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暴虐の取り立て

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バキィン!


 不吉な破裂音が、鉄造の廃鍛冶小屋の静寂を無残に引き裂いた。


 薄い木製の扉が、暴力的な蹴りによって内側へと吹き飛ぶ。トタンの壁が激しく震え、天井から積もった煤塵が容赦なく降り注いだ。不二は瞬時にサクラの布団の前に立ち塞がり、その細い身体を自らの背後に隠した。冷たい夜気と共に、松明の赤黒い炎が小屋の内部を不気味に照らし出す。


「おいおい、ずいぶんと湿気たツラしてやがるな、不二」


 泥まみれの床を踏み荒らしながら入ってきたのは、派手な縞模様の長衣を羽織った男――スラムの闇金業者、銀次郎だった。その細い蛇のような瞳が、不二と、その後ろで怯えるサクラをねめつける。彼の背後には、鉄パイプや棍棒を手にした屈強なゴロツキが三人、下卑た笑みを浮かべて控えていた。


「銀次郎……さん」


 不二は声を絞り出した。左肋骨のヒビがズキリと疼き、冷や汗が額を伝う。だが、その瞳は鏡のように静かだった。決して敵意を見せず、かといって屈服もしない。養父・鉄造の「絶対に先に手を出すな」という遺訓が、彼の肉体を沈黙の盾へと変えていた。


「挨拶は抜きだ。サクラのガキの『枯渇補気湯』の薬草代、そのツケが溜まりに溜まって黒鉄銅貨五十枚だ。今日が期限だってことは、その足りねえ頭でも分かってんだろ?」


 銀次郎は懐から、法外な利息が書き加えられた偽造の借用書をひらひらと揺らした。五十枚。それはスラムの労働者が半年間、身を粉にして働いてようやく得られるかどうかの巨費だった。今日の死合で不二が命を削って稼いだのは、わずかに八枚。到底足りるはずがなかった。


「……今あるのは、これだけです」


 不二は懐から、血の滲んだ黒鉄銅貨八枚を差し出した。小銭が擦れ合う寂しい音が、狭い小屋に響く。銀次郎はそれを一瞥すると、大袈裟にため息をつき、銅貨を床へと叩き落とした。金属音が泥の中に虚しく消える。


「なめてんのか、ガキが。たったの八枚? そんなはした金じゃ、利息の端し紙にもなりゃしねえ。払えねえなら、約束通りその病気の妹を連れて行く。千華城の裏街にある奴隷市場に流せば、骨と皮だけでもそれなりの値がつくからな」


「いや、兄様……!」


 サクラが悲鳴を上げ、不二のボロボロの羽織を白く細い指で強く握りしめた。彼女の全身が、恐怖で激しく震えている。


「サクラには指一本触れさせない」


 不二の静かな声に、怒りの熱が微かに混ざる。彼は両腕をだらりと下げたまま、一歩も退かずに立ち塞がった。その首に嵌められた「血塗られた鉄首輪」が、松明の光を反射して鈍く光る。もしここで彼が拳を振るえば、首輪の刃が彼の喉を裂き、サクラの命もその場で奪われるだろう。暴力に暴力で抗うことは、この最底辺のルールにおいて即ち死を意味していた。


「ふん、口先だけの泥人形が。おい、お前ら、その小娘を引きずり出せ。邪魔をするなら、このサンドバッグを二度と動かねえように叩き潰せ」


 銀次郎の冷酷な命令が下る。大柄なゴロツキの一人が、下卑た笑声を上げながらサクラへと手を伸ばした。不二はその巨体の前に、吸い込まれるように割り込んだ。


「邪魔だ、失せろ!」


 ゴロツキが苛立ち、丸太のような右脚を猛然と振り抜いた。狙いは不二の胸元。まともに喰らえば、あばら骨が心臓を突き刺す致命の一蹴だった。


 不二の視界が、極限の集中によって引き延ばされる。足首の「鉄造の鉄の足枷」のせいで、回避行動は不可能。だが、不二は動揺しなかった。長年の殴られ役で培った「肉体誘導」の技術が、自ずと肉体を動かす。彼は上半身をわずかに右へ傾け、着弾点を喉元から、胸部で最も筋肉の厚い右大胸筋へとミリ単位でずらした。


 ドゴォッ!


