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赤熱の包囲網

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音のない世界は、不気味なほどに静謐だった。


 爆発の衝撃波が古い時計塔の地下室を揺らし、無数の塵埃が舞い上がる。しかし、シキの耳には、その破壊の轟音は一切届かない。ただ、鼓膜の奥から伝わる鈍い拍動と、足の裏を伝う大地の微細な震えだけが、彼に現実の崩壊を告げていた。


「シキお兄ちゃん……!」


 不意に、左の掌に温かく、しかし激しく震える小さな指先が触れた。弟子のトトだ。トトはシキの掌に、必死の力で文字を書き殴る。


『ガッザ』


 その三文字が皮膚を通じて脳裏に刻まれた瞬間、シキの「残響知覚「響きの世界」」は、工房の入り口に佇む巨大な赤黒い熱源を捉えた。辺境衛兵隊長ガッザ。その右手には、不快な高周波のノイズを撒き散らしながら暴走する軍用杖「赤熱の槍」が握られている。キースの強制調律によって過負荷状態にあるその杖は、周囲の酸素を貪り食うように陽炎を揺らめかせ、赤熱した先端から凶悪な熱量を放っていた。


 爆炎の熱風が、扉の吹き飛んだ地下室へと容赦なく流れ込んでくる。シキは、自身の髪の毛の半分が白銀色に染まっていることすら気にとめず、感覚の消え去った右腕を外套の下にかばいながら、左手でトトの肩を抱き寄せた。


(アリアを、これ以上の危険に晒すわけにはいかない)


 シキはトトの掌に、素早く指先で文字をなぞり返した。


『アリアの部屋へ』


 トトが力強く頷く気配が、繋いだ手から伝わってくる。シキはトトの誘導に従い、煙の立ち込める地下室の奥へと急いだ。ベッドの上では、最愛の妹アリアが激痛に喘いでいた。彼女の両足の膝から下は、美しくも禍々しい蒼い魔晶石に侵食され、外で吹き荒れる「魔力の泥嵐」の不協和音に共鳴するように、不気味な光を放って明滅している。


「ぁ……ぁ……」


 声にならないアリアの悲鳴が、大気の震えとなってシキの肌を刺す。シキは左手で「白亜の粘土」の軟膏を掴み、彼女の結晶化した足へと優しく、しかし迅速に塗り広げた。これこそが、ルインから受け継いだ「白亜粘土の魔力吸着法」だ。


 ジュウ、と不気味な蒸気が立ち上り、純白の粘土がアリアの足から過剰な魔力を吸い取って、みるみるうちに黒く結晶化して崩れ落ちていく。アリアの激しい呼吸が、粘土の吸着効果によって微かに和らぐのを、シキは胸に触れた手のひらで感じ取った。一時的な沈静。だが、これは時間との戦いだ。粘土が魔力を吸い尽くす前に、ここから避難させなければならない。


 その時、工房の入り口から、凄まじい魔力の波動が放たれた。


 残響知覚のホログラムの中で、ガッザの赤熱したシルエットが部下たちに突撃を命じるのが「視えた」。十数人の衛兵たちが、抜剣して工房の瓦礫を乗り越えてくる。


 だが、その進路を塞ぐように、一人の巨大な影が立ちはだかった。隻腕の戦士、カイだ。カイは黒い布を払い除け、完璧に調律された義手型魔導杖「鉄腕」を前方へと突き出した。


「これ以上、シキの領域に踏み込ませるか……!」


 カイの意志が義手の魔力バイパスを駆け抜けた瞬間、深みのあるインディゴブルーの重力波が全方位へと放射された。ドォォォン! という凄まじい衝撃波が、突撃してきた衛兵たちを容赦なく吹き飛ばし、壁へと叩きつける。物理的な打撃と重力の圧力が、狭い通路で完璧な防衛線を形成していた。


 しかし、ガッザは冷酷に笑い、赤熱の槍をさらに高く掲げた。


「無駄な足掻きを。その違法な義手ごと、灰にしてくれるわ!」


 ガッザが魔力を込めた瞬間、赤熱の槍の先端から、すべてを溶かすような極大の火炎が放たれた。ゴォォォ! という無音の咆哮と共に、視界を赤黒く染める熱波がカイへと迫る。その熱量は、工房内の酸素を一瞬で奪い去り、カイの呼吸を激しく乱れさせた。酸素の欠乏。肺を焼かれるような感覚に、カイの踏み込みが微かに鈍る。


 カイは歯を食いしばり、「同調率70%〜90%:一体化」の極限領域へと精神を引き上げ、鉄腕から強固な重力障壁を展開した。赤黒い炎と、インディゴブルーの重力の壁が真っ向から激突する。


 キィィィィン! ときしむような不調和音が、シキの脳裏に直接響いた。ガッザの極大火炎は、重力障壁の魔力流そのものを焼き、障壁の表面に微細な亀裂を走らせていく。炎の熱が障壁を透過し、カイの右肩の肉をじりじりと焼き焦がしていく。カイの心拍数が跳ね上がり、苦痛の波形がシキの残響知覚を揺らした。


(カイさんの障壁がもたない……! ガッザの杖の『狂い』を特定しなければ!)


 シキは奥の部屋から、全神経をガッザの杖へと集中させた。耳は聞こえなくとも、魔力の振動は彼に真実を伝えている。ガッザの「赤熱の槍」は、キースによる無理な強制結合のせいで、熱量がピークに達する瞬間に、特定の魔力バイパスに深刻なきしみ(ノイズ)が発生している。


 シキは傍らにいたトトの肩を叩き、彼の掌に素早く指先を走らせた。


『カイへ。障壁の右面を十五度傾け、熱を逃がせ。ガッザの杖のノイズは右に偏っている』


 トトは涙を拭い、シキの言葉を伝えるためにカイの背中へと駆け寄った。トトがカイの背中を叩き、全力でシキの指示を伝達する。カイはその言葉を信じ、一瞬の躊躇もなく、重力障壁の角度を右へと傾けた。


 その瞬間、カイの正面を焼き尽くそうとしていた極大の火炎が、傾けられた障壁の表面を滑るようにして、工房の天井へと逃げていった。轟音と共に天井の石材が崩れ落ちるが、カイへの直接の熱量負荷は劇的に減少した。シキの調律師としての眼力が、戦況をギリギリで繋ぎ止めたのだ。


 だが、ガッザの強欲と狂気は、その程度で収まるものではなかった。


「おのれ、小癪な真似を……!」


 ガッザは懐から怪しげな戦闘魔薬を取り出し、一気に煽った。ドクン、ドクン! と彼の心拍が異常な速度で跳ね上がり、魔力波長が毒々しい紫色の不協和音を帯びて膨れ上がる。魔薬による強制増幅。ガッザの肉体と同調した「赤熱の槍」の出力が、通常の二倍へと跳ね上がった。


 杖の先端が、もはや赤を通り越して、白熱する太陽のような光を放ち始める。


「すべてを焼き尽くせ! 赤熱の槍よ!」


 ガッザの絶叫と共に、限界を超えた極大の熱線が放たれた。それはもはや火炎ではなく、空間そのものを熱膨張で圧壊させるほどの、巨大な赤熱の熱線放射だった。工房の防壁が、その熱波に触れただけでドロドロに溶け始め、カイの展開していた重力障壁が、耳を劈くようなきしみ声と共に一瞬で粉砕された。


 凄まじい熱線の奔流が、防壁を突き破り、シキとアリアのいる奥の部屋へと向けて放たれる。大気が赤く染まり、古い時計塔の地下室全体が、今まさに一瞬で灰へと帰そうとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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