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放課後の共犯者たち

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ガチャガチャ、と金属が激しく擦れ合う音が、静まり返った家庭科準備室に響き渡った。


 その瞬間、佐藤陸はびくりと身体を震わせ、真っ白に洗い上がったばかりの体操服を、まるで唯一の盾のように胸元へ強く抱きしめた。冷水でのもみ洗いで赤く悴んだ彼の指先が、恐怖で白く強張っている。


 洗川惣介は無言のまま、業務用洗濯機「ブルー・スワン号」のトグルスイッチに手をかけた。稼働を止めたばかりのドラムの余熱が、準備室の湿った空気を微かに揺らしている。惣介のひび割れた指先からは、先ほどの熱風作業のせいで、赤くにじんだ血が乾きかけていた。他人の汚れを引き受ける職人の代償が、その手の甲に生々しく刻まれている。


 廊下からの懐中電灯の光が、ドアの曇りガラスを鋭く過った。ノブが再び、ガチャガチャと乱暴に回される。


「おい、洗川! 入るぞ!」


 低く、どこか緊張感の抜けた声が、暗闇を切り裂いた。引き戸がガラリと開け放たれ、滑り込んできた人影が、手元のスマートフォンのライトで準備室の天井を照らす。


「うわ、真っ暗じゃん。何やってんだよ、お前ら」


 現れたのは、制服の第ボタンを外し、茶髪を少し遊ばせた少年――惣介のクラスメイトであり、校内のあらゆる噂話を一手に握るお祭り男、小林拓海だった。


「……小林か」


 惣介は小さくため息をつき、トグルスイッチから手を離した。張り詰めていた肩の力が、静かに抜けていく。陸もまた、大きく息を吐き出し、その場にへなへなと膝をついた。


「なんだよ、脅かすなよ、拓海先輩……。てっきり生徒会か風紀委員の見回りかと……」


「悪い悪い。でもさ、お前らが放課後に旧校舎に忍び込んでるって噂、マジだったんだな」


 拓海はスマートフォンのライトを準備室の奥へと向け、クンクンと鼻を鳴らした。


「っていうか、めちゃくちゃ良い匂いがする。セスキ炭酸ソーダとクエン酸、それに……石鹸の匂い? ドブ臭かった旧校舎が、まるで高級コインランドリーじゃん」


 そして、ライトの光が、陸が抱きしめている体操服に当たった瞬間、拓海の目が限界まで見開かれた。


「うおっ! 何それ、眩しっ! 佐藤、お前のその体操服、嘘だろ? 昨日までドブネズミ色で、近づくだけでバイオハザード並みの悪臭を放ってたあの服が、なんで新雪みたいに真っ白になってんの!?」


「静かにしろ。声がでかい」


 惣介は素早く間詰めると、作業台の上に置いてあった乾燥用の乾いたウエス(当て布)を掴み、拓海の口元に乱暴に押し当てた。


「むぐっ!? ん、んんー!」


「騒げば見つかる。見つかれば、この洗濯機は没収だ。黙れ、小林」


 惣介の冷徹な眼差しに圧され、拓海は両手を挙げて降伏の意を示した。惣介が手を引くと、拓海はウエスを払いのけ、ペッペと口を拭った。


「げほっ! 何すんだよ洗川! この布、微かにアルコールと重曹の味がするぞ! ……まあいいや。それよりさ、お前やっぱり『洗川クリーニング店』の息子だろ? 商店街の路地裏にある、あの頑固親父の店の。だからこんな魔法みたいな染み抜きができるんだ」


 惣介は眉をひそめ、無言で作業台の上の『洗川シミ抜き秘伝帳』を閉じた。実家の存在を隠すつもりはなかったが、拓海のような情報屋に嗅ぎ回られるのは本意ではない。


「実家のことは関係ない。俺はただ、汚れた服がそこにあるから洗っただけだ。用が済んだなら帰れ。ここは立ち入り禁止だ」


「冷たいねえ。でもさ、俺を追い出さない方がいいぜ?」


 拓海は準備室の丸椅子を引き寄せ、勝手に腰を下ろすと、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた。


「生徒会副会長の黒木が、旧校舎の『不法占拠サークル』を本格的に潰そうと動き出してる。風紀委員の巡回ルートも、明日からこの準備室を重点的に回るように書き換えられるらしい。お前ら、このまま隠れてコソコソ洗濯してたら、来週には部室ロックされて、そのお気に入りの洗濯機も粗大ゴミ行きだぞ?」


 その言葉に、陸が怯えたように惣介の顔を見上げた。惣介は沈黙した。黒木という規律主義者の男が、非公式な活動をどれほど嫌うかは容易に想像がついた。この家庭科準備室は、霧島先生の黙認という細い糸だけで繋がっている脆弱な居場所なのだ。


