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記憶の死神対屍術師

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「その銀のピンセットを捨てろ、死神。さもなければ、このガキの脳を消し炭にしてやる」


 不気味な骨製の記憶搾取杖をシンの頭部に突き立て、屍術師ガストンは耳障りな声を響かせた。彼の背後に広がる「記憶搾取の祭壇」からは、犠牲者たちの絶望の残光が青黒い燐光となって立ち上り、周囲の湿った空気を冷たく凍らせている。


 榊鏡夜は、眼鏡の奥の瞳を冷徹に細めた。脳内では、先ほど巨大屍獣ベヒモスを自爆に追い込んだ際の過負荷が、激しい耳鳴りと頭痛となって渦巻いている。左の鼻孔から流れ出た血が、黒い司法官の制服の襟元を赤く汚していた。さらに最悪なのは、彼の左腕だった。肘の上部まで完全に青い魔導ガラスと化し、感覚を完全に失ったその腕は、まるで冷たい重りのように肩からぶら下がっている。物理的な機動力が大幅に削がれた状態で、この格上の屍術師と対峙しなければならない。


「先生……! 来ちゃダメだ、逃げて……!」


 拘束されたシンの小さな身体が、恐怖で小刻みに震えていた。その首元には、ガストンの骨製の刃が物理的に食い込み、細い血の線を描いている。


「感情の凍結(コールド・マインド)」


 鏡夜は脳内で静かに術式を起動した。恐怖、焦燥、そしてシンを人質に取られたことへの静かな怒り――それら一切の感情が、一瞬にして冷徹な論理の氷の下へと沈み込んでいく。心拍数は一定に保たれ、視界は極限までクリアになった。正面から戦えば、ガストンの杖がシンの脳から記憶を吸い出す方が一瞬早い。シンの安全を確保しつつ、ガストンを無力化するための「一瞬の隙」を作り出す必要がある。


「……いいだろう。要求に従おう」


 鏡夜は無表情のまま、右手をゆっくりと懐へと入れた。ガストンの漆黒の瞳が、鏡夜の指先の動きを鋭く監視する。鏡夜が取り出したのは、遠山から譲り受けた銀色の極細ピンセットだった。対象の脳細胞を傷つけることなく記憶を抜き取る、死神の象徴たる魔導具。


「それを床に放り投げろ。妙な真似をすれば、このガキの『自分自身』が誰であるかの記憶から、すべて消去してやるぞ」


 ガストンが邪悪な愉悦を浮かべて杖を握り直した。その瞬間、鏡夜は「並列思考「大罪人の残響」」を強制起動させた。脳内に隔離されていた過去の犯罪者たちの残滓思念が、一時的に第二の演算回路として目覚める。脳が焼き切れるような熱量が頭頭を襲うが、鏡夜は思考を二系統に分離した。一系統はガストンとの対話と無抵抗の演技に。もう一系統は、聖堂の影に潜む「影縫いのシャドウ」との同期に。


(シャドウ、私の合図と同時に、ガストンの背後の影から仕掛けろ。奴の意識をコンマ五秒だけ逸らせばいい。契約の『担保』を失いたくなければ、完璧にやれ)


 影の中に潜むシャドウへ、魔力波長を介して極小の思念を送る。鏡夜の懐中時計の裏蓋に「復讐の記憶」を人質に取られている彼女に、拒否権はなかった。


「落とすぞ」


 鏡夜は右指先を緩め、銀のピンセットを石床へと落とした。キン、と高い金属音が静まり返った聖堂に響き渡る。その微細な音に、ガストンの視線が一瞬だけ下方に動いた。


 今だ。


 ガストンの影から、突如として漆黒の鎖が飛び出した。シャドウの「影縫い魔術」だ。黒い影の鎖が、ガストンの搾取杖を握る右腕へと物理的に絡みつき、その動きを強引に拘束する。


