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嵐を呼ぶ赤き真気

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白麗城・大演武場(ハクレイジョウ・ダイエンブジョウ)の朝は、刺すような硬い冷気に満ちていた。敷き詰められた白大理石の床は凍てつき、昇り始めたばかりの陽光を冷酷に跳ね返している。


 演武場を取り囲む観客席には、天剣宗(テンケンシュウ)の直系、分家、そして内門・外門の弟子たちが隙間なく詰めかけていた。その数は千を優に超える。張り詰めた沈黙の中、上座の特等席には、宗主であり絶対的な支配者である司馬烈(シバ・レツ)が、威厳に満ちた黒衣を纏って深く腰掛けていた。その隣には、冷艶な瞳を細めた正妻・柳夫人(リュウ・ブジン)が佇んでいる。さらにその傍らには、右手に白い包帯を痛々しく巻き付けた侍女・お蓮(オレン)が、影のように控えていた。お蓮の包帯は、昨夜、新無赫(シン・ムカク)から受けた「踏み折られた傷」を、若家督・司馬駿(シバ・シュン)の気まぐれな暴挙として柳夫人に信じ込ませるための、完璧な偽装の証だった。


 そして、使節団として白麗城を訪れている柳家の才女、柳雪桜(リュウ・セツオウ)もまた、その氷雪のような鋭い双眸を演武場の中央へと注いでいた。彼女の細い指先は、腰の寒梅剣の柄に静かに添えられている。誰もが、この決闘の結末を、あるいは「無能な若家督の無残な死」を予感し、息を潜めていた。


 演武場の中央。黒鉄の仮面(コクテツノ・カメン)を被り、金糸の刺繍が施された華麗な長衣を纏った新無赫は、一人立っていた。左手には、天剣宗の権威の象徴である重厚な『天剣の鞘(テンケンノ・サヤ)』を握り締めている。


 仮面の下で、新無赫の肉体は、地獄のような業火に焼き焦がされていた。


(――熱い。経絡が、内側から沸騰していく……!)


 丹田の奥底から、溶岩のごとき赤き真気が猛烈な勢いで噴き出し、全身の気脈を蹂躙していた。決闘の直前、小鉄(コテツ)が命がけで宗家の薬庫から盗み出してくれた禁忌の内功促進剤――『活血散(カッケツサン)』。それを飲み込んだ代償は、想像を絶する凄まじさだった。真気が経絡の壁を乱暴に削り取り、微細な亀裂を広げていく。毎秒、何千本もの赤熱した針で全身の筋肉を突き刺されるような激痛が走る。喉元までせり上がってくる熱い血を、新無赫は歯を食いしばって強引に飲み下した。鉄仮面という強固な防壁がなければ、苦痛に歪んだその素顔は一瞬で周囲に晒されていただろう。


 だが、その破壊的な熱と引き換えに、新無赫の体表からは、周囲を圧倒する凄まじい内力の波動が立ち上っていた。それは、一流達人の門前とされる『若家督級(ワカ・カトク・キュウ)』の、極めて濃密な真気の嵐だった。衣服の裾が、風もないのに激しく翻る。


「ふん……薬の回りすぎで、少しは骨のある気配になったか、腑抜けの従弟よ」


 新無赫の対面に立つ青年剣士――分家の嫡男、司馬勇(シバ_ユウ)が、不敵な笑みを浮かべて名剣『青嵐(セイラン)』を引き抜いた。青い長衣を風に揺らし、その端正な顔立ちに傲慢な嘲りを湛えている。司馬勇の全身を流れる真気は、洗練された『天風剛気功』の青い光を帯びており、一点の乱れもない。彼は、目の前の鉄仮面が、薬物依存で自滅寸前の本物の司馬駿であると信じて疑っていなかった。


「その無駄に膨れ上がった真気、ハッタリであることは百も承知だ。化けの皮を剥ぎ、その重い鉄仮面ごと、大理石の床に叩き伏せてやる!」


 司馬勇の身体が、一瞬にしてブレた。


 凄まじい踏み込み。白大理石の床が鋭い金属音を立てて微かに鳴動し、司馬勇の姿が疾風となって新無赫の視界から掻き消える。これこそが、彼が一族のエリート教育で極めた超高速の剣技――『天剣九式・嵐撃』の真髄だった。そしてその突進の最中、司馬勇の青嵐剣の刃先から、目にも留まらぬ速さで九回の連続突きを放つ必殺の連撃『天剣連環九撃(テンケンレンカンキュウゲキ)』の第一撃が、新無赫の喉元に向けて真っ直ぐに突き出された。


 キィィン!


