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鉄腕の咆哮

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「暗闇の中から、鋭く冷酷な眼光を放つ隻腕の戦士が、音もなく姿を現した」


 その男が地下室の敷居をまたいだ瞬間、工房の空気が一変した。ずっしりと重い、目に見えない圧力が空間全体を押し潰す。古い時計塔の歯車たちが、きしむような音を立ててその回転を鈍らせていく。人工的な重力。それは、男の失われた右腕の代わりに装着された、鈍く光る金属製の義手から放たれていた。


 シキの両目は灰色の古い包帯で覆われており、光を見ることはできない。さらに、先ほど汚職衛兵マイルズを退けるために展開した『消音結界術「ミュート・コード」』の反動により、彼の左耳は一時的な失聴状態にあった。鼓膜の破損。耳の奥で「キィィ――」という不快な砂嵐のような雑音が鳴り響き、周囲の音を遮断している。


 だが、シキには「観えて」いた。


 彼が研ぎ澄ます「残響知覚「響きの世界」」は、右耳から入る微小な音の反響と、床の石畳を伝う重々しい振動波を拾い上げ、脳内に三次元の黄金のホログラムを描き出していた。男の歩幅、重心の傾き、そして右腕の金属義手から漏れ出る、暴走寸前の不規則な魔力の脈動。それは、まるで今にも破裂しそうな蒸気機関のように、不協和音を周囲に撒き散らしている。


「お兄ちゃん……あの人の右腕、真っ赤に熱くなって、黒い火花が散ってるよ……!」


 トトがシキの服の袖を必死に引き、恐怖に震える声で囁いた。シキの右耳がその小さな声を正確に拾い上げる。シキはトトの肩を優しく叩き、安心させるように微かに頷いた。奥の部屋では、アリアがシキの施した応急処置によって静かに眠っている。この男をここで暴走させるわけにはいかない。


「……おい。お前が、壊れた杖を直すっていう『調律師』か」


 男の声は、地底から響くような低く掠れたものだった。自暴自棄な絶望と、激しい肉体的苦痛を耐え忍ぶ者の響き。シキの「不協和音検知「嘘の共鳴」」は、その言葉に敵意がないことを聞き取っていた。男は戦いに来たのではない。救いを求めて、このゴミ溜めの底へ這いつくばってきたのだ。


「いかにも、私は盲目の調律師です」

 シキは静かに応じた。右手の指先は、先の調律の等価交換の代償として完全に感覚を失っており、冷たく垂れ下がっている。彼は左手で仕込み杖を握り直し、男の「音」に全神経を集中させた。

「あなたの右腕……『カイの義手型魔導杖「鉄腕」』ですね。芯材である魔獣の骨が物理的、そして精神的に引き裂かれている。損傷度は『亀裂』、いや、すでに自壊の臨界点に達しています」


 男――カイは、包帯に覆われたシキの顔を凝視し、自嘲気味に鼻を鳴らした。

「触りもせずにそこまで見抜くか。噂通りの化け物だな。……その通りだ。この腕は、帝国軍の戦場で使い潰された廃棄魔導砲の残骸から作った義手だ。だが、数日前から魔力の過負荷で常に俺の肉体を焼きやがる。もう、制御が効かねえ」


 カイが苦痛に顔を歪めた瞬間、彼の「鉄腕」が不気味な赤い光を放ち、激しく脈動した。ブゥゥゥン! と空気を引き裂くような重力波が全方位に放射される。調律台の上のハンダやヤスリが宙に浮き上がり、次の瞬間、凄まじい圧力で床に叩きつけられて粉砕された。


「うわっっ!」

 トトが悲鳴を上げて頭を抱える。


「くそっ、離れろ! 俺を殺すか、今すぐこの腕をへし折れ! さもないと、この場所ごとすべてを押し潰しちまう!」


 カイは自身の左手で暴走する右腕を必死に抑え込み、床に膝を突いた。彼の体表の血管が金色の魔力光で明滅し始めている。それは、使い手と武器の精神が危険なレベルで融合し、自壊を伴う限界出力を引き出してしまう「同調率70%〜90%:一体化」の兆候だった。このままでは、カイの肉体そのものが魔力の逆流熱で焼き尽くされる。


 シキは躊躇わなかった。感覚のない右手を隠し、左手で仕込み杖の先端を床に強く突き立てた。


「トト、私の後ろへ!」


 シキは『衝撃波相殺「天秤の均衡」』を発動した。仕込み杖に仕込まれた音叉の物理的な振動を、空間の空気分子へと伝導させ、密度の高い「音の壁」を瞬時に形成する。カイの義手から放たれた物理的な重力衝撃波が、シキの目の前で目に見えない空気のクッションと激突した。


 ズズズズン!


