用心棒・鉄骨の硬気功
崩落する暗道の轟音が、地底の泥土を通じて背後で遠ざかっていく。湿った冷気と、鉄錆のような血の臭いが、落日鎮代官所の地下牢獄に満ちていた。
蕭落行は、左手で小泥の冷え切った小さな手を引きながら、鉄格子を潜り抜けた。背後の枯れ井戸の暗道は、伏兵長・土行との死闘の末に完全に瓦礫で塞がれ、もはや退路は存在しない。暗闇に目が慣れるにつれ、松明の鈍い赤光が、湿った石壁と、鉄格子の並ぶ地下牢の全貌を薄暗く浮かび上がらせた。
「お、お兄ちゃん……」
小泥が落行の灰色衣の裾を掴み、怯えた声を漏らす。落行は無言のまま、彼女を牢獄の隅にある太い石柱の影へと促した。右腕は黒い革の包帯で体に固く固定され、完全に感覚を失った一本の木石のようにぶら下がっている。左太ももの浅い槍傷から滴る血が、歩くたびに泥濘を赤く染めていたが、彼の表情には一寸の動揺もなかった。
ずしり、と重い足音が、地下牢の奥から響いてきた。地響きと共に現れたのは、身長八尺はあろうかという巨漢だった。
スキンヘッドの頭部は松明の光を浴びて黒光りし、上半身は裸で、鋼のように鍛え上げられた強靭な筋肉が、油を塗ったように輝いている。腰には代官所の用心棒であることを示す紋章が刻まれた帯を締め、その両手は、大岩をも容易に握り潰しそうなほど異常に肥大化していた。
「土行の奴め、鼠一匹仕留められずに逃げ帰ったか。やはり辺境の馬賊など、何の役にも立たん」
巨漢――金剛手・鉄骨は、濁った瞳で落行を見下ろし、低く笑った。その視線が、落行の固定された右腕と、左手で握られた錆びた無銘の鉄剣(特製鞘に収まった状態)へと向けられる。
「お前が蕭落行だな。劉大肥様から、お前の首には砂金百両の懸賞金が掛けられている。……だが、右腕が死に体では、その錆びた剣を抜くことすらできまい」
鉄骨が一歩踏み出すと、彼の身体から放たれる圧倒的な内力の圧力が、周囲の空気を物理的に重くした。皮膚が一時的に金属のような鈍い光を帯びる。伝統的な外功の極致――『鉄布衫』。内力を皮膚の直下に集中させ、全身の骨肉を鉄の鎧と化す硬気功の境地だった。
「お前の錆びた剣など、俺の肉体を傷つけることはできん!」
鉄骨は豪語し、大岩をも砕く『金剛拳』を構えた。落行は無言のまま、左手で特製鞘の中程を握り締める。残り抜刀回数は十一回。この目の前の用心棒は、養父を裏切った十二人の仇敵ではない。ここで剣を抜けば、自らの死期を早め、復讐の未完を意味する。抜刀は、絶対に許されない。
(抜かずに、この硬気功を破る)
落行は「砂海歩法」を起動し、泥濘む石床を滑るようにして間合いを詰めた。左手一本で、重厚な特製鞘を鉄骨の喉元に向けて鋭く突き出す。無駄を一切省いた、一瞬の点撃。
キィィィン!
激しい金属音が地下牢に響き渡り、火花が暗闇を赤く照らした。だが、鞘の先端は鉄骨の喉元の皮膚に物理的に弾き返された。鉄骨が瞬時に首元の筋肉を収縮させ、骨を密集させたのだ。これが『鉄骨防御』の真髄だった。強烈な反動が落行の左腕へと伝わり、左手首に激しいしびれが走る。落行は一歩後退せざるを得なかった。
「無駄だと言ったはずだ! 俺の肉体は金剛不壊!」
鉄骨が咆哮し、右の拳を真っ直ぐに突き出してきた。放たれた『金剛拳』の衝撃波が、前方の空気を圧縮し、目に見えない大気の壁となって落行の胸元へと肉薄する。
避ける隙はない。落行は瞬時に「千斤墜」を起動した。内力を下半身へと集中させ、大樹が大地に深く根を張るように、自らの体重を物理的に増加させて泥濘に足を固定する。
ドゴォォン!
金剛拳の衝撃が落行の胸元を直撃した。千斤墜によって吹き飛ばされることは免れたものの、凄まじい衝撃波が衣服を破り、落行の全身の骨を軋ませる。胸部に激しい打撲を負い、内臓が圧迫されて喉の奥に熱い血の味が広がった。体内の熱毒臨界点が上昇し、胸元の寿命刻印が衣服の裏で不気味に熱を帯びる。
「ははは! 耐えたか! だが、次でその骨をすべて噛み砕いてやる!」
鉄骨は勝ち誇り、さらに大きな動作で二の拳を振り上げた。落行は激痛に耐えながら、目を細めた。彼の耳は、周囲の雑音を排除し、鉄骨の肉体の「呼吸音」だけに全神経を集中させていた。砂塵聴音――目に見える筋肉の動きではなく、肺が空気を吸い込み、吐き出す際の微細な音の乱れを聴く。
(どれほど強固な鉄布衫であっても、気の循環がある限り、必ず呼吸の繋ぎ目に弱点が存在する。内力が一時的に途切れるその一瞬……)
鉄骨が再び金剛拳を放ち、落行の左側から拳が迫る。落行は正面から受け止めず、「借力打力の理論」を脳裏に駆動した。
拳が鞘の表面に触れる一瞬前、落行は自らの特製鞘を拳の軌道に沿わせるように傾けた。剛の力を剛で受けず、柳の枝のごとく受け流す。鉄骨の拳の凄まじい前進エネルギーが、鞘の滑らかな鉄の表面を滑り、そのまま鉄骨自身の肘関節へと滑るように逆流した。
「ぐっ……!?」
自らの拳の威力を肘に受け、鉄骨の肘関節が不自然に軋み、彼の巨体が左斜め前へと大きく傾いた。体勢が完全に崩れ、鉄骨の呼吸が一瞬だけ大きく乱れる。
ズゥゥ、と鉄骨が肺いっぱいに息を吸い込んだ。その一瞬――彼の右脇の下の経穴が、内力の循環から一時的に外れ、軟化する『門(弱点)』が完全に露出した。
「そこだ」
落行は砂海歩法で泥濘を滑り、鉄骨の死角である右脇の下へと潜り込んだ。左手一本で、特製鞘の先端をその『門』へと正確に、かつ神速の速度で突き刺した。
ゴキィッ!
肉が砕け、骨が軋む鈍い音が地下牢に響き渡った。鉄骨の皮膚を覆っていた金属のような鈍い光が一瞬にして霧散し、彼の巨体から内力が物理的に霧散していく。鉄布衫の硬気功が、内側から完全に崩壊したのだ。
「がはっ……!」
鉄骨は大量の鮮血を口から噴き出し、膝を突いた。だが、彼の濁った瞳には、敗北の絶望ではなく、狂気的な執念の炎が燃え上がっていた。
「魔教の……残党め……! ただでは死なん……お前を地獄へ連れて行く!」
鉄骨は血に濡れた両手で、自らの胸の経穴を強く突き刺した。一時的に痛覚を遮断し、生命力を暴走させる捨て身の構え。彼の全身の筋肉が不自然に膨張し、血管が破裂して皮膚から血が噴き出す中、彼は落行と相打ちを狙って、自爆に近い最後の突撃を仕掛けようと咆哮を上げた。
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