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捕食の代償

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肉体が、内側から燃えている。


「はっ、あ、がはっ……!」


 天城零――いや、その器に宿った『虚無の絶対神』は、肺腑を焼き焦がすような熱量に身を悶えさせた。床に膝を突き、錆びついた鉄板に爪を立てる。ギチギチと耳障りな音を立てて爪が剥がれ、黒い金属質の血が滲むが、その痛みすら胸中を吹き荒れる狂暴な熱風にかき消された。


 ゴズ・カルテルの先遣隊を『重力崩壊(グラビティ・バースト)』で圧殺した代償は、あまりにも重かった。胸元に埋め込まれた不適合炉心『アポカリプス・コア』が、まるで自爆寸前の原子炉のように青白い火花を撒き散らしている。


「お兄ちゃん! 嘘、息をして……お願いだから、死なないで!」


 ベッドから這い出してきた天城暦(アマギ・コヨミ)が、細く冷たい両手で零の身体を抱きしめた。その小さな身体は小刻みに震えており、煤けたワンピースの胸元で、母親の形見である『星の砂のペンダント』がチリチリと微かな音を立てて揺れている。


 その瞬間、零の胸の奥で、かつてこの肉体の持ち主だった『天城零』の残留思念が激しくのたうち回った。


(暦……。俺の、たった一人の、妹――)


 それは、神たる己の冷徹な知性には存在し得ない、泥臭く不完全な『人間としての愛着』だった。実の兄として自分を案じる少女の温もりが皮膚を通じて伝わるたび、魂の境界線が激しく揺さぶられる。心臓の檻(コア)がその感情に共鳴し、さらに異常な排熱を引き起こした。


「退け、暦……っ。今の私に触れるな、焼き切れるぞ……!」


 零は掠れた声で警告し、彼女を優しく、しかし拒絶するように突き放した。その手首の皮膚は、すでにコアの過熱によって青白く炭化し始めていた。


『生存時間の視覚化(クロノ・アイ)』が、冷酷な現実を網膜上に突きつける。


【残り生存時間:18,400秒(約5時間)】


 一秒が過ぎるたびに、数字は凄まじい速度で削り取られていく。このままでは、あと数時間と経たずに肉体が灰となって霧散する。それだけではない。このまま炉心の熱が臨界点を超えれば、半径数百メートルの生命エネルギーを無差別に吸い尽くす最悪の自壊現象――不適合炉心の『青色暴走(ブルー・フォール)』が引き起こされる。


「おい、バグ野郎! 死にたくなければ私の言う通りにしろ!」


 診察室の奥から、むき出しの機械フレームを軋ませながらサイボーグ医師のクロムが駆け寄ってきた。その人工心臓が、危機を示す赤色に激しく明滅している。


「アポカリプス・コアの過熱が止まらない。今の私の手元には、炉心を冷却するための『ブルージェル』の備蓄が底を突いている! 延命する手段はただ一つ――そこに転がっている『燃料』を喰らうんだ!」


 クロムが指し示したのは、先ほど零が重力崩壊で圧殺した、ゴズ・カルテルのサイボーグ兵の残骸だった。クレーターの中心で四肢をひしゃげさせ、青いオイルと血の混ざった液体を吐き散らしながら、一人の男がまだ微かに呼吸を繰り返している。


「喰らう……だと?」


「そうだ! 奴の胸の炉心から、霧散しかけているエーテルを直接お前の右腕から吸引しろ! お前の不適合炉心は、他者の生命を吸い上げることでしか安定しない『捕食の檻』なんだよ!」


 クロムのマッドサイエンティストとしての眼光が、狂気と焦燥を孕んで光った。零は冷徹に状況を計算する。プライドが他者を喰らうという禁忌を拒絶しようとするが、脳裏に映る暦の怯えた顔が、それを強硬にねじ伏せた。生き延びねばならない。この不完全な少女を、この不条理なスラムの底で野垂れ死にさせないために。


「……よかろう」


 零はよろめきながら立ち上がり、死にかけたサイボーグ兵へと歩み寄った。敵の頭上には、残り少ない生存時間が表示されている。


【残り生存時間:1,200秒】


 零は右手を伸ばし、敵の胸元に触れようとした。その瞬間、本能的な焦りから、呼吸を整える前にエネルギーを直接吸引しようと試みてしまう。


「がっ、あぁぁぁッ!?」


 凄絶な衝撃が零の右腕を駆け抜けた。敵の体内に残っていた『肉体強化』属性の狂暴なエーテルが、牙を剥いて零の神経系へと逆流してきたのだ。波長の異なるエネルギーが、零の不適合炉心と激しく衝突し、拒絶反応を引き起こす。体中の血管が内側から破裂し、零の口から漆黒の金属血がドッと吐き出された。


