神聖反転:審問官の鉄槌を砕く光
黄金の雨が止み、ハーフエルフの里に静寂が戻ったのも束の間、地響きのような不気味な足音と、金属が擦れ合う耳障りな音が静寂を切り裂いた。蘇生した結界樹の緑の葉が、近づく禍々しい気配に反応するようにざわざわと身震いする。
「エミリアーノ様、奴らです。教国の猟犬どもが、この里の生存反応を嗅ぎつけてやってきました」
セリア・シルヴァルトが瞬時に『風穿ちの魔弓』を構え、鋭い視線を森の奥へと向ける。彼女の背後に控えるハーフエルフの戦士たちにも緊張が走り、カリンを守るようにして身を固めた。
霧の奥から這い出るようにして現れたのは、純白の教国軍とは対極に位置する、漆黒の武装を纏った集団だった。その先頭に立つ男は、筋肉質の巨体に棘のついた黒い革鎧を纏い、狂気に血走った赤い瞳をぎらつかせていた。彼こそが、異端審問局の執行官にして、審問官長バルトロメウスの右腕――狂気の審問官ガイウスだった。
「ふははは! 見つけたぞ、堕ちた女教皇エミリアーノ! 魔族の獣どもと泥に塗れ、何が聖女だ。大枢機卿マルクス様の命により、貴様を『悪魔の苗床』として捕らえ、公開処刑にしてくれる!」
ガイウスは下卑た笑みを浮かべ、手にした棘付きの鞭を地面に叩きつけた。その衝撃で泥が跳ね上がり、不気味な金属音が響く。彼の背後には、教国から派遣された数十人の審問兵たちが、無慈悲な刃を構えて包囲網を狭めていた。
「私を『悪魔の苗床』と呼びながら、自らはその悪魔以上の蛮行を繰り返す。教国の偽善には、いつも反吐が出ますね」
私は動じることなく、ゲオルグが仕立てた『背徳の聖衣』の裾を優雅に翻し、冷たい眼差しをガイウスに向けた。黒曜鉱のドレスは、彼の放つ禍々しい殺気を完全に遮断し、私の気高さをより一層際立たせている。
「小賢しい口を! お前のその光魔法、この石の前でどこまで使えるか試してやろう!」
ガイウスが不敵に笑い、懐から不気味に脈打つ黒い結晶石を取り出した。――『結界封印の黒石』。
彼がその黒石を地面に叩きつけた瞬間、石からどす黒い霧が噴出し、周囲数百メートルを覆う漆黒のドーム状の結界が急速に展開した。結界が完成した瞬間、私の手にする『天帝の聖杖』から放たれていた黄金の残響が、一瞬にして掻き消された。体内の神聖魔力の流れが、まるで冷たい氷の鎖で縛られたかのように凍りつき、外部への展開が完全に封じられる。
「これでお前の治癒も結界も終わりだ! さらに、平伏せ! 『重力拘束(グラビティ・プレス)』!」
ガイウスが呪文を唱えると、結界内の重力が突如として数十倍へと跳ね上がった。容赦のない圧倒的な圧力が、頭上から叩きつけられる。
「ぐ、ガアアアッ!?」
私の背後にいたレオンハルトが、激しい絶叫を上げてその場に膝を突いた。強大すぎる重力の負荷に、彼の強靭な筋肉がきしみ、赤い鱗の隙間から微かに血が滲み出る。周囲の龍族の戦士たちや、セリアたちハーフエルフも、あまりの重圧に耐えかねて地面に這いつくばり、苦しげな喘ぎ声を漏らした。強大な魔王といえど、体内の瘴気と結界の圧力が干渉し、一時的に身動きが取れなくなっているのだ。
「ははは! 魔王といえど、この結界の前にはただの這いつくばるトカゲに過ぎん! さあ、エミリアーノ、その美しい身体を引き裂き、教国へ連れ帰ってやる!」
ガイウスは勝ち誇り、棘付きの鞭を構えて私へと歩み寄る。這いつくばるレオンハルトが、憎悪に満ちた黄金の瞳を血に染め、無理に立ち上がろうとして筋肉をさらに裂いていく。激しい焦燥と怒りが、彼の体内の瘴気を急速に活性化させていた。
だが、私は焦らなかった。重力の負荷に膝が震えそうになるのを、強固な復讐の意志だけでねじ伏せ、冷徹にガイウスを見つめ返した。私の翡翠の瞳が微かに黄金色に輝き、特殊能力『嘘の看破(魂の濁り視)』が起動する。
私の視界の中で、周囲を覆う漆黒の結界の魔力循環が、細い紫色の糸となって浮かび上がった。この『結界封印の黒石』は、光の魔力を消滅させているのではない。外部への「放射」を妨害する特定の魔力波形を放っているだけだ。ならば、その波形をすり抜ける極限の純度を持つ触媒があれば、結界を内側からハッキングし、透過することができる。
(私の血――千年の時を経て最も濃く受け継がれた、初代聖女の純血。これ以上の触媒は存在しませんね)
私は『天帝の聖杖』の白銀の鋭い装飾に、自らの左手のひらを押し当てた。鋭い痛みが走り、白皙の肌から一滴の紅い『エミリアーノの聖血』が溢れ出す。その血を、私は聖杖の表面へと滑らせるようにして塗り広げた。
