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真実の天秤と狂気の足跡

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冷気とオゾンの臭いが澱む「第4地下尋問室」の空気は、皮膚を刺すように冷たかった。


 部屋の中央に置かれたのは、鈍い真鍮の光沢を放つ尋問椅子。その頭部には、不気味な銅製の針が何本も内側に向けて突き出た、王冠のごとき魔導具が据え付けられている。帝国司法省が誇る「精神尋問プロトコル」の執行器だ。嘘を吐けば、脳内の魔力パルスが不整合を起こし、即座に高圧の電流が脳細胞を焼き切る仕組みになっている。


「そこに座れ、サカキ・キョウヤ」


 特別捜査官クライン・ベルガーの声は、金属的な静けさを湛えていた。純白の制服に身を包んだ彼の佇まいは、この薄暗い地下室において異様な存在感を放っている。


「は、はい……失礼します……っ」


 鏡夜は肩をすくめ、怯える小市民の声音を完璧に演じながら椅子に腰掛けた。背後に控える執行官の手によって、冷たい真鍮の冠が彼の頭部へと装着される。こめかみに鋭い針の先が触れた瞬間、脳髄を冷たい電流が走るような感覚があった。


 激しい頭痛が視界を白く染めかける。昨夜、自身の最重要記憶をすべて懐中時計の裏蓋にある「榊のバックアップコア」へと退避させたことによる、精神的な虚無と目眩が未だに残っているのだ。現在の鏡夜の脳の表層には、「精神の偽装迷宮」によって構築された「借金まみれで無能な三級徴税官」のダミー記憶だけが、完璧なパズルとして敷き詰められている。


(私は……サカキ。昨夜は、闇酒場で賭け事をして、大負けした……。高瀬長官への報告書も書いていない。恐ろしい、クライン捜査官が恐ろしい……)


 鏡夜は脳内でその偽りの感情を増幅させ、心拍数を意図的に跳ね上がらせた。怯え、震えるその身体の反応は、尋問システムにとっては「やましい隠し事(ギャンブルの敗北とサボり)」を持つ小悪党のそれとして、極めて正常に感知されるはずだった。


 クラインはデスクに両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せた。その冷徹な青い瞳が、鏡夜の眼鏡の奥を見つめる。


「尋問を開始する。昨夜の午前二時から午前四時の間、お前はどこで何をしていた?」


「ひ、東外周区の闇酒場『錆びた歯車』にいました……っ! そこで、その、非合法なサイコロ博打に手を出してしまいまして……。今月の徴収ノルマがどうしても足りなくて、一発逆転を狙ったのですが、逆に手持ちの記憶硬貨をすべて巻き上げられてしまい……」


 鏡夜は涙目で訴えかけた。嘘検知の針が、彼の脳内の「焦燥と恐怖」を検知して不気味にハミングする。だが、その感情の源泉は「博打の敗北」という偽の記憶に紐づけられているため、魔導陣は緑色の「正常」を示し続けた。嘘ではない。脳の表層においては、これが彼の「真実」なのだから。


 クラインは表情を変えない。ただ、手元にある真鍮製のコンパス「追跡魔針」の針が、微かに揺れているのを一瞥しただけだった。


「ギャンブル、か。三級徴税官にありがちな自堕落なアリバイだな。だが、お前の魔力波長には、昨夜の現場に残留していた『死神』の残渣と、ごく微小な同期の揺らぎが見られる。それについてはどう説明する?」


「そ、そんなこと言われましても! 私はしがない下級官僚ですよ!? 死神だなんて、そんな恐ろしい化け物と一緒にするなんて滅相もない! 昨夜の戦闘なんて、私は何も知りません!」


 鏡夜は必死に頭を振った。こめかみに突き刺さる針が微かに皮膚を傷つけ、血が伝う。だが、脳内の「感情の凍結」は、この狂おしい緊迫感の裏側で、絶対的な冷徹さを保ち続けていた。クラインの質問の意図、魔力探査の指向性、すべてを機械的に計算している。


 クラインはゆっくりと立ち上がり、鏡夜の目の前へと歩み寄った。そして、懐から極小のガラス瓶を取り出し、尋問机の上に置いた。コト、と軽い音が響く。


 瓶の中には、顕微鏡でなければ判別できないほどの、微細な銀色の金属破片が収められていた。


「昨夜の倉庫の現場から回収された物証だ。解析の結果、これはかつて司法省の特級捜査官にのみ支給されていた『記憶のピンセット』の刃先の一部であることが判明した。超希少なオリハルコン合金製だ。そして、この外周区支部で、過去にそのピンセットを紛失、あるいは保管庫から持ち出した形跡のある者を照合した」


 クラインの青い瞳が、凍りつくような鋭さを増す。


「該当者はいない。だが、保管庫の備品管理ログには、最近、不自然なデータ改ざんの痕跡があった。何者かが、非公式にこのピンセットを持ち出し、現場で使用した。そして、そのハッキングを行えるだけの知識を持つ者は、この支部の内部にいる」


 クラインが右手を伸ばした。彼の指先が、鏡夜の左腕へと近づく。鏡夜の左腕は、制服の袖の奥で、すでに肘まで青い魔導ガラスへと結晶化し、感覚を完全に失っている。もしクラインがこの腕に直接触れ、その異常な魔力凍結を感知すれば、いかなる偽装迷宮も無意味と化す。


