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街角の火花

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朝霧が立ち込める蒼山を、石頭(セキトウ)は一人で下っていた。背中には、外門執事である馬徳(バトク)から押し付けられた、ずしりと重い買い出し用の竹籠がある。懐には、数枚の古びた銅銭(どうせん)が入った小さな布袋。蒼山派の厨房で使う調味料や鉄鍋の修繕を命じられた石頭にとって、この山下りは数少ない蔵書閣の外の世界に触れる機会だった。


 山麓に広がる「無名街(むめいがい)」は、貧しくも活気のある混沌とした門前町だった。五大門派の重税に喘ぐ庶民たちが、泥にまみれながらも必死に日々の生計を立てている。その雑多な人込みの中に、石頭の大きな体躯が紛れ込んでいく。彼は粗末な灰色の雑役服をまとい、煤けた顔をしていたが、その足取りは昨日までとは劇的に異なっていた。


(おじさんの、箒の角度……)


 石頭は、歩きながら自身の足の裏に意識を集中させていた。ぬかるんだ泥の地面を踏みしめるたび、足の指先だけでなく、足裏全体で大地の硬さを掴む感覚。それは、昨夜蔵書閣の「無字の古い石板」を掃いたときに、片腕のおじさん――葉無鋒(ヨウ・ムホウ)から無言で示されたあの独特な歩法だった。不思議なことに、その足運びを意識するだけで、背中の重い竹籠が羽のように軽く感じられ、急な坂道でも一歩もよろめくことがなかった。


「おお、石頭じゃないか! 今日も買い出しにお使いかい」


 市場の角に差し掛かったとき、親切な八百屋の銭大爺(ゼン・タイヤー)が、白い髭を揺らしながら温かい声をかけてくれた。石頭が黙って頭を下げると、銭大爺は泥のついた大根と小ぶりの芋を、石頭の竹籠にそっと放り込んだ。


「ほら、これを持っていきな。馬徳の奴に隠れて、お前と小黒(ショウゴク)でこっそり食べるんだよ。お前はいつも働きすぎなんだからな」


「……ありがとうございます、銭大爺」


 石頭が不器用な笑みを浮かべて大根を仕舞おうとしたその時、背後から軽い足音が近づいてきた。振り返ると、そこには手製の薬草カゴを背負った少女、小梅(シャオメイ)が立っていた。彼女は石頭の煤けた顔と、衣服の隙間からのぞく薄黄色の痣を見つめ、勝気な瞳を微かに曇らせた。


「石頭、あんたまた演武場で趙志高たちにいじめられたんでしょう。ほら、これを持っていきなさい」


 小梅は、自身のカゴから緑色の小さな薬瓶を取り出し、石頭の手のひらに無理やり押し付けた。瓶の中には、彼女が山で採った新鮮な薬草を調合した「百草液(ひゃくそうえき)」が入っている。


「毎日、これをお湯に溶かして飲みなさい。あんたのその頑丈な体だって、放っておけばいつか壊れちゃうんだから。おじさんにも、ちゃんと分け合うのよ」


「小梅、これは……」


「いいから受け取りなさい! 私はあんたのその『石頭』が本当に割れるところなんて見たくないの」


 小梅はそう言って、照れ隠しのようにぷいと顔を背け、足早に人込みの中へと消えていった。石頭は手の中の百草液の温もりを感じながら、それを大切に懐の「蘇氏の古い守り袋」の隣へと仕舞い込んだ。お守り袋の中には、彼が幼い頃から肌身離さず持っている、冷たくて平たい金属のプレートが縫い込まれている。そのお守り袋に触れるだけで、彼の心には「残照の不動心」のような静かな安らぎが戻るのだった。


 だが、その温かい静寂は、無名街の不気味な影によって一瞬にして切り裂かれた。


 買い出しを終え、重い荷物を背負って蔵書閣へと戻るため、石頭は人通りの少ない狭い路地裏へと入った。雨上がりの湿った泥壁が両側にそびえ立ち、光が遮られた薄暗い一本道。その路地の奥から、二人のいかつい影が、行く手を塞ぐようにしてゆっくりと歩み寄ってきた。


「おいおい、のろまの石頭。いい荷物を背負ってるじゃねえか」


 現れたのは、無名街の裏社会を支配する暴力団のボス、金虎(キンコ)だった。虎の皮のベストを羽織り、全身に派手なタトゥーを入れた巨漢は、下卑た笑みを浮かべながら石頭の胸ぐらを乱暴に掴み、湿った泥壁へと激しく叩きつけた。


「うっ……」


 背中の竹籠が壁に当たり、中の鉄鍋が鋭い音を立てる。石頭は抵抗しなかった。蒼山派の厳格な掟――「雑役が武功を修練することは死罪」というルールが彼の頭を支配していたからだ。ここで下手に手を出せば、自分だけでなく、蔵書閣のおじさんや老徐(ロウ・ジョ)にも累が及ぶ。石頭はただ、懐のお守り袋と、買い出しの銅銭を守るように両腕を胸の前で交差し、身を縮めた。


「掌門の趙狂烈様から、お前を少し『教育』してやれと金を貰ってな。おい、懐の金を全部出しな。さもなきゃ、その石頭を本物の粉々にしてやるぞ」


 金虎の背後から、彼の弟である銀虎(ギンコ)が、不敵な笑みを浮かべながら一歩前に出た。彼の手には、鉄のトゲがびっしりと編み込まれた、重々しい「鉄棘の棍棒(てっきつのこんぼう)」が握られていた。鈍い黒光りを放つその武器は、常人の骨など一撃で叩き砕く凶器だった。


