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白亜の冷徹、鉄の徴税官

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「ガリ、ガリ、ギィ……」


 静まり返った工房の中に、真鍮が擦れ合う不快な金属音が響き渡っていた。


 ハルト・ウェルナーは、油の染み込んだ木製スツールの端に深く腰掛け、右足の義足を外して膝の上に載せていた。煤けた茶髪の間から滴る汗が、額の防塵ゴーグルを伝って床へと落ちる。店内に充満しているのは、安価な潤滑油の焦げた臭いと、石炭の煙、そして皮膚が焼ける生々しい臭いだった。


 先ほど地底の第三採掘坑道で放った『バラスト・ストライク』の反動は、想像以上にハルトの肉体を痛めつけていた。義足の接続部――右足の切断面は赤黒く腫れ上がり、高圧蒸気による熱傷が痛々しく水膨れを作っている。立つだけで意識が遠のきそうな激痛が走るが、ハルトは眉一つ動かさず、真鍮のピンセットを手に持っていた。


「お兄ちゃん、もう無理をしないで……。その傷、早く冷やさないと」


 作業台の影から、十四歳になる妹のエリィが、包帯を巻いた右手を胸元に抱えながら心配そうに声をかけてきた。彼女の右手は、重力病の初期症状によって肘の先まで冷たい真鍮の結晶に覆われつつある。その青白い金属光沢が、ランプの光を鈍く反射していた。


「心配するな、エリィ。歯車が噛み合わなくなった時計は、一秒ごとに寿命を縮める。俺の足も同じだ。今、調律しておかなければ、次は動かなくなる」


 ハルトは寡黙に答え、義足の内部構造へ視線を戻した。『重力制御義足「バラスト・プロトタイプ」』のメインフレームを開けると、内部の超精密な真鍮ギヤが熱で一部融解し、無残に変形していた。父ヨハンの遺品である「最初の重力石」の破片は、その中心部で微かに青い光を脈打たせているが、それを支える支持ギヤがこれほど摩耗していては、本来の質量制御など望むべくもない。


「アニキ、この真鍮のギヤパーツ、ジャンク箱から探してきたよ! これで合うかな?」


 十二歳の弟子、トビー・ベッカーが、煤だらけの顔を輝かせながら、規格の合いそうな古い歯車を差し出してきた。ハルトはその歯車を受け取り、指先の感覚だけでコンマ数ミリのズレを測定する。ジレ式重力調律法を叩き込まれた彼の指先は、いかなる測定器よりも正確だった。


「……歯数が一枚足りない。だが、ヤスリで削れば使える。トビー、主ボイラーの圧力を維持しておけ。いつでも絶縁魔導水を循環できるようにな」


「了解!」


 トビーが健気にボイラーへと駆け寄る。ハルトの背後では、全長百二十センチほどの真鍮製の自動人形『ギヤマン』が、静かに自律駆動用のギヤを「チク、タク」と鳴らしながら、ハルトの指示を待つように佇んでいた。クロードが遺したこの人形だけが、ハルトの無言の「重力波」を感知し、完璧に意図を汲んでくれる相棒だった。


 ハルトが調律ハンマーを握り、義足の変形したギヤを物理的に叩いて微細な周波数を調整しようとした、その瞬間だった。


 ガシャァン!!!


 修理店の正面扉が、不作法な暴力によって押し開けられた。レンガ造りの壁が震え、飾られていた古い振り子時計が一斉に悲鳴のような金属音を立てて揺れる。


 冷たい夜気と共に流れ込んできたのは、圧倒的な「威圧感」と、帝国軍特有の重厚な魔力の気配だった。


「――実に見窄らしい。下層のバラストどもが呼吸する空気は、真鍮の粉と油で濁っているな」


 低く、しかし驚くほど透き通った冷徹な声が響いた。


 入ってきたのは、仕立ての良い白亜の帝国官僚服に、贅沢な毛皮の外套を羽織った細身の男だった。手には、精巧な簡易重力展開装置を内蔵した「黄金の杖」を握っている。男の細い目は極めて冷酷で、その唇には薄笑いが張り付いていた。


