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屍の聖堂と傲慢の代償

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錆びついた巨大な鉄扉の奥から響く、地響きのような咆哮と数百人の絶叫。その禍々しい魔力の震動が、地下聖堂の冷たい石床を通じて榊鏡夜の足元を激しく揺らしていた。


「――パコ、お前はここまでだ。舟に戻り、退路を確保しておけ」


 鏡夜は背後に控える盲目の獣人パコに静かに命じた。パコは犬耳を怯えたように伏せながらも、深く頷いて闇の中へと引き返していく。残されたのは、鏡夜と、彼の影に潜む暗殺者、影縫いのシャドウだけだった。


「行くぞ、シャドウ。ガストンの結界をハッキングする」


 鏡夜は手首から肘の上部まで完全に青い魔導ガラスと化し、感覚を失っている左腕を制服の袖で隠しながら、右手を鉄扉の赤く光るルーンへと押し当てた。眼鏡の奥で、彼の双眸が異常な紫色に発光する。固有技術「真眼(しんがん)」の起動だ。


 紫色の視界の中で、扉に施された屍術の結界式が光の数式となって浮かび上がる。鏡夜は脳内の第四スロットにロードされている「遠山流・精密切り分け術」の魔力波長を微弱に放ち、結界の前提条件である「生者の拒絶」の数式を一時的にバイパスした。赤いルーンがパチパチと音を立てて青く反転し、重厚な鉄扉が音もなく内側へと開いていく。


 聖堂の内部は、腐敗臭と高濃度の不純な記憶燃料(アニマ・オイル)の臭気が立ち込める地獄絵図だった。壁一面に、記憶を抜かれて廃人となった被害者たちの脳結晶が不気味な蛍光を放ちながら埋め込まれている。


 二人が気配を殺して石柱の影を進むと、前方から激しい魔術の爆発音と、聞き覚えのある傲慢な叫び声が響いてきた。


「クソッ、この薄汚い泥人形どもが! 我が神聖なる魔導の錆にしてくれる!」


 石柱の陰から鏡夜が「真眼」で覗き見ると、そこには無数の屍兵(ゾンビ)に包囲され、満身創痍となった司法省徴収課のエリート新人、フィリップとその部隊の姿があった。フィリップの金のブレスレットが眩しく発光し、彼の手から放たれる「光線魔導(レイ・バレット)」が屍兵の肉体を貫くが、痛覚を持たない屍兵たちは這いずりながら距離を詰めていく。フィリップの部下たちはすでに全員が倒れ、彼自身も肩から血を流し、魔力枯渇による焦燥で顔を歪めていた。


「……哀れなものだな」


 鏡夜の影から、シャドウの声が冷ややかに響いた。


「あの傲慢な貴族の小僧、手柄を焦ってガストンの罠に飛び込んだらしい。鏡夜、放っておけ。あいつがここで屍兵に貪り食われれば、ガストンの戦力も削れる。私にとっても、お前にとっても好都合だ」


 確かにシャドウの言う通りだった。フィリップは鏡夜を「スラムのゴミ拾い」と見下し、執拗に嫌がらせを繰り返してきた男だ。ここで死なせれば、目障りなライバルが一人消えることになる。


 しかし、鏡夜の脳内の「感情の凍結」は、別の冷徹な最適解を瞬時に弾き出していた。


(いや、生かさねばならない。フィリップがここで死亡すれば、司法省本省のクライン捜査官はこれを『重大な国家反逆災害』と断定する。そうなれば、スラム外周区全体が完全に物理封鎖され、クラインの『追跡魔針』による網羅的な精神査問が再開される。私の二重生活と、結衣の隠れ家は確実に暴かれる)


 私怨など、保身の論理の前には無価値だった。鏡夜は懐中時計を取り出し、残り時間を確認する。残り「百十五時間」。


「シャドウ、フィリップを救出する。ただし、私の正体があいつに知られてはならない。お前は屍兵の注意を引きつけろ」


「……チッ、相変わらず冷酷な計算だけで動く男だ」


 シャドウは舌打ちをしながらも、契約の「担保」に従い、即座に影へと溶け込んだ。次の瞬間、フィリップに襲いかかろうとしていた5体の屍兵の足元から、漆黒の影の鎖「影縫い魔術」が伸び、その動きを物理的に完全に拘束した。


「な、何だ!? 影の魔術……誰だ!」


 フィリップが驚愕して周囲を見渡した瞬間、鏡夜は石柱の死角から行動を開始した。「真眼」で屍兵たちの胸部に埋め込まれた「未練結晶」のハッキングポイントを特定する。


「――魔導回路のハッキング(コード・ディスラプト)」


 鏡夜は右手の指先から、極細の魔力パルスを放った。拘束された屍兵たちの未練結晶に直接干渉し、その行動ロジックを書き換える。「前進して敵を喰らえ」という命令を、「後方の障害物を物理的に排除しろ」という命令へと反転させたのだ。


 ハッキングされた屍兵たちは突如として奇声を上げ、互いに殴り合いを始め、その肉体を自壊させていく。凄まじい肉の破壊音が聖堂に響き渡る。


 しかし、さらに奥から新たな屍兵の群れが突撃してくる。鏡夜は即座に、懐から「記憶の針(メモリー・ニードル)」の術式を起動した。右手の指先から目に見えない魔力の針が、弾幕のように放たれる。


 シュ、シュ、シュ!


