまま、右腕を漆黒の「水銀の刃」に変形させた状態で、彼はゆっくりと、銃声の響いた暗闇の奥へと視線を向けた。


 コツ、コツ、コツ……。


 暗渠の湿った床を踏みしめる、冷たく規則正しい足音が近づいてくる。それは都会の喧騒とも、先ほど切り裂いた怪異の蠢きとも違う、冷酷な「猟犬」の足音だった。


 葵の「不眠の霊視」が、モノクロームに反転した視界の奥に、異常なほどに冷徹で強大な「青い霊力」の揺らめきを捉えた。その光は、現代の科学技術と古代の呪術が融合した、国家の冷酷な意思そのものだった。


 暗闇から姿を現したのは、黒いトレンチコートを隙なく纏った一人の青年だった。整った顔立ちに、冷徹な一重の瞳。その手には、銃身に組み込まれた黒曜石の破片が青く不気味に発光する、漆黒の拳銃が握られている。政府のオカルト機関「公安九課・特異災対策室」の一級術官――霧島蓮士だった。


「そこまでだ、未確認特異災害源」


 霧島の声は、暗渠の空気に溶け込むように冷たかった。銃口は、背後で泥となって崩れかけている中級怪異ではなく、正確に葵の心臓へと向けられている。


「月城葵。お前を未登録の危険能力者、および渋谷地下におけるテロ容疑者として拘束する。抵抗するならば、即座に射殺命令を実行する」


「……公安の、猟犬か」


 葵は喉の奥から、掠れた声を絞り出した。声帯はまだ水銀の冷気には侵されていない。だが、極度の霊的貧血と倦怠感が、彼の言葉を重く引き摺らせる。右手の感覚は完全に死んでいるため、自分が「水銀の刃」を握り締めているのかすら触覚では分からない。ただ、網膜が捉える銀色の波紋だけが、自らの右腕が人外の武器に変異している現実を突きつけていた。


「お前たちが何と言おうと、俺はここを退くわけにはいかない。俺が退けば、この街の日常が、紬が……」


「問答は不要だ」


 霧島は冷酷に言い放ち、即座に「黒曜」の引き金を引き絞った。


 バァン! と再び放たれた弾丸は、ただの鉛ではなかった。「擬似霊力電池」から供給された高密度の破魔霊力を圧縮した、対術者用の電磁破魔弾だ。


 葵は瞬時に、地面に突き立てた左腕を支えにして、右腕の水銀を前方へと扇状に展開した。


「水銀の鏡面壁(みずかねのきょうめんへき)……!」


 流動する漆黒の液体金属が、葵の前に美しい鏡面仕上げの盾を形成する。物理的な弾丸であれば、その表面で流動的に受け流し、あるいは反射できたはずだった。


 しかし、着弾の瞬間、鏡面に異変が起きた。


 ジュウウウッ! と、激しい沸騰音が暗渠内に響き渡る。弾丸に込められた近代的な「破魔」の属性が、葵の黒水銀の分子構造を内側から強制的に分解し始めたのだ。鏡面のように輝いていた水銀が、一瞬にして白く濁り、凍りつくように結晶化していく。パリィン! という高い音と共に、ガラスのように脆くなった盾が粉々に砕け散った。


「なっ……!?」


「無駄だ。我々の呪導兵器は、お前のような野良の能力者が操る『不浄の金属』を理論的に中和・凍結させるよう設計されている」


 霧島は冷淡に告げると、タクティカルスーツの袖口にあるキーパッドを素早く操作した。


「科学式呪術展開(かがくしきじゅじゅつてんかい)――『八卦電磁結界』、起動」


 暗渠の四隅の壁に、霧島が事前に配置していた小型のデバイスが一斉に青いレーザー光線を放射した。光線は空中で交差し、複雑な幾何学模様の数式結界を形成する。葵の周囲数メートルが、目に見える青い光の檻によって完全に包囲された。大地の霊脈からの供給を遮断され、葵の「月輪」の駆動、いや、彼自身の呼吸すらもが重く圧迫され始める。脚の麻痺と疲労により、立ち上がることすらできない葵にとって、それは逃げ場のない完全な檻だった。


「動くな。それ以上霊力を行使すれば、結界の過負荷でお前の経絡が焼き切れるぞ」


 霧島の警告が響く。だが、葵の脳裏には、アパートで震えていた紬の姿しかなかった。ここで捕まるわけにはいかない。国家の実験室で解剖され、あるいは処分されれば、誰が紬を黄泉の泥から守るというのだ。


(動け……動け、俺の腕……!)


