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小さな火種、灯る記憶

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「お兄ちゃん、熱い……っ、体が、燃えるみたいに……!」

ベッドの上で、十四歳のアリアが激しく身悶えしていた。膝から下を侵食する蒼い結晶が、脈打つ心拍と同調するように、不気味で鋭い光を放っている。カルロから命がけで勝ち取った「白亜の粘土」の軟膏は、アリアの体内から迸る過剰な魔力の逆流に耐えきれず、一瞬にして黒焦げの炭と化して床に崩れ落ちていた。

(しまずい……! 魔力の逆流が臨界点を超えかけている!)

盲目の青年シキは、視覚を奪われた灰色の包帯の奥で、驚異的な「残響知覚」を稼働させた。彼の耳には、アリアの足元からガラスが激しくきしむような、耳を刺す不協和音が聴こえていた。それは暴走寸前の魔導杖が自壊する直前に放つ、死のプレリュードそのものだった。

「アリア、動かないで。今、音を整えるからね」

シキは声を絞り出したが、彼自身の肉体も限界に達していた。前夜、カルロの依頼で一等魔導杖を調律した代償として、彼の右手の指先は完全に麻痺し、温度すら感じられない冷たい石のようになっていたのだ。ハンダを握ることも、極細の魔導針を操ることもできない。

だが、迷っている時間はない。シキは感覚の生きている左手をアリアの足元にかざし、体内の魔力を極限まで圧縮した。

「――紡げ」

彼の左指の先から、微かに発光する極細の「黄金の魔力糸」が引き出された。右手が使えない以上、左手一本で糸の軌道を制御しなければならない。シキは感覚の麻痺した右腕を無理やり動かしてアリアの体を支え、左手から伸ばした黄金の糸を、彼女の結晶化した皮膚の隙間へと滑り込ませた。

黄金の糸は、アリアの体内で暴走する不規則な魔力流を絡め取り、一時的な「バイパス回路」を形成して過剰なエネルギーを体外へと逃がしていく。魔力の逆流熱がシキの左腕を焼き、脳裏を激しい偏頭痛が襲った。しかし、シキは歯を食いしばり、糸の接続を維持し続けた。

やがて、アリアの足元から放たれていた蒼い閃光が徐々に収まり、悲鳴のような不協和音は、静かな、しかし痛みを伴うハミングへと落ち着いていった。アリアの呼吸が、ようやく安定を取り戻す。

「はぁ、はぁ……ありがとう、お兄ちゃん……」

「もう大丈夫だよ、アリア。よく耐えてくれたね」

シキは左手で妹の額の汗を拭った。だが、胸の奥の焦燥は消えなかった。白亜の粘土による一時しのぎは完全に限界を迎えたのだ。より高度な魔力中和の手段を見つけなければ、アリアの命は遠からず結晶化に呑み込まれてしまう。


その時だった。

バン! と、古い時計塔の地下室の防護扉が、激しい音を立てて弾け開んだ。

シキの耳が、取り乱した、小さく軽い足音を捉えた。入ってきたのは衛兵ではない。十歳ほどの幼い少女の、絶望に満ちた呼吸の音だった。

「シキお兄ちゃん! 助けて、お願い……おじいちゃんの杖が……っ!」

貧民街の少女ミルだった。彼女はボロボロの衣服を煤で汚し、胸元に一本の古びた木製の杖を必死に抱きしめていた。その杖――家庭用発火杖「小さな火種」からは、シキの「残響知覚」がこれまでに聴いたこともないほどの、凄まじい熱量と爆発的なきしみ音が放たれていた。

「キィィィィィ――ッ! キィィ――!」

「ミル、その杖を僕の調律台に置くんだ! 早く!」

シキは叫んだ。目が見えなくとも、杖の核が臨界温度に達し、今にも大爆発を起こそうとしていることは「音」で分かった。このまま放置すれば、この地下工房はおろか、上の「霧の広場」にいる多くの貧民たちごと、すべてが爆炎に包まれて灰になる。

