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暗闇の火花、無音の鞘の約束

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無縁墓地を覆う霧が、宿場町の外れに向かうにつれて、湿った煤の臭いへと変わっていく。鉄腕の剛太との死闘を生き延びた影狼は、半分に裂けた竹杖と、刀身に深い亀裂が入った満身創痍の仕込み刃を手に、泥濘を踏みしめていた。隣を歩くお鈴の小さな手が、影狼の煤けた袖を必死に握りしめている。彼女の心拍は未だに速いが、その奥には影狼への絶対的な信頼が静かな脈動となって息づいていた。


「おじさん、あっち……黒い煙が、地面から這い出ているみたいに渦巻いているよ」


 お鈴の囁き声が、湿った夜気の中で微かに震える。影狼にはその煙は見えなかったが、鼻腔を突くコークスの焦げる匂いと、皮膚にねっとりとまとわりつく重い熱気、そして耳の奥を断続的に叩く重金属の打撃音が、その場所が目指すべき「伍助の鍛冶場」であることを明確に告げていた。案内役の半助が、気配を殺しながら影狼の左斜め前を進み、鉄の扉が軋む音を立てないよう、慎重に裏口へと彼らを導く。


 一歩、鍛冶場の中に足を踏み入れた瞬間、影狼の拡張された五感は、凄まじい音響の嵐に叩き潰されそうになった。


 ――カン、カン、カン、カン!


 絶え間なく響き渡る金属の打撃音。冷やされた鉄が縮む際にあげる「キィン」という微小な悲鳴。さらには、炉に風を送るふいごの「ゴオオ」という重低音と、隅にある蛇口から竹筒を伝って滴り落ちる「ピチャ、ピチャ」という規則正しい水音が、狭い空間の中で複雑に反響し合っている。普通の人間の耳であれば、ただの雑音の洪水に過ぎない。しかし、影狼の脳内では、それらの音が壁や天井の位置を跳ね返りながらマッピングし、鍛冶場の立体的な形状を青い輪郭線として描き出していた。


「……誰だ、勝手に入り込みやがって」


 炉の奥から、低く、岩を削るような声が響いた。老鍛冶職人・伍助である。その鼓動は、驚くほど重く、一定だった。まるで、長年鉄を叩き続けてきた金槌そのものが胸の中で脈打っているかのようだ。その傍らでは、弟子の徳次が、影狼のまとう圧倒的な殺気と、半分に割れた竹杖から覗く壊れかけの薄刃に怯え、ガタガタと歯を鳴らしているのが聞こえる。


「伍助殿とお見受けする。この刃を……鍛え直していただきたい」


 影狼は無言のまま、懐からずっしりと重い「名刀の残鉄」を取り出し、煤けた作業台の上に置いた。冷たく、不純物のない極限の硬度を持つ鋼の破片が、木板の上で「ゴト」と重い音を立てる。


 伍助の不規則な足音が近づいてきた。彼の手のひらは、長年の火傷と肉刺で岩のように硬くなっている。老職人がその残鉄を手に取り、指先でなぞった瞬間、彼の呼吸が完全に停止した。鍛冶場を支配していた打撃音が、一瞬だけ止まる。


「これは……」


 伍助の心拍が、初めて不自然に跳ね上がった。驚愕と、深い哀惜。その感情の波が、影狼の耳に生々しく伝わってくる。


「お前、この鉄をどこで手に入れた……。これは、ただの鋼じゃねえ。かつて朝廷の刀鍛冶であり、陰謀によって没落したあの朔太郎が、その命と引き換えに鍛え上げた伝説の名刀『風切丸』の残骸だ」


 伍助の声が、微かに震えていた。彼は影狼の顔を、いや、その白布で覆われた両目の傷跡をじっと見つめている。老職人は、影狼の正体をあえて尋ねなかった。だが、その残鉄が、かつての友であり師でもあった朔太郎の遺産であることを、その皮膚が、鉄の匂いがすべてを物語っていた。


「いいだろう。お前の正体も、背負っている因縁も聞かねえ。だが、この鉄を蘇らせる。抜刀時の摩擦音を完全に消し去る『無音の鞘』と、風と同調する真の刃を、俺の命を賭けて打ってやる」


 伍助が金槌を強く握り直した瞬間、影狼の「風の軌跡視」が、鍛冶場の外から忍び寄る「不自然な大気の滞り」を察知した。


 ――チッ、チッ、チッ。


 それは、草むらを踏みしめる足音ではない。衣服の擦れる音が、鍛冶場の屋根や窓の隙間から、無音を装って這い寄ってくる音だった。黒塔の頭領・源十の右腕である「黒爪の骸吉」率いる追っ手の精鋭たち。剛太の死体を発見し、怒り狂った暗殺者たちが、すでにこの鍛冶場を完全に包囲していたのだ。


「半助、お鈴を連れて炉の影に隠れろ!」


 影狼が鋭く囁くと同時に、鍛冶場の天窓の木枠が「バキィン!」と激しい音を立てて破壊された。泥に汚れた黒装束の刺客たちが、梁を伝って蜘蛛のように滑り降りてくる。炉から立ち上る凄まじい熱気が、空気の対流を激しく乱し、影狼の「風の軌跡視」に陽炎のような歪みを生じさせていた。敵の正確な輪郭が、熱風の揺らぎによってぼやけていく。


(熱気で……風が読めぬ……!)


 その焦燥の隙を突くように、骸吉の放った細身の毒暗器が、空気を切り裂く「チッ」という極小の摩擦音を立てて影狼の耳元をかすめた。影狼は「地震動感知」で床の振動を捉え、上体を僅かに沈めて回避する。だが、敵は一人ではない。複数の中忍たちが、鍛冶場の絶え間ない金属音(ふいごの音や滴る水音)に自身の足音を紛れ込ませ、四方から影狼を仕留めようと迫り来る。


「ふん、耳が良いだけの盲人が、この騒音の中でどこまで動けるかな」


 闇の中から、骸吉の冷酷な嘲笑が響く。彼は自身の心拍を巧みに制御し、殺気の鼓動を周囲の打撃音と同調させて隠蔽していた。


 影狼は退かなかった。彼は懐から「響き石」を掴み出すと、全力で炉の真っ赤に熱せられた巨大な鉄板に向けて投げつけた。


 ――カキィィン!


 極限まで加熱された鉄板に石が激突し、鍛冶場全体に耳を劈くような強烈な金属反響音が炸裂した。その音の波紋は、四方の壁や梁、そして潜伏していた刺客たちの肉体に当たり、歪んだ反響となって影狼の耳へと返ってくる。影狼の脳内で、ノイズにまみれていた空間が一瞬にして晴れ、梁の上に潜む三人の刺客の正確な立ち位置が青い光となって再構築された。


「そこだ――!」


 影狼は、亀裂の入った折れかけの仕込み刃を抜き放った。抜刀の瞬間、未調整の鞘が「キィ」と悲鳴のような金属音を立てる。だが、その音すらも、響き石の残響の中に完全に溶け込んでいた。影狼は跳躍し、一人目の刺客の喉元に向けて、最短距離の「直線の一閃」を突き出した。


 ――ザシュッ!


 肉を裂く鈍い音が響き、刺客の一人が梁から床へと崩れ落ちる。しかし、その着地の衝撃を狙い、骸吉が毒を塗った細身の暗器を、影狼の背後から無音で放った。


 炉の激しい火花が飛び散る中、その見えざる死神の刃が、影狼の死角である右側から、無響のままその背中へと肉薄していた。

HẾT CHƯƠNG

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