 本国から新たにアイゼンシュタットへ赴任した帝国徴税官――ゲルハルト・フォン・クローネ。


 その背後には、全身を黒い帝国軍の重装甲で固め、頭部に鉄仮面を装着した巨漢が控えていた。手にした自分の背丈ほどもある『巨大蒸気駆動メイス・グラビトン』が、床に触れるたびにズシンと重い地鳴りを立てる。ゲルハルトの右腕であり、残虐非道な警備隊長、バルトルト・カイザーだった。さらにその後ろには、十数人の重装甲歩兵が、銃剣を構えて工房を包囲している。


「ひっ……!」


 トビーが短い悲鳴を上げてハルトの背後に隠れた。エリィも恐怖に身体を硬くし、ハルトの煤けた革エプロンを強く握りしめる。ギヤマンだけが、頭部の一個の大きなガラスレンズをゲルハルトに向け、不気味な静寂を保っていた。


「お前が、この店の主か?」


 ゲルハルトは黄金の杖で、床に散らばった時計の部品を小気味悪そうに退けながら、ハルトへと近づいてきた。その一歩一歩が、工房内の重力をじわじわと押し潰すような物理的な圧迫感を伴っている。ハルトは膝の上の義足を静かに作業台へと置き、激痛の走る右足を隠すようにスツールの上で姿勢を正した。


「ウェルナー重力時計修理店のハルトです。帝国管理局の最高監察官殿が、このような辺境の路地裏に何の御用でしょうか」


 ハルトの声は低く、平坦だった。怒りも恐怖も、一切をその煤けた表情の裏に押し殺している。時計技師としての「冷徹な計算」が、彼の脳内で瞬時に作動していた。ここで感情に任せて動けば、背後にいるエリィとトビーの命は一瞬で虚無の底へ消える。


「用件は極めて単純だ。本日より、このアイゼンシュタットにおける『重力付加税』を従来の三倍に引き上げる。これは本国からの絶対命令だ」


「三倍……!? そんな、ただでさえ重力税のせいで、みんな食べるものにも困っているのに!」


 トビーが思わず声を荒らげた。ゲルハルトの冷酷な細目が、ゆっくりとトビーへと向けられる。その瞬間、トビーの身体がまるで見えない不可視の重しで押し潰されたかのように、ガクガクと震え始め、言葉を失った。精神重力圧迫――ゲルハルトの放つ魔力が、少年の精神を直接支配しようとしていた。


 ハルトはすかさずトビーの前に自身の身体を割り込ませ、ゲルハルトの視線を遮った。ハルトの『重力共鳴』が、ゲルハルトの杖から発せられる不快な「チチチ……」という魔力波を正確に捉え、自身の体内でその不協和音を相殺するように呼吸を整える。


「……子供の無礼をお許しください、監察官殿。しかし、下層の炭鉱夫たちが命懸けで掘り出した重力石は、すでに九割以上が上層へと接収されています。これ以上の増税は、この街の存続そのものを揺るがしかねません」


「街の存続だと?」


 ゲルハルトは可笑しそうに肩を揺すった。


「勘違いするな、バラスト(重し)の一族よ。この島が宙に浮いているのは、帝国の慈悲によるものだ。お前たちの命の価値など、上層を浮かせるための質量の一部に過ぎん。文句があるなら、今すぐその薄汚い身体ごと虚無の底へ身を投げ出すがいい」


 その言葉は、下層民を人間として見ていない、絶対的な格差の論理だった。ハルトの背後で、エリィが恐怖と悔しさで小さく息を呑むのが分かった。


「だが、私がわざわざここに足を運んだのは、増税の告知だけが目的ではない」


 ゲルハルトの目が、獲物を狙う蛇のように鋭く光った。


「数日前、第三採掘坑道で『無認可の重力機械』が使用され、管理局の許可なく地盤の重力障壁が破壊されたという報告があった。さらに、その場にいた炭鉱夫どもは、一人の『義足の時計技師』が奇跡を起こしたと口々に騒ぎ立てている」


