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闇市場の取引、命の天秤

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ゴゴゴ……と、地底の深部から這い上がる不気味な地鳴りが、先代クロードの遺した隠し工房の真鍮壁を激しく震わせていた。天井からパラパラと微細な石粉が降り注ぎ、作業台の上に広げられた古い設計図を白く汚していく。


ハルト・ウェルナーは、痛む右足の義足『バラスト・プロトタイプ』を冷徹にさすりながら、その設計図を凝視していた。そこには、師クロードが開発途中で遺した巨大な重力アンカーの図面が、色褪せたインクで描かれている。


「アイゼンシュタットの質量バランスが限界を迎えている……。ゲルハルトがマザー・コアに手を触れたせいで、地盤の沈下が加速しているんだ」


ハルトの呟きに、傍らでベッドに横たわるエリィが、熱にうなされながら小さく身じろぎをした。最後の一回分の『結晶花の蜜』を投与したことで、彼女の呼吸は一時的に落ち着いている。しかし、右腕を肘の上まで侵食した真鍮の幾何学模様は、冷たい青い光を微かに放ち、彼女の命のぜんまいが確実に削り取られていることを示していた。猶予は、もう一刻もない。


「この巨大なアンカーを、今の俺たちの力で運ぶのは不可能だ」


ハルトをこの地下工房へと導いた下水管理人、エルザ・クラウスが、ランタンの光を設計図に当てながら言った。彼女の頑強な顔には、長年の地下生活で培われた厳しい現実主義が刻まれている。


「ああ」とハルトは頷いた。「だから、これを小型化した簡易重力アンカー『アイゼン・ボルト』を今から鋳造する。街の最も強固な地盤に打ち込み、地底の古代遺跡のエネルギーと直接同期させるんだ。だが、そのためには素材が足りない」


「何が必要なんだい?」


「クロードが開発した特殊な真鍮合金『ジレ・ブラス』。重力波の伝導率を極限まで高めた金属だ。それと、高負荷の摩擦熱を抑えるための特殊潤滑油『エーテル・オイル』。そして、アンカーを安定させるためのエネルギー源……。どれも帝国の厳重な特許管理下にある素材ばかりだ」


エルザはフッと鼻で笑い、腰の鍵束を鳴らした。


「なら、行く場所は一つだけね。帝国の犬どもの目が届かない、廃坑道の最暗部に広がる闇市場――『錆びた歯車市』。あそこなら、特許証のない密輸品や、解体された帝国空中船のジャンクパーツが転がっているわ。ついてきなさい、若造」


ハルトは半壊した真鍮人形『ギヤマン』を伴い、エルザの後に続いた。歩くたびに、右足の義足のメインフレームに入った亀裂が「ガリ、ガリ」と不快な金属摩擦音を立て、ハルトの右足断端に熱を伴う激痛を走らせる。ハルトは奥歯を噛み締め、その痛みを自身の冷徹な精神の奥へと押し込めた。感傷も、弱音も、今の彼には不要だった。必要なのは、物理法則をねじ伏せるための冷たい計算だけだ。



地下排水路の迷路を抜け、さらに古い廃坑道の奥へと進むと、突如として視界が開け、熱気と油の匂いがハルトの鼻腔を突いた。


そこが、闇市場『錆びた歯車市』だった。


薄暗い洞窟の天井には、不法に改造された真鍮のランタンが無数に吊るされ、煤煙に煙る空気の中で妖しく発光している。周囲には、帝国管理局の重税から逃れてきた炭鉱夫や、特許商会の監査を避けて違法な重力石を取引する密売人たちがひしめき合っていた。彼らは、錆びた鉄歯車貨を握りしめ、剥き出しの欲望と生存への執念を燃やして交渉を重ねている。


「帝国の『特許制度』は、下層民が自力で重力制御技術を維持できないようにするための奴隷化システムだ」


ハルトは、道行く人々が抱える粗悪な機械を見つめながら、クロードの日誌に書かれていた真実を反芻していた。ライセンス料を払えない時計師は自作のギヤすら持てず、結果として帝国の供給する高価なパーツに依存するしかない。技術の独占こそが、下層民をこの不安定な空中に繋ぎ止めるための、最も邪悪な鎖なのだ。


「ここだよ」


エルザが足を止めたのは、山積みにされた廃棄機械の残骸に埋もれるように佇む、薄暗い店舗の前だった。『カウフマン・ジャンク商会』の看板が、煤けた真鍮の鎖で吊るされている。


