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不吉なる誓約:龍の逆鱗と血の鎖

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空間がガラスのようにひび割れ、漆黒の炎と共に、私を抱き抱える龍魔王レオンハルトがその「檻」へと降り立った。


 そこは、黒い火山岩で築かれた険しくも荘厳な居城――龍魔王城「ドラッヘンフェルス」の最奥に位置する玉座の間だった。天井は遥か高く、赤黒い溶岩の光が、煤けた黒大理石の柱を怪しく照らし出している。窓の外には立ち込める黒煙と不気味な暗雲が渦巻き、魔界特有の濃厚な瘴気が、重苦しい霧となって床に這いつくばっていた。


「……戻られたか、我が王!」


 地響きのような声と共に、玉座を取り囲んでいた屈強な龍族の戦士たちが一斉に色めき立った。彼らは龍魔王軍「黒焔騎士団」の精鋭たち。その先頭に立つ、全身に無数の傷跡を持つ老戦士――将軍ゲルハルトが、鋭い黄金の瞳を剥いて私を睨みつけた。


「王よ、その腕に抱く不浄な人間の女は一体……! まさか、我らの宿敵であるルミナス教国の教皇衣を纏っているとは。聖戦の刺客に違いありません、今すぐこの場で我が斧の錆にしてくれよう!」


 ゲルハルトが赤い鱗に覆われた太い腕で、魔力を帯びた巨大な戦斧を構える。周囲の衛兵たちも、一斉に殺気立った槍の穂先を私へと向けた。並の人間であれば、その圧倒的な魔王軍の威圧感だけで精神が崩壊し、恐怖のあまり失神していただろう。


 だが、私は泥に汚れ、裾が激しく引き裂かれた「聖光の治癒衣」を纏ったまま、ただ冷徹に彼らを見つめ返した。体内の神聖魔力は五パーセント以下に枯渇し、肩には先ほどレオンハルトに付けられた爪の裂傷から、微かに血が滲んでいる。肉体は極限の疲労に悲鳴を上げていたが、私の翡翠の瞳に宿る復讐の炎は、一瞬たりとも陰ることはなかった。


(私を害しようとする羽虫ども……。ですが、ここで無駄な魔力を使う必要はありませんね)


 私が微動だにせず佇んでいると、私の腰を抱くレオンハルトの腕に、ピキリと恐ろしい力がこもった。


「控えよ、ゲルハルト。この女を傷つけることは、俺の命を奪うことと同義だ」


 レオンハルトの黄金の瞳が、怒りと独占欲でギラリと輝く。彼の全身から放たれた漆黒の「黒焔の爪撃」の余波が、衝撃波となって大広間を吹き抜けた。凄まじい熱風が龍族の戦士たちを圧倒し、ゲルハルトの巨躯すらも数歩後退させる。床の黒大理石が、ジリジリと熱で融解し始めていた。


「な、何と……。王の暴走(瘴気)が、完全に鎮まっている……?」


 ゲルハルトは驚愕に目を見開いた。レオンハルトの体内で渦巻いていた、あの狂暴な「瘴気汚染度・第二段階」の気配が、嘘のように安定しているのだ。戦士たちは息を呑み、信じられないものを見る目で、レオンハルトの腕の中にいる私を見つめた。


 レオンハルトは私を抱いたまま、ゆっくりと黒大理石の階段を上り、巨大な龍の頭骨が鎮座する「龍の玉座」の前に立った。彼は私を玉座の隣に乱暴に降ろすと、その大きな身体で私を遮るようにして、冷酷な眼差しを家臣たちへと向けた。


「この女の『聖なる光』だけが、俺の狂気を抑える唯一の特効薬だ。今日より、この女を城の最上階にある『漆黒の聖堂』に幽閉する。俺の許可なく触れることはもちろん、視線を向けることすら許さん。この女は、俺だけの便利な治療道具だ」