 バルトルトが重い鉄仮面の奥から「フン」と鼻を鳴らし、メイスを床に叩きつけた。石造りの床に細かな亀裂が走る。


「帝国の特許法に登録されていない重力デバイスの製造、所持、および使用は、国家反逆罪に該当する。バルトルト、捜索しろ。この店に隠されている『違法品』をすべて洗い出すのだ」


「ハッ!」


 バルトルトの合図とともに、帝国兵たちが一斉に工房内へ踏み込んできた。彼らは乱暴に棚をひっくり返し、精密な時計の歯車やガラスケースを床に叩き落としていく。ガシャァン、と繊細な真鍮のパーツが踏みにじられる音が響くたび、トビーは涙を浮かべて拳を握りしめた。だが、ハルトはただ静かにその光景を見つめていた。


 ゲルハルトはゆっくりと工房の中を歩き回り、黄金の杖の先で床を突いた。そして、ある一点で足を止める。


「……ほう?」


 ゲルハルトが屈み込み、床の木目の隙間に指先を這わせた。彼が指先を持ち上げると、そこには微かに青い光を放つ、極小の結晶の砂が付着していた。ハルトの『重力共鳴』が、その砂から発せられる微弱な「チク、チク」という音を敏感に捉える。


「これは『青晶重力砂(せいしょうじゅうりょくさ)』だな。それも、極めて純度が高い。下層の、それも三級の修理店に、なぜこのような軍用の魔導触媒が落ちている?」


 ゲルハルトの冷徹な声が、ハルトの鼓膜を刺した。それは、先日の坑夫救出劇の際、ハルトが義足の魔導回路を応急処置するために使用した、まさにその痕跡だった。


「……それは、古いジャンク時計から漏れ出た廃材の塵です」


 ハルトは一切の動揺を見せず、作業台から一冊の古びた、あちこちが油で汚れた帳簿を差し出した。


「こちらの記録をご覧ください。三ヶ月前、上層の廃船から回収された二等航海時計の残骸を買い取りました。その内部の重力バラストが破損しており、解体した際に飛散した塵が床の隙間に残っていたのです。ライセンス未所持の物品ではなく、ギルドの規定に基づいた合法的なジャンク回収品です」


 帳簿には、ハルトが事前に偽造しておいた取引記録が、完璧な筆跡で書き込まれていた。ゲルハルトは帳簿に目を通し、不快そうに鼻を鳴らした。書類上の不備はない。規則至上主義の帝国官僚にとって、完璧に整えられた「書類」は、物理的な証拠と同等の重みを持つ。ハルトは相手のその「法への盲信」を逆手に取ったのだ。


 しかし、危機はそれだけでは終わらなかった。


 ドスン、ドスンと重い足音を立てながら捜索を続けていた警備隊長バルトルトが、工房の隅に敷かれた、古びた毛織物の敷物の前に立ち止まったのだ。


 その敷物の下には、亡き養父クロードから受け継いだ秘密の研究室――初期型重力アンカーの設計図や、帝国の禁忌に触れる魔導デバイスが隠されている地下室への隠し扉があった。


「監察官殿、この敷物の下、床板の隙間が不自然に摩耗しております。地下へ続く空間があるようですな」


 バルトルトが不気味な鉄仮面の奥から歪んだ声を上げ、巨大な手で敷物を剥ぎ取ろうとした。


 トビーの顔から完全に血の気が引いた。エリィがハルトの服を握る手が、小刻みに震え始める。隠し扉が見つかれば、その場で全員が即座に処刑される。ハルトの脳内で、秒針の音が「チク、タク、チク、タク」と急速に加速していく。猶予は、あと三秒。


 ハルトは無言で、スツールの上で自身の右足の太腿を強く叩いた。義足は外されているが、大腿部の切断面に残された魔力接続端子から、微弱な重力パルスが空気中へと放たれた。


