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スラムを蝕む青い結晶

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廃鉱山の最下層。湿った土と鉄錆の匂いが立ち込める地下調合室に、不気味な真鍮の窯が鈍い熱を放っていた。アキト・サカグチは、毒沼の「白骨の泥濘」から持ち帰ったばかりのボトルを天秤の傍らに置いた。中に入っているのは、ドロドロとした黒緑色の粘性液体――帝国宮廷製薬院が不法投棄した魔薬廃棄物、「腐死ヘドロ」だ。


 アキトは灰色のボロボロの薬師ローブを脱ぎ、作業台の前に立った。その左腕は、肘から先が完全に漆黒に染まり、皮膚の下を蛍光緑の魔力血管が蠢いている。禁忌の「呪詛共生調合」の代償。常に氷を直接押し当てられているような、骨を削る激痛が左半身を支配していた。


「……ルイ、例の水を持ってきたか」


「うん、お兄ちゃん。スラムの共同井戸から汲んできたよ。……すごく、嫌な匂いがするんだ」


 背後で、十歳の弟子ルイが小さな硝子瓶を差し出した。少年の手は、先ほど毒沼で密猟団の斥候ジャックが泥に沈んでいくのを目撃した恐怖で、まだ微かに震えている。だが、その瞳にはアキトへの絶対的な信頼が宿っていた。


 アキトは無言で瓶を受け取り、コルク栓を抜いた。顔を近づけ、鼻腔の奥にある魔力感知神経を極限まで活性化させる。「微細嗅覚分析」の起動。アキトの琥珀色の瞳が一時的に濁った緑色に変色し、脳内に大気中の化学物質が「色と流れ」のイメージとなって可視化された。


(……甘ったるい、腐肉のようなマナの臭気。それと、極めて高純度の聖属性触媒の残渣。間違いない)


 アキトは冷徹に脳内で成分を分解し、数式を組み立てていく。この井戸水に含まれているのは、単なる毒ではない。帝国宮廷製薬院が「神聖魔薬」を精製する過程で排出した、不純な結晶化マナだ。それが雨水に混ざり、意図的にスラムの水源へと流し込まれている。


 帝国の「魔力血統主義」の裏にある醜悪な真実。彼らは平民たちにこの汚染水を飲ませ、皮膚がガラス化する奇病「マナ石化病」を意図的に蔓延させているのだ。そして、病に怯える平民たちに、法外な価格の「神聖魔薬」を売りつけ、絶対的な服従を強いる。この熱病パンデミックは、帝国が仕組んだ冷酷な支配システムそのものだった。そして、この汚染マナの分子構造は、妹ミオの肉体を溶かしつつある「液化虚無の呪い」の活性化エネルギーと、完全に同一の波形を示していた。


(……私がスラムの平民を救うのは、正義感からではない。ミオの治療環境を、このスラムの崩壊によって失うわけにはいかないからだ。合理的判断として、この汚染システムをハッキングする)


 アキトは「ゲヘナの調合窯」の前に立った。窯の表面に刻まれた古代ルーンが、アキトの「負の魔力」に反応してかすかに明滅する。


「等価交換の薬理原則に従う。この汚染のロックを解除するには、同質の『負の代償』が必要だ」


 アキトは硝子のメスを手に取り、包帯を解いた左腕の皮膚を躊躇なく切り裂いた。ドロドロとした濁った黒い「呪血」が、真鍮の窯へと滴り落ちる。ジ、と肉が焦げるような異音が響き、窯の内部のヘドロが激しく沸騰し始めた。


「痛覚遮断、最大展開。脳の回路を固定しろ」


 全身の血液が沸騰するような激痛が走る。アキトは脳内の痛覚信号を魔力で強制的に遮断し、冷徹に調合比率を計算し続けた。ヘドロの不純マナに対し、自身の呪血に含まれる負の変異マナを干渉させ、その分子結合を解体していく。東洋医学の「陰陽相克」――異なる毒素同士をぶつけ合わせ、互いの毒性を相殺する調律論。西洋の魔術では「浄化」と呼ぶ現象を、アキトは薬理的な「中和」によって物理的に再現する。


