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仮面を剥ぎ取る影の刺客

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冷たい夜風が、氷華庵の破れた障子をカタカタと揺らす。格子をすり抜けた冬の月光が、畳の上に青白い縞模様を描き出していた。


闇の中にたたずむ、長身の影。修行を終えたばかりの九条家当主、九条蓮がそこに立っていた。漆黒の外套からは未だに水滴が滴り、彼の全身からは周囲の空気を歪めるほどの圧倒的な雷の霊圧が放たれている。オゾンの焦げ付いた匂いが、狭い室内に満ちていた。


雪代詩織は、乱れた呼吸を悟られぬよう、静かに畳の上から身を起こした。小袖の長い袖を滑らせ、右腕に浮き上がった幻影の焦げ跡――蓮の過酷な修行の痛みを半分引き受けた証である「赤い雷紋」を慎重に隠す。指先は未だに痺れ、脳の奥には針で刺されたような鈍い痛みが澱のように残っていたが、その美しく端正な顔立ちには一片の動揺も浮かべない。


「……深夜に何の御用でしょうか、九条の当主様。わざわざ没落家の離れにまで足を運ばれるとは」


詩織の声は、静まり返った夜気よりも冷ややかに響いた。激痛にのたうち回り、血を吐いていたことなど微塵も感じさせない、誇り高き雪代の娘の「仮面」。


蓮の氷青色の瞳が、暗闇の中で獣のように鋭く光る。彼は音もなく踏み込み、詩織の華奢な顎を革手袋に包まれた指先で乱暴に掴み上げた。強い力で上を向かされ、詩織の黒い瞳が蓮の冷徹な眼光と至近距離で衝突する。


「お前、私に何をした」


低く、地を這うような怒りを孕んだ声。蓮の指先から、パチパチと微微な青い火花が散り、詩織の頬の皮膚をチリチリと刺激する。


「鳴神の滝での修行中、私の霊脈を焼き尽くすはずの落雷の痛みが、突如として半分に軽減された。それだけではない。太陽の霊脈の奥底に、私の熱を冷ます不気味な冷気が流れ込んできた。……血の誓約の仕業だな」


詩織は顎を掴まれたまま、痛みに眉をひそめることすらなく、ただ冷徹な微笑を浮かべて彼を見つめ返した。


「ええ、その通りです。私があなたの苦痛を半分引き受け、雪代の冷気で中和して差し上げました。当主様の強靭な肉体が自滅せぬよう、私の命を削って手助けして差し上げたのです。感謝されても良いはずですが?」


「黙れ」


蓮の瞳に、激しい嫌悪と困惑が混ざり合った暗い火が灯る。顎を掴む力が強まり、詩織の白い皮膚に赤い指の跡が浮かび上がった。


「私の試練を汚すな。他者の施しなど不要だ。お前が何を目論もうと、この誓約という鎖でお前が私を支配することなどできん」


「支配? 買い被らないでいただきたいわ」


詩織は冷ややかに目を細め、自らの力で蓮の手首を掴み、その拘束を拒絶するように押し戻した。


「私はただ、自分の命を守るために、あなたの無謀な自傷行為を止めただけ。誓約のルールはご存じのはず。あなたが死ねば、私も死ぬ。私は一族を再興する前に、あなたの巻き添えで犬死にするつもりはありません。お互いの生存のため、私の月の霊力が必要不可欠であると、その傲慢な頭に叩き込むことです」


二人の視線が火花を散らす。蓮は詩織の瞳の奥にある、絶対に屈しない不屈の光を凝視し、やがて不快そうに舌打ちをして手を離した。


「……思い上がるな、雪代の娘。お前はただの人質だ。私の命に寄生する蜘蛛にすぎん。その喉元をいつでも切り裂けることを忘れるな」


冷たい風を残し、蓮は背を向けて闇の中へと去っていった。その足取りには、自身の痛みを和らげた「半身」に対する、言葉にできない奇妙な執着と苛立ちが混ざり合っていた。


蓮が立ち去った後、詩織は小さく息を吐き、寝室の棚の上に置かれた「氷晶の耳飾り」を見つめた。青白く微光を放つその耳飾りこそが、彼女の月の霊力を安定させ、誓約の痛みを中和するための唯一の防壁だった。


「……休んでいる暇は、ないわね」


詩織は小袖の袖を整え、敷かれた布団へと横たわった。しかし、その意識は完全に冴え渡っていた。超感覚同調が、九条邸の不穏な空気の乱れを敏感に察知していたからだ。


同じ時刻、九条邸の本館。重厚な大理石の暖炉の前で、贅沢な絹の着物を着崩した男が、薄笑いを浮かべながら「黒雷の扇子」を弄んでいた。蓮の叔父であり、当主の座を狙う九条茂臣である。


「蓮の奴、修行を終えたというのに、霊脈の焦げ跡が異常に軽い……。あの没落雪代家の娘と『血の誓約』を交わし、痛みを共有しているというのは、やはり事実のようだな」


茂臣は細い目をさらに細め、黒い影から這い出るようにして現れた若いメイドを見下ろした。詩織の専属として送り込まれているスパイ、絹であった。絹は恐怖に肩を震わせ、畳の上に額を擦りつけている。