 監禁の宣告。レオンハルトの言葉は、冷酷な支配者のそれだった。彼は私を、自らの狂気を癒やすためだけの「都合の良い道具」として、この暗黒の城に永久に閉じ込めるつもりなのだ。


 だが、私は心の中で、冷たく、深く嘲笑った。


(私をただの便利な道具として監禁する、ですか。……傲慢なる龍の王よ、貴方は大きな勘違いをしています。支配しているのは、貴方ではなく私だということに、まだ気づいていないのですね)


 私は翡翠の瞳に、残された僅かな魔力を集中させた。特殊能力『嘘の看破(魂の濁り視)』が発動する。


 レオンハルトの魂の奥底を見つめると、そこには私に対する強烈な「飢餓感」と「依存の芽生え」が、どす黒い執着の鎖となって彼の心臓を縛り付けているのが見えた。彼は私の「聖光の口づけ」によって得た圧倒的な安息に、脳髄まで灼かれているのだ。私の光がなければ、彼は再びあの地獄のような狂気の中へ堕ちていく。その恐怖が、彼の傲慢な態度の裏側で、激しく震えていた。


 私は「聖光の治癒衣」の乱れた襟元を優雅に整えながら、一歩、レオンハルトへと歩み寄った。枯渇した身体からは想像もつかないほど、凛とした、元教皇としての気高き威厳を全身から漂わせて。


「龍の王よ。貴方は私をこの暗い檻に閉じ込め、ただの道具として飼い慣らすおつもりのようですね。……ですが、それは不可能です」


「何だと……?」


 レオンハルトが黄金の瞳を細め、不快そうに私を睨みつけた。玉座の間に、再び張り詰めた緊張感が漂う。


「私の『聖光』は、私の意志と、この肉体の生命力によって紡がれるもの。もし貴方が私をただの囚人として扱い、私の心が絶望で満たされれば、私の光は内側から枯れ果てるでしょう。そうなれば、次に貴方が狂気に襲われた時、誰がその脳を癒やすのですか? ……貴方は私を失えば、ただの狂える獣に戻る。違うかしら?」


 私の静かな、しかし確信に満ちた言葉に、レオンハルトの喉がヒクリと動いた。私の『嘘の看破』は、彼の魂が「その通りだ」と恐怖に震えた瞬間を、完璧に捉えていた。


「俺を脅す気か、人間の女が……っ!」


「脅しではありません。対等な取引の提案です」


 私は彼を見上げ、妖艶に、そして冷酷に微笑んだ。ルミナス教国で実父ヴァルハイトや実姉エレナに裏切られ、母の形見である「白銀の髪飾り」を奪われ、泥に塗れたあの日から、私は人間としての甘さをすべて捨て去ったのだ。利用できるものは、この魔王の武力すらも、すべて私の復讐の道具としてハッキングして見せる。


「私と貴方の間に、魂を縛る絶対的な誓約を結びましょう。魔界に伝わる古代の契約――『龍の血誓』を」


 その言葉が響いた瞬間、ゲルハルトが「何だと!?」と激昂した。「龍の血誓」とは、魔王が自らの心臓の血を捧げ、対象に絶対的な主従と守護を誓う究極の儀式。それを人間に、それも教皇だった女に結ばせるなど、龍族のプライドが許すはずがなかった。


「王よ、耳を貸してはなりませぬ! その女は我ら龍族の誇りを泥に塗る気だ!」


 ゲルハルトが斧を振り上げ、私を排除しようと突撃してくる。凄まじい火力を孕んだ風が私の頬をかすめた。だが、私は一歩も退かなかった。


「退け、ゲルハルトッ!」


 レオンハルトの激しい咆哮が、玉座の間を震わせた。激怒した魔王自身が、黒焔の波動を放ってゲルハルトの突撃を力ずくで遮ったのだ。ゲルハルトは衝撃に耐えかねて膝を突き、信じられないという表情で主君を見上げた。


