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最高看守の懺悔と魂の掌握

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空中監獄塔「アニマ・クラウストラ」の最上階近くに位置する、最高看守ギルバルトの執務室。黒鉄の石壁と重厚な黒檀の家具で統一されたその空間は、雲海を見下ろす高い窓から差し込む冷涼な光に満ちていた。しかし、その光は温もりを一切持たず、ただ部屋の主である男の冷酷さを際立たせるためだけに存在しているようだった。


「……手首の傷は、少しは痛みが引いたか」


 執務机の前に立たされた私を見下ろし、ギルバルトが低く、地響きのような声で問いかけてきた。彼の白銀の髪が、窓からの光を反射して冷ややかに輝いている。漆黒の甲冑を纏ったその体躯は、一介の囚人に過ぎない私に対して圧倒的な物理的圧迫感を与えていた。


「おかげさまで、凍傷の一歩手前で血は止まりました。最高看守様の不器用な『お手当て』には感謝しております」


 私は手首の黒鉄の鎖を微かに鳴らし、皮肉を込めて微笑んだ。手首の裂傷は、昨夜彼が施した不格好な氷結魔法によってかろうじて塞がっている。だが、骨の奥まで染み渡るような冷気は、私の病弱な身体に微熱と気だるい疲労を居座らせていた。少し呼吸をするだけで、肺の奥がひりひりと痛む。


「口を慎め、罪人。お前をここに呼んだのは、傷の具合を心配するためではない」


 ギルバルトの青い瞳が、鋭い氷刃のように私を射抜いた。彼は机の上の羊皮紙に視線を落とし、冷酷な尋問を開始する。


「アニマ・クラウストラ初代最高看守と教会本部の間で交わされた、国家最高法『監獄塔の不可侵条約(アニマ・チャーター)』。一介の侯爵家の娘であり、聖堂書記官に過ぎなかったお前が、なぜその原文を、一言一句違わずに暗記している。そして――昨夜、お前の瞳が一瞬、深紅に輝いた。あれは何の魔術だ」


 彼の問いは鋭く、容赦がない。尋問の圧力と同調するように、彼の身体から放たれる氷の魔力が、執務室の温度を劇的に下げていく。私の薄い囚人服を冷気が容赦なく突き抜け、肺が物理的に押し潰されるような錯覚に陥る。


「う……っ……」


 身体が微かに震え、呼吸が詰まる。肉体的な脆さは私の宿命だ。だが、私の頭脳は、この極限の威圧下にあってもなお、氷のように澄み渡っていた。私はそっと自身の特殊能力を起動する。――『微表情分析(プロファイリング)』、そして『真理の眼(エピステメー・アイ)』。


 私の黒い瞳が、再び深紅の輝きを帯びる。世界が赤と黒の魔力線へと解体され、ギルバルトの巨体がその中心に浮かび上がった。


 私の目に映ったのは、彼の強靭な肉体を包む美しい魔力の流れ――ではない。その奥、彼の心臓の真上に絡みつく、泥のようにどす黒く、赤黒く爛れた「線の結び目」だった。それは、彼の魂を内側から蝕み、締め上げている、絶望的なまでの罪悪感の残滓。


 さらに、微表情分析が彼の細部をスキャニングする。私の「不可侵条約」という言葉に対し、彼の左の口角が僅かに下がり、喉元の脈拍が異常な速度で打っている。彼は怯えているのだ。教皇の命令にではなく、自らの「過去」に。


「……最高看守様。あなたは規律を重んじる軍人だ。教皇庁の命令は絶対であり、神の正義だと信じようとしている」


 私は冷気に震える身体を支えながら、静かに、しかし彼の鼓膜に直接突き刺さるような確かな響きを帯びた声で話し始めた。


「ですが、あなたの魂は、その正義の重さに耐えかねて悲鳴を上げています。……五年前、教皇下の『神勅』に従い、あなたがその手で滅ぼした、ルミエールの隠れ里。異端の嫌疑をかけられた無実の民を、子供たちすらも、あなたは一人残らず氷の底に沈めた」


「な――ッ!?」


 ギルバルトの顔から、一瞬にして血の気が引いた。氷の瞳が、恐怖と驚愕に大きく見開かれる。彼の呼吸が完全に乱れ、周囲に浮遊していた微細な氷晶が、彼の動揺に呼応するように激しく乱れ飛んだ。


「なぜ、その里の名を……お前が知っている……!」


「真理を書き記す書記官を、侮らないでいただきたい。教会の書庫の最奥に眠る『裏の記録』を、私はすべて解読しました。そして、今もあなたの心臓の真上で蠢いている、その赤黒い呪縛の糸が教えてくれているのです。あなたは毎夜、その手についた血の匂いと、子供たちの泣き声に苛まれている」


「黙れ!!」


 激昂したギルバルトが一歩を踏み出し、私の細い首をその大きな手で鷲掴みにした。ドォン、と背中が頑丈な石壁に叩きつけられ、衝撃で肺の空気がすべて押し出される。


「あ……っ、か……」


 黒鉄の手甲の冷たさが首筋に食い込み、気道が塞がれる。物理的な力関係において、私は彼の足元にも及ばない。彼がほんの少し指先に力を込めるだけで、私の首など、冬の枯れ枝のように容易く折れてしまうだろう。


