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赤狼の牙影、炭鉱の物置に迫る

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荒涼たる鉄砂荒野の夕暮れは、血を流したように赤黒い。砂嵐の崖から吹き下ろす熱風が、廃棄された坑道の入り口を不気味に唸らせていた。地平線から立ち上る黒煙は、風に引き裂かれながら、確実にあの場所――沙耶(サヤ)を隠した「炭鉱の物置小屋」から昇っている。


「アニキ、急ごう! 奴ら、沙耶ちゃんを……!」


 陸(リク)が、背負った訓練用の重い岩石を乱暴に投げ捨て、手製の不格好な木刀を握りしめて駆け出した。剛顕(ゴウケン)は何も言わず、ただその背中を追って歩みを進めた。一歩踏み出すたびに、先ほどの崖での特訓で摩耗した膝の軟骨が「ゴリ、ゴリ」と鈍い軋み音を立てる。さらに、裂けた右手のひらから滲む血が、五百キロの「玄鉄甲(ゲンテッコウ)」の指先を濡らし、鉄錆の臭いを周囲の熱風に混ぜ合わせていた。


 物置小屋の周囲には、すでに十数人の男たちが群がっていた。その中心に立つ男は、乱れた髪に狂気的な笑みを浮かべ、獣の皮を纏っている。赤狼幇(セキロウホウ)の若頭、狂風(キョウフウ)であった。その背には、数々の旅人を手にかけてきた「巨大な首切り刀」が、赤黒い夕日を浴びて鈍く光っている。


「おいおい、こんな薄汚い物置に、榛家軍の生き残りがコソコソ隠れてるってのは本当かい? 雷震天(ライ・シンテン)の旦那から聞いた通り、あの鉄の案山子にも『守るべきもの』って奴があるらしいな」


 狂風が下卑た笑い声を上げ、首切り刀の重い峰で物置小屋の腐りかけた木扉を叩いた。ガツン、と乾いた音が響き、内部から小さな悲鳴が漏れる。沙耶だ。


「やめろ、無法者ども!」


 陸が、息を切らしながら物置小屋の前に滑り込んだ。全身泥まみれの少年は、怯えを押し殺し、木刀を両手で構えて狂風の前に立ち塞がった。


「ほほう、威勢のいいガキだな。それが榛家流の槍術かい? いや、ただの薪割りか」


 狂風は鼻を鳴らし、一歩前へ踏み出した。その身体から、真気を暴走させて身体能力を一時的に高める「狂暴心法(キョウボウシンポウ)」の、陽炎のような歪んだ熱気が立ち上る。二流境界の武芸者である狂風の速度は、炭鉱労働で鍛えただけの陸にとって、目視すら困難な領域にあった。


「邪魔だ、失せろ!」


 狂風の首切り刀が、凄まじい風切り音を立てて横一文字に払われた。ヒュオッ、と空気を切り裂く鋭い金属音が響く。陸は剛顕の歩法を真似て培った下半身の踏ん張りで、辛うじて後方へと上体を逸らした。だが、風圧だけで陸の皮膚が裂け、血が吹き出す。狂風は容赦なく、その巨躯に似合わぬ俊敏さで追撃の蹴りを放った。


 ドカッ!


 陸の脇腹に強烈な打撃がめり込み、彼の身体は地面を転がって物置小屋の壁に叩きつけられた。全身に激しい打撲傷を負い、木刀が手からこぼれ落ちる。呼吸を奪われ、悶絶する陸を見下ろし、狂風は首切り刀を再び持ち上げた。その刃先が、物置の扉を完全に破壊せんと振り下ろされた、まさにその瞬間だった。


 ――ズウゥゥゥン!


 大地の底から響くような、重厚な地鳴りが荒野を震わせた。それは地震ではない。大地の固有振動と同調した、剛顕の「地裂歩(チレツホ)」の踏み込みであった。


 次の瞬間、物置小屋の背後の岩壁が、物理的な質量の激突によって内側から爆発するように粉砕された。凄まじい土砂の煙を突き抜け、漆黒の鉄塊――榛剛顕が「質量突進(シツリョウトッシィン)」の軌道を描いて出現した。五百キロの絶対的な質量が、加速エネルギーを伴って赤狼幇の野盗たちへと直撃する。


 ドゴォォォン!


 物理的な激突音が轟き、狂風の背後にいた三人の野盗が、防具ごと骨格を粉砕されて十数尺後方へと吹き飛んだ。彼らの身体は坑道の頑丈な石壁に叩きつけられ、二度と動かなくなった。舞い散る瓦礫と鉄砂の中、剛顕は物置小屋の入り口を塞ぐように、動かぬ山としてその巨躯を配置した。兜の奥の鋭い眼光が、狂風を射抜く。


「な、何だ、この化け物は……!」


 狂風は、突如現れた鉄の魔神の威圧感に一瞬気圧された。だが、彼はすぐに狂気的な笑みを取り戻し、首切り刀を構え直した。


「お前が榛剛顕か! 内力を失ったただの鉄屑が、どこまで動けるか試してやるよ!」


 狂風の身体が、風のように素早く円を描いて動き出した。一撃離脱を得意とする彼の身法は、狭い物置小屋の周辺であっても衰えない。狂風は剛顕の「遅さ」を嘲笑うように、その死角へと回り込み、巨大な首切り刀を斜め上から振り下ろした。狙うのは、玄鉄甲の最も脆弱な隙間――首元の鎖の接合部であった。


 キィィィン!