聖血が染み込んだ瞬間、聖杖の魔力波形が急激に変質した。結界の妨害周波数を完全にすり抜ける、極限の波長変化。私は『神聖結界・防御閾値』を自身の肉体の内側にのみ常時展開し、重力の影響を完全に遮断した。
私は、一歩、また一歩と、這いつくばる者たちを横目に、ガイウスに向かって優雅に歩み出た。
「な、何だと……!? なぜ動ける! その身体で、なぜ重力に潰されん!」
ガイウスの顔が驚愕に歪む。彼は狂乱し、棘付きの鞭を私に向けて激しく振り下ろした。だが、私はその攻撃を、聖血によって波長を変化させた聖杖で軽く受け流した。金属の火花が散る中、私は彼の懐へと一瞬で踏み込んだ。
そして、血に染まった私の右手のひらを、ガイウスの胸元の棘付きの黒い鎧に直接、優しく押し当てた。
「貴方たちの信じる光は、ただの搾取の道具。本物の光がどのようなものか、その身で知りなさい」
起動するのは、治癒の光を極限まで圧縮・反転させる、私独自の超高等攻撃魔術――『神聖反転』。
私の手のひらから、まばゆい黄金の光が放たれた。だが、それは温かい癒やしの光ではない。ガイウスの肉体に侵入した光は、彼の細胞の自己回復システムを瞬時に狂わせ、急速な自壊(腐食)を引き起こす即死の毒へと反転した。本来、傷を塞ぐはずの神聖なエネルギーが、彼の筋肉、血管、そして骨を内側から爆発的に崩壊させていく。
「ぎ、ぎゃあああああああッ!? 熱い、身体が、俺の身体が溶ける――ッ!?」
ガイウスが天を仰ぎ、おぞましい絶叫を上げた。彼の頑強な肉体が内側から黄金色の光に焼かれ、皮膚がボロボロと灰のように崩れ落ちていく。彼の体内で暴走する反転光が、肉体だけでなく魂の魔力回路をも容赦なく切り刻んでいく。そのおぞましくも美しい光景を、私は冷徹な瞳で見つめ続けた。
わずか数秒の間。ガイウスの巨体は、内側から噴出した光の柱によって完全に消滅し、一掴みの灰となって泥の上に散らばった。彼の死と共に、地面に転がっていた『結界封印の黒石』が、パキィンと高い音を立てて粉々に砕け散った。
結界が消滅し、重力拘束から解放された戦場に、息を呑むような沈黙が降り立つ。這いつくばっていた龍族の戦士たちやセリアたちは、目の前で行われた圧倒的な「死の奇跡」に、畏怖に満ちた目で私を見上げた。エミリアーノは単なるヒーラーではない。敵を自ら駆逐する、冷酷なダークヒロインなのだ。
「おのれ、魔女め……! ガイウス様を殺しおった!」
「全員で囲め! 生かして帰すな!」
ガイウスの残党である審問兵たちが、恐怖を怒りに変えて一斉に私へと武器を向け、突撃してきた。数十人の刃が、私を切り刻もうと迫る。
だか、その瞬間、戦場に天をも裂く凄まじい地鳴りが響き渡った。
「――ウオオオオオオオオオッ!」
怒り狂ったレオンハルトの『龍王の咆哮』が炸裂した。覇気を含んだその大咆哮は、襲いかかろうとした審問兵たちの精神を物理的に粉砕し、彼らの身体を恐怖で完全に硬直させた。武器を構えたまま、一歩も動けなくなる審問兵たち。
レオンハルトの黄金の瞳は、私が自らの手を傷つけ、ガイウスに直接触れられたことへの激しい「嫉妬」と「狂愛」で、鮮血のような赤へと染まっていた。彼の背後には、天をも裂く巨大な龍の幻影が立ち上っている。
彼は一瞬で私の背後に現れると、私の腰をその強固な腕で強引に抱き抱え、自身の胸元へと引き寄せた。彼の熱い体温と、狂おしいほどの独占欲が、私の背中を通じて伝わってくる。
「俺の目の前で、他の男に触れるなと言ったはずだ、エミリアーノ。お前を傷つけ、その聖なる血を流させた虫ケラどもは、俺が骨の一片も残さず焼き尽くしてやる」
レオンハルトの鋭い爪に、すべてを炭化させる漆黒の炎――『黒焔の爪撃』が宿る。彼は私を背後に庇うように抱いたまま、硬直した審問兵たちに向けてその爪を振り下ろした。
吹き荒れる黒焔の暴風。それは一瞬にして残党たちを包み込み、彼らの絶叫すらも熱波の中に掻き消した。後に残されたのは、ただ赤黒く焦げた荒野と、静かに舞い散る黒い塵だけだった。
レオンハルトは、黒焔の残り火が舞う荒野で、私を壊れ物のように強く抱きしめた。彼の強靭な腕が、私の身体を締め付ける。
「お前の身体に流れる血は、一滴たりとも他人に渡させない……」
私は彼の激しい嫉妬の熱を感じながら、首元のチョーカーに触れ、次なる復讐の盤面を見据えて妖艶に微笑むのだった。
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