 その重力波(チクタク音)を受信したのは、ハルトの背後に佇んでいた真鍮人形『ギヤマン』だった。


 ギヤマンの頭部のガラスレンズが、一瞬だけ青く発光する。主の意図を完璧に理解した人形は、自身の真鍮の身体を軋ませながら、すぐ横に設置されていた工房の主ボイラーへと素早く移動した。


 ――ガチリ。


 ギヤマンの手が、ボイラーの『過負荷緊急排気バルブ』を意図的にロックし、圧力を限界まで引き上げるバイパスレバーを引いた。


「シューーーー! キィィィィン!」


 次の瞬間、ボイラーの鋳鉄製のボディが真っ赤に加熱され、内部の蒸気圧が臨界点を突破した。安全弁が強制的に暴走し、凄まじい大音響とともに、真っ白な高圧蒸気が工房全体へと爆発的に噴き出した!


「うおおっ!?」「何事だ!」


 一瞬にして視界が真っ白な熱い霧に包まれる。重装甲歩兵たちはパニックに陥り、武器を構えたまま後退した。地下室の扉に手をかけようとしていたバルトルトも、顔面を直撃した熱い蒸気に毒づきながら、たまらず敷物から数歩後ずさり、メイスを振り回して霧を払おうとした。


「申し訳ありません! ボイラーの圧力調整弁が、先日の地鳴りの衝撃で狂っていたのです!」


 ハルトはその混乱の最中、片足だけでスツールから飛び降り、床を這うようにしてボイラーへと突進した。「ガリガリ、ギィ」と、破損した右足の接続端子が床に擦れて激しい火花と激痛を散らすが、彼は表情を変えない。手にした特大の真鍮スパナをボイラーの主バルブに叩きつけ、驚異的な速度と正確さでボルトを締め上げた。


 シュウウウ……と、激しい排気音が徐々に収まり、白い霧が天井の換気口へと吸い込まれていく。


 ハルトは床に片膝をつき、肩で息をしながら、ゲルハルトとバルトルトに向けて深く頭を下げた。


「不手際をお許しください。この通り、古いボイラーでして、時折圧力を制御できなくなるのです。怪我はございませんでしたか、監察官殿」


 ハルトは頭を下げたまま、懐から数枚の、中央に穴の開いた粗悪な鉄製の硬貨『鉄歯車貨(アイゼン・ギヤ)』を取り出し、床にそっと置いた。下層の職人が、帝国の衛兵に「ボイラーの修理代」という名目で差し出す、伝統的な賄賂だった。


 バルトルトは忌々しそうに床の硬貨を見下ろし、メイスを肩に担ぎ直した。白い霧が晴れた床には、ハルトが身を挺してボイラーを修理した「 clumsy(不器用)だが必死な職人」の姿だけがあった。敷物は、ハルトの身体によって再び覆い隠されている。


「……ふん、薄汚いネズミの巣箱め。蒸気で燻り殺されるところだったぞ」


 バルトルトが吐き捨て、ゲルハルトの顔色を窺った。ゲルハルトは黄金の杖を静かに手元に戻し、床に置かれた鉄歯車貨を一瞥した。彼の冷酷な瞳には、ハルトの必死な「小細工」に対する、底知れない侮蔑と、微かな「興味」が宿っていた。


「もういい、バルトルト。これ以上この排気孔に留まれば、私の外套に安物の油の臭いが染みつく」


 ゲルハルトは翻り、出口へと歩き始めた。だが、扉に手をかけたところで、彼はゆっくりと首だけを後ろへ巡らせた。


 その冷たい視線が、ハルトが作業台の上に置いていた『右足の真鍮製義足』へと注がれた。


「……その右足、面白い構造をしているな。ただの時計修理屋が、質量制御の基礎ギヤをこれほど精巧に組み上げるとは」


 ハルトの心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。ゲルハルトの手が、ゆっくりとハルトの義足のメインフレームへと伸びていく。その指先が、義足の内部に隠された「最初の重力石」の破片、その青い光が漏れ出る継ぎ目に触れようとした、まさにその時――。



※この物語の続きは、次回『歪んだ血族と青い熱』へ続きます。お楽しみに!

HẾT CHƯƠNG

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