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見習い看守の無垢な忠誠

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意識の底から這い上がってきた私を待っていたのは、焼け付くような熱と、二人の男による息の詰まるような過保護な拒絶だった。


 空中監獄塔「アニマ・クラウストラ」の最下層に位置する「第一特別独房」。普段は冷え切った石壁に囲まれたその部屋は、今や厚手の極上な毛布と、ほのかに甘い薬香の立ち込める異質な空間へと変貌していた。毒水を反転治癒した際の魔力過負荷により、私の身体は激しい高熱に侵され、シーツを濡らすほどの発汗に喘いでいる。


「……起きるな、レイラ。まだ熱が下がっていない」


 額に触れた冷たい感触に、私は微かに目を開けた。視界の端に映ったのは、最高看守ギルバルトの端正な横顔だった。彼の鉄色の手甲から、極めて微細に調整された氷の魔力が放たれ、私の燃えるような額を優しく冷やしている。普段の冷酷な表情は影を潜め、その青い瞳には、私をこの腕の中に閉じ込めておきたいという、暗く重い独占欲が揺らめいていた。


「フン、相変わらず無骨な冷気だな、ギルバルト。彼女の繊細な魔力回路を凍らせるつもりか?」


 嘲笑を孕んだ低い声と共に、調薬室から戻ってきたユリウスが歩み寄る。その右手は、私の血によって結晶化の呪いが解け、白磁のような美しい人間の肌を取り戻していた。彼は銀の匙で、自ら調合した温かい薬湯を掬い、私の唇へと運ぶ。


「さあ、レイラ。私の特製エリクサーの基礎液だ。お前の熱を内側から優しく溶かしてやる。……ギルバルトの手など拒んで、私の薬だけを飲めばいい」


 二人の美しき看守が、私のベッドの左右を挟み、無言の火花を散らしている。私の首元では、ギルバルトから授けられた『守護の銀十字』が、彼の嫉妬と焦燥に呼応するようにドクドクと脈打っていた。私はかすかに微笑み、彼らの差し出す冷気と薬湯を、どちらも拒まずに受け入れる。


「……お二人とも、ありがとうございます。少し、楽になりました」


 私の掠れた声が響いた瞬間、二人の男の表情が目に見えて和らいだ。しかし、その甘美な沈黙は、独房の鉄扉を叩く副官フリッツの硬い声によって破られる。


「ギルバルト様、ユリウス様。監獄長オルセンが至急、監査官ウルリヒの件で本部の執務室へ出頭するよう命じております。これ以上の遅延は不審を招くと」


 ギルバルトが舌打ちをし、ユリウスが不快そうに目を細めた。彼らは私を一人残していくことを激しく嫌がったが、ここで教皇庁の不審を買うわけにはいかない。ギルバルトは私の毛布を丁寧に整え、ユリウスは薬瓶を枕元に置いた。


「すぐに戻る。誰一人生かしてこの部屋には入れん」


 二人が重い鉄扉を閉め、独房を出て行くと、静寂が戻ってきた。しかし、それは束の間の静けさだった。数分後、鉄扉の覗き窓が音もなくスライドし、鍵穴が小さくカチャリと回る。


 入ってきたのは、サイズの合わない大きめの看守服を着た、栗色の髪の少年だった。見習い看守のトビー・ミラー。彼は、厨房のマルタから預かったという温かいスープのトレイを、震える手で抱えていた。


「レ、レイラ様……。ご無事だと聞いて、その、スープを持ってきました」


 トビーの丸い瞳には、私に対する深い同情と、それ以上の恐怖が混ざり合っていた。彼は教皇庁の教義を盲信する実直な少年だ。大逆の魔女とされる私に近づくことは、彼にとって命がけの「掟破り」に他ならない。


「ありがとう、トビー。そこに置いてちょうだい」


 私はベッドの上で上体を起こし、彼を優しく見つめた。私の『真理の眼』は起動していないが、長年培った『微表情分析』が、彼の心理を瞬時にプロファイリングする。彼の指先は小刻みに震え、視線は私の首元の指痕と、手首の抑制枷を行き来している。彼は、不当に虐げられている(と彼が思っている)私を放っておけないのだ。


「トビー、袖が破れているわ。訓練で傷ついたの?」


「えっ? あ、はい……先輩看守たちに、少し突き飛ばされて……。でも、僕なんて、見習いですから平気です!」


 トビーは無理に笑顔を作ろうとしたが、その瞳には深い孤独と諦めが滲んでいた。孤児として教会に拾われ、ただの消耗品として監獄塔へ送られた少年の悲哀。


「こちらへおいで。繕ってあげるわ」


 私は枕元から、ユリウスの調薬室から密かに持ち出していた縫い針と糸を取り出した。トビーは驚愕し、何度も手を振って辞退しようとしたが、私の病弱な、しかし拒絶を許さない静かな視線に押され、おずおずとベッドの傍らへ膝を突いた。


 彼の破れた袖口を取り、細い指先で丁寧に針を通していく。私の指先が彼の温かい手首に触れるたび、トビーの身体が緊張で硬直するのが分かった。ギルバルトやユリウスの持つ、執着に満ちた重い体温とは異なる、小動物のような純粋な温もり。