 激しい衝撃が地下室を揺らし、シキの肋骨がきしむような音を立てた。喉の奥に熱い液体が込み上げ、シキの唇の端から一筋の鮮血が流れ落ちる。喀血。現実世界の肉体が、重力圧に耐えかねて悲鳴を上げていた。だが、シキは一歩も引かなかった。


「カイさん。あなたの義手は、暴走したくて暴走しているのではありません」

 シキは血を拭うこともせず、カイに向けて静かに歩み寄った。

「この腕は……あなた自身を罰するために、あなたの自責の念と同調して、死にたがっている。私は、その痛みの波長を聴き届けなければなりません」


「何を、ふざけたことを……っ!」

 カイが絶叫する。しかし、シキは彼の不協和音の軌道を完全に読み取り、重力波の隙間を縫うようにして、彼の至近距離へと踏み込んだ。


 シキは懐から、左手で「黄金の魔導針」を引き抜いた。極細の黄金の針が、地下室の薄暗いランプの光を浴びて微かに輝く。シキは指先から純粋な魔力を圧縮し、黄金の魔力糸を針穴へと通した。


「おじいちゃん……ルイン先生。調律師としての誇りを、私は決して失いません」


 シキは、カイの金属義手と生身の肩の接合部、魔力バイパスが最も激しく充血している一点を見極め、黄金の魔導針を迷いなく突き刺した。物理的な抵抗を無視し、針は魔力の流路へと深く侵入する。


 ジュウウウウウッ!


 その瞬間、義手の金属回路から逆流した、黒く濁った魔力の熱風が、針を伝ってシキの左指から脳内へと直接流れ込んできた。魂を直接焼かれるような凄まじい激痛。シキの精神体が引き裂かれそうになる。


(耐えるんだ。この男の、失われた腕の痛みを……戦場で置き去りにされた、彼の戦友たちの絶叫を、私が受け止めなければ、調律は始まらない!)


「――ダイブ・ステップ!」


 シキは深く息を吐き、心拍数を極限まで下げて仮死状態を作り出した。彼の意識は現実世界の肉体を離れ、黄金の魔力糸を命綱として、物質の境界を越え、カイの精神の深淵へと一気に滑り落ちていった。


 気がつくと、シキの精神体は、光の届かない虚無の空間――精神世界「残響の檻」に立っていた。周囲を囲むのは、黒く濁った星々。しかし、その星々は、ミルの杖の時とは比べ物にならないほど巨大で、禍々しい怨念の泥を噴き出していた。


 その最深部に触れた瞬間、シキの意識は、突如として目の前に広がった、圧倒的な光景に飲み込まれた。


 そこは、赤黒く燃え盛る地獄の戦場だった。


 無数の帝国軍の魔導兵たちが、不気味な黒い鎖によって一本の巨大な魔導装置へと強制接続されている。彼らの両目は虚ろで、全身の血管が異常に膨れ上がり、悲鳴を上げることすら許されずに、体内の魔力と生命力を一滴残らず吸い尽くされていく。そして、魔力を枯渇させた兵士たちの肉体は、次々と蒼い結晶となって崩れ落ち、砂となって消えていくのだ。


 その地獄の中心で、右腕を失い、血塗れになりながら絶叫する若き日のカイの姿があった。そして、その実験を、冷徹な眼差しで見下ろしている、仕立ての良い官服を着た帝国技術官の幻影――。


 耳を覆う無数の兵士たちの絶叫と、魂を吸い尽くす魔導兵器の冷酷な駆動音。シキの意識は、カイの記憶が作り出した、そのあまりにも凄惨な『地獄の戦場』のビジョンへと完全に引きずり込まれていった。

HẾT CHƯƠNG

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