店内に一歩入ると、カウンターの奥で、無数のポケットがついた派手なベストを着た小柄な男が、金歯を覗かせて笑っていた。ジャンク屋の主、ユーリ・カウフマンだ。


「おいおい、幽霊でも見たかと思ったぜ、ハルト! あのバルトルトのクソ野郎に工房を焼かれたって聞いたが、まさか生きて闇市に現れるとはな!」


「ユーリ、挨拶はいい。取引がしたい」


ハルトは無駄な言葉を省き、懐から手書きのメモを取り出してテーブルに置いた。


「『ジレ・ブラス』のインゴット、それと宮廷規格の『エーテル・オイル』。今すぐ必要なんだ」


ユーリは金歯を光らせた笑顔を一瞬で消し、分厚いカタログをパラパラとめくった。


「ハルト、お前がクロードの跡を継いだ優秀な時計師だってことは知ってる。だがな、ジレ・ブラスは非売品だ。それにエーテル・オイルは特許商会が流通を完全に握っている。これらを無断で取引しているのがバレたら、俺の店は一晩で虚無の谷へスクラップにされるぜ」


「金なら、これでどうだ」


ハルトは、秘密工房の天秤のトラップを解除した際に手に入れた、古い真鍮製のギヤパーツを差し出した。それは現代の技術では再現不可能な、極めて精密な分子構造を持つ古代重力炉の歯車残骸だった。


ユーリの目が、万物鑑定の拡大鏡を覗くまでもなく、その驚異的な価値を捉えて見開かれた。ゴクリと唾を呑む音が聞こえる。


「これは……始原のギヤ……! おい、どこでこれを手に入れた?」


「出所は聞くな。このパーツの周波数を調律してやれば、お前が抱えている動かない高価値のジャンク機械をすべて再起動できる。それだけの価値があるはずだ」


ユーリは激しく葛藤するように、額の汗を拭った。商人の強欲さと、帝国への恐怖が、彼の頭の中で天秤にかけられている。ハルトは静かに彼を見つめ、自身の『重力共鳴(チクタク・センス)』で、ユーリの呼吸の乱れから彼の心が「取引合意」へと傾く瞬間を正確に読み取っていた。


「……ちくしょう、時計屋の若造め。商売人の弱みを握るのが上手いのは、先代譲りだな」


ユーリは降伏するように両手を挙げ、カウンターの奥の隠し扉を開けようとした。


その時だった。


ガシャァン!!!


店の重厚な鉄扉が、外部からの強制的な重力波によって物理的にねじ切られ、吹き飛んだ。鋭い真鍮の破片が店内に飛び散り、ハルトは反射的にエルザを庇って床に伏せた。煙の向こうから、一糸乱れぬ足音とともに、黒い対重力合金のプレートアーマーをまとった兵士たちが突入してくる。帝国特許商会の査察兵たちだ。


そして、その中央から、仕立ての良い黒い三つ揃えのスーツを着た、金縁の眼鏡の男がゆっくりと歩み出てきた。


特許商会の現地代理人、マルクス・フィッシャー。


男の目は、冷徹な数字の羅列のように無機質で、ハルトたち下層民を「知的財産を盗む害獣」としか見ていない軽蔑に満ちていた。


「――やはりここか。アイゼンシュタットの不法調律士、ハルト・ウェルナー」


マルクスは冷ややかに言い、懐から青い結晶が嵌め込まれた真鍮のプレート――『特許商会公式認定証(魔導無効化デバイス)』を取り出した。彼がプレートのスイッチを押した瞬間、キィィィンという高周波の魔力波が店内に放射された。


「うぐ……っ!」


ハルトは右足に激しい衝撃を受け、その場に膝をついた。無効化デバイスが放つ『特許縛鎖魔導』の波動が、周囲の未認可機械の魔力循環を強制的に遮断したのだ。ハルトの義足のメインギヤがロックされ、排気弁から「シュー」と悲鳴のような蒸気が漏れ出す。立ち上がることすら困難な物理的制約が、ハルトの肉体を襲う。


「無駄な抵抗はやめなさい」


マルクスはハルトの前に立ち塞がり、ハルトが作業台の上に置いていた簡易アンカー『アイゼン・ボルト』の設計図を、冷酷な指先で指し示した。


「無認可の重力制御回路の製造、および模倣は、我が特許商会の独占権を侵害する明確な『特許魔導回路複製禁止則』違反。――即ち、帝国の繁栄を揺るがす国家反逆罪だ」


周囲の査察兵たちが一斉に銃剣を構え、ハルトとエルザ、そして恐怖に顔を青ざめさせたユーリを完全に包囲した。逃げ場のない闇市場の片隅で、冷たい金属の銃口がハルトの胸元へと突きつけられた。

HẾT CHƯƠNG

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