 重苦しい衝撃音が廃屋に響き渡る。ゴロツキの硬いブーツの先が、不二の胸板にめり込んだ。不二は瞬時に「呼吸同期」を行い、肺の空気を吐き出して内圧をゼロにした。衝撃の波が、彼の肉体という「空の器」へ吸い込まれていく。


 しかし、想定外の事態が起きた。鍛冶小屋の床は、長年の雨漏りとサクラの看病のための水仕事によって、泥の混ざった湿った土壌と化していた。衝撃を背骨から足裏へと逃がそうとした瞬間、不二の右足が泥でわずかに滑ったのだ。


(しまっ――)


 足場が崩れたことで、衝撃を大地へと逃がす伝導率が急激に低下した。逃げ場を失った衝撃の残滓が、不二の体内に滞留し、彼の内臓を激しく揺さぶる。先ほどの死合で負った左肋骨のヒビが悲鳴を上げ、あばら全体に灼熱の痛みが走った。


「がはっ……!」


 不二の口から、鮮血が激しく吹き出した。泥の床が赤く染まる。


「兄様!」


 サクラの絶叫が響く。だが、不二は膝を折らなかった。血を吐きながらも、彼の両足は、まるで大地の奥深くに根を張った大樹のように、ゴロツキの前に立ち塞がり続けていた。その澄んだ瞳は、血の霧の向こうから、静かにゴロツキを見据えている。


「な、何だこいつ……? 今ので、なんで倒れねえんだ?」


 蹴りを放った大男が、不気味なものを見る目で一歩退いた。自分の全力の蹴りは、確かに手応えがあった。常人なら胸骨が砕け、呼吸を止めてのたうち回っているはずだ。だが、目の前の痩せた少年は、血を流しながらも、一ミリも後退していない。


「ちっ、気味の悪いガキだ。全員で叩け! 骨の一本も折れば、大人しくなるだろ!」


 銀次郎が金切り声を上げる。残りの二人のゴロツキが、鉄パイプと棍棒を振りかざして不二に襲いかかった。


 金属の打撃音が、不二の肉体から絶え間なく鳴り響く。背中、肩、脇腹。不二は「肉体誘導」と「不動の踏み込み」を泥に足を取られながらも必死に連動させ、致命傷だけは避けるように位置をずらし続けた。しかし、連続する暴力の嵐は、確実に彼の肉体を蝕んでいく。殴られるたびに、皮膚が裂け、筋肉が断裂し、内臓に微細な出血が積み重なっていく。


 それでも、不二は一切の手を返さなかった。ただの「壁」として、サクラの前に立ち続けた。


「はあ、はあ、はあ……」


 やがて、ゴロツキたちの息が荒くなった。彼らの手にする鉄パイプは、不二の頑強な骨格を叩き続けたことで、不自然に湾曲していた。彼らの額からは、冷や汗が流れている。殴っているのは自分たちのはずなのに、まるで巨大な鉄板を殴り続けているかのような、絶望的な無力感が彼らの心を支配し始めていた。


「銀次郎の旦那……こいつ、本当に人間か? いくら殴っても、手応えが全部跳ね返ってきて、こっちの腕が痺れてやがる……」


 ゴロツキの一人が、恐怖に震える声で言った。不二は全身から血を流し、麻衣は赤黒く染まっていたが、その佇まいは不気味なほどに静かだった。ただそこに「ある」だけで、暴力そのものを無効化していく異質な気配。


