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落雷の痛みをその身に刻め

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静寂が支配する氷華庵の闇の中で、雪代詩織は畳に這いつくばり、狂おしい熱と痺れに身をよじっていた。衣服の隙間から覗く首元――そこには、宿敵である九条蓮と結んだ「朱き氷華の血約」の刻印が、まるで生き物のように禍々しく脈打っている。ドク、ドクと波打つたびに、心臓を直接赤熱した鎖で締め上げられるような激痛が全身を駆け巡った。


「は、あぐっ……! 熱、い……っ!」


喉を内側から焼き焦がされるような感覚。皮膚の奥を無数の針で貫かれるような電撃の痺れ。それは詩織自身の傷ではない。どれほど離れていようとも、一方が受けた苦痛をもう一方が一対一の割合で分かち合う「痛みの転移(ダメージ・シェア)」の呪縛。いま、本邸の、あるいはさらに遠くの修行場で、九条蓮の肉体が尋常ならざる熱と電撃に晒されているのだ。


「詩織様! 詩織様、しっかりしてください!」


千代が涙を流しながら、詩織の華奢な肩を抱きしめる。詩織が部屋を快適に保つために展開した「氷壁結界」の純白の氷の花々が、詩織の体内から発せられる異常な熱量によって、パキパキと音を立てて溶け始めていた。床に滴る水滴が、暗闇の中でガス灯の光を反射して不気味にきらめいている。


「千代、触れては……だめ……っ。あなたまで、感電、する……」


詩織の右腕の皮膚に、青白い火花がパチパチと弾けた。見れば、衣服の袖の下から、まるで雷撃を直接浴びたかのような幻影の焦げ跡――朱い稲妻の紋様が浮き上がり、じわじわと皮膚を焼き始めていた。呼吸をしようとするたびに、肺が肺胞の隅々まで感電したように硬直する。心臓の鼓動は、詩織自身の意志を無視して、蓮の狂暴な心拍数と完全に同期していた。このままでは、彼の無謀な霊力行使の余波だけで、自分の心臓がショック死で停止してしまう。


(あの男……一体、どこで何をしているの……!)


同じ時刻、帝都の北方に位置する九条家の聖域――「鳴神の滝」。


轟々と鳴り響く激流のただ中で、九条蓮は滝壺の濡れた岩の上に胡坐をかいていた。上半身を露わにした彼の引き締まった肉体には、天から降り注ぐ本物の落雷が、容赦なく直撃していた。バチバチと激しい青い火花が彼の漆黒の髪を揺らし、周囲の空気をオゾン臭と強烈な熱風で満たしていく。


「九条流・雷霆呪術(らいていじゅじゅつ)」の極限鍛錬。九条家の後継者は、己の肉体と霊脈を本物の雷で焼き鍛え、天災級の破壊力を操る「大極」の域を維持しなければならない。それは、父であり先代当主であった九条隆臣から課された、死と隣り合わせの血塗られた義務だった。


『雷に怯える者は、九条の血を継ぐ資格はない。肉体が炭化する恐怖を超え、天雷を己の血肉とせよ』


脳裏に響く、亡き父の冷酷な叱咤。蓮は奥歯を噛み締め、全身の霊脈を強制的に拡張した。天から降り注ぐ稲妻のエネルギーが彼の太陽の霊脈へと流れ込み、細胞を内側から焼き焦がしていく。激痛が彼の精神を削るが、蓮の氷青色の瞳には冷徹な光が宿ったままだ。彼は孤独だった。誰も信じず、ただ圧倒的な力のみを信じることで、この腐敗した九条家の頂点に立ち続けてきたのだ。自身の肉体がどれほど焦げ付こうとも、彼は表情一つ変えずに電撃を受け入れ続けた。


だが、その時、蓮はまだ知らなかった。彼が耐え忍んでいるはずの「落雷の痛み」の半分が、血の誓約の不可視の鎖を逆流し、離れにいる詩織の肉体を確実に破壊しかけていることを。


「う、あ、ああぁぁっ!」


氷華庵の床の上で、詩織はついに血を吐いた。畳の上に点々と散った赤い血が、彼女の限界を示している。意識が急速に遠のいていく。冷たい泥の中に沈んでいくような感覚。このまま死ねば、雪代家は完全に滅びる。病床の父も、目の前で泣きじゃくっている千代も、誰も救えない。


(死ねない……こんな、理不尽な男の巻き添えで、死んでたまるものですか……!)