「金なら、これしかありません……。これは蒼山派の買い出しの金です」


 石頭は、懐から数枚の銅銭を取り出そうとした。しかし、銀虎はその手を棍棒の先で乱暴に叩き落とした。銅銭が泥の中に散らばり、鈍い音を立てる。


「誰がそんな端金を欲しがるか! お前のその不気味な頭、本当に『石頭』なのか、俺の棍棒で試してやるよ!」


 銀虎は狂気に満ちた叫び声を上げ、鉄棘の棍棒を両手で高々と振り上げた。路地の狭い空間で、風を切る「ヒュッ」という鋭い音が響く。棍棒は、壁際に追い詰められた石頭の脳頂に向けて、全力で振り下ろされた。


 逃げ場はなかった。石頭は壁に背を押し付けたまま、本能的におじさんの教えを思い出した。衝撃を受ける瞬間、力を入れて踏ん張るのではない。体内の「気」を一点に集中させ、骨の内側で衝撃を逃がすのだ。石頭は強く目を閉じ、呼吸を完全に止めた。体内の微かな真気が、彼の頭部の骨へと一瞬にして集束し、皮膚の下で骨格が異常なほど青黒く引き締まった。天性の「金剛不壊・初門(こんごうふかい・しょもん)」が、生存本能によって初めて完全な覚醒を見せた瞬間だった。


 ドゴォォン!


 路地裏に、まるで巨大な鉄板同士が激突したかのような、凄まじい金属音が響き渡った。衝撃の余波で、泥壁から古い漆喰がボロボロと剥がれ落ちる。


「が、は……!?」


 しかし、悲鳴を上げたのは石頭ではなかった。銀虎だった。


 全力で振り下ろされたはずの鉄棘の棍棒は、石頭の頭頂部に接触した瞬間、まるで鉄塊を叩いたかのように激しく跳ね返り、凄まじい反動の衝撃波を銀虎の両腕へと逆流させた。バキバキと音を立てて、頑丈なはずの木製の柄が真っ二つに砕け散り、鉄のトゲが路地の地面にバラバラと虚しく転がった。銀虎は、自身の両手首の骨が衝撃で激しく痺れ、ひびが入ったかのような激痛に襲われ、砕けた棍棒の柄を落としてその場にへたり込んだ。


「な……何だ、こいつの頭は!? 本当に人間か!?」


 銀虎が恐怖に顔を歪めて叫ぶ。それを見た金虎は、驚愕の後に激しい怒りを見せ、鉄の指輪をはめた太い脚を蹴り上げ、石頭の腹部に向けて全力で前蹴りを放った。


 ドグッ!


 しかし、金虎の足が石頭の腹部にめり込んだ瞬間、金虎の表情が一変した。まるで、何万斤もある巨大な岩壁を全力で蹴り上げたかのような感覚。衝撃は一切石頭を揺らすことなく、金剛不壊の壁に弾き返され、金虎の足の指の骨を内側から粉砕した。


「ギャァァァッ!」


 金虎は自身の足の骨が砕ける「ピシッ」という音をはっきりと聞き、激痛のあまり片足で飛び跳ねながら、壁に寄りかかって悲鳴を上げた。石頭はただ、壁際に身を縮めたまま、驚愕の眼差しで自身の両手を見つめていた。頭にも腹にも、一切の痛みがなかった。ただ、骨の内側が微かに冷たく引き締まっているだけだった。自身の肉体に宿る、この「異常な特性」に、石頭自身が初めて直面し、静かに戦慄していた。


「ば、化け物だ……! こいつはただの雑役じゃねえ!」


 金虎は、恐怖に狂った目で石頭を睨みつけると、へたり込んでいる銀虎の襟首を掴んで強引に立ち上がらせた。二人は砕けた武器の破片を泥の中に残したまま、悲鳴を上げて路地の奥へと逃走していった。


 静寂が路地裏に戻ってきた。石頭は、泥の中に散らばった大根と、数枚の銅銭を静かに拾い集めた。頭を触ってみるが、血は一滴も流れておらず、瘤すらできていない。お守り袋の冷たさが、彼の胸の奥で静かに脈打っていた。


 石頭が荷物をまとめて何事もなかったかのように路地を立ち去った後、その壁の上の、古い瓦屋根の陰から、一人の男が静かに姿を現した。


 男は、大きな荷物を背負い、笑顔の仮面を被ったかのような平凡な行商人の姿をしていた。だが、その瞳は、行商人とは程遠い、獲物を狙う冷酷な猛禽類の光を宿していた。五大門派の監視員であり密偵の、呉(ゴ)だった。


 呉は、石頭が去っていった路地の泥の上に残された、真っ二つに砕けた鉄棘の棍棒の破片を見つめた。それから、自身の顎に手を当て、冷ややかに微笑んだ。


「内力を持たぬ雑役が、鉄棘の棍棒を頭部で砕き、二流の悪覇の脚を自滅させるか……。あれは、ただの頑丈さではない。『金剛不壊』の雛形だ」


 呉は、十年前の惨劇で滅びたはずの蒼山派の残党、そして「天下第一の剣聖」の影が、このみすぼらしい雑役の少年の肉体に宿りつつあることを直感した。彼は懐から、一羽の灰色の伝書鳩を静かに取り出した。そして、小さな紙片に細い筆で、一筋の冷たい文字を書き連ねた。


『蒼山派に、異常な肉体を持つ雑役あり。開祖の残照の影を感知。要警戒。――呉』


 呉が指先を放つと、伝書鳩は灰色の羽を羽ばたかせ、蒼山の冷たい秋空の向こうへと、音もなく飛び去っていった。その影を見送る呉の瞳には、これから始まる武林の嵐を予感させる、冷酷な火花が散っていた。

HẾT CHƯƠNG

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