「トト、準備を!」

「うん、いつでもいけるよ、お兄ちゃん!」

シキの助手である孤児の少年トトが、すかさず棚から「消音の鐘」を取り出し、シキの背後に陣取った。トトの小さな手は震えていたが、その瞳にはシキの命を守るという強い決意が宿っていた。

シキは調律台の前に立ち、感覚のない右手の代わりに左手で、ミルの持ち込んだ「小さな火種」を掴んだ。じりじりと皮膚が焼けるような熱が伝わるが、手を離すわけにはいかない。彼は懐から、母の形見である「黄金の魔導針」を左手で引き抜いた。

(未登録の魔導杖を修復することは、帝国の法律『未登録魔導杖の修復禁止令』によって死罪に値する重罪だ。だが、目の前で泣いているこの子を、おじいちゃんの形見ごと見殺しにすることなんて、僕にはできない!)

「ミル、おじいちゃんの思い出は、僕が必ず繋ぎ止める。だから、信じて待っていて」

シキはそう囁くと、黄金の魔導針の針穴に左指から紡ぎ出した黄金の魔力糸を通し、暴走する杖の魔力核の亀裂へと真っ直ぐに突き刺した。

「――ダイブ・ステップ」

シキの意識は肉体の束縛を離れ、黄金の糸を伝って、杖の深層記憶が作り出す精神世界へと一気に滑り落ちていった。


気がつくと、シキの精神体は、光の届かない虚無の空間――精神世界「残響の檻」に立っていた。

そこは、美しくも恐ろしい絶望のプラネタリウムだった。周囲に浮かぶ星々は、すべて過去の戦火の中で使い潰され、不法投棄された兵器たちの「記憶の結晶」だった。それらの結晶から、黒い泥のような怨念が染み出し、空間全体を真っ赤な炎の嵐で包み込んでいた。

「オレを、捨てるな……!」「熱い、体が焼ける……!」「人間なんて、みんな裏切り者だ!」

無数の戦没魔導杖の怨念が、巨大な炎の獣の姿を形作り、侵入者であるシキに向けて牙を剥いた。ゴォォッ! と吹き荒れる精神の熱波がシキの精神体を焼き、現実世界の彼の肉体の心拍数が危険領域まで急上昇していく。

現実世界では、トトがシキの胸の鼓動の異常な速さに気づき、顔を青ざめさせていた。

「お兄ちゃん! 心臓が、早すぎるよ……! 消音の鐘を鳴らすよ!?」

トトが真鍮の「消音の鐘」を鳴らそうと手を伸ばす。だが、精神世界の最深部にいるシキの残留思念が、トトの脳裏に強い拒絶を送った。

(だめだ、トト! 今接続を切れば、精霊の怒りが現実に逆流して、ミルもアリアも吹き飛ぶ! 僕を信じて、鐘を鳴らすのを待ってくれ!)

シキは精神世界の中で、炎の獣の猛攻を「黄金の魔力糸」を盾にして防ぎながら、必死に「調律」の糸口を探していた。一度、力尽くで精霊の魔力回路を魔導針で縫合しようと試みたが、精霊の拒絶反応があまりにも強すぎて針が弾かれ、現実世界のシキの右腕に、焼き切れるような激痛が走った。

「ぐうぅぅっ……!」

(力でねじ伏せるんじゃない。師ルインの教えを思い出せ。――『杖は使い手の鏡である』。この精霊がこれほど荒れ狂っているのは、本当に人間を憎んでいるからなのか?)