 窯の温度が急上昇し、蒸留器のガラス管を青白い液体が通り抜けていく。一滴、また一滴と、無色の硝子瓶に溜まっていく輝き。それは、大気中の不純マナに触れると微かに青白く発光する液体――「毒素中和指数:10%(基礎中和)」の薬液だった。


 調合が終わった瞬間、アキトは激しい虚脱感に襲われ、作業台に手を突いた。左腕を見下ろすと、漆黒の侵食が肘を越え、鎖骨に向けて数ミリメートル進行している。皮膚の表面には、高熱による微細なひび割れが生じていた。命を前借りする調合。だが、アキトの表情には一片の迷いもなかった。


「行くぞ、ルイ。救護所へ」


 アキトは完成した中和薬の瓶を木箱に収め、ローブを羽織った。包帯を巻き直した左腕を隠し、暗闇のスラムへと歩き出す。


 スラムの共同救護所は、雨漏りのするボロボロの木造建物だった。中に入ると、酸鼻を極める光景が広がっていた。数十人の子供たちが、全身から青いガラスのトゲのような結晶を突き出させ、高熱にうなされながら床にのたうち回っている。結晶が皮膚を突き破るたび、微かな割れ音と血が流れ、親たちの悲鳴が木造の壁に反響していた。


 救護所の中央では、教会のシスター服を着た女性治癒術士、エルマが、蒼白な顔で両手を掲げていた。彼女の手のひらから、純白の「基礎治癒魔法(ヒール)」の光が放たれ、結晶化が進む少女の胸元を包み込む。


「神よ、この哀れな子らに光の加護を……!」


 エルマが祈るように叫んだ。だが、その光が触れた瞬間、少女の皮膚に異変が起きた。胸元の青い結晶が、光を吸収して不気味に発光し、逆に急速に巨大化を始めたのだ。結晶の針が少女の鎖骨を内側から貫き、少女は肺を潰されたような悲鳴を上げてのけぞった。


「あ、ああ……どうして!? 治癒の光が、効かないなんて……!」


 エルマが絶望に瞳を揺らし、へたり込む。魔法の光が、汚染マナの結晶化規則を刺激し、変異を加速させているのだ。


「そこまでだ。その無駄な光を止めろ。お前の『神聖』が、その子の心臓をガラスに変えて殺す」


 救護所の入り口の扉が開き、灰色のローブを纏ったアキトが静かに入り込んできた。その後ろには、薬箱を抱えたルイが緊張した面持ちで続いている。


「あなた、は……スラムの『死神薬師』……!?」


 エルマが恐怖と警戒を剥き出しにしてアキトを睨みつけた。アキトは彼女を無視し、のたうち回る少女の前に跪くと、木箱から青白く発光する中和薬の瓶を取り出した。


「神の奇跡など、この泥にまみれたスラムには届かない。命を救うのは、等価交換の薬理だけだ」


 アキトが薬の栓を抜こうとした、その刹那。


 救護所の薄暗い入り口を塞ぐように、巨大な影が立ち塞がった。凄まじい威圧感とともに、重い金属音が床を揺らす。


「そこまでだ、薄汚い毒使い。その不気味な薬を子供たちから遠ざけろ」


 現れたのは、スラム自警団の長、鉄腕のテツだった。身の丈二メートルを超える大男。その右腕は、魔力駆動の無骨な「古代魔動鉄腕」――鈍い鉄の光沢を放つ巨大な義手へと改造されている。テツは怒りに目を血走らせ、その巨大な鉄の義手を、アキトの細い首筋に向けて容赦なく突き付けた。鉄の指先から放たれる微かな熱風が、アキトの頬を掠める。


「死神の施しなど、このスラムには必要ねえ。これ以上子供たちを弄ぶなら、その首ごと叩き潰すぞ」


 一触即発の静寂が、救護所を支配した。アキトの琥珀色の瞳が、鉄の義手の向こうにあるテツの瞳を、冷徹に見据え返していた。

HẾT CHƯƠNG

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