 激しい金属同士の衝突音が、大演武場全体に響き渡った。


 新無赫は、腰から引き抜いた司馬駿の剣で、司馬勇の鋭い突きをギリギリで受け止めていた。その刃を支えているのは、体内で猛り狂う活血散の赤い真気だった。だが、衝突の瞬間、青嵐剣から伝わってきた強烈な天風の衝撃波が、新無赫の焼き焦げた経絡を激しく揺さぶった。ミシ、と体内の気穴が悲鳴を上げ、右腕の筋肉が一瞬にして強張る。


「ほう、防いだか。だが、嵐は始まったばかりだ!」


 司馬勇の嘲笑と共に、青嵐剣の刃が不気味にうねった。第二撃、第三撃、第四撃――。隙間のない高速の突きが、新無赫の胸元、心臓、そして両肩の急所を執拗に襲う。刃先が空気を切り裂くたびに、鋭い剣風が鉄仮面のスリットを通り抜け、新無赫の額の熱傷を冷たく刺激した。


 新無赫は、一切の反撃を捨て、ただ防御と回避のみに専念していた。彼の足元は、『天剣宗・基礎経絡図(テンケンシュウ・キソケイラクズ)』に記された正統な歩法を正確になぞっていた。それは、周囲の司馬烈や長老たちに対し、自身が「司馬駿」として正しく天剣宗の基礎を修めていることを見せつけるための、冷徹な偽装工作だった。


(――凌ぐ。奴の剣の軌道、筋肉の収縮、そのすべてをこの眼に焼き付けるまで……!)


 観客席からは、驚愕の囁きが漏れ始めていた。


「馬鹿な……あの腑抜けの駿が、勇の嵐撃をすべて防いでいるだと?」

「薬物で頭が狂ったかと思ったが、あの反応速度は本物だ。一体、どのような修行を積んだのだ?」


 上座の司馬烈は、表情を一切変えず、ただその鋭い眼光を新無赫の足元へと向けていた。柳雪桜は、身を乗り出すようにして、新無赫の無駄のない最小限の回避動作を凝視している。彼女の直感は、目の前の男が放つ真気の「質」が、以前の司馬駿のものとは根本的に異なっていることを、鋭く察知しつつあった。


 司馬勇の焦りが、剣筋をさらに加速させた。第五撃、第六撃。青嵐剣の刃先に宿る青い「剣芒」が引き伸ばされ、新無赫の長衣の袖をかすめて金の刺繍を切り裂く。活血散の灼熱の真気が体内で暴走し、新無赫は一瞬、右腕の筋肉に激しい痙攣を起こした。カウンターを狙おうとした一瞬の隙が、その痙攣によって完全に潰される。右肩の経絡に走る激痛に、新無赫はわずかに後退を余儀なくされた。


「どうした、やはりただのハッタリか! 死ね、駿!」


 司馬勇が勝利を確信し、天風の真気を青嵐剣に極限まで集中させ、第七撃、第八撃の高速突きを放つ。剣先が新無赫の喉元に迫る極限の死線。


 その瞬間、新無赫の漆黒の瞳が、仮面のスリットの奥で不気味に青白く発光した。


(万象眼(バンショウガン)――起動)


 知覚世界が、十倍遅く引き伸ばされる。司馬勇の青い長衣の動きが、凍りついた滝のように静止していく中、新無赫の視界には、司馬勇の右腕から手首、そして剣の刃先へと流れる『天風剛気功』の真気のルートが、鮮烈な青い光の脈動となって視覚化された。


 筋肉の収縮のタイミング、呼吸の吐き出し方、そして真気が手首の経絡に集中する瞬間に生じる、極微細な真気の「結節点(ゲート)」。


(……見えた。奴の剣が最も加速する瞬間、手首の経絡に一瞬の『淀み』が生じる。そこが、嵐の目だ)


 新無赫は、体内で燃え盛る活血散の赤い真気を、天剣宗・基礎経絡図の最短経路に沿って強引に流し始めた。経絡の微細な亀裂がさらに広がり、激痛が脳髄を直撃するが、彼の心は完全に冷徹だった。


 司馬勇の第九撃――嵐の終焉を告げる必殺の一突きが、新無赫の喉元に向けて放たれたまさにその瞬間。青嵐剣の鋭い刃先が、新無赫の黒鉄の仮面の頬をかすめ、キィィンと耳を劈く金属音と共に、激しい火花が暗闇のような仮面のスリットの前に散った。新無赫は、その火花の光に照らされながら、冷酷に、そして静かに、敵のすべての剣筋をその眼に記録し終えようとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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