「なっ、影の暗殺者だと!? 小癪な――!」


 ガストンが驚愕し、強引に杖を引き抜こうと魔力を爆発させた。彼がシンの頭部の杖を起動させようとした、その刹那。


「瞬間的記憶消去(ショート・フォゲット)」


 鏡夜の紫色の瞳が、眼鏡の奥で異様な光を放った。ガストンの目を直視し、彼の脳細胞に直接、極小の精神パルスを撃ち込む。消去対象は、ガストンが今まさに実行しようとした「杖を起動してシンの記憶を抜く」という直前コンマ五秒間の思考の前提そのものだった。


「あ……?」


 ガストンの脳内で、思考の糸がぷつりと切れた。自分がなぜこの杖を起動させようとしていたのか、その論理的な因果関係が一瞬だけ消失する。わずかコンマ五秒。しかし、鏡夜にとっては永遠にも等しい時間だった。


「銀の狐の歩法(シャドウ・ステップ)」


 鏡夜は床を蹴った。感覚を失った左腕が重く引きずられ、身体の軸が微かに左へと流れる。しかし、脳内にロードされた怪盗の卓越した敏捷性が、その物理的な動作エラーを強引に補正した。風を切り裂き、滑るような神速の踏み込みで、鏡夜はガストンの懐へと潜り込んだ。


 床に落ちていたはずの銀のピンセットは、彼の右指先にすでに回収されていた。怪盗の指先は、ピンセットが床に跳ねる瞬間にそれを音もなく掠め取っていたのだ。


「死神、お前――!」


 正気を取り戻したガストンが悲鳴のような声を上げたが、すでに遅かった。鏡夜の右手に握られた「記憶のピンセット」の極細の先端が、ガストンの右のこめかみへと正確に、深く突き刺された。


「サイコ・ダイブ」


 視界が、一瞬にして猛烈な純白の光で塗り潰された。物理的な聖堂の風景が消え去り、鏡夜の意識は、ガストンの狂気と怨念に満ちた脳内精神世界へと強制的に引きずり込まれていった。


     *


 ズズズ、と足元から冷たい泥の感触が這い上がってくる。気付けば、鏡夜は果てしない暗闇の中に立っていた。頭上には星のない黒い空が広がり、周囲には見渡す限り、無数の歪んだ墓石が不規則に並んでいる。それこそが、ガストンの脳内精神世界「死者の墓標」だった。墓石の一本一本には、彼がこれまでに殺害し、脳を貪ってきた犠牲者たちの名前と絶望の記憶が刻まれている。


「よくも私の領域に踏み込んでくれたな、死神め!」


 暗闇の奥から、巨大な影が蠢きながら現れた。それは、現実世界のガストンよりも遥かに巨大で、全身に犠牲者たちの腐りかけた顔が蠢く、精神の怪物だった。ガストンの精神体が「骨製の記憶搾取杖」を地面に突き立てると、周囲の墓標がガタガタと激しく震え始めた。


 土を割り、無数の泥だらけの死者の腕が這い上がってくる。それらは、犠牲者たちの「生への未練と怨念」が具現化したものだった。無数の青白い腕が鏡夜の足首を掴み、彼を冷たい泥の底へと引きずり込もうと、物理的な力となって締め上げる。


「多重精神境界線(マルチ・マインド・ウォール)!」


 鏡夜は自身の精神世界「書斎」の防壁を、脳内で多重に展開した。彼の周囲に、半透明の紫色の障壁が何重にも構築され、死者の腕が障壁に触れた瞬間にバチバチと火花を散らして弾け飛ぶ。しかし、死者の数は数千を超えていた。防壁の第一層に、微細な亀裂が走り始める。


「無駄だ! ここは私の脳内、私の世界だ! お前のちっぽけな書斎ごと、死者の怨念で腐らせてやる!」


 ガストンの精神体が、杖から禍々しい黒い霧を放出した。「精神侵食の呪い」だ。その霧は、鏡夜の防壁を透過し、彼の脳内にある「記憶の書斎」へと直接侵入し始めた。書斎の美しい木製の書棚が、黒いカビに覆われるようにして崩れ落ち、鏡夜の「幼少期の楽しかった思い出」が物理的に汚染されていく。


 脳を直接焼かれるような激しい頭痛。鏡夜の精神世界が、ガストンの狂気によって内側から破壊されかけていた。これまでに奪ってきた他者の残虐な欲望が脳内で暴走し、自分が「榊鏡夜」であるかどうかの境界線が急速に融解していく。


(私は……ここで消えるわけにはいかない。結衣との約束が、まだ果たされていない……!)