 精密に放たれた針は、突進してくる屍兵たちの頭部――脳の魔導回路を正確に貫いた。針が突き刺さった瞬間の衝撃で、屍兵たちの脳内にある「肉体を動かすための前提記憶」が一時的に切断され、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちていく。


「だ、誰だ……そこにいるのは……!」


 フィリップは残る魔力を振り絞って立ち上がろうとしたが、魔力枯渇による強烈な眩暈に耐えかね、その場に膝をついた。彼の意識が闇に落ちる寸前、鏡夜は「精神の偽装外套」を深く被り、彼の目の前へと音もなく着地した。


 フィリップの瞳が完全に閉じるのを確認し、鏡夜は「感情の凍結」を維持したまま、彼の前に屈み込んだ。


「ここからが、本番だ」


 鏡夜は右手をフィリップの額へと当てた。彼の頭部から、青白い記憶の光糸が溢れ出る。司法省公認の「記憶徴収術(ソウル・ドレイン)」の発動だ。ただし、彼が行うのは合法的な徴収ではなく、痕跡を消すための『記憶の改ざん』だった。


 鏡夜は「記憶のピンセット」を用い、フィリップの脳から「昨夜から現在に至るまでの、死神に救われた記憶」を慎重に手繰り寄せ、物理的に引き抜いた。引き抜かれた記憶は、極小の青い結晶となって鏡夜の手元に残る。


 だが、記憶をただ消去しただけでは、クラインが彼の脳をスキャンした際に『不自然な空白(空白のバグ)』を検知されてしまう。鏡夜は自身の脳内精神世界「記憶の書斎」から、事前に用意していたダミーの記憶をフィリップの脳内スロットへと流し込んだ。


 ――フィリップは、自身の圧倒的な「光線魔導(レイ・バレット)」を限界突破させて放ち、ゾンビ兵たちを自力で完全に撃退した。しかし、その強大な魔力消費の反動により、最後の敵が崩れ落ちると同時に誇り高く気絶した――。


「く、っ……」


 フィリップの脳内に偽の記憶を縫い合わせる瞬間、鏡夜の脳細胞に凄まじい過熱(オーバーロード)が発生した。自身の5スロットの精神回路が悲鳴を上げ、こめかみに鋭い激痛が走る。鼻から一筋の血が滴り、眼鏡のレンズを汚した。


 鏡夜は袖で血を拭い、偽装工作を完成させた。フィリップの脳内にある『偽の記憶』は完璧に定着した。しかし、鏡夜は気づいていた。手柄を焦るフィリップの歪んだ自尊心に合わせたこの記憶には、魔術の「詠唱タイミング」と、周囲の屍兵の肉体崩壊の物理的痕跡との間に、ごく微小な矛盾(バグ)が残されていることに。だが、今の鏡夜の精神容量では、これが限界だった。


「シャドウ、この男を聖堂の外、下水道の安全な分岐点まで運べ。そこで放置しておけば、明朝には司法省の捜索隊に救助される」


「了解した。……だが鏡夜、お前は本当に恐ろしい男だな。敵を救いながら、その脳を玩具のように書き換えるとは」


 シャドウは無表情のフィリップを担ぎ上げ、影へと消えていった。


 一人残された鏡夜は、懐中時計の文字盤を見つめた。逆回転する針が、冷酷に時を刻んでいる。フィリップを救い、自身の容疑を一時的に回避することには成功した。しかし、彼の身体の結晶化を抑えるためのタイムリミットは、確実に削り取られている。


 その時。――ズズズ、と、聖堂の入り口にある巨大な鉄扉が、重々しい音を立てて完全に閉ざされた。


 ガギィン!


 背後で、退路を遮断する強固な錠が物理的にロックされる。同時に、聖堂全体の照明が消え、壁に埋め込まれた被害者たちの脳結晶が、一斉に禍々しい毒々しい青色へと発光し始めた。


『ハハハハ……! かかったな、司法省の死神。まさか、自ら我が『死者の墓標』の最深部まで飛び込んでくるとはな』


 聖堂の天井、そして暗闇の奥深くから、耳を掻きむしるような不気味な笑い声が響き渡った。それは、この聖堂を支配する狂気の屍術師、ガストンの声だった。空気中に、精神を麻痺させる幻覚ガスが、青い霧となって急速に立ち込め始める。

HẾT CHƯƠNG

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