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奈落の底に響く絶叫、笑顔の裏の冷酷なる支配者

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東雲の竹林の地下深く、光の一切届かない岩牢『奈落の底』。そこは、湿った土の匂いと微かな死臭が混ざり合う、完全なる暗黒の領域だった。


 パチパチと、毒を含んだ油が燃える紫色の灯火が揺れ、冷たい石壁に不気味な影を落としている。その中央に置かれた重厚な石椅子に、青城派の卑劣な道士・毒蛇(ドクヘビ)は、全身をがんじがらめに縛り付けられていた。


「う、ぐ……ここは、どこだ……! 誰か、誰かいないのか!」


 毒蛇は torn された緑色の道士服を血と汗で汚し、狂ったように身悶えした。しかし、彼の体を拘束しているのは、ただの縄ではない。月光を浴びれば銀色にきらめく、しかしこの暗闇においては完全に見えなくなる極細の鋼糸――シオンの『千糸万縛(せんしまんばく)』だった。動こうとするたびに、鋼糸は彼の肉い皮膚に深く食い込み、細い血の筋を刻んでいく。


「無駄ですよ、毒蛇さん。その糸は、あなたの気の流れに反応して、動けば動くほど経絡を締め上げるように細工してあります。これ以上暴れれば、尋問を始める前にあなたの四肢は綺麗に切り落とされてしまいますよ?」


 闇の奥から、滑らかで、驚くほど澄んだ声が響いた。


 ゆっくりと歩み出てきたのは、薄紫の髪を緩やかに波立たせた美青年だった。仕立ての良い薄檀色の長衣を優雅に纏い、その顔には、いつもの道場で東雲薫(クオン)に見せるような愛らしい「良い子」の表情は微塵もなかった。切れ長の涼しげな瞳は、氷のように冷たく、人間らしい感情の一切を削ぎ落とした絶対的な死神のそれだった。


 冥府閣の閣主――それが、この笑顔の裏に隠されたシオンの真の姿だった。


「お、お前は……東雲道場の、あの大人しい二弟子……っ!」


 毒蛇は目を見開いた。彼の知るシオンは、いつも女主人の後ろで家計簿を抱え、不器用に微笑んでいる無害な青年だったはずだ。しかし、目の前に立つ存在が放つ圧倒的な「暗殺術・毒術宗師」としての冷酷な威圧感は、武林同盟の最高幹部すらも凌駕していた。


「な、何をするつもりだ! 私は武林同盟の命を受け、青城派を代表して動いている道士だぞ! 私に指一本でも触れてみろ、同盟の十大会長が、あの忌々しい東雲薫と貴様ら残党どもを、一族もろとも根絶やしにしてくれる!」


 恐怖を打ち消すように、毒蛇は声を荒らげて脅しをかけた。しかし、シオンはその言葉を聞いても、ただ優雅に首を傾げるだけだった。彼の口元に、ふわりと美しい、しかし底知れない闇を宿した笑みが浮かぶ。


「同盟、ですか。建前ばかりの偽善者たちが、私を脅せるとでも? それに……」


 シオンは一歩、毒蛇へと近づいた。その指先には、毒蛇が道場の井戸水に混入させた、あの『骨蝕みの毒(ほねしばみのどく)』の紫色の薬瓶が弄ばれていた。


「あなたが犯した最大の罪は、同盟の犬として動いたことではありません。……私たちの『我が家』を汚し、何より、私のために、師匠(薫)にあの危険な滝裏へと向かわせたことです」


 シオンの声音が、一瞬にして絶対零度の冷気へと変わった。その瞳の奥に蠢く「冷血参謀」としての魔気が、地下牢の空気を凍らせる。


「師匠はね、未だ低体温の発熱に冒されているのです。それなのに、あなたのような羽虫が流した毒のせいで、その尊いお体を濡らし、冷たい激流の中へ自ら赴かなければならなくなった。……彼女が、一滴でも血を流し、一度でも苦痛に眉を顰めたなら、それはあなたの命が一万回あっても購えない大罪ですよ」


「ひ、ひぃっ……!」


 毒蛇は本能的な恐怖に支配され、体内で「青城万毒功」の気を練り、自らの皮膚から腐食性の毒霧を噴出させて鋼糸を溶かそうとした。しかし、シオンはそれを冷ややかに見つめるだけだった。シオンが静かに「万毒呼吸法」を応用した特殊な気の循環を放つと、毒蛇の放った毒霧は、シオンの周囲の空気に触れた瞬間に無力化され、逆に毒蛇自身の経絡へと逆流した。


「がはっ……!? な、何をした……私の毒が……!」


「毒の専門家の前で、そんな稚拙な術を使わないでください。不愉快です」


 シオンは冷たく言い放つと、懐から極小の黒い鋼針――『影縫いの針(かげぬいのはり)』を取り出した。そして、毒蛇が叫ぶ暇も与えず、彼の両手の爪の隙間へと、その針を一本ずつ、無慈悲に深く突き刺した。