 鏡夜は奥歯を噛み締め、自身の精神の最深部から、ある「弾丸」を引きずり出した。それは、彼がこれまでの徴税活動や戦闘で蓄積してきた感情のゴミ――他者の絶望や涙が結晶化した「嘆きの澱み」だった。触れるだけで激しい鬱病状態に陥る、負の感情の塊。


「嘆きの澱み、全開放」


 鏡夜は自身の防壁をあえて一部解除し、脳内に蓄積されていた「嘆きの澱み」を、ガストンの死者の群れに向けて一気に放出した。青黒いヘドロのような負の感情の津波が、ガストンの精神世界を覆い尽くす。


「な、何だこれは!? この凄まじい絶望の質量は……う、うああああっ!」


 ガストンの使役していた死者たちの怨念が、鏡夜の放出した「嘆きの澱み」と同調し、逆にガストンの精神体へと襲いかかった。怨念同士が相殺され、ガストンの精神世界の墓標が次々と粉砕されていく。ガストン自身が抱える数千人の死のトラウマが、彼の脳内で暴走を始めたのだ。


 形勢は逆転した。ガストンの精神体が苦痛に顔を歪め、その巨躯が崩れかける。鏡夜はその隙を逃さず、右指先に魔力を集中させた。


「並列思考、ハッキングコード起動。対象の『屍術の構築論理』を逆解析する」


 鏡夜は「真眼」でガストンの精神の核を凝視した。ガストンの自我と、彼が保有する「屍術の知識結晶」を繋ぐ魔術的な縫い目。それは、不自然なほどに洗練された、帝国の「大系譜システム」に酷似した論理コードで縫い合わされていた。


(やはりそうだ……ガストンの屍術は、彼自身が開発したものではない。帝国の最高権力が、平民の記憶を搾取するために構築した技術の横流しだ)


 その縫い目の最深部、ガストンの記憶の深淵に、鏡夜は見覚えのある不気味な影を目撃した。それは、十年前の榊家粛清の夜、燃え盛る屋敷の奥で父親を処刑した帝国軍の近衛兵たちが掲げていた、あの黄金の獅子の紋章――帝国大元帥「皇 厳十郎」の影だった。


(厳十郎……! お前が、ガストンの背後にいたのか……!)


 衝撃が鏡夜の精神を揺るがす。しかし、彼は「感情の凍結」を維持し、右手のピンセットをその縫い目へと突き立てた。


「遠山流・精密切り分け術」


 鏡夜の指先が、寸分の狂いもなく魔術のコードを切り裂いた。ガストンの残虐な自我と、彼の脳内にある最高純度の「屍術の知識結晶」が、物理的に完全に切断される。ピキィィィン! と、ガストンの精神の核に巨大な亀裂が走った。


「う、うあああああっ! 私の、私の魔術が……記憶が、剥がれていく……!」


 ガストンの精神体が絶叫し、その輪郭が急速に霧のように融解し始めた。彼の脳内精神世界「死者の墓標」全体が、大地震に見舞われたように物理的に崩壊し、暗黒の虚無の奈落へと崩れ落ちていく。


 しかし、消え去る間際、ガストンの崩れかけた精神の腕が、鏡夜の制服の胸元を狂気的な力で掴んだ。


「ただでは死ぬものか、死神……! お前も、この忘却の底へ、一緒に連れて行ってやる!」


 現実世界でのガストンの肉体が激しく痙攣し、両目から青い魔力の光を放ちながら崩壊を始めるのと同期して、鏡夜の意識は、崩落する精神世界の深淵へと引きずり込まれそうになっていた。周囲の墓石が、鏡夜の「記憶の書斎」の書棚を巻き込みながら、奈落へと落下していく。極限の緊迫感が、暗黒の底から鏡夜の自我を激しく揺さぶっていた。

HẾT CHƯƠNG

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