シキは「残響知覚」を精神世界の中で研ぎ澄ました。炎の獣が放つ「キィィ」という不協和音の奥底に、もう一つの、極めて微弱で、泣きじゃくるような「怯え」の音が混ざっていることに気づいた。

それは、怒りではなく、深い「恐怖」の音だった。

この杖の芯材は、戦場で使い潰された一等魔導杖の残骸から削り出された骨だった。そのため、体内に暴走寸前の強力な戦火の魔力を宿している。精霊は、自分が暴走すれば、大好きな持ち主であるミルを焼き殺してしまうことを知っていたのだ。だからこそ、ミルを傷つけまいとして、彼女の魔力を拒絶し、自ら自壊しようとしていた。

「そうだったんだね……。君は、ミルを守ろうとしていたんだ」

シキの精神体が、炎の獣に向けて、そっと両腕を広げた。彼の手から、優しく温かい「黄金の魔力糸」が蜘蛛の糸のように伸び、獣を縛るのではなく、その傷ついた体を包み込むように絡みついていった。

炎の獣が放つ拒絶の炎を、シキは黄金の糸で受け流し、その怨念の周波数を逆位相の魔力で完全に相殺していく。そして、シキは静かに「精霊への呼びかけ「調和の歌」」を紡ぎ始めた。

言葉ではない。それは、ミルの亡き祖父が、毎晩のようにこの古い杖を油で丁寧に磨き上げ、大切に手入れしていた温かい記憶。そして、ミルがその小さな火種を使って、冬の寒い夜に暖炉に火を灯し、祖父と二人で身を寄せ合って笑い合っていた、あの静かで優しい日常の記憶の波長だった。

「……ぁ……」

炎の獣の動きが、ピタリと止まった。黒い怨念の霧が、シキの紡ぐ調和の旋律によって、黄金の光の粒子へと融けていく。精霊は、自分が戦場の兵器ではなく、この貧民街のささやかな家庭を守るための「温かい火種」であったことを思い出したのだ。

「さあ、もう一度繋がろう。ミルのために」

シキは黄金の魔導針を滑らせ、精霊の核に残っていた戦火の亀裂を、黄金の糸で美しく、刺繍を施すように縫合していった。千切れていた魔力流が等価接続され、完璧な円環となって循環を始める。


だが、調律が完了し、精神世界から意識が引き揚げられる直前、シキは精霊の記憶の最深部で、奇妙なものを「視」た。

それは、精霊の芯材である骨の表面に、冷酷な幾何学模様の刻印が刻まれている光景だった。その刻印の周囲からは、不自然に魔力を強制抽出するための、歪んだ術式が伸びている。

(これは……帝国魔導院の『兵器規格化』の刻印!? なぜ、こんな安価な家庭用の杖の芯材に、国家機密級のシステムが刻まれているんだ……?)

「うっ……!」

次の瞬間、シキの意識は現実世界へと強制的に引き戻された。

「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」

シキは調律台を両手で掴み、激しく喘いだ。彼の鼻と耳からは、極限の精神的疲労によって微量の血が流れ落ちていた。右手の感覚は完全に消え、左手の指先までもが、凍りついたように痺れている。

だが、調律台の上の「小さな火種」は、先ほどまでの凶暴な赤熱を完全に失っていた。杖の先端からは、まるで夜の街をそっと照らす常夜灯のように、極めて純度が高く、温かい黄金の火が、ぽうっと静かに灯っていた。

「おじいちゃんの杖が……直った……」

ミルが涙を流し、温かい火種を抱きしめて泣き崩れた。トトも「お兄ちゃん、やったね!」とシキの体を支え、共に喜んだ。


しかし、その奇跡の余韻を切り裂くように、時計塔の石階段から、無慈悲な足音が響き渡った。

重々しい鉄の軍靴の響き。それは、貧民街を暴力で支配する衛兵たちの足音だった。

「おい、この中に違法な魔導反応を感知したぞ! 扉を開けろ!」――叩きつけられる無慈悲な怒号と、石段を揺らす軍靴の響き。マイルズ率いる衛兵隊の影が、半壊した工房の扉を冷酷に押し開けようとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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