「王よ……なぜ……」


 レオンハルトは彼らを無視し、ただ私だけを見つめていた。彼の黄金の瞳には、私の光を失うことへの、狂気的なまでの飢餓感と焦燥が渦巻いている。私の「聖光の口づけ」がもたらした安息の記憶が、彼の本能を完全に支配していた。


「……俺を、お前なしでは生きられない身体にした責任は、取ってもらうぞ」


 レオンハルトは低く、掠れた声で囁いた。彼の傲慢なプライドが、私の提示した絶対条件の前に、ついに屈したのだ。


「いいだろう。お前を俺だけのものにするためなら、魂ごと縛り合ってやる」


 レオンハルトは自身の鋭い爪を立てると、躊躇うことなく、自らの左胸へと突き立てた。衣服を引き裂き、頑強な肉体を貫いて、心臓の最も近くへと爪を潜り込ませる。


「ぐ、おっ……!」


 魔王の口から、苦悶の呻きが漏れた。どろりと流れる、超高熱の漆黒の魔力を帯びた龍の血。彼は自身の心臓を保護する最も硬い部位――『龍の逆鱗鱗』を、自らの手で生々しく剥ぎ取ったのだ。


 レオンハルトの手に握られたその逆鱗は、黒曜石のように不気味に輝き、脈打つ心臓の鼓動を伝えていた。彼は膝を突き、私の目の前にその逆鱗を差し出した。


「これがお前の言う、命の盾だ……。受け取るがいい、エミリアーノ」


 初めて、私の名前が彼の口から紡がれた。私は冷徹な微笑を浮かべ、その血塗られた逆鱗を受け取った。その瞬間、逆鱗は私の胸元へと吸い込まれるように溶け込み、鎖骨の間に、赤く輝く龍の紋章として定着した。レオンハルトの命そのものである逆鱗が、私の肉体と融合したのだ。これで私が致死の危機に陥れば、彼は空間を裂いて強制的に私の元へ召喚されることになる。


「まだ、儀式は終わっていません。……さあ、私の血を飲みなさい。そして、貴方の血を私に注ぐのです」


 私は白皙の腕を伸ばし、肩の裂傷から流れる自身の「エミリアーノの聖血」を、彼の唇へと近づけた。レオンハルトは飢えた獣のように、私の腕に噛みつき、その傷口から滴る純血を、恍惚とした表情で深く吸い上げた。初代聖女の血が彼の体内を巡り、残存していた瘴気が完全に浄化されていく。


 そして、私もまた、彼の指先から流れる熱い龍の血を、自らの唇で受け止め、飲み干した。喉を焼くような強烈な魔力の熱。だが、その熱は、枯渇していた私の神聖魔力を、内側から急速に満たしていくのを感じた。


 二人の血が交わり、魂の誓約が結ばれたその瞬間、玉座の間に巨大な黄金と漆黒の魔法陣が展開された。光と闇の魔力が螺旋状に渦巻き、私の首元へと収束していく。


 光が収まった時、私の首元には、深紅の龍の瞳を模した宝石があしらわれた、漆黒の「血のチョーカー」が不気味に浮かび上がっていた。


 絶対的な主従誓約――『龍の血誓』の完成だった。


 レオンハルトは荒い息を吐きながら、私の足元に膝を突き、呆然と私を見上げていた。彼の黄金の瞳には、契約によって私の肉体へ絶対に逆らえなくなったという、抗いがたい支配の鎖が刻まれている。彼はもう、私の許可なく私を傷つけることも、私の光を奪うこともできない。


 私は首元の黒いチョーカーにそっと指先で触れ、ひれ伏す魔王を冷たく、そして優雅に見下ろした。引き裂かれた純白の衣を翻し、私は彼に、甘美なる隷属の始まりを告げる微笑みを向けた。

HẾT CHƯƠNG

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