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静寂の歩行、光を拒む迷宮

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「本当に、足音がしないな……」


極寒の「星霜の森」の入り口。獣皮の防寒着を深く纏った狩人ハンスは、背後を歩く盲目の青年、ソウタを振り返り、驚嘆の溜め息を漏らした。


頭上を覆う結晶化した針葉樹の隙間から、冷酷な星光が降り注いでいる。気温はマイナス五十度。吐き出す息は瞬時に凍りつき、白い結晶となって足元へ落ちていく。平民であれば数分と持たずに肺まで凍りつく死の世界だ。だが、ソウタは白い麻布の目隠しをしたまま、凍りついた泥と割れた氷の地面を、まるで春の庭園でも歩くかのように音もなく進んでいた。


ソウタが履いているのは、自身の手で仕立てた「静寂の靴」だ。その薄い革底の裏には、大気中の音波を吸収し、物理的な振動を完全にニュートラルにする幾何学的な刺繍が施されている。一歩踏み出すたびに、指先から放たれる微細な魔力が靴底の糸へと流れ込み、地面との摩擦音を無に帰していた。


「ハンスさん、左前方に注意を。三メートル先に、凍結して鋭利になった枝が突き出ています。そこを避けて、右の岩陰を回り込みましょう」


「……お前、本当に目が見えないのか?」


ハンスは眉をひそめながら、ソウタの指示通りに身体を避けた。そこには確かに、闇に紛れて青く光る氷結晶の枝が、槍のように突き出ていた。


「耳と肌が、空気の震えを教えてくれるんです」


ソウタは静かに答えた。目隠しの奥で、彼の脳内には「点群脳内再現」の光景が広がっている。周囲三十メートルの空間――結晶化した樹木の輪郭、地面の起伏、漂う冷気の密度、そしてハンスの温かい肉体の輪郭が、数億の青い光の点として立体的に描き出されていた。視覚を失ったソウタにとって、この世界は光と影の幾何学そのものだった。


しかし、その美しい世界を維持するための代償は、ソウタの肉体を確実に蝕んでいた。


(右腕が……冷えていく)


ソウタは、上着の袖の中で震える右手をそっと握りしめた。闇医者ゲンジから託された「星氷融解の軟膏」のおかげで、一時的に指先の感覚は戻っている。だが、その薬効を維持するために消費される魔力と、極寒の森の冷気が干渉し、右手の親指から人差し指にかけて、皮膚が再び青く透き通り始めていた。因果の反噬――他人の運命を書き換えた代償が、じわじわと彼の命の芯を凍らせていく。


「ソウタ、ここから先は領主軍が打ち込んだ『魔導センサー』の警戒区域だ」


ハンスが声を潜め、前方の暗闇を指し示した。凍てついた大気の中に、不自然に整列した青い魔力の杭が地表から突き出ている。杭と杭の間には、肉眼では見えない極細の魔力の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。触れれば即座に、領主館の警報が鳴り響く仕組みだ。


「大規模な魔獣狩り、というのは建前ですね」


ソウタは点群世界の中で、その魔力の糸の配置を観察した。


「この糸の配置……侵入者を防ぐためではなく、森の内側から『何か』が逃げ出すのを監視するための幾何学です。領主アルフレッドは、森の深部で何かを隠している」


「とにかく、あのセンサーを越えなきゃ野生の星霜草の群生地には行けない。俺が足跡を雪で消しながら進む。お前は俺の歩幅に合わせろ」


ハンスが雪をかき分けようとした。だが、ソウタは素早くその肩を掴み、制止した。


「待ってください、ハンスさん。足跡を消しても意味はありません。あの杭が感知しているのは、物理的な痕跡ではなく、生物が発する『魔力熱源』です。雪を動かせば、逆に空気の温度変化が探知されます」


「じゃあ、どうする? 飛び越えることもできんぞ」


「僕の外套を」


ソウタは、自ら仕立てた灰色の「運命偽造の外套」の襟元に触れた。この外套には、自身の無宿命体「空」の性質を応用した特殊な刺繍が施されている。一時的に着用者の魔力排出量を「ただの凍りついた石」のレベルまで低下させることができるのだ。


「僕の影に重なって歩いてください。僕が空気の振動を仮縫いして、僕たちの熱源を周囲の冷気と同化させます。ただし、時間は一分が限界です。それ以上魔力を遮断すれば、僕たちの肉体そのものが本当に凍死します」


ハンスはソウタの目隠しを見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。盲目の仕立て屋が語る言葉は、この極寒の森よりも冷徹で、そして絶対的な説得力を持っていた。


「わかった。お前の背中にぴったり合わせる」


ソウタは深く息を吸い込み、右手の銀針をそっと外套の裏地に滑らせた。幾何学模様の結び目に微弱な魔力を流し込む。次の瞬間、ソウタの全身から立ち上っていた微かな体温と魔力の残滓が、まるで消灯されたかのように完全に消失した。


極限の寒さが、ソウタの皮膚を直接突き刺す。肺が凍りつくような痛みに耐えながら、彼は一歩を踏み出した。足音はない。「静寂の靴」が地面の振動をすべて吸い込んでいく。ハンスはソウタの背中に完全に重なり