詩織は朦朧とする意識の中で、必死に思考の糸を繋ぎ止めた。窮地に陥るほど、彼女の知性は冷徹に冴え渡る。最初に試みたのは、自身の氷の霊力で心臓の周囲を防御する単純な治癒術だった。しかし、流れ込んでくる雷の霊力があまりにも強大かつ狂暴なため、彼女が編み出そうとした氷の術式は、発動した瞬間に電撃によって木端微塵に吹き飛ばされた。


(力で抗ってはダメ。熱と冷が体内で衝突すれば、霊脈が破裂する……)


ならば、どうする。詩織の脳裏に、かつて雪代家に仕えていた狐霊の師匠、葛葉綾乃の言葉が鮮烈に蘇った。


『詩織、血の誓約は命の共有。相手の苦痛を拒絶しようとすれば、お前の魂は引き裂かれる。痛みは嵐のようなもの。ただ静かに、その嵐を体内の氷の深淵へと受け流し、脳内で分散させるのです』


「痛みの分散呼吸法(いたみのぶんさんこきゅうほう)」――それこそが、綾乃から授けられた、感覚の同期に耐え抜くための唯一の自己防衛術だった。


詩織は震える唇を開き、深く、細く、部屋に満ちる絶対零度の冷気を吸い込んだ。鼻腔から侵入した冷たい空気が、熱を帯びた気道を通り、丹田へと落ちていく。彼女は自身の精神世界(深層心理)へと意識を深く潜らせた。


脳内に描き出すのは、どこまでも静寂が広がる、光を通さない絶対零度の巨大な氷河。感情の揺らぎをすべて凍らせ、波立つ心拍を強制的に平坦な直線へと近づけていく。押し寄せる電撃の激痛(熱)を、拒絶するのではなく、その氷河の深淵へと「受け入れ、包み込む」イメージを強く持った。


(熱を、冷ます……。私の月の霊脈で、彼の狂暴な太陽の熱を、優しく凍らせて逃がす……)


呼吸を一定の波長に保ち、心拍の電気信号を脳の防壁で濾過していく。バチバチと右腕を焼いていた幻影の青い火花が、詩織の静かな呼吸に合わせて、徐々にその勢いを失い始めた。皮膚に浮かび上がっていた朱い稲妻の紋様が、静かに白い冷気の霧に包まれ、その熱量が急速に中和されていく。


「はぁ……、ふぅ……、はぁ……」


詩織の口元から、微細な白い霧が静かに吐き出される。心臓の激しい痙攣が収まり、一定の、しかし微弱な鼓動へと落ち着いていった。精神結界「氷壁」が彼女の脳内で完成し、雷の余波によるショック死の危機を、彼女は自身の精神力と知略だけで辛うじて乗り切ったのだ。右腕には消えない幻影の焦げ跡が残り、脳の奥には日常的な軽い頭痛が澱のように蓄積し始めたが、彼女の瞳には確かな生還の光が宿っていた。


その瞬間、遥か遠くの「鳴神の滝」で、劇的な異変が起きた。


「……っ!?」


滝壺の岩の上で、蓮は突如として己の肉体に走る異様な感覚に目を見開いた。天から降り注ぐ落雷は、今なお彼の肉体を直撃し続けている。だが、いつもなら骨の髄まで焼き尽くすはずの、引き裂かれるような焦燥の激痛が――信じられないことに、半分近くにまで軽減されていた。


それだけではない。彼の激しく過熱していた太陽の霊脈の奥底に、まるで冷たい絹糸で優しく包み込まれるような、極めて清らかで冷徹な「冷気」の波動が、滑り込むようにして流れ込んできたのだ。


(痛みが、軽い……? この冷気は……まさか)


蓮は自身の右手の掌を見つめた。いつもなら落雷の負荷で黒く焦げ付き、激しく震えているはずの指先が、今は静かに安定している。首元に刻まれた「朱き氷華の血約」の印が、彼の心拍に合わせてドクドクと赤く、しかし静かに発光していた。


(あの雪代の娘が……私の苦痛を、引き受けているというのか)


彼にとって、修行の痛みは孤独に耐え抜くべき「試練」であり、誰かと分かち合うことなどあり得ないはずのものだった。しかし今、不可視の「朱の鎖」を通じて、彼の受けるべきダメージの半分が、遠く離れた離れにいる詩織へとリアルタイムで転移し、そして彼女の「氷」によって中和されている。その事実が、蓮の冷酷な心に、かつてないほどの激しい動揺と、不気味なほどの強烈な「存在感」を植え付けた。


彼女は単なる人質ではない。自分と命を共有し、自身の痛みすらもその身に刻み込む、唯一無二の「半身」なのだと、彼は骨の髄まで理解させられたのだ。


「雪代、詩織……」


蓮は滝の中で、その名を低く呟いた。彼の氷青色の瞳に、怒りと、困惑と、そして言葉にできない奇妙な執着が混ざり合った、暗い光が宿る。


修行を終えた蓮は、濡れた外套を翻し、岩の上から静かに立ち上がった。その足は、痛みの軽減の謎を解き明かすため、そして己の苦痛をその身に刻みながら生き延びた女の姿をこの目で確かめるため、怒りと戸惑いを胸に、詩織が待つ極寒の離れ「氷華庵」へと迷いなく向かい始めていた。

HẾT CHƯƠNG

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