「馬鹿野郎! そのまま吸えばお前の炉心が先に爆発する!」


 クロムが怒号を上げた。


「呼吸を合わせろ! 心拍数を下げて、敵のエーテル波形をお前の虚無の周波数と同調させるんだ!」


 激痛で意識が遠のきかける中、零は絶対神としての冷徹な演算能力を総動員した。肺に冷たい空気を吸い込み、炉心の熱と混ぜ合わせるようにして細く長く吐き出す。


『炉心同調呼吸法「零式(ゼロシキ)」』――。


 ドクン、ドクンと、跳ね上がっていた心拍数が強制的に引き下げられていく。脈拍が極限まで低下し、周囲の喧騒が消え去るような静寂が訪れた。コアの青白い明滅が波打つように安定し始める。


 今だ。


 零は右手を敵の胸元に突き立て、心臓の奥にある炉心の残骸へと指先を食い込ませた。


『虚無の捕食作法「ヴォイド・イート」』。


「――ッ!!」


 零の右腕が、一瞬にして光を吸い込む漆黒の霧(黒い粒子)へと変質した。それは物質としての実体を失った、完全なる『無』の領域。その漆黒の霧が、サイボーグ兵の胸の奥にあるエーテルを物理的な抵抗を無視して絡め取る。


 敵の肉体から、青黒い光の粒子が渦を巻きながら零の右腕へと高速で吸い込まれていく。凄まじい吸引力。サイボーグ兵の残りの生存時間がデジタル数字となって零の腕の端末へと流れ込み、敵の肉体がみるみるうちに乾燥し、カサカサとした灰の塊へと変色していく。


 しかし、流れ込んできたのは純粋な時間だけではない。敵が持っていた『肉体強化』の異能波動が、不純物として零の炉心に侵入しようとする。


(私の内に、雑多な属性の存在を許すな。『無』に還れ)


 零は脳内で『エーテル逆流抑止則』を強制執行した。入り込んできた異質なエネルギーの波形を、右腕の虚無の力で徹底的に押し潰し、その属性定義を消去して完全な『無属性』のエーテルへと還元していく。


「ごふっ……、あ、がっ……!」


 全身の骨がミシミシと軋み、筋肉が断裂するような激痛が走る。異なる生命を自身の内に溶かし込む行為は、魂をヤスリで削られるに等しい苦痛だった。だが、零はその地獄のような拒絶反応を、声も出さずに耐え抜いた。


 やがて、サイボーグ兵の肉体は完全に崩壊し、一掴みの灰となって床に散らばった。吸い込まれたエネルギーがアポカリプス・コアに定着し、過熱していた炉心が急速に沈静化していく。


【残り生存時間:864,000秒(10日)】


 生存時間が劇的に回復した。胸元の炉心は、不安定な青白い爆発から、静かで底知れない『通常燃焼モード』の深い深海のような青色へと落ち着き、軋み音も完全に消失した。


「はぁ、はぁ……っ」


 零は立ち上がり、自身の右腕を見つめた。捕食の代償は、確かに肉体に刻まれていた。肘から先、手首から指先にかけての皮膚が、冷たく硬い漆黒の結晶のように変質していたのだ。触れてみても、そこには何の温もりもない。右腕の温覚が、永久に喪失してしまったことを、神たる知性は瞬時に理解した。


「……生き延びたな、バグ野郎」


 クロムが安堵と、どこか恐れを孕んだ瞳で零を見つめていた。ベッドの上の暦は、兄の右腕の異変に気づき、痛ましそうに瞳を潤ませている。


「お兄ちゃん、その腕……私のために、そんな……」


「気にするな。これはただの、汚れだ」


 零は結晶化した右腕をボロコートの袖に隠し、暦に背を向けた。人間としての感情が摩耗していくのを感じながらも、彼女を守り抜いたという奇妙な充足感が、胸の奥底に静かに沈殿していく。


 だが、その安堵は一瞬で打ち砕かれた。


 診療所の壊れた天井から、有害な青い蒸気に混ざって、不気味な高周波のノイズが響き渡った。クロムの診療所に設置されていた旧式のエネルギー測定器が、狂ったようにエラー音を吐き出し始める。


「おい、マズいぞ……!」


 クロムがホログラフディスプレイを操作し、青ざめた顔で零を振り返った。


「今のお前の『虚無喰い』が放った異様なエネルギー波形が、スラムの全域を監視している『黒金会』の探知網に引っかかった。奴らはこれを、世界維持システムを脅かす『アポカリプスのバグ』として検知した。すでにハンターどもの追跡部隊が、この座標に向けて動き出している!」


 錆びついた診療所の外、暗黒の路地裏の奥から、無数の赤い光学センサーの光が、こちらを狙うように蠢き始めるのが見えた。捕食によって一時的な生を手に入れた神の前に、さらなる冷酷な包囲網が迫っていた。

HẾT CHƯƠNG

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