 だが、私の瞳は、深紅の光を失わずに彼の青い瞳を真っ直ぐに見つめ返していた。至近距離で対峙する彼の瞳の奥で、赤黒いトラウマの結び目が、今にも弾け飛ばんばかりに激しく震えている。


「殺すがいい……。私を殺せば、あなたの罪が消えるわけではない。あなたは一生、教皇の都合の良い『猟犬』として、不条理な虐殺を繰り返し、自らの魂を削り続けるだけだ……!」


「黙れと言っている……! 俺は神の法に従った! あれは聖戦であり、正義だった! そうでなければ……俺が殺した者たちは、何のために……!」


 ギルバルトの叫びは、獣の咆哮に似ていた。彼の指が震えている。首を締め上げる力は、殺意ではなく、己の崩壊を防ごうとする必死の抵抗だった。彼自身、自分が犯した罪が「偽りの正義」であったことに、とっくに気づいているのだ。ただ、それを認めてしまえば、自らの存在意義が完全に崩壊してしまうから、教皇の命令という「盾」にしがみついているに過ぎない。


「……あなたは、神の法に従ったのではない。ただの、支配者の道具にされただけです」


 私は気管を圧迫されながらも、慈悲に満ちた、しかし冷徹な言葉を彼の耳元へ囁いた。


「ならば……その不完全な法を、私が書き換えましょう。教皇のサインに隠された『魔力の搾取システム』を、私はこの瞳で視認しました。この監獄塔も、世界も、すべては偽りの教義で支配されている。ギルバルト様……私を、あなたの共同謀害者にして。私が、あなたをその罪悪感から、永遠に無罪として解放して差し上げます」


「お前が……俺を、救うだと……? 大逆の囚人が……」


「ええ。法が人を裁くなら、私はその法そのものを書き換える。私を殺さず、私の盾となりなさい。そうすれば、あなたの手についた血は、新たなる秩序の礎となる」


 その瞬間、私の体内の魔力抑制枷が、真理の眼の酷使と精神的同調の負荷に耐えかねて激しい拒絶反応を起こした。内臓が内側から焼け焦げるような激痛。


「ゴホッ……! う……」


 私の唇から、熱い鮮血が溢れ出た。赤い血滴が、私の顎を伝い、私の首を締め上げていたギルバルトの黒鉄の手甲を赤く染めていく。魔力回路暴走閾値への到達。視界が急速に暗転し、身体から完全に力が抜けた。


「レイラ……!?」


 ギルバルトの手から力が抜け、私は床へと崩れ落ちそうになった。しかし、地面に衝突する前に、彼の強靭な腕が私の細い身体をしっかりと抱き留めた。冷酷な看守の仮面は完全に剥がれ落ち、彼の表情には、今や剥き出しの動揺と、壊れ物を扱うかのような、狂気的な「保護欲」が混ざり合っていた。


「しっかりしろ、レイラ! 死ぬな……俺を置いて、逝くな!」


 ギルバルトは私を抱きかかえたまま、執務室の床に膝を突いた。私の手首を繋ぐ黒鉄の鎖を、彼は自らの手で強く握りしめる。彼の瞳の奥の赤黒い結び目が、私の「救済の言葉」によって、微かに解け、白銀の光と同調し始めていた。


「俺の魂を、その瞳で呪縛した責任を取れ……。お前が俺を救うというのなら、俺は世界を敵に回してでも、お前の盾となろう」


 ギルバルトは震える手で、自らの首元から、鈍く光る銀の十字架ペンダントを外した。それは彼の一族に代々伝わる、生命力と魔力を同期させる禁忌の信物。彼はそれを、私の首元へと優しく、しかし二度と外せないようにしっかりと嵌め込んだ。


「『守護の銀十字』だ。俺の心臓の鼓動はお前と共にある。お前が傷つけば、俺の肉体がその痛みを引き受ける。……お前は、俺のものだ、レイラ」


 彼の低い、執愛に満ちた誓いが、私の耳元で甘美に響いた。主従関係は、この瞬間に完全に逆転したのだ。物理的な檻の中にいるのは私だが、精神的な檻の中に囚われたのは、最高看守である彼の方だった。


 しかし、その陶酔的な静寂を切り裂くように、執務室の重厚な扉が突然、乱暴に押し開けられた。


「ギルバルト様! 緊急事態です!」


 息を切らせて飛び込んできたのは、見習い看守のトビーだった。彼の怯えた瞳が、床に跪き、血を流した私を抱きしめているギルバルトの姿を捉え、一瞬で硬直する。だが、彼はそれ以上の衝撃を抱えたまま、叫ぶように告げた。


「監獄長オルセン様が、教皇庁の特別監査官ウルリヒを伴い、今……この最上階へ向かっています! 『レイラ・ヘイワードの即時処刑の進捗を直接確認する』と!」


 トビーの報告に、ギルバルトの瞳が再び冷徹な看守の光を取り戻し、私の首元に嵌められた銀の十字架が、不穏な警告を告げるように冷たく脈打ち始めた。

HẾT CHƯƠNG

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