恵みの広場の絞首台
右肩の裂傷が、包帯の奥で熱く脈打っていた。ヨハンの重力弾が砕いた岩片は、ハルトの肉を深く切り裂き、今も呼吸をするたびに鋭い痛みを走らせる。だが、それ以上の激痛が、彼の左足を支配していた。
「カチ、チ……カチ……」
煤けたベッドの端から垂らした左足を見つめ、ハルトは小さく息を吐いた。膝から下、ふくらはぎの皮膚が冷たく硬い真鍮の幾何学模様へと変色し、関節を動かそうとするたびに、まるで油の切れた歯車が噛み合うような嫌な軋み音が骨の奥から響く。重力病中期。過酷なアンカー設置作業の代償は、彼の健康な肉体を確実に蝕み始めていた。
「ハルト、無理に動くんじゃねえ」
即席の隠れ家として使っている炭鉱の廃倉庫で、ロルフが太い腕を組んでハルトを睨みつけていた。その横では、老鍛冶職人のオットーが、ひび割れた真鍮の調律ハンマーを磨きながら、沈痛な面持ちで座っている。
「『落涙の崖』にアイゼン・ボルトを打ち込んだおかげで、東側居住区の崩落はピタリと止まった。お前の技術は、数千人の命を救ったんだ。だがな……」
ロルフが言葉を濁したその時、隠れ家の錆びた鉄扉が静かに開き、すばしっこい影が滑り込んできた。使い走りの少年、ニコ・シュミットだった。息を激しく切らし、その小さな顔は恐怖で青ざめている。
「ハルトの兄貴、大変だ……! マックス町長が、管理局の連中に捕まった!」
ハルトの脳裏に、あの温和な白髪の老紳士の姿が浮かんだ。アイゼンシュタット町内自治会の長であり、ハルトの父親の代からの古い知人。彼が、なぜ。
「ゲルハルトの野郎、町長が反逆者ハルト・ウェルナーの逃亡を助けたって言いがかりをつけて、『国家反逆幇助罪』で逮捕しやがった。それだけじゃねえ……明日の朝、街の中央にある『恵みの広場』で、町長を公開処刑にするって触れ回ってやがる!」
「なんだと!?」
ロルフが立ち上がり、その巨躯から怒りの波動を放った。机の上のネジやボルトが、彼の怒気に応じるようにカタカタと震える。
「あの腐れ役人め! 町長を人質にして、ハルトをおびき寄せる気だ! 見え透いた罠じゃねえか!」
「……そうだ。俺を誘い出すための、完璧な計算だ」
ハルトは冷徹に言った。彼の瞳の奥で、時計技師の精密な思考回路が火花を散らす。ゲルハルトは冷酷な官僚だ。下層民の命など何とも思っていない。ハルトが姿を現さなければ、本当にマックス町長を絞首台に吊るすだろう。
「ハルト、行く気か? その身体で、帝国の包囲網に飛び込むなんて自殺行為だぞ」
オットーがハルトの結晶化した左足と、包帯から血の滲む右肩を指差した。だが、ハルトは静かに首を振った。
「オットーさん。クロードはいつも言っていた。『完璧な時計は、すべての部品が等しく価値を持つ。ネジ一本、歯車一枚でも欠ければ、世界という時間は止まる』と。マックス町長は、俺とエリィを何度も救ってくれた、この街に不可欠なギアだ。彼を見捨てるなら、俺が刻む時間に何の意味もない」
ハルトは、作業台に置かれた真鍮の調律ハンマーを手に取った。亀裂の入った金属の冷たさが、彼の掌に覚悟を植え付ける。
「作戦を立てる。力での正面衝突は全滅を意味する。搦め手で行くぞ」
ハルトはニコが持ち帰った『恵みの広場』の警備配置データをテーブルに広げた。そこには、帝国徴税警備隊の冷酷な布陣が記されていた。広場を囲むように配置された三つの重装甲歩兵小隊。中央の絞首台を守るようにそびえ立つ、バルトルト・カイザーの巨大な影。そして、周囲の建物の屋上には、あの曲射重力弾を操る狙撃手、ヨハン・ヴァイスが潜んでいる可能性が極めて高かった。