「トビー、あなたの本当の家族について、教えてくれる?」


 私の静かな問いかけに、トビーは息を呑んだ。針を動かす私の手元を見つめながら、彼はぽつりぽつりと話し始める。


「家族……はい。僕は、小さな村の出身なんです。でも、僕が幼い頃に、村が恐ろしい疫病に襲われて……。教会の人たちが僕を救ってくれて、神の光に仕えるようにと、この監獄塔へ送ってくれたんです。だから、僕は教会に恩返しをしなきゃいけないんです。でも……」


「でも、大逆罪人である私を、残酷に扱うことが、本当に神の正義なのかと悩んでいるのね?」


 トビーは顔を真っ赤にし、涙を浮かべて俯いた。彼の無垢な正義感が、教会の冷酷な教義と衝突し、内側から彼を苛んでいる。私は彼の破れた袖を綺麗に縫い終え、その小さな頭を優しく撫でた。絹のような栗色の髪が、私の手のひらに心地よい感触を残す。


「あなたは優しい子ね、トビー。でも、世界の真実は、教会の光が照らすものとは少し違うのよ」


「世界の、真実……?」


「ええ。たとえば――あなたがいつも大切に持っている、その懐中時計。見せてくれる?」


 トビーは驚き、看守服のポケットから、古びた真鍮の懐中時計を取り出した。祖父の遺品だというその時計は、針が狂い、動かなくなって久しい。


 私はその時計を受け取り、そっと目を閉じてから、自身の最大の武器を起動した。――『真理の眼(エピステメー・アイ)』。


 私の黒い瞳が、深紅の光を帯びて妖しく輝き出す。視界が赤と黒の魔力線へと塗り替えられ、懐中時計の内部構造が透視された。歯車の噛み合わせの奥、金属の地板の裏側に刻まれた、極めて微細な、しかし神聖な輝きを放つ古代の術式。それは、教皇庁が歴史から完全に抹殺したはずの、失われた「旧王家」の魔導刻印(ロイヤル・シール)だった。


(……やはり、この子はただの孤児ではない。旧王家の血脈の生き残り)


 私の脳裏に、恩師アロイスが遺した記録が蘇る。教会が「疫病」として処理したトビーの故郷。それは疫病ではなく、旧王家の血を引く生存者を根絶やしにするための、教皇庁による組織的な「大虐殺」だったのだ。教会は、生き残ったトビーの記憶を消去し、自らの忠実な猟犬(看守)として飼い慣らしていた。


 私は『真理の眼』を閉じ、激しい魔力消費による一時的な呼吸の乱れを堪えながら、トビーを真っ直ぐに見つめた。


「トビー。この時計の裏蓋の内側には、古代の言葉でこう刻まれているわ。――『嵐を裂く風の翼、王の血脈を永久に守護せん』。これは、教皇庁の紋章ではない。彼らが滅ぼした、旧王家の絶対防衛の刻印よ」


「え……? 王、家……? 何を、言っているんですか、レイラ様……」


「あなたの故郷を滅ぼしたのは、疫病ではないわ。……教会よ。彼らはあなたの本当の家族を虐殺し、その血を引くあなたを、真実を隠したまま、この暗い監獄塔の消耗品として飼い殺しにしているの」


 トビーの顔から、完全に血の気が引いた。彼の世界を支えていた教会の「偽りの光」が、私の言葉という甘美な毒によって、音を立てて崩壊していく。


「嘘だ……嘘だ、そんなの……! 教会は、僕を救ってくれたはずだ!」


「なら、私の瞳を見て。私は、嘘をついているように見える?」


 私は彼の濡れた頬にそっと触れ、私の深紅の残光が宿る瞳を覗き込ませた。私の『微表情分析』は、彼の頑なな「看守としての義務」が、完全に溶けて消えていくのを捉えていた。トビーは涙を流し、私の胸元に顔を埋めて激しく泣き崩れた。


「ああ、あああ……! 僕は、僕はどうすればいいんだ……! 信じるものが、何もない……!」


「泣かないで、トビー。私を信じなさい。教会の偽りの光ではなく、真実を見通す私に、あなたのすべてを捧げるのよ。……そうすれば、私があなたをその呪縛から救い出してあげる」


 私は彼の頭を優しく撫で、その耳元で甘く囁いた。トビーは涙に濡れた顔を上げ、私の知性に、その圧倒的な美しさに完全に魅了された瞳で、私の足元に膝を突いた。


「……はい。僕は、レイラ様だけの看守になります。あなたのためなら、神を裏切っても構わない。僕のこの命、すべてあなたに捧げます」


 トビーは、看守服の裏に隠していた真鍮の小さな円筒――外部の抵抗組織「暁の蛇」と連絡を取るための『秘密通信の暗号筒』を、私の手の中にそっと握らせた。見習い看守の無垢な忠誠が、私の手足として完全に呪縛された瞬間だった。


 しかし、その誓約の余韻を切り裂くように、独房の外の廊下から、冷酷な足音が近づいてくる。覗き窓の隙間から、裏切り看守ゲルハルトの、不気味で疑わしげな視線がこちらを凝視しているのを、私は見逃さなかった。

HẾT CHƯƠNG

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