青き破滅の奔流
ゴズの肉体硬化のコアを貪り喰った瞬間、天城零の体内で、世界そのものがひっくり返るような衝撃が走った。
「が、あ、はっ……!」
喉の奥から、鉄錆の臭いを孕んだ黒い金属血がドッと噴き出す。泥水にまみれたコンクリートの床に両膝を突き、零は己の胸を強く掻きむしった。ボロコートの隙間から、心臓部に埋め込まれた不適合炉心――アポカリプス・コアが、狂ったように脈打っているのが見える。それは心音などという生ぬるいものではなかった。高電圧の火花が爆ぜる音と、金属が超高速で摩擦し合う、鼓膜を裂くような高周波の異音――「キィィィン」という破滅の旋律が、地下貯水槽の閉鎖空間に響き渡っていた。
「ア、アニキ……? 何だよ、その光……!」
数歩後ろで、コソ泥の少年ジンが恐怖に顔を歪めて後退する。ジンの瞳に映る零の胸元は、すでに人間の肉体とは思えないほどの青白い光に包まれていた。それは不気味に、そして美しく、周囲の闇を昼間のように照らし出していく。だが、その光が触れたコンクリートの床は、熱量などという生温かい物理現象を超越し、音もなくドロドロと「硝子化」して融解し始めていた。
自壊臨界――『青色暴走(ブルー・フォール)』。
捕食したゴズの「肉体硬化」のエーテル周波数が、零の炉心に元々眠っていた虚無の波動と激しく反発し、制御不能なエネルギーの逆流を引き起こしているのだ。体中の血管が内側から沸騰し、焼き切れそうになる。
(鎮まれ……! 私の肉体(器)が、この程度の不純物に屈するな!)
零は脳内の絶対神としての冷徹な意思を総動員し、荒れ狂うエネルギーをねじ伏せようとした。肺に冷たい空気を強引に吸い込み、一定のリズムで吐き出す。
『炉心同調呼吸法「零式(ゼロシキ)」』――。
しかし、今回は通じなかった。呼吸を整えようとした瞬間、肺胞の奥からせり上がる熱い血が気管を塞ぎ、激しい呼吸不全が零を襲う。捕食したエネルギーの周波数が狂暴すぎて、脳内での数式展開が、発生する熱量によって一瞬で焼き切られてしまうのだ。呼吸の制御は完全に吹き飛ばされた。
「――ァ、ガ、アアアアアアアアッ!!」
零の喉から、獣のような絶叫が漏れた。同時に、彼の胸元から、凶悪な青い熱線が全方位へと放射された。それはただの熱ではない。周囲の空間に存在する「生命力」を無差別に吸い上げる、飢えた虚無の触手だった。
「ひ、ぎっ……あ、あたまが、身体が……っ!」
貯水槽の出口付近に転がっていた、まだ息のあったゴズ・カルテルの残党兵たちが悲鳴を上げた。零の『生存時間の視覚化(クロノ・アイ)』が、彼らの頭上に浮かぶデジタル数字を捉える。数百万秒あった彼らの生存時間(クロノ・クレジット)が、秒単位で数万秒ずつ、滝のように勢いよく減少していく。青い光に触れた彼らの指先から、見る見るうちに水分と生気が失われ、灰白色の結晶へと変わっていく。乾燥した皮膚がボロボロと崩れ、彼らは叫ぶことすらできず、ただの「灰の山」となって泥水の中へと崩れ落ちていった。
「う、うわああああっ! アニキ、やめてくれ! 俺の、俺の時間(クレジット)がァ!」
ジンが頭を抱えてのたうち回る。ジンの頭上の数字もまた、急速に減少を始めていた。【324,500秒】……【290,000秒】……【210,000秒】。このままでは、あと数十秒でジンもただの灰になる。
(止めろ……! この羽虫はまだ利用価値がある。それに、暦との、あの約束を……!)