「広場の周囲は鉄壁だ。だが、警備隊の重甲冑は質量が重い。つまり、一度動き出せば、慣性を制御して方向転換するのにコンマ数秒の遅れが生じる」
ハルトは質量測定器の数値を思い浮かべながら、炭鉱夫たちに視線を送った。
「ロルフ。作戦の第一段階は、敵の注意の分散だ。処刑開始の直前、広場の東側にある『錆びた歯車亭』の近くで、炭鉱組合の連中を集めて大規模な騒ぎを起こしてくれ。警備兵の少なくとも一個小隊がそちらに割かれるはずだ」
「おう、暴れるのなら俺たちの本領発揮だ。警備隊の鉄屑どもを存分に引きつけてやるよ」
「第二段階は、俺の潜入だ。注意が逸れた一瞬の隙を突き、俺は『重力迷彩(グラビティ・クローク)』を使って広場に侵入する。狙撃手ヨハンの視線を避けるため、広場の給水塔の高所へ移動し、処刑執行のその瞬間を待つ」
ハルトの計画は、綱渡りのような精密さを要求するものだった。魔力が枯渇しかけている彼にとって、重力迷彩の維持は自身の肉体を結晶化の深淵へとさらに押し進めることを意味する。だが、これ以外の道はなかった。
「作戦を支援するため、オットーさんの鍛冶場が警備隊にマークされる危険がある。職人のみんなを街から避難させる準備も進めてくれ」
「ハルト……お前という奴は」
オットーは深くため息をつき、だがその目は誇らしげに輝いていた。彼は無言で、ハルトの肩を強く叩いた。
◇
翌朝。アイゼンシュタットの空は、重苦しい灰色の雲に覆われていた。浮遊島の外縁から吹き上げる風は冷たく、街全体が不規則に小さく揺れている。マザー・コアを失いかけた大地のきしみは、確実にこの街の終焉を予感させていた。
『恵みの広場』は、押し寄せた住民たちで埋め尽くされていた。誰もが口を固く結び、その瞳には押し殺した怒りの火が灯っている。広場の中央には、真新しい木造の絞首台が設置され、その上には太い麻縄の輪が不気味に揺れていた。
絞首台の脇には、鉄仮面を被った巨漢バルトルト・カイザーが、巨大な蒸気駆動メイス『グラビトン』を地面に突き立てて立っている。彼の周囲を、真鍮の盾を構えた「鉄の杭」部隊が取り囲み、住民たちを威圧していた。
広場を見下ろす管理局のバルコニーには、贅沢な毛皮を羽織ったゲルハルト・フォン・クローネが、黄金の杖を手に、冷ややかな笑みを浮かべて佇んでいる。
重々しい鎖の音が響き、広場が静まり返った。二人の警備兵に引きずられるようにして、マックス町長が絞首台の上へと連行されていく。衣服は破れ、顔には打撲の痕があったが、その白髪の老紳士は、背筋を真っ直ぐに伸ばし、静かに住民たちを見つめていた。
その群衆の最前線、フードを深く被った煤けた革エプロンの男が、静かに佇んでいた。ハルト・ウェルナー。彼の左足は硬直して激しく痛んだが、右手の外套のポケットの中、冷たい真鍮の調律ハンマーの柄を、血が滲むほどに強く握りしめていた。
ゴーン、ゴーン――。
中央重力塔の鐘が、処刑の開始を告げるように、アイゼンシュタットの空に重苦しく響き渡った。バルトルトがニヤリと鉄仮面の奥で笑い、グラビトンをゆっくりと掲げた。マックス町長の首に、冷たい麻縄がかけられる。
ハルトの『重力共鳴(チクタク・センス)』が、引き絞られる縄の張力を、そしてどこか高所から自分を狙う狙撃手の冷たい殺気を、正確に捉えていた。呼吸を止め、ハルトは一歩を踏み出す――。
Chưa có bình luận nào. Hãy là người đầu tiên!