 葵は「痛覚の麻痺」を逆利用し、激痛を感じない右腕全体をさらに肥大化させた。流動する黒水銀の質量を強引に高め、結界の照射装置を直接物理的に叩き壊そうと、青いレーザーの壁に向けて右腕を叩きつけた。


 その瞬間、凄まじい衝撃が葵の全身を貫いた。


 バチバチバチッ!!!


 結界の壁に接触した瞬間、強烈な電磁霊障のバックラッシュが、水銀の腕を通じて葵の体内へと逆流した。痛覚はない。だが、肉体が物理的に破壊されていく「バグ」のような感覚が、彼の脳の神経細胞を直接焼き切ろうとする。体内の霊力経絡が一時的に半壊し、激しい嫌悪感と吐き気が襲う。肺の奥が裂けるような感覚と共に、葵の口からどす黒い赤色をした血がヘドロの上へと吐き出された。


「がはっ……! う、ぐ……」


 水銀の刃が形状を維持できなくなり、泥のようにドロドロと溶けて床に崩れ落ちる。葵は左腕の力も失い、冷たいヘドロの中に完全に突っ伏した。全身を襲う激しい悪寒。体温は永久に低下しているはずなのに、内臓だけが沸騰するように熱い。


 コツ、コツ、と足音が近づき、葵の目の前で止まった。


 見上げると、霧島が「黒曜」の銃口を、這いつくばる葵の胸元――心臓の位置へと正確に向けて立っていた。その瞳には、容赦のない国家の正義と、そしてほんの微かな、目の前の少年に対する「違和感」が混ざり合っていた。


「自律制御を失ったアマルガムの器か。哀れだが、これ以上の暴走は都市の治安維持において見過ごせない。お前を無力化し、サンプルとして回収する」


 霧島が、引き金にかかった指にゆっくりと力を込めていく。


 銃口の奥で、青い霊力が一際強く発光した。葵の「不眠の霊視」には、その光が自らの心臓を焼き切る死の軌跡として、はっきりと見えていた。視界が急速に狭まり、暗闇が迫る。


(ここまで、なのか……。紬、ごめん、な……)


 葵が静かに目を閉じかけた、その時だった。


 彼の右手の甲に刻まれた「黒月の刻印」が、かつてないほど激しく、そして凍りつくような「絶対的な冷気」を放って脈動した。神殿の最深部にある神核が、守護者の危機に呼応して、時空を超えて共鳴したのだ。


 キィィィン――!!!


 葵の影が、不自然に、そして巨大にのたうち回った。暗渠のコンクリート床を覆うヘドロが激しく波打ち、影の中から、一対の巨大な漆黒の翼が羽ばたくようにして実体化した。それは月城家の家紋に描かれた守護霊――「黒鶴(くろづる)」の目覚めだった。


「なっ……何だ、この霊圧は……!?」


 霧島の冷徹な表情が、初めて驚愕へと歪んだ。彼の持つ「黒曜」のセンサーが、測定不可能なレベルの闇属性エネルギーの暴走を検知し、けたたましいアラート音を鳴らす。


 黒鶴がその巨大な翼を力強く羽ばたかせた瞬間、強烈な黒い衝撃波が四方へと放たれた。


 ズドォォォン!!!


 周囲の壁に張られていた「科学式呪術展開」のレーザー照射装置が、衝撃波によって物理的に一瞬で粉砕される。青い檻が霧散し、暗渠全体に漆黒の水銀霧が爆発的に立ち込めた。霧島は強烈な風圧と闇の霊圧に押され、トレンチコートを翻しながら後方へと大きく吹き飛ばされた。近代呪術スーツのシールドが火花を散らし、彼の視界が完全に遮断される。


「月城葵……!」


 霧島が霧の中で叫ぶが、返ってくる音はなかった。無音祝詞の静寂と、立ち込める黒い霧が、暗渠の空間を完全に支配していた。


 黒鶴の翼が、ぐったりと横たわる葵の身体を優しく包み込む。そのまま、葵の身体は影の中に溶け込むようにして、地下水路のさらに奥、鉄鼠が先導する「第三連絡路」の暗黒の隙間へと引きずり込まれていった。


 数分後、霧が晴れた暗渠には、ただ冷たいコンクリートの壁と、激しく荒らされたヘドロの跡だけが残されていた。葵の姿はどこにもない。ただ、床には彼の右腕から滴り落ちた、鏡面のように輝く黒水銀の滴が、雨水に打たれて静かに震えていた。


 配管の上から、一匹の黒いネズミが、その赤い瞳で誰もいなくなった戦場を静かに見つめ続けていた。その目は、新たな守護者の「覚悟」と「代償」の始まりを、じっと見届けたかのように妖しく光っていた。


 深夜の地下街のさらに奥、暗黒の暗渠に、冷たい夜風だけが虚しく吹き抜けていく。

HẾT CHƯƠNG

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