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屍獣咆哮と回路のハッキング

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ズズズ、ズガガガガ!


 足元から這い上がる地鳴りが、地下聖堂の冷え切った大気を激しく引き裂いた。床の中央に走った巨大な亀裂から、不気味に明滅する青黒い燐光が立ち上る。それは、数分前に精神を破壊され、ただの抜け殻と化して床に倒れ伏したマリアンヌの、断末魔の魔力が暴走した結果だった。彼女の生命維持システムと直結していた地下の魔術回路が過負荷を起こし、最奥に眠るガストンの最高傑作を強制的に覚醒させてしまったのだ。


「グルゥゥァァァァァァッ!」


 暗黒の裂け目から放たれたのは、数百人の人間が同時に死の絶望に直面したかのような、凄まじい「絶望の咆哮(精神的衝撃波)」だった。物理的な破壊力を伴ったその音波が、聖堂の強固な石柱を揺らし、天井から大きな瓦礫が次々と落下し始める。この凄まじい衝撃波に対し、榊鏡夜は脳内の「感情の凍結(コールド・マインド)」を限界まで稼働させ、精神の瓦解を防いだ。しかし、マリアンヌとの激しい精神戦による疲弊は色濃く、右のこめかみからは熱い血がひとすじ、静かに流れ落ちていた。


 裂け目から這い上がってきたのは、全長十メートルを超える醜悪な巨獣――「屍獣ベヒモス」だった。無数の猛獣や人間の死体をツギハギにして作られたその肉体は、全身の至る所から青い魔導の光を放っている。その巨大な肋骨の奥、心臓部に埋め込まれているのは、極彩色に蠢く巨大な結晶コア。スラム住民から強引に剥奪された「闘争と絶望の記憶」を燃料とする、物理破壊の化身がそこにいた。


「まずいな……このままでは天井が完全に崩落する」


 鏡夜は周囲を見渡した。聖堂の隅に捕らえられたスラムの子供たち、そして先ほど鏡夜が記憶を改ざんして昏睡させたフィリップの部隊が、崩落する瓦礫に押し潰されるのは時間の問題だった。彼らを救うためではない。ここで彼らが死ねば、クライン特別捜査官による容赦のない包囲網が完成し、自身の復讐計画がすべて灰燼に帰すからだ。だが、鏡夜の左腕は肘の上部まで完全に青い魔導ガラスと化しており、物理的な敏捷性は著しく低下していた。


 その時、聖堂の入り口の瓦礫が物理的に爆破され、大柄な男が率いる一団が突入してきた。スラム自警団「霧の盾」のリーダー、エリックだった。


「鏡夜! ここは俺たちが防ぐ! お前はあの怪物の動きを止めろ!」


 エリックは叫びながら、傷だらけの帝国軍の盾を構えた。彼の全身を「身体強化魔術(ブースト)」の赤い魔力が包み込む。自警団員たちが一斉に盾を並べ、ベヒモスが放つ第二波の咆哮を物理的な壁となって受け止めた。ドゴォン! と凄まじい衝撃がエリックの盾を襲い、男の足元の石床が粉砕される。しかし、元帝国軍百人隊長としての意地が、その突撃をギリギリのところで食い止めていた。シャドウの影縫い魔術は、ベヒモスが放つ圧倒的な魔力波動によって瞬時に引き裂かれてしまったが、エリックたちの肉体の防壁が、鏡夜に一瞬の猶予をもたらした。


「感謝する、エリック」


 鏡夜は眼鏡のブリッジを押し上げ、その奥の瞳を異常な紫色へと発光させた。固有技術「真眼(しんがん)」の起動だ。紫色の視界の中で、ベヒモスの巨躯は複雑な魔力流の数式へと還元されていく。鏡夜の視線は、怪物の胸部で蠢く「絶望の記憶結晶コア」へと向けられた。そのコアの術式構造を視覚化した瞬間、鏡夜の脳裏に激しい戦慄が走った。


(これは……何という構造だ。他者の記憶を抽出し、感情の毒を燃料に変えて駆動するこのシステム……。規模こそ小さいが、遠山先生が警告していた帝国の『大系譜システム』の設計思想と完全に一致している。ガストンの背後にいる何者かが、この技術を提供したのか……?)