「ええい、使えねえ奴らだ!」


 銀次郎が苛立ちを露わにし、自ら不二の前に歩み出た。彼は不二の襟首を乱暴に掴み、その耳元で冷酷に囁いた。


「不二、お前がどれだけ頑丈だろうが関係ねえ。お前が倒れなくても、俺がこの手でその病気の妹の喉を掻き切ることは、赤子の手をひねるより簡単なんだぞ?」


 その言葉に、不二の身体が初めて強張った。彼の視線が、銀次郎の袖口から覗く、鋭く研がれた小刀へと向けられる。不二がどれほど衝撃を耐えようとも、サクラ自身の肉体は、ただの病弱な少女に過ぎない。不二が自分からは攻撃できないという制約を、銀次郎は完璧に理解し、その「弱点」を突いていた。


「……どうすればいい」


 不二は、血に汚れた唇を噛み締め、静かに問うた。その声は、押し殺した怒りで微かに震えていた。


 銀次郎は、不二が屈したのを見て、満足そうに下卑た笑みを浮かべた。彼は掴んでいた襟首を放すと、懐から一通の、血生臭い黒い紙を取り出し、不二の足元へと投げ捨てた。


「話が早くて助かるぜ。闘技場の興行主、金蔵(かねぞう)様からの特別なお誘いだ。明日の夜、地下闘技場で『特別な死合』が用意されている。金蔵様はお前のような『死なないサンドバッグ』が、本当の化け物の前でどこまで耐えられるか、金持ちどもに見せてやりたいそうだ。これに署名しろ」


 不二は泥の上に落ちた黒い紙を見つめた。それは、地下闘技場の「生死請負書」――すなわち、死合中に命を落としても、一切の文句を言わないという悪魔の契約書だった。


「これに出れば、サクラの借金は帳消しにし、さらに一月分の『枯渇補気湯』の薬草を、金蔵様が直々に融通してくださるそうだ。拒否すれば……今すぐこの場で、小娘を連れて行く」


「兄様、ダメ! 行かないで! 私はどうなってもいいから!」


 サクラが泣き叫びながら、不二の腰にしがみついた。だが、不二は彼女の小さな、冷え切った手を優しく引き剥がした。サクラの呼吸は、発作のせいで今も細く、喉が鳴っている。新しい薬がなければ、彼女は明日をも越えられない。


「分かった。その死合に出る」


 不二は静かに、自らの指先に滲む血を使い、黒い契約書に血判を押した。その瞬間、銀次郎の瞳に、獲物を罠に嵌めた邪悪な歓喜が宿った。


「ひゃはは! 賢い選択だ、不二。あばよ、ゴミ屑。明日の夜、地獄のリングで無残に砕け散るお前を見るのを楽しみにしているぜ」


 銀次郎は契約書を拾い上げると、ゴロツキたちを引き連れて、闇の中へと消えていった。破られた扉から、冷たい夜風が容赦なく吹き込み、サクラの小さな身体を凍えさせる。


 不二は泥の上に膝をつき、激しい咳と共に、口内に溜まった血を吐き出した。左肋骨のヒビはさらに深まり、胸全体が紫色に変色し始めている。だが、彼はサクラを安心させるように、無理やり笑みを浮かべた。


「大丈夫だ、サクラ。明日の夜、必ず薬を持って帰るから」


 しかし、不二の胸の奥には、冷酷な現実が重くのしかかっていた。銀次郎の去り際の歪んだ笑み。そして、金蔵が用意したという「絶対に生きて戻れない死合」の言葉。


 金蔵が不二の息の根を止めるために用意した明日の対戦相手は、並の闘士を一撃で撲殺し、素手で岩をも砕く剛腕の持ち主――筋肉至上主義の巨漢「剛太(ごうた)」だった。不二の肉体にかかる負荷は、これまでの比ではない。果たして、内功を持たない彼の肉体は、その絶対的な暴力の前に、どこまで耐え抜くことができるのか。スラムの闇は、さらに深く、冷たく不二を包み込んでいった。

HẾT CHƯƠNG

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