零の脳裏に、病床で青白い顔をしながらも、自分に微笑みかけてくれた妹・暦の姿がフラッシュバックした。人間としての不完全な感情が、絶対神としての冷徹な破壊衝動と激しく衝突する。その葛藤が、さらに炉心の暴走を激化させ、青い光の奔流は貯水槽のダクトを突き抜け、地上のスラム街へと漏れ出し始めていた。
ネオンの届かない地下深くから溢れ出る青い死の光。それに触れた浮浪児や、瓦礫の陰で眠っていた貧民たちが、何が起きたのかも理解できぬまま、次々と光の塵となって霧散していく。スラムの片隅は、一瞬にして静寂な地獄へと変貌しつつあった。
零の肉体が、内側から青い炎に包まれ、完全に灰化するまで、もう時間がなかった。
「下がっていろ、クソガキが!」
その時、融解し、硝子化した貯水槽のハッチを蹴り破り、一人の男が猛然と突入してきた。白い衣服を煤けさせ、胸元の人工心臓を真っ赤に明滅させた男――サイボーグ医師「クロム」だった。
「クロ、ム……なぜ、ここに……」
零がかすれる声で呟く。クロムの白衣の下の機械フレームは、零から放射される青い熱線を浴びて、パチパチと警告音を立てていた。彼の頭上のクレジットもまた、凄まじい速度で削り取られている。
「お前がゴズを仕留めた瞬間、スラムの電磁波形が異常値を叩き出したんだよ! やはりな……捕食の拒絶反応だ! 異なる周波数を一度に喰らいすぎた!」
クロムは自身の右腕に、緑色に光る『生体ナノマシン』のシリンダーを突き刺した。一時的に細胞の自己崩壊を麻痺させ、痛覚を遮断する緊急ブースター。彼の肉体の機械部分が、過負荷で駆動音を上げる。
「お前をここで死なせるわけにはいかない……私の、世界の、すべての希望を乗せた器をな!」
クロムの瞳に宿る、マッドサイエンティストとしての狂気。だがその奥には、実験体以上の、どこか歪んだ親愛情に似た、執念の光が微かに揺らめいていた。クロムは迫り来る青い熱線を、自身の機械化された左半身で物理的に受け止めながら、零へと肉薄する。熱線が触れたクロムの人工皮膚が焦げ、金属の骨格が赤く熱していく。
「下がれ……私に近づけば、お前も灰になる……!」
零は叫んだ。だが、クロムは止まらない。彼は背負っていた重厚な耐熱ケースから、全長五十センチメートルに達する極厚のチタン合金製高圧注射器を引き抜いた。
『炉心冷却用高圧注射器「ニードル・零」』。
その内部には、アエギス社から盗み出した、高分子の熱吸収化学合成物質――不適合炉心冷却液「ブルージェル」が、怪しく青い粘性を持って満たされていた。
「暴れるなよ、バグ野郎! これを外せば、お前もスラムも終わりだ!」
クロムは零の肩を強引に組み伏せた。零の体から放射される青い熱線が、クロムの右半身の生体細胞を急速に破壊し、彼の皮膚を灰色に変えていく。クロムの頭上のクレジットは、すでに数年分に相当する数百万秒が、一瞬にして消失していた。だが、クロムは歯を食いしばり、機械の左腕で零の胸元を固定した。
「ぐ、うぅぅぅッ!」
クロムは「ニードル・零」の太い金属針を、零の胸部、アポカリプス・コアの直上にあるスロットへと迷いなく突き刺した。
グサリ、と肉を裂き、骨に達する鈍い衝撃。零の脳内に、物理的な痛みを遥かに超越した、魂を直接凍らせるような凄絶な激痛が走った。
「ガ、ハッ、アアアアアアアアアアッ!!!」
零の身体が弓なりに弾けた。クロムがトリガーを引くと、高圧で噴射された「ブルージェル」が、熱り立つアポカリプス・コアへと直接注入された。超高熱の炉心に、絶対零度の冷却液が流し込まれる。それは、体内のすべての血管に氷の棘を流し込まれるような、あるいは肉体を分子レベルで一度解体されるような感覚だった。
ジュゥゥゥッという、凄まじい排気音が零の胸元から響き渡った。不適合炉心の過剰な熱が、クロムが施した『廃熱強制バイパス経路』を通じて、零の右腕へと強制的に転送される。右腕の抑制ガントレットの隙間から、シューシューと不気味な黒い蒸気(虚無の霧)が激しく噴き出した。その熱を浴びたガントレットの金属フレームが赤く焼け、零の右腕の皮膚に、焼き付くような凄絶な熱傷の痕が深く刻まれていく。