「絹よ。お前に命ずる。あの娘が持っている『氷晶の耳飾り』を盗み出せ。あれは月の霊力を安定させ、同調の痛みを緩和する雪代の魔道具だ。あれさえ奪えば、娘の精神防壁は崩壊し、蓮の修行の雷撃負荷に耐えられずにショック死する。娘が死ねば、誓約によって蓮も同時に死ぬ。当主の座は私のものだ」


「ですが、茂臣様……詩織様は、私の動きを警戒されております。もし見つかれば……」


「お前の家族の命がどうなっても良いのか?」


茂臣の冷酷な言霊が、絹の背中に突き刺さる。絹は絶望に唇を噛み締め、震える声で答えた。


「……御意に、ございます。必ずや、耳飾りを奪ってまいります」


「ふん、良い心がけだ。それと同時に、屋敷の境界にある『要石の祠』の結界を密かに弱めておけ。結界が破れ、怨霊の瘴気が漏れ出せば、それをあの没落娘のせいにできる。結界破壊の濡れ衣を着せ、長老会の前で処刑してやるわ」


深夜。氷華庵の静寂の中に、微かな足音が混ざり始めた。襖が音もなく滑り、暗闇の中から一人の影が侵入してくる。


詩織は布団の中で眠った振りをしながら、呼吸音を一定に保っていた。「超感覚同調」が、侵入者の激しく緊張した心拍数を正確に捉える。ドク、ドクと、尋常ではない速度で打つ鼓動。それは、彼女の専属メイドである絹のものだった。


(絹……やはり、茂臣の命令で動いているのね)


詩織は冷静に思考を巡らせた。ここで絹を捕らえて告発することは容易だ。しかし、それでは茂臣が次の、より凶悪な暗殺者を送り込んでくるだけ。自らの生存確率を最大化するためには、あえて「茂臣の罠」を成功させ、その先手を取って彼を自爆させる必要がある。


(私の耳飾りを奪い、痛みの同調で私を殺すつもり……。そして、要石の祠に濡れ衣を仕掛ける。なら、そのシナリオ、書き換えさせていただきますわ)


詩織は布団の中で、帯の下から「月の霊力」を極限まで静かに練り上げた。雪代家秘伝の偽装呪術――「幻影鏡(げんえいきょう)」を起動する。


空気中の水分を微細に凍らせ、光の屈折をミリ単位で操作する光学迷彩。彼女は棚の上に置かれた本物の「氷晶の耳飾り」を屈折光の裏へと隠し、代わりに、自身の冷気霊力を凝縮して作った、見た目には本物と全く区別のつかない「氷の偽物」を実体化させた。


絹は息を殺しながら、棚の上の耳飾りに手を伸ばした。指先が触れた瞬間、微かな絶対零度の冷気が走る。絹は一瞬、その異常な冷たさに不審を抱いたものの、暗闇の中では青白く発光するその姿は本物そのものに見えた。


「……ごめんなさい、詩織様」


絹は罪悪感に満ちた声で小さく呟くと、耳飾りを懐に滑り込ませ、気付かれずに部屋を脱出したと誤認したまま、足早に去っていった。


襖が閉まり、静寂が戻る。


詩織はゆっくりと上体を起こした。しかし、その瞬間、彼女の全身に凄まじい衝撃が走った。


「くっ……あ、あぁっ……!」


胸元を押さえ、詩織は畳の上に崩れ落ちた。本物の耳飾りを「幻影鏡」で隠蔽するために、一時的にその共鳴接続を遮断せざるを得なかったのだ。月の霊力の安定器を失ったことで、彼女の体内に残っていた蓮の「雷霆の余波」が一気に暴走を始めた。


右腕の赤い雷紋が、まるで生き火のように熱く脈動し、皮膚を内側から焼き焦がす。脳内の防壁「氷壁」にピキピキと鋭い亀裂が入り、凄まじい眼精疲労と頭痛が詩織の視界を赤く染めていく。


「はぁ、はぁ、はぁ……、これほどの、負荷……」


耳飾りの保護がない状態での同調が、これほど肉体を破壊するものだとは。詩織は激しい眩暈に耐えながら、自身の首元の誓約の印を強く握り締めた。仮面の下の素顔が、苦痛に歪む。


しかし、彼女の瞳の奥にある不屈の光は、決して消えていなかった。


「茂臣……、私の耳飾りを奪い、要石の結界を壊して私を陥れるつもりね。……その浅はかな企み、そっくりそのまま、あなたの喉元へ突き返して差し上げますわ」


冷たい汗を流しながら、詩織は暗闇の中で不敵に微笑んだ。タイムリミットが迫る中、二人の命を繋ぐ朱き糸は、より複雑に、そしてより残酷に絡み合い始めていた。

HẾT CHƯƠNG

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