 空気を切り裂く鋭い音が響き、首切り刀の刃が剛顕の首元へと迫る。だが、剛顕は避けない。避ければ、背後の物置小屋にいる沙耶が、戦闘の衝撃波で容易に圧殺されることを知っているからだ。剛顕は自らの肉体を「物理的な盾」として完全に固定した。不動鉄心功(フドウテッシンコウ)の極致。


 ガキィィィン!


 耳を潰すような金属衝突音が響き渡り、暗い坑道付近に激しい火花が飛び散った。狂風の渾身の刃は、剛顕の首元を覆う頑丈な襟当ての鉄板に衝突し、火花を散らして弾き返された。玄鉄甲の絶対的な硬度は、二流武芸者の気功を乗せた刃すら、傷一つ付けることなく撥ね退ける。


「何だとっ……!? 俺の刃が通らねぇだと!?」


 狂風の目に、初めて焦燥と恐怖の色が浮かんだ。剛顕の「遅さ」を侮っていた彼は、自らの全力の打撃が完全に無効化された衝撃で、手首の骨を激しく軋ませていた。


 剛顕の身体が、微かに前方に傾いた。力でねじ伏せるのではない。敵の攻撃のエネルギーを自らの質量に吸収し、それをそのまま体当たりとして返す「鉄身崩(テッシンホウ)」の起動であった。剛顕は踏み込みと同時に、自らの背中と肩の五百キロの質量を、狂風の胸元へとぶつけた。


 ドッ!


 凄まじい打撃音が響き、狂風の巨大な首切り刀の刃が、剛顕の胸当ての湾曲部に衝突した。その瞬間、剛顕が放った物理的な質量反動が、刃を通じて狂風の武器へと逆流した。すでに無数の戦いで刃こぼれし、金属疲労を起こしていた首切り刀は、その絶対的な質量の反発に耐えきれず、根元から「パキィン!」と音を立てて粉々に砕け散った。


「がはっ……!」


 狂風は、砕け散った刃の破片を顔面に浴び、胸骨に伝わる強烈な衝撃波によって吐血しながら後退した。彼の自慢の武器は、ただの一撃で物理的に叩き折られたのだ。


 だが、剛顕も無傷では済まなかった。沙耶を背後に庇うため、不自然な姿勢で衝撃を受け止めた際、右肩の玄鉄甲の内側に仕込まれた自動拘束機構が、物理的な衝撃に反応して「カツン」と冷酷な音を立てて作動した。微細な鉄針が右肩の経絡を物理的に圧迫し、剛顕の右腕の動きが一時的に制限される。右肩から指先にかけて、激しい麻痺ときしみが走り、腕が鉛のように重くなる。


 さらに、砕け散った赤狼幇の野盗たちの武器や、周囲の崩壊した壁から発生した細かい「鉄砂」が、剛顕の鎧の関節部へと大量に入り込んだ。一歩動くたびに、関節の中で砂が噛み合い、「ジャリ、ジャリ」と激しい摩擦音を立ててエネルギーを奪う。鎧の重量負荷が、物理的な摩擦の増加によってさらに重く剛顕の肉体にのしかかった。


 狂風は、砕けた柄を投げ捨て、顔の血を拭いながら後退した。彼の目に宿る狂気は、いまや狡猾な生存本能へと書き換えられていた。この怪物と狭い空間で正面から戦うのは自殺行為だ、と彼の野盗としての本能が叫んでいた。


「チッ……! なんて硬さだ。おい、野郎ども! 砂煙を上げろ! こいつを『流砂の罠(リュウサノワナ)』へ誘い込め!」


 狂風の叫びと共に、生き残った野盗たちが、地面の乾燥した鉄砂を一斉に蹴り上げた。さらに、彼らが投げつけた特殊な煙幕粉が、熱風と混ざり合って物置小屋の周囲に猛烈な砂煙を作り出す。視界は一瞬にして遮られ、黄砂の霧が剛顕の兜の隙間を塞ぎ、呼吸をさらに制限する。


 剛顕の「鉄振感知」が、砂煙の向こうで狂風たちが物置小屋の周囲から離れ、砂漠の深部へと急速に撤退していく足音を捉えた。だが、その足音は不自然に一定の方向――一歩踏み外せば底なしの砂に飲み込まれる、あの「流砂の罠」が点在する死地へと剛顕を誘うように響いていた。


「アニキ……沙耶ちゃんは無事だ。でも、奴ら、わざと砂漠の奥へ逃げてやがる……」


 陸が、脇腹を押さえながら物置小屋の扉をこじ開けた。中から、震える沙耶が這い出てきて、剛顕の巨大な鉄の脚にしがみついた。小さな手が、冷たい玄鉄甲の表面を濡らす。


「おじさま……」


 剛顕は何も言わず、ただ唯一動く左腕を伸ばし、沙耶の小さな頭を優しく、しかし重厚に引き寄せた。右腕は、関節ロックの作動によって未だに微動だにしない。鎧の関節に入り込んだ砂が、彼の肉体をさらなる限界へと追い詰めていた。


 砂煙の向こう、荒涼たる砂漠の奥から、狂風の嘲笑が風に乗って響いてくる。沙耶の安全を確保するためには、この視界ゼロの砂嵐を突き抜け、あの底なしの流砂が待ち受ける危険エリアへと進まざるを得ない。内力を奪われ、千斤の鉄に閉じ込められた男の、最初の過酷な砂漠行が、今ここから始まろうとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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