「……お前、何が望みだ」


 惣介の問いに、拓海は待ってましたとばかりにスマートフォンの画面を突き出してきた。そこには、温かみのある木製の箱のラフスケッチが描かれていた。


「俺と手を組もうぜ、洗川。お前のその神がかった洗濯技術と、俺の情報網があれば、この学校の『隠されたSOS』を全部集められる。美術部の長谷川に頼んで、この『匿名お悩みポスト』を作ってもらう。これを昇降口の靴箱の脇にゲリラ設置するんだ」


「ゲリラ設置だと? 無許可の物品設置は、それ自体が重大な校則違反だ。生徒会に格好の標的を与えるだけだ」


 惣介は即座に却下しようとした。これ以上の面倒事はごめんだ。陸の体操服を洗ったのは、職人としての衝動に抗えなかったからに過ぎない。これ以上、他人の人生の泥沼に足を踏み入れるつもりはなかった。


「まあ聞けって。ただ隠れて洗うだけじゃ、いつか限界が来る。でも、もしこのポストを通じて、学校中の生徒の『困りごと』を解決するボランティアとして実績を作ればどうだ? サッカー部や野球部、演劇部……あいつらの汚れたユニフォームや衣装を新品同様にして返してやるんだ。感謝の声が集まれば、生徒会だって簡単には俺たちを潰せなくなる。非公式な同好会から、公式な部活への昇格だって夢じゃない!」


 拓海の言葉には、独特の熱量と、妙な説得力があった。お調子者を装っているが、彼は校内のパワーバランスを冷徹に分析していた。


「俺が風紀委員の巡回ルートをハッキングして、見回りの時間を事前に知らせてやる。お前らはただ、届いた服を洗うだけでいい。どうだ、悪くない取引だろ?」


「断る」


 惣介は冷たく言い放った。


「俺は救世主になるつもりはない。他人の悩みを解決するなんて、傲慢だ」


 準備室に冷たい沈黙が戻りかけたその時、陸が、真っ白な体操服をぎゅっと抱きしめたまま、一歩前に踏み出した。


「洗川先輩……。僕、拓海先輩の言う通りにしたいです」


 惣介は驚いて陸を見た。少年の瞳には、昨日までの怯えや諦めは消え去り、真っ直ぐな、強い光が宿っていた。


「僕、先輩にこの服を洗ってもらって、タグの裏の父さんの名前を守ってもらって……自分が汚い存在じゃないんだって、初めて思えました。もし、この学校に、僕と同じように『汚れた服』を着て、誰にも助けてって言えずに泣いている人がいるなら……今度は僕が、その人を助けたい。先輩の助手として、僕に手伝わせてください!」


 陸の言葉は、惣介の胸の奥にある、十年前の「洗えなかった思い出」を静かに揺さぶった。自分のシャツが汚れていては、他人の服を綺麗にすることはできない。だが、目の前の少年は、自らの手で服を洗い、白さを取り戻したことで、今度は他人のために動こうとしている。


 惣介は深く、深く溜息をつき、乱暴に髪をかきむしった。


「……勝手にしろ。ただし、小林、お前の情報が一度でも狂ったら、その時点でこの同好会は解散だ」


「交渉成立だな! 歓迎するぜ、『遺失物クリーン同好会』の結成だ!」


 拓海は声を弾ませ、陸と固いハイタッチを交わした。惣介はそれを見ながら、また一つ、引き返せない泥沼に足を踏み入れてしまったことを自覚しつつも、胸の奥に灯った微かな温もりを否定できなかった。


 ◇


 数日後の早朝、まだ生徒たちの登校が始まる前の薄暗い昇降口。


 拓海と陸の手によって、美術部の長谷川がリメイクした木製の『匿名お悩みポスト』が、靴箱の脇のデッドスペースにひっそりと設置された。「洗濯機と青空」の温かいイラストが描かれたその箱は、周囲の無機質なコンクリートの中で、奇妙な存在感を放っていた。


 そして翌朝。惣介が昇降口に立ち、ポストの小さな真鍮の南京錠を開けた瞬間、彼の指先が止まった。


 中には、一枚の折りたたまれた「匿名ポストの相談メモ」が、静かに横たわっていた。それは、悪戯でも偽情報でもない、上質な紙に書かれた切実な筆跡だった。


 惣介がそのメモを開き、末尾に記された差出人の名前を目にした瞬間、彼の瞳が驚愕に揺れた。


『立花麻衣――生徒会長』


 そして、そこには信じられない言葉が、震える筆跡で書き残されていた。


「私の汚れた制服を、誰にも見せずに洗ってください。旧校舎のベランダの隅の紙袋の中に隠してあります」


 完璧を絵に描いたような、あの生徒会長からの、泥だらけのSOS。惣介の職人としての時間が、再び激しく動き出そうとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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