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竹林の轟音と声の糸

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宿場町の喧騒から隔絶された、外れの山中に佇む「廃寺の竹林」。


 嵐の残響を引きずる暴風が、鬱蒼と茂る数万の竹を狂おしく揺らし、耳を聾する「ザザザザザザッ!」という凄まじい雑音を響かせていた。それはまるで、巨大な波涛が頭上から押し寄せてくるかのような、圧倒的な白き音の壁だった。通常の人間であれば、己の声すら満足に聞き取れず、方向感覚を失って立ち尽くすほどの環境。その暴風雨の中で、二つの影が激しく交錯していた。


「ひゃはは! どうした、漣のガキ! 自慢の神速とやらは、この嵐の前には形無しだな!」


 狂ったような笑い声を上げ、重量のある大刀「鬼灯(ほおずき)」を容赦なく振り下ろしたのは、独眼の鬼蔵だった。片目を眼帯で覆ったその顔には、血の匂いを好む野獣のごとき残忍な笑みが浮かんでいる。奴が振るう「鬼一刀流」の重い斬撃は、嵐の風圧を味方につけ、一撃ごとに周囲の細い竹を容易く叩き割っていた。


「くっ……!」


 漣慎之介は、泥濘に足を取られながら必死に後退していた。その右手にある家伝の刀「風切」は、刃の半ばから無残に折れたままだ。鬼蔵の剛刀が放つ圧倒的な「内力」の衝撃が、風切の薄い刀身を通じて慎之介の腕を激しく痺れさせる。まともに受ければ、刀ごと肉体を両断される。慎之介は脱力による回避を試みるが、四方から響く竹の葉の轟音が彼の「耳」を完全に狂わせていた。


 目隠しをして木の葉を斬る修行を経て、慎之介は音で敵の間合いを測る技術を掴みかけていた。だが、この数万の竹が擦れ合う大雑音の中では、鬼蔵の大刀が空気を切り裂く「風切り音」が完全に掻き消されてしまう。間合いが読めない。どこから刃が迫っているのか、視覚だけに頼らざるを得ない状況が、慎之介の動きに僅かな迷いを生んでいた。


 ――ガキィン!


 激しい金属音が轟音に掻き消されながら響いた。鬼蔵の上段からの力任せの払いに対し、慎之介は風切の平で受け流そうとしたが、その衝撃で刀身が激しく弾き飛ばされる。勢いを殺しきれず、慎之介の額から一筋の鮮血が流れ落ち、雨水と混ざり合って視界を赤く染めた。


「ははぁ! 終わりだ!」


 鬼蔵が再び大刀を上段に構え、勝利を確信して踏み込んでくる。慎之介は呼吸を乱し、肩を震わせながら後退するしかなかった。死線が、すぐ目の前まで迫っていた。


 竹林の影、荒れ果てた廃寺の軒下に、秋月総十郎は微動だにせず立っていた。灰色の粗末な着物を羽織り、両目を黒い帯で固く覆った佇まいは、まるで嵐の中に佇む一本の枯れ木のようだった。その右手は、琵琶法師から譲り受けた竹の仕込み杖を静かに握りしめている。


 総十郎の脳内は、いま、限界に近い熱を帯びていた。


 こめかみを極太の針で突き刺されるような、激しい偏頭痛。十年前の火災で病んだ肺が、大気の湿気を吸って「ゼェ、ゼェ」と不気味な喘鳴を上げ、喉元には常に鉄の味が込み上げている。耳を澄ますだけで、数万の竹の葉が発する高周波のノイズが、彼の脳の処理領域を埋め尽くそうとしていた。情報を処理しきれなければ、脳出血を起こし、一時的な失聴、あるいは死に至る。諸刃の剣である「絶対音感」の限界が、すぐそこに迫っていた。


 だが、総十郎は目隠しの奥で、静かに「枯葉の呼吸法」を起動した。


 心拍数を一分間に数回にまで低下させ、自身の存在感を周囲の自然と同化させる。肺の負担を極限まで抑えながら、彼は脳内で「ノイズキャンセリング(雑音排除)」の計算を開始した。数万の竹の葉が擦れ合う「ザザザ」という高周波の音を、精神の書庫の奥へと押しやる。風が竹林を吹き抜ける「音の谷間」――気圧の変化によって一瞬だけ雑音が弱まるコンマ数秒の周期を、ミリ秒単位で予測する。


 そして、総十郎の耳は、鬼蔵が放つ特有の「音」を抽出した。


 鬼蔵がだらしなく足を引きずりながらも、右足に全体重を残して踏み込む際の、泥濘が「ジュクッ」と沈む重い低周波。そして、奴の左目の死角をカバーするために、右肩の筋肉が不自然に緊張し、骨が「ミシッ」と軋む微かな音。さらに、奴が太刀を引き戻して次の突撃に移る瞬間、病んだ肺が吐き出す「ヒュウ」という、僅かな呼吸の滞り。


 すべてが、総十郎の脳内の仮想盤面に、青い光の線となって立体的に描き出されていく。


「慎之介」


 総十郎は、病んだ肺から絞り出すようにして、極めて低い周波数の声を放った。


 それは風の音に同調し、周囲の空間には一切響かない。だが、特定の周波数で慎之介の鼓膜だけを直接震わせる、神速の指揮技術――「伝音入密・声の糸」。


「……耳を閉じるな。風を敵に回すから、間合いが見えなくなる。右肩の力を抜け。今、お前の足元を吹き抜ける風の揺らぎに、己の呼吸を合わせるのだ」


 窮地に陥っていた慎之介の脳内に、師の静かで冷徹な声が、まるで隣で囁かれているかのようにクリアに響き渡った。慎之介は目を見開き、迫り来る鬼蔵の大刀を見据えながら、深く息を吐いた。鎖骨の力を抜き、右肩の緊張を完全に消し去る。その瞬間、彼の周囲を狂暴に吹き荒れていた嵐の雑音が、奇妙な「静寂」へと変わった。


「右へ二寸、体を傾けよ。太刀を引く瞬間の、奴の右肩の気の滞りを突くのだ」


 総十郎の「声の糸」が、完璧な逆転のタイミングを指し示した。


 鬼蔵の大刀が、慎之介の首元を狙って容赦なく振り下ろされる。しかし、慎之介の体は、師の指示通りに、コンマ数秒の狂いもなく右へ二寸だけ滑るように移動していた。大刀の鋭い刃先が、慎之介の濡れた髪を数本散らし、虚空を激しく切り裂く。


「なにっ!?」


 鬼蔵の独眼が、驚愕に大きく見開かれた。完璧に捉えたはずの獲物が、まるで大気そのものに溶け込むようにして、己の刃を紙一重で回避したのだ。大刀を振り下ろした遠心力により、鬼蔵の右肩の関節が、次の攻撃に移るために一瞬だけ「気の滞り」を起こす。


 その瞬間、慎之介の折れた「風切」が、鞘から滑り出すようにして放たれた。


 一の口伝――「無音の刺」。


 空気を切り裂く「風切り音」は、一切しなかった。嵐の轟音の隙間に、風と同化するようにして滑り込んだ折れた刃先が、鬼蔵の右腕の経絡の要所(ツボ)へと向けて、神速の軌道を描いて突き出された――。

HẾT CHƯƠNG

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