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双剣の不協和音、遮断された耳

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臨雨鎮の夜を支配する豪雨は、漆黒の帳の向こうで未だ衰える気配を見せていなかった。百花楼の裏口から這い出し、雨夜の闇に紛れた曲無聴と紫音は、サキに教えられた通り、玄音楼江南分壇であるシルク倉庫の裏庭へと静かに潜入していた。


無聴が纏う灰色の長衣には、お千代の手によって「吸音石の微粉末」が完璧に刷り込まれている。本来であれば、彼がどれほど俊敏に動こうとも衣擦れの音一つ立てぬはずだった。しかし、容赦なく降り注ぐ豪雨が長衣を冷たく濡らし、繊維に染み込んだ水分が吸音の力を僅かに削ぎ落としていた。濡れた布地が動くたび、無聴の右耳には「微かな、濡れた摩擦音」がまとわりつく。それが彼自身の聴覚を僅かに乱すノイズとなっていた。


無聴の左耳は、完全な沈黙の深淵に沈んだままである。右耳の奥では、絶え間なく「ジジ……、ジジジ……」という不快な金属ノイズが弾け、雨音が歪んだ砂嵐の残響のように響いていた。李薬庵の「次に音律剣気を放てば、右耳の鼓膜も破裂し、即座に全聾に至る」という警告が、脳裏で不気味に明滅する。だが、無聴の胸に宿る冷徹な怒りは、その死線を越えることを躊躇わせなかった。友である瞎子が、自分のために地下牢で血を流しているのだ。


二人は裏庭の隅に置かれた、巨大な木製の「第三の染料桶」の前に到達した。紫音が無聴の手を引き、その指先を桶の底へと導く。無聴の指先が、染料の沈殿物の奥に隠された、頑丈な鉄の落とし戸の存在を捉えた。紫音が素早く指文字を無聴の掌に刻む。


『ここ、が、地下牢、への、隠し通路。独孤九、が、表門で、騒ぎを、始めました』


無聴は右耳を澄ませた。はるか地上の表門の方角から、雨音に混じって、金属同士が激しく激突する微かな「衝撃波の余韻」が伝わってきた。独孤九が約束通り、大立ち回りを演じて敵の注意を引きつけているのだ。今こそ、潜入の時だった。


無聴は落とし戸を静かに押し開け、紫音と共に暗い竪穴へと滑り降りた。染料の饐えた臭いと、冷たく湿った泥の匂いが鼻腔を突く。そこは、レンガで築かれた狭く薄暗い地下通路だった。通路の壁は音を吸収する特殊な湿った泥で覆われており、反響が極端に少ない。無聴は「水影の無音歩」を使い、足裏の内力で地面との摩擦音を完全に消しながら、闇の奥へと進んだ。


だが、その静寂は、あまりにも唐突に、そして暴力的に破られた。


――キィィィィン!


鼓膜を直接針で突き刺すような、凄まじい高周波の金属音が、狭い地下通路に響き渡った。無聴の右耳の中で、ただでさえ不安定だった「ジジ……」というノイズが、一瞬にして暴虐な赤い嵐へと変貌した。


「ぐっ……!」

無聴は思わず足を止め、こめかみを押さえた。脳髄を直接揺さぶるような激痛が走り、視界が真っ赤な雑音の海に染まる。彼の最大の武器である「絶対音感・経絡視」の知覚が、この高周波によって完全に狂わされた。脳内に描かれていた通路の立体的な構造や、周囲の気流の流れが、霧散するようにブレていく。


「へへっ、かかったな、盲目の琴打ちめ。分壇主の予測通り、ネズミが裏口から這い入ってきたか」


不敵な嘲笑が、反響の少ない通路の奥から響く。無聴の右耳が捉えたその足音は、重厚なブロンズの鎧が擦れ合う、鈍く重い響きだった。だが、高周波の残響が邪魔をして、敵の正確な距離が掴めない。二重にも三重にもブレる足音の主――それは、玄音楼の精鋭暗殺者であり、特殊なブロンズ製の双剣を操る達人、金角(キンカク)であった。そして、その影には、不気味なほど無音で佇む双子の弟、銀角(ギンカク)の気配があった。


金角は両手に握った一対のブロンズ双剣を、意図的に互いに激しく打ち合わせ続けていた。金属特有の不快な高周波が、狭い通路の壁で不規則に乱反射し、無聴の右耳を物理的に破壊せんと襲いかかる。この音波は、無聴の絶対音感を麻痺させるために特化された、最悪の「天敵」だった。


(音が……焦点を結ばない。経絡の流れが、見えない……!)

無聴の脳裏(心象風景)で、敵の肉体を示す透明な気の流れが、赤いノイズの霧に隠されて完全に消失した。目隠しの奥の瞳は何も見えず、耳もまた狂わされた今、彼は完全な「闇」の中に放り出されたに等しかった。


その刹那、無聴の皮膚が、右斜め前方からの「空気の急激な圧縮」を感知した。風を斬る音が一切しない、実体のない死角からの奇襲。銀角が放った、兄の音波と同調した目に見えない真空の刃だった。


「危ない……!」

無聴は本能的に身体を左へとひねった。しかし、完全に聴覚を失った左側の死角からの攻撃に対し、彼の反応は僅かに遅れた。衣服が切り裂かれる鋭い音が響き、無聴の右肩の肉が深く切り裂かれた。吸音長衣の布地が赤く染まり、泥の上に鮮血が滴り落ちる。


「曲様!」

紫音が声を上げようとしたが、無聴は右手で彼女を制し、背中から「寒蝉」を素早く引き抜いた。このまま防戦に徹していては、次の真空刃で首を刎ねられる。無聴は傷だらけの指先を鋼糸にかけ、内力を限界まで充填した。敵の高周波を物理的に相殺するため、不規則に弦を弾いて「不協和音の障壁」を展開しようとしたのだ。


――ベン、ベン、ベェェン!


寒蝉の弦が不気味な残響を放ち、無聴の周囲に激しい空気の歪みが発生した。だが、金角がさらに激しく双剣を打ち合わせると、ブロンズの超高周波が無聴の放った不協和音の波形に干渉し、その防壁を霧散させるように物理的にかき消してしまった。内力の調和が強制的に引き裂かれ、強烈なキックバックが無聴の指先と、右耳の奥へと逆流した。


「がはっ……!」

無聴は激しく吐血し、膝を突いた。右耳の奥から、熱い液体がタラリと流れ落ちる。鼓膜が引き裂かれる寸前の、激しい耳鳴りが頭蓋を満たしていた。李薬庵の言う通り、これ以上の演奏は、彼を完全な全聾へと引きずり下ろす死線だった。


「無力だな、琴師。耳を失ったお前に、我らの双剣は防げまい」

金角と銀角の冷酷な気配が、同時に跳躍した。無聴の右耳に届く微かな風圧の変化。双子は同時に宙を舞い、無聴の左右の死角から、完全に同期した必殺の斬撃を繰り出そうとしていた。


無聴は、自身の耳で敵の音を追うことを完全に諦めた。彼は最後の内力を耳神経に集中させ、一時的に右耳の知覚を完全に「閉じる」決意をした。それは、世界からすべての音が完全に消え去り、絶対の静寂の中に一人取り残されることを意味していた。気配すらも聞こえない暗黒の中で、双子の冷酷な刃が、無聴の首元へと容赦なく迫る――。

HẾT CHƯƠNG

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