「あ、ぎゃあああああああああああああっ!!」


 奈落の底に、引き裂かれるような絶叫が響き渡った。爪の間から侵入した針の毒素が、神経を直接狂わせるような激痛となって毒蛇の脳を直撃する。彼は舌を噛み切って自殺しようとしたが、シオンは電光石火の速さで手を伸ばし、毒蛇の顎の関節を一瞬で外した。


「あ、う……あ、ぐ……」


 自殺することすら許されず、毒蛇はただ涙とヨダレを流して白目を剥きかけた。シオンは彼の顎を再び乱暴にハメ直すと、耳元で囁くように問いかけた。


「さあ、尋問の時間です。誰の指示ですか? 青城派の独断ではないでしょう。あなたのような小悪党を動かし、道場の位置を特定させ、弟子たちを魔気暴走(黒化)へ導こうとした黒幕は誰です?」


 シオンは指先を微かに動かした。『千糸万縛』の鋼糸がさらに締まり、毒蛇の主要な経絡を物理的に圧迫する。気の流れが逆流し、全身の経絡がガラスのように砕け散るような、内側からの激痛が毒蛇を襲った。


「い、言え……言う! 言うから、糸を緩めてくれ! 頼む、頼むぅっ!」


 毒蛇は完全に精神を崩壊させ、号泣しながら叫んだ。


「軍師……軍師の司馬懿(シマイ)様だ! あの御方が、東雲道場に『魔帝の血脈』が潜伏していることを突き止め、私に毒を流して彼らの魔力を強制的に暴走させるよう命じたのだ! 暴走した魔教の怪物を討伐するという大義名分を作り、その血脈の力を同盟の兵器として回収するために……! 私はただの捨て駒だ、信じてくれ!」


「司馬懿……。やはり、あの蛇のような男が裏で糸を引いていましたか」


 シオンの切れ長の瞳に、冷徹な納得の光が宿った。同盟の軍師・司馬懿。表向きは紳士的な態度を取りながら、裏では魔教の力を利用して同盟の頂点に立とうと企む野心家。彼が弟子たちの正体を暴き、薫から引き離そうとしている真実が、ここに完全に証明された。


「よくできました。嘘偽りのない、良い答えです」


 シオンは、道場で薫に褒められた時のように、ふわりと優しく、そしてこの上なく美しい「営業スマイル」を浮かべた。しかし、その笑顔こそが、毒蛇にとっての完全なる死刑宣告だった。


「ひ、約束だ……助けて、助けてくれ……!」


「約束? 私はあなたを助けるとは一言も言っていませんよ」


 シオンは毒蛇の顎を掴み、強引にその口を開けさせた。そして、毒蛇自身が井戸に流し込もうとした、あの『骨蝕みの毒』の残りの全量を、彼の喉奥へと一気に流し込んだ。


「ごぶっ……、う、あああああ!?」


 自らが調合した猛毒が、今度は自らの肉体を内側から蝕んでいく。骨が腐食し、経絡が破裂する凄まじい苦悶の中、毒蛇の肉体は徐々に溶け始め、絶叫すらも途絶えていった。シオンは立ち上がり、汚れた手を白い布で静かに拭うと、その布を溶けゆく死体の上へと投げ捨てた。


「影零、後処理を。師匠の竹林を、これ以上この汚物で汚さないように」


「はっ。跡形もなく、消去いたします」


 背後の闇から現れた影零が、特殊な中和粉末を散布し、毒蛇の肉体と血の匂いを完璧に消し去っていく。奈落の底には、再び静寂と冷たい暗闇だけが戻ってきた。


 シオンは地下の石段をゆっくりと上りながら、自らの表情を、元の「おっとりとした、少し不器用な家計管理係」へと一瞬にして切り替えた。完璧な無害の仮面。薫を欺き続ける罪悪感よりも、彼女に嫌われ、その温かい腕から追放されることへの恐怖が、彼の胸を支配していた。


 シオンが自室の隠し扉から道場へと戻ったその瞬間、道場の正面玄関が激しく押し開けられた。


「師匠……っ!?」


 そこに立っていたのは、全身を滝の水と、微かな血で濡らした東雲薫だった。


 彼女の白い道着はボロボロに破れ、その細い手には、白銀の光を放つ『清流の根』がしっかりと握りしめられていた。しかし、彼女の白磁の肌は死人のように青白く、その呼吸は極限まで浅い。


「シオン……、これ、加工して、みんなに……」


 薫はそれだけを言うと、糸が切れた人形のように、その場に力なく崩れ落ちた。


「師匠!」


 シオンは駆け寄り、倒れ込む彼女の華奢な体を抱きとめた。その体温は、昨夜よりもさらに氷のように冷え切っていた。しかし、シオンが息を呑んだのは、薫の瞳が薄っすらと開いており、その白銀の『天眼通(てんがんつう)』が、シオンの指先に残る微かな「血の匂い」を静かに見つめていることに気づいた瞬間だった。

HẾT CHƯƠNG

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