だが、その激痛と引き換えに、狂暴に吹き荒れていた青い熱線は、急速にその勢いを失っていった。
貯水槽を照らしていた青い光が収束し、元の薄暗い闇が戻ってくる。アポカリプス・コアの明滅は、不安定な発光から、深海のような静かで底知れない青色へと落ち着きを取り戻した。高周波の軋み音も、微かな脈動の音へと沈静化していく。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
クロムは力を失い、零の身体から崩れ落ちるように床に膝を突いた。彼の右半身は、エーテル汚染によって完全に灰色に変色し、ピクリとも動かなくなっている。人工心臓の明滅も、今にも消えそうなほど弱々しい。
「クロム……お前、寿命を……」
零は自身の胸に刺さった「ニードル・零」を引き抜き、冷たい床に放り捨てた。呼吸はまだ荒いが、体内の沸騰は収まっている。クロムを見下ろす零の瞳は、先ほどよりもさらに感情が削ぎ落とされ、氷のように冷徹だった。
「フン……気にするな。私は、自分の研究(玩具)が壊れるのが耐えられないだけだ……」
クロムは動かない右半身を引きずりながら、自嘲気味に笑った。そして、零の胸の炉心を、細く震える指先で指し示した。
「これで分かっただろう、零……。その心臓、アポカリプス・コアは、お前にエネルギーを与えるための機関じゃない」
クロムの言葉に、零は微かに眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「その炉心は……お前の内にある、底知れない『無限の虚無』が、外に漏れ出さないようにするための『檻』であり、強固な『蓋』なんだよ。お前が力を求め、封印のロックを解除するたびに、檻は内側から破壊される。それは、お前の肉体の自己崩壊を劇的に加速させるということだ。力を得ることは、死へ近づくこと……。お前は、その呪いから逃れられん」
檻。神格を封印するための、機械の蓋。
零は自身の黒い結晶と化した右腕を見つめた。温覚を失い、今はただ冷たいだけの腕。力を取り戻すたびに、自分は人間としての肉体と感情を失い、最後には何者でもない「虚無」そのものへと還っていく。その残酷な真実を、零は超然としたプライドの裏で、静かに受け止めていた。
「ア、アニキ……生きてる、よな……?」
貯水槽の隅で、泥水にまみれて倒れていたジンが、弱々しく声を上げた。彼の頭上のクレジットは【12,400秒】――残りわずか3時間強。零の暴走によって、彼の寿命は一瞬にして数日分も奪い去られていた。ジンは恐怖に震えながらも、零の圧倒的な「怪物」としての力に、完全に魂を屈服させていた。
「……立て、ジン。倉庫にある冷却液と、薬の原料を回収しろ。暦が待っている」
零は感情の消えた声で命じた。ジンは這いつくばりながら、貯水槽の奥にあるゴズの個人倉庫へと向かった。
静寂が戻った地下空間。しかし、彼らはまだ知らなかった。零が引き起こした超巨大な『青色暴走』のエネルギー波形が、スラムの錆びた大気を突き抜け、上層都市の監視網に完全に捉えられていたことを。
ネオ・エデンの摩天楼の最上階。スラムの全経済と寿命クレジット市場を支配する黒金会の支配者「オズワルド・クレイ」の執務室のホログラフディスプレイに、赤い警告灯が激しく明滅していた。
『警告:スラム第3区地下にて、未確認の特異点(アポカリプスのバグ)による臨界反応を検知。エネルギー規模、測定不能』
オズワルドは細い煙草を燻らせ、冷酷な瞳でそのデータを睨みつけた。
「ゴズの奴、仕損じたか。これほどのバグを野放しにはできん……」
オズワルドは手元のスマート端末を操作し、非合法の回線を開いた。画面の向こうの暗闇に向かって、彼は静かに告げる。
「『灰の狩人』を呼べ。スラムに潜む死神の首を、アエギス社に納品する」
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