光と影の十字路
黄金の光が、歌舞伎町の湿った路地裏を白昼堂々たる残酷さで暴き立てていた。
降りしきる冷たい雨は、その光に触れた瞬間にジュウと音を立てて蒸発し、白い水蒸気となって宙に消えていく。漆黒の『影縫いの外套』は、光の濁流に抗いきれず、ボロボロに引き裂かれるようにして霧散した。背中に背負った千代田霧子の生温かい体温だけが、俺の冷え切った背中に生々しく残る。
「そこまでだ、不浄なる魔物。その銀の血、僕の光で蒸発させてあげる」
路地の出口に佇む少年――一ノ瀬聖は、純白の騎士団コートを雨に濡らすこともなく、静かに純銀の十字架を掲げていた。彼の金髪が夜風に揺れ、その透き通った瞳には、一切の迷いも、邪悪に対する慈悲もない。ただ、絶対的な「正義」という名の狂信だけが宿っていた。
俺の心臓の奥で、黒月の欠片がトクンと重く、冷たい拍動を刻む。体温はすでに三十三度。右半身の痛覚は完全に消失しているはずなのに、聖の放つ『聖堂騎士の光耀十字架』の輝きを浴びた皮膚が、内側から沸騰するように熱く、激しく焦げ付いていくのを感じた。痛みはない。だが、肉体が物理的に崩壊していくおぞましい「熱」の感覚が、俺の氷の理性をじわじわと侵食していく。
(くそ……光の属性。僕の水銀にとって、最悪の天敵だ)
俺は背中の霧子を庇うように、さらに身を低くした。霧子は俺の背中にしがみついたまま、恐怖に怯えるどころか、恍惚とした瞳で俺の銀色の右目を見つめている。彼女にとって、俺は光に追われる死神であり、唯一の救世主なのだ。その狂信的な眼差しが、俺の冷え切った魂を現世に繋ぎ止めるかすかな錨となっていた。
「無駄な抵抗はやめなよ。君の流すその不浄な金属は、この世界に存在してはいけないんだ」
聖が静かに一歩を踏み出す。その瞬間、彼の掲げた十字架から、周囲の影を完全に消し去るほどの強烈な聖光が放射された。俺は咄嗟に『シルバー・ヴェール』を展開しようと、全身に水銀の膜を纏わせた。しかし――。
ジュウウゥッ!
膜を形成した瞬間に、聖光の圧倒的な熱量が水銀の分子を直撃した。銀色の光学迷彩は、鏡面を形成する前に爆発的に気化し、ただの有毒な銀の霧となって虚空へ霧散していく。姿を隠すことすら許されない。光の前では、水銀の流動などただの無力な玩具に過ぎなかった。
俺は手のひらの傷口から霊的水銀を放出し、一瞬にして日本刀『アザトース』を硬化・形成した。右目の失明による死角を補うため、左目の『不眠の観察眼』を最大出力で起動する。視界が白黒の陰影へと反転し、聖の周囲に展開された『光耀の聖盾』の魔力波形が、眩い黄金の幾何学模様として俺の魔眼にマッピングされた。
「はあぁッ!」
俺は地を蹴り、アザトースを振り下ろした。失明した右側の空間感覚の狂いを、左目の魔眼で強引に補正しながら、聖の喉元へと鋭い一閃を放つ。しかし、アザトースの美しい銀色の刀身が、聖のシールドに接触した瞬間――。
チリチリと不気味な音が響き、アザトースの刃先が急速に黒く錆びついていく。聖光の熱と浄化の力が、水銀の結合を内側から破壊しているのだ。固体としての維持ができなくなり、刀身はドロドロの液体となって地面へと滴り落ち、そのまま気化していった。一撃を当てることすら叶わず、俺の主兵器は一瞬で解体された。
「『マーキュリー・ニードル』――!」
俺は残された魔力を振り絞り、指先から高圧の水銀針を無数に連射した。無音で放たれた銀の針が、雨を貫き、聖の急所へと殺到する。だが、それらの針もまた、聖の周囲に展開された光のシールドに接触した瞬間に、ジュッと音を立ててすべて蒸発し、無効化された。
「無駄だよ。不浄な闇が、聖なる光を貫くことはできない」
聖が冷酷に呟き、十字架を前に突き出した。『光耀の聖盾』が黄金の光を爆発的に放ち、物理的・霊的な衝撃波となって俺の胸元を直撃した。
「が、はっ――!」
痛覚のない胸部が、凄まじい衝撃によって陥没する感覚が伝わる。俺の身体は霧子を抱えたまま、十メートル近く後方へと吹き飛ばされ、都庁前中央公園の冷たいコンクリートの地面へと激しく叩きつけられた。傷口から血の代わりに滴り落ちる銀色の水銀が、雨水に混ざって虚しく流れていく。魔力の過半数を失い、全身の血管代替水銀循環が滞り、凍りつくような寒さが脳を麻痺させていく。
聖が、倒れた俺たちを見下ろしながら、静かに歩み寄ってくる。純銀の十字架が、処刑の光を帯びて最大に輝き始めた。
(ここまで、なのか……。凛、僕は、君を救う前に……)
意識が暗転しかけた、その時だった。
俺たちの背後に広がる都庁前中央公園の深い闇が、不自然に蠢いた。アスファルトに伸びる木々の影が、生き物のように急激に延伸し、聖の足元へと這い寄る。
「相棒、お寝坊さんにはまだ早いぜ!」
聞き慣れた、不敵な声が闇を裂いた。漆黒のライダースジャケットを羽織った少年――蓮見駆が、影の中から滑り出すようにして現れたのだ。彼は両手を地面に突き刺し、全身の魔力を解放した。
「――『影縫いの術』ッ!」
聖の足元に伸びる影から、漆黒の棘が数本、爆発的に突き出した。それは聖の物理的な影をアスファルトに物理的に縫い付けるようにして、彼の動きを完全に拘束した。聖の表情に、初めて驚愕の色の走る。
「影魔術……夜行使の残党か!」
「へっ、残党なんて失礼な。現役バリバリの戦闘員だよ!」
駆は叫びながら、素早く俺と霧子の腕を掴み、自身の影の中に引きずり込もうとした。プライドを捨て、即時撤退を選択する。それが、この属性の天敵から生き延びる唯一の合理的な戦術だった。
だが、その瞬間、聖の十字架から放たれた破邪の聖光が、駆の影魔術の棘に直撃した。神聖な光が、闇を力ずくで蒸発させていく。
「う、ぐあぁぁぁッ!!」
駆が凄絶な悲鳴を上げた。彼の影が光に焼かれ、不自然に激しくねじ曲がっていく。
俺の『不眠の観察眼』が、その悍ましい光景を捉えていた。駆の影の奥に、聖の光が「不浄な汚染」として侵入し、彼の魔力回路を激しく侵食していく。駆の漆黒の影から、かつてない不気味な黒いノイズが染み出し、バチバチと火花を散らしながら、不穏な歪みを残して蠢いていた。
「おい、駆……その影は……っ!」
「喋るな、宵! 走るぞ!」
駆は汚染の激痛に顔を引きつらせながらも、俺たちを抱えて、新宿の夜霧の奥へと命懸けで駆け出した。背後では、一ノ瀬聖の放つ冷酷な黄金の光が、雨に煙る都庁前中央公園をどこまでも白く照らし出していた。 Kakeru's shadow, twisted and crackling with black noise, dragged them into the deep mist of the night.
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