(単に物証を否定するだけでは、この包囲網は突破できない。クラインの追跡魔針は、私の左腕の結晶魔力を確実にロックしつつある。……他人の記憶を、ダミーとして差し出すしかない)


 鏡夜は「真眼」を銀縁眼鏡の奥で極小に起動し、クラインが放つ精神探査の魔力波長を瞬時に分析した。クラインの探査が最も強まり、彼の意識が鏡夜の「脳の隙間」へと侵入してくるその刹那。鏡夜は、脳内の「偽装迷宮」の防壁を意図的にわずかだけ緩めた。


 そして、あらかじめ構築しておいた偽の記憶を、その隙間から「漏洩」させた。


 それは、同僚のフィリップに関する記憶だった。


『――夜の執務室。フィリップが、周囲を警戒しながら証拠保管庫の重い鉄扉を開け、中から銀色に光る細い道具を取り出して懐に隠す光景。フィリップの傲慢な笑み。彼はそれを「手柄」のために使うと呟いていた――』


 クラインの精神探査波が、その「漏洩した記憶の残滓」に触れた瞬間、尋問室の空気の圧力が劇的に変化した。クラインの眉が、ピクリと動く。


 だが、その瞬間、尋問システムの嘘検知が作動しかけた。偽の記憶を意図的に流したことによる、脳内の魔力パルスのわずかな不整合。鏡夜はすかさず、自身の瞳孔に「瞬間的記憶消去」を微弱に適用した。嘘を吐く瞬間に生じる、微細な瞳孔の反射的な開きを、肉体レベルで物理的に消去したのだ。


 バチ、と尋問冠の魔導石が火花を散らしたが、警告のアラームは鳴らなかった。システムは、鏡夜が「意図的に隠そうとしていた、フィリップの不審な目撃記憶」を、クラインの探査によって『暴かれてしまった』と誤認したのだ。


「……今、お前の脳裏に浮かんだものは何だ?」


 クラインが鏡夜の胸ぐらを掴み、顔を近づけた。その表情には、明らかな変化が生じていた。彼のような優秀な捜査官こそ、他人の言葉ではなく、自身が「探査によって引きずり出した手がかり」を最も信用する。鏡夜はその心理を完璧にハメたのだ。


「あ、頭が、痛い……っ! 分かりません、私は何も見ていません! フィリップ様が保管庫の鍵を開けていたなんて、私は誰にも言っていません!」


 鏡夜は狂ったように頭を抱え、怯えの演技を極限まで高めた。過剰な演算と瞬間的な自傷消去により、脳細胞が軽い損傷を起こし、耳の奥でキーンという激しい耳鳴りが鳴り響いている。視界が二重にブレ、強烈な目眩が彼を襲う。だが、そのリアルな苦痛の表情さえも、尋問のプレッシャーによるものとしてクラインの目を欺いた。


「フィリップが、保管庫の備品を……」


 クラインは鏡夜から手を離し、冷たい目で虚空を見つめた。彼の疑惑の矛先は、完全に鏡夜から、日頃から手柄を焦って傲慢な振る舞いを繰り返していたエリート新人、フィリップへと転移していた。フィリップなら、自身の貴族のコネを使い、保管庫のログを書き換えて特級備品を持ち出すことなど容易い。すべての状況証拠が、鏡夜の仕掛けた偽の記憶によって一本の線に繋がったのだ。


 カチャリ、と尋問室の鉄扉が開き、カトリーナ補佐官が慌てた様子で入ってきた。


「クライン様、フィリップ徴税官のデスクから、非公式に持ち出されたと思われる備品申請書の破片が発見されました。彼が最近、証拠保管庫の周辺で不審な動きをしていたという目撃証言も上がっています」


 鏡夜が事前にシンを通じて省内に流しておいた、極小の噂話の種が、この完璧なタイミングで芽を吹いたのだ。クラインは冷たく微笑んだ。


「やはりな。死神の正体、あるいはその協力者は、身の程を知らないエリート気取りの男だったというわけか。……サカキ、お前の尋問はここまでだ。下がれ」


 尋問冠が頭部から外され、鏡夜は解放された。彼はふらつく足取りで尋問室を出た。廊下の冷たい空気を吸い込んだ瞬間、懐の「レテの時計」の針がチクタクと逆回転する音が、彼の脳裏に現実の時間を引き戻した。バックアップコアから自身の本当の記憶――榊鏡夜としての自我と、妹の結衣の存在が、脳内へとゆっくりと還流してくる。


 激しい頭痛に耐えながら、廊下の陰で眼鏡の位置を直したその時。文書管理室のニコラが、周囲を警戒しながら鏡夜に駆け寄ってきた。


「サカキさん! 無事だったのね……っ」


「ニコラさん……。ええ、なんとか。それより、何かあったのですか?」


 ニコラは大きな丸眼鏡の奥の瞳を不安に揺らし、鏡夜の耳元で囁いた。


「フィリップが、さっき少数の部下を連れて、極秘裏にスラムの最深部へ向かったの。手柄を焦るあまり、クライン捜査官に先んじて、屍術師ガストンの秘密工房を独自に突き止めて突入するつもりらしいわ。このままじゃ、彼らは……」


 その言葉を聞いた瞬間、鏡夜の脳裏に、レバールの記憶から引きずり出した不気味な咆哮――「屍獣ベヒモス」の悪夢の残光が、強烈なフラッシュバックとなって蘇った。

HẾT CHƯƠNG

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