 驚愕を処理する間もなく、ベヒモスの巨大な腕がエリックの盾を物理的に粉砕し、自警団員たちを吹き飛ばした。怪物の赤い眼光が、今度は鏡夜を捉える。避ける猶予はない。鏡夜は脳内の第三スロットに、あらかじめセットされていた「銀の狐」の記憶をロードした。


「――銀の狐の歩法(シャドウ・ステップ)」


 鏡夜の肉体が、本人の意思を超えた反射速度で真横へと滑り込んだ。ベヒモスの巨大な爪が、彼の髪をかすめて石床を粉砕する。左腕の感覚を失っているため、身体のバランスを崩しかけたが、怪盗の卓越した敏捷性が彼を強制的に立たせた。鏡夜はそのまま怪物の懐へと潜り込み、剥き出しになった胸部の結晶コアへと右手を直接突き出した。


「魔導回路のハッキング(コード・ディスラプト)」


 鏡夜の右指先から、極細の魔力波長が放たれ、ベヒモスの結晶コアの亀裂へと侵入した。彼の脳内で、凄まじい情報量が処理され始める。数百人分の「死の間際の絶望」が、鏡夜の精神世界「記憶の書斎」へと逆流し、書棚のいくつかが物理的に崩壊し始めた。脳細胞が沸騰するような激しい熱量。鏡夜の左の鼻孔から、再び熱い血が流れ落ちる。


 しかし、鏡夜は「遠山流・記憶の精密切り分け術」を応用し、逆流する絶望の感情を「嘆きの澱み」として脳の別領域へ瞬時に隔離した。そして、ベヒモスの行動ロジックの最深部――「すべての生者を破壊する」という命令を記述した前提数式を、精密にハッキングし始める。彼はその数式を、「自身を構成する魔力を暴発させる」自爆命令へと書き換えていく。


「ぐ、あぁぁぁっ!」


 超高速の並列演算に伴い、鏡夜の左腕の結晶化が肘の上部から肩の手前まで、パキパキと音を立てて急速に進行した。凍りつくような冷たい痛みが全身を襲い、意識が遠のきそうになる。だが、彼の執念がそれを許さなかった。最後のコードを、彼は精神の力で強引に書き換えた。


「システム・オーバーロード。自壊しろ」


 ピキィィィン! と、ベヒモスの胸部の巨大な結晶コアに、無数の白い亀裂が走った。怪物の動きが完全に静止し、その全身から放たれていた不気味な青い光が、一瞬にして眩い純白の閃光へと変化した。次の瞬間、ベヒモスの巨躯は爆発することなく、光の粒子となって内側から崩壊し、聖堂全体に美しい青い光の雨となって降り注いだ。


 ベヒモスの残骸が完全に消滅し、周囲に静寂が戻る。崩落しかけていた天井も、魔力の消失とともに安定を取り戻した。エリックたち自警団員が泥だらけの体で立ち上がり、鏡夜に向けて驚嘆の視線を送っていた。


 だが、鏡夜がこめかみの血を拭い、懐中時計を取り出そうとしたその瞬間――聖堂の最奥、不気味に青く光る「記憶搾取の祭壇」の影から、ゆっくりと拍手をする音が響き渡った。


 パチ、パチ、パチ。


「実に見事だ、司法省の『死神』。まさか私のベヒモスを、物理的な破壊ではなく、魔導回路の書き換えだけで無力化するとはな」


 立ち込める霧の奥から姿を現したのは、骨製の不気味な「記憶搾取杖」を手にした男――屍術師ガストン本人だった。そして、その男の左手には、首元を冷たい骨の刃で拘束され、恐怖に顔を歪めたシンが握られていた。


「先生……! ごめん、なさい……!」


 シンの悲痛な叫びが、静まり返った聖堂に響き渡る。ガストンは不敵な笑みを浮かべ、シンの頭部にゆっくりと搾取の杖を突き立てた。


「一歩でも動いてみろ。この少年の脳を、今この瞬間に焼き切り、すべての記憶をゴミのように消去してやる」

HẾT CHƯƠNG

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