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氷華の舞踏

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大広間のシャンデリアが放つ黄金の光の下で、空気は一瞬にして凍りついた。


「嘘よ! そんな小細工で騙されるものですか! その包帯の下にあるものを、今すぐ見せなさい!」


 逆上した賀茂美玲の鋭い指先が、私の左手首に巻かれた「同調の包帯」を乱暴につかみ取った。爪が皮膚に食い込み、新田の治療によってかろうじて塞がっていた幻影の傷跡がズキリと痛む。


 ――その瞬間、私の首元の誓約印が激しく脈動し、朱い光を放った。


「なっ……!?」


 隣に立つ九条蓮の氷青色の瞳に、凄まじい「青い火花」が走り抜ける。彼の「守護本能」が誓約の鎖を通じて暴走しかけていた。大極クラスの圧倒的な雷霆の霊圧が周囲の大気を焼き焦がし、バチバチと不気味な放電音が大広間に響き渡る。このまま蓮の雷がここで無差別に放電すれば、九条家が「婚約者を呪縛している」という噂は決定的なものとなり、私たちは社会的破滅を迎えるだろう。


(ここで暴走させるわけにはいかない……!)


 私は瞬時に「痛みの分散呼吸法」を極限まで起動した。深く、冷たい空気を吸い込み、脳内の痛みの信号を平坦化する。そして、美玲につかまれた左手首から、極微細な冷気を放出した。


 ピキリ、と美玲の指先が白く凍りつく。凍傷の一歩手前の激痛と麻痺が彼女の指を襲った。美玲は「ああっ!」と短い悲鳴を上げて、弾かれたように私の手首から手を離した。それと同時に、私は掴まれた左手で、暴走寸前だった蓮の右手をそっと握り締めた。


 冷たい氷の霊力と、彼の熱い雷の霊力が、二人の魂を繋ぐ「朱の鎖」を通じて交錯する。私の冷気が彼の体内の熱雷を優しく包み込み、余剰な電撃を私の肉体へと「アース」として逃がしていく。私の背筋を焼き切るような衝撃が走り抜けたが、私はおくびにも出さず、冷徹な微笑を保ち続けた。


 大広間に立ち込めていたオゾン臭と青い放電が、霧散するように静まっていく。周囲の華族たちは、今の一瞬の出来事を「静電気のいたずら」か「ちょっとした小競り合い」としか認識していなかった。美玲は自身の指先を押さえ、信じられないものを見る目で私を睨みつけている。


「美玲様、あまりはしたない真似はなさいませんよう。九条家の夜会は、野蛮な力比べの場ではございませんのよ」


 私の静かな皮肉に、周囲からくすくすと失笑が漏れる。美玲の顔は屈辱で真っ赤に染まっていた。その時、夜会の進行役を務める初老の華族が、大広間の壇上から声を張り上げた。


「皆様、静粛に! これより、今宵の夜会の余興――『結界術のデモンストレーション』を執り行います! 帝都を代表する陰陽家の皆様に、その洗練された結界の美しさと強度を競っていただきましょう!」


 会場が拍手と期待のざわめきに包まれる。美玲はその声を聴いた瞬間、口元に極めて陰険な笑みを浮かべ、壇上へと歩み出た。


「進行役の方、よろしいかしら? これほど素晴らしい夜会ですもの、伝統ある我が賀茂家と、かつて月の霊脈を司った名門――雪代家の『結界強度競合』を、皆様にお見せするべきではありませんこと?」


 美玲は私を真っ直ぐに指差した。会場の視線が再び私に集中する。


「没落した雪代家の術が、単なる前時代の遺物なのか、それとも今なお九条家の婚約者にふさわしい実力を持つものなのか……。この賀茂美玲が、直々にお相手をして差し上げますわ。まさか、お逃げになりませんわね? 詩織様」


 あからさまな挑戦状。断れば「霊力不足の没落女」として社交界での評価は地に落ちる。だが、今の私は前回の毒殺未遂と書庫での消耗により、霊力がほぼ完全に枯渇していた。まともに結界を張れば、霊脈が破裂してその場で倒れ伏すことは確実だった。


 蓮が私の横顔を冷酷に見つめている。助けるつもりなどない。私がこの試練をどう乗り切るか、その価値を見定めようとする冷徹な瞳だった。


(ここで跪くくらいなら、私は最初から命を賭けてここへは来ないわ)


 私は帯(おび)の結び目の裏側に、そっと右手の指先を滑らせた。そこには、事前に蓮との交渉で手に入れていた、九条家の秘宝――「極光石(きょっこうせき)」の小粒が忍ばせてある。触れた瞬間、指先からオーロラのような莫大な冷気エネルギーが、私の体内の枯渇した霊脈へと急速に流れ込んできた。脳の過負荷による頭痛が一瞬で冷却され、視界が驚くほど冴え渡る。


「美玲様のお誘い、喜んでお受けいたしますわ。雪代の結界がどのようなものか、その目に焼き付けるとよろしいでしょう」


 私は完璧な所作で一礼し、大広間の中央へと進み出た。美玲は勝利を確信したように不敵に微笑み、自身の霊力を解放した。


「賀茂流・五重結界(かもりゅう・ごじゅうけっかい)!」


 美玲が印を結ぶと、彼女の周囲に赤と金の豪奢な幾何学模様の障壁が、五重に重なり合って展開された。大広間全体に圧倒的な霊圧が満ち、並の陰陽師なら呼吸すら困難になるほどの圧迫感が押し寄せる。華麗な赤と金の光は、観衆を魅了し、割れんばかりの拍手が沸き起こった。美玲はその光の中心で、誇らしげに胸を張っている。


「さあ、詩織様! この私の金剛の結界に、あなたの薄っぺらい氷の結界をぶつけてみなさい! どちらが先に砕け散るかしら!」


 私は深く息を吸い込み、極光石の莫大な冷気を体内で循環させた。正面から霊力の量だけで競えば、今の私の身体は耐えられない。ならば――狙うべきは、構造の破壊。


(硬い物質ほど、局所的な急激な冷却によって脆くなる。それは術式の結び目であっても同じよ)


 私は目を閉じ、美玲の展開した「五重結界」の霊力の流れを観察した。五つの障壁が重なり合う接合部、すなわち術式の起点(ノード)が、微かに熱を帯びて振動しているのを見抜く。


「月光に照らされし氷華よ、我が敵を凍てつかせよ――『雪代流・氷華呪術』」


 私は詠唱と共に、右手を美玲の結界に向けて静かにかざした。私の指先から放たれたのは、力任せの冷気ではない。極限まで精密にコントロールされた、絶対零度の氷の「楔(くさび)」だった。


 純白の寒椿を模した氷の結晶が、美玲の赤と金の結界の接合部へと正確に吸い込まれていく。結晶が接合部に触れた瞬間、パキパキと鋭い凍結音が響き渡り、結界全体の分子振動が完全に停止した。


「な……何をしたの!?」


 美玲が驚愕の声を上げた時には、すでに遅かった。絶対零度で局所冷却された接合部は、その強度を失って極限まで脆くなっていた。私が指先を軽く弾くと、美玲が誇る「五重結界」は、まるで安物のガラス細工のように、高い金属音を立てて一瞬にして木端微塵に凍結・粉砕された。


 砕け散った赤と金の光の破片が、私の冷気と混ざり合い、美しい純白のダイヤモンドダストとなって大広間に静かに降り注ぐ。その中心で、私は一点の汚れもない振袖を翻し、優雅にたたずんでいた。


 静まり返る会場。誰もが言葉を失い、息をのんでその光景を見つめていた。没落した雪代家の術式が、最新の結界術を一瞬で圧倒したのだ。


 大広間の壁際から、蓮が私を見つめていた。彼の氷青色の瞳に、初めてかすかな、しかし確かな「敬意」の光が宿るのを私は見逃さなかった。彼は私の実力を、自身の命を守るに値する「半身」として、静かに認め始めていた。


「お、おのれ……!」


 美玲が膝を突き、床に散らばる光の残滓を見つめながら絶望の表情を浮かべる。完璧な勝利。しかし、極光石を過剰に使用した代償は、すぐに私の肉体を襲った。私の左半身が完全に冷え切り、感覚が麻痺していく。立っていることすら限界に達しそうになったその時、人混みを割って、一人の美青年が優雅にこちらへと歩み寄ってきた。


 白い狩衣を現代風にアレンジした衣装を纏い、天体運行の扇子を手にした男――土御門家の若き天才、土御門泰晴だった。彼は昏い、底知れない知性を含んだ瞳で私を見つめ、不気味な笑みを浮かべている。


 泰晴は私の目の前で立ち止まると、周囲に聞こえないほどの低い声で、私の耳元にそっと囁いた。


「素晴らしい舞踏でした、雪代の姫君。ですが……その首元に刻まれた朱き印。そして、先ほどからあなたの手首を通じて九条の当主と流れる、不自然な霊脈の『同期』……。あれは一体、どのような禁術の仕業(しわざ)かしら?」


 その言葉に、私の心臓が凍りつくような衝撃が走り抜けた。泰晴の鋭い視線が、私の首元の誓約印へと冷酷に注がれていた。

HẾT CHƯƠNG

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