裂けた回路を縫い合わせて
赤黒く燃え盛る戦場。空を覆うのは、硝煙と、そして引き裂かれた人間の魂が放つ断末魔の不協和音だった。
シキの精神体は、その地獄のただ中に立っていた。現実世界で両目を灰色の包帯で覆われている彼は、この精神世界「残響の檻」においても光を視ることはない。しかし、彼の脳内には、渦巻く魔力の奔流と怨念の波形が、極めて鮮明な黄金と赤黒い色彩の立体ホログラムとして描き出されていた。
「キィィィィィ――ッ! オレタチヲ……オいていくな……!」
無数の帝国兵の幻影が、巨大な鉄柱――帝国軍が極秘裏に開発していた『共鳴キャノン』のプロトタイプに縛り付けられ、生命力と魔力を吸い尽くされていく。彼らの肉体は蒼い結晶へと変わり、次々と砕け散って砂へと還る。その地獄の中心で、若き日のカイが右腕を血に染め、引き裂かれるような絶叫を上げていた。
「うあああああ! 皆、オレが……オレが身代わりになっていれば……!」
カイの自責の念と同調した戦友たちの残留思念が、赤黒い重力の渦となり、シキの精神体へと牙を剥いた。それは物理的な破壊力を持った「損傷度:自壊(魔力暴走)」の嵐だ。凄まじい熱量がシキの精神体を焼き焦がし、彼の「同調率」を引き裂こうとする。
現実世界。古い時計塔の地下室に佇むシキの肉体は、危険な心拍数の上昇に喘いでいた。彼の唇からは一筋の鮮血が流れ落ち、左指の皮膚が魔力逆流の熱でじりじりと焼け焦げていく。
「お兄ちゃん! 体が……体が煙を吹いてるよ! 心臓の音が早すぎる!」
トトが涙を流しながら、シキの細い肩を抱きしめた。手元には、緊急時にシキの精神を強制帰還させるための「消音の鐘」が握られている。だが、今この接続を強制切断すれば、カイの精神は暴走熱で完全に焼き切れ、廃人となるだろう。シキは精神世界の暗闇の中で、静かに歯を食いしばった。
(耐えるんだ。この男の絶望は、こんなものではなかったはずだ……!)
シキは精神体の中で、自身の両手を前に突き出した。指先から紡ぎ出されるのは、彼の魂そのものを削って生成される「黄金の魔力糸」だ。だが、暴走する重力波はその糸を一瞬で引き裂いていく。精神世界の床が崩落し、赤黒い怨念の津波がシキを呑み込もうとした。糸の接続が切れかかり、シキの意識が現実世界の自壊の痛みへと引き戻されそうになる。絶体絶命の瞬間だった。
「――傷の肩代わり「ペイン・シェア」」
シキは禁忌の技能を起動した。カイの義手「鉄腕」が発する、限界を超えた過負荷の熱量を、精神世界から現実世界の自身の右腕へと直接バイパス接続したのだ。
「ぐ、あああああああ――ッ!」
現実世界の時計塔工房に、シキの悲痛な絶叫が響き渡った。彼の右腕の皮膚が、内側から噴き出す魔力熱によって赤黒く焼け焦げ、肉の焦げる不気味な煙が立ち上る。トトが「お兄ちゃん!」と泣き叫びながら、その焼け落ちていく右手を必死に冷やそうとするが、熱は収まらない。
だが、その引き換えに、精神世界「残響の檻」を支配していた暴走熱は劇的に減退した。シキは、怨念の嵐の中に、一瞬の「無音の隙間」を作り出すことに成功したのだ。シキの精神体の右腕はボロボロになりながらも、その左手にはしっかりと、亡き母の形見である「黄金の魔導針」が握られていた。
「カイさん。聞こえますか」
シキは、血塗れの戦場でうずくまるカイの幻影に向かって、静かに語りかけた。その声は、暴走する怨念の不協和音を優しく包み込む「調和の歌」の旋律を帯びていた。
「彼らは、あなたを呪って死んだのではありません。彼らの魂の残響が叫んでいるのは、あなたへの怒りではない。……ただ、あなたに生きてほしかったのだ」
「嘘だ! オレは仲間を置いて、この腕を、この命を守るために逃げたんだ!」
「いいえ。あなたの右腕『鉄腕』は、彼らの残した最後の意志を、あなたが忘れないために自ら繋ぎ止めた絆です。あなたが自分を罰し続ければ、彼らの魂も永遠にこの地獄から救われません。……私に、その引き裂かれた記憶を、縫い合わさせてください」
シキの「調和の歌」が空間に響き渡ると、赤黒い重力の渦が微かに揺らぎ、その輝きが黄金色へと変化し始めた。精霊たちが、シキの深い共感と傾聴の波長に、その閉ざした心を開いたのだ。
「今です、カイさん。共に、彼らの想いを抱いて立ち上がるんだ!」
シキは「黄金の魔導針」の針穴に、自身の魂を削り出した「黄金の魔力糸」を通した。感覚のない右腕の代わりに、左手だけで針を保持し、カイの義手型魔導杖「鉄腕」の精神的な核――千切れて火花を散らす青い魔力回路の端へと、神速で針を突き刺した。
「魔力縫合法「ステッチ・ライン」――!」
シキの指先が、見えざる虚無の空間で美しく、そして正確に舞った。千切れた髪の毛ほどの細さの魔力回路を、一本ずつ、黄金の糸で刺繍を施すように丁寧に縫い合わせていく。異なる魔獣の骨と、カイの生身の神経の境界線に、等価接続の新しい流路を敷設していく。
一針、また一針と縫い合わされるたびに、戦友たちの断末魔の絶叫は、静かな、祈りのようなハミングへと変わっていった。赤黒い地獄の戦場は、温かい黄金の光の粒子が舞い散るプラネタリウムへと姿を変えていく。カイの幻影が、涙を流しながらその光を見上げていた。
「皆……オレは、生きるよ。お前たちの分まで、この腕で……」
カイの意志が義手と完全に調和した瞬間、同調率は安全な「一体化」の領域へと収束した。引き裂かれていた魔力流が完璧な円環を描いて循環し始める。
「調律、完了です」
シキの意識は、黄金の光の奔流に押し出されるようにして、現実世界へと急速に帰還していった。
現実世界。古い時計塔の地下室。
シキは「はぁっ、はぁっ」と激しい呼吸を繰り返しながら、調律台の前に崩れ落ちた。彼の意識は極限の疲労で朦朧としていた。左耳からは微量の血が流れ落ち、頭の中ではまだキィィという雑音が響いている。
「お兄ちゃん! よかった、息をしてる……!」
トトが涙まみれの顔でシキに抱きついた。シキは彼を安心させるように、微かに微笑もうとした。だが、自身の体に起きた異変に気づいた瞬間、その笑みは凍りついた。
シキの右腕は、肩から指先にかけて完全に黒く焼け焦げ、奇妙な黒い結晶のような魔力の痕跡が皮膚に刻まれていた。そして――何よりも恐ろしいことに。
(感覚が……ない。温度も、床の冷たさも、トトが握ってくれている手の温もりすら……何一つ、感じられない)
調律のたびに五感が永久に失われるという、冷酷な等価交換の代償。彼の右腕は、完全にその「触覚」を喪失し、石のような肉の塊と化してしまっていた。これからは、左手だけで、あるいはさらに鋭敏化した「残響知覚」だけで、この過酷な調律の仕事を続けなければならないのだ。
シキがその悲壮な事実に沈黙していると、調律台の上でカイが静かに目を開けた。彼の右腕の義手「鉄腕」からは、先ほどの暴走する重力波は消え去り、極めて安定した、温かい黄金の魔力残響が「ブゥン……」と静かに響いていた。カイは自身の義手を握り締め、その完璧な制御感に目を見開いた。
「……直ったのか。オレの、呪われた腕が……」
カイは調律台から起き上がり、床に跪いてシキの前に頭を下げた。その強面の顔には、深い畏敬の念と、生涯をかけた忠誠が刻まれていた。
「シキ殿。オレの命も、魂も、あんたに救われた。この『鉄腕』は、今日からあんたを守るための盾だ。あんたを狙う者がいるなら、帝国だろうが衛兵だろうが、オレがこの命をかけて叩き潰す」
シキは感覚のない右腕をそっと隠し、左手でカイの肩に触れた。
「ありがとうございます、カイさん。あなたの盾があれば、私はこれからも杖の声を聴き続けることができます」
二人の間に、血統を超えた「調和の絆」が結ばれたその時だった。
ガタガタガタッ!
地下工房の古い木製の階段を、慌ただしい足音が駆け下りてきた。シキの「残響知覚」が、その足音の主を瞬時に特定する。ジャンク屋の主、カルロだ。彼の心拍数は異常なまでに跳ね上がり、呼吸は完全に乱れていた。
「シキ! 大変だ、今すぐここから逃げる準備をしろ!」
カルロは地下室に飛び込むなり、青ざめた顔で絶叫した。
「何があったんだ、カルロ?」
カイが鋭い眼光で問いかける。カルロは息を切らせながら、最悪の知らせを口にした。
「衛兵隊長のガッザの野郎が、アリアちゃんの治療に必要な『白亜の粘土』が湧き出る泥池を、完全に封鎖しやがった! 『未登録の違法魔導具を隠匿している疑いがある』ってな! 今、街中の平民の家を一件ずつ強制捜査してやがる。この工房に衛兵が押し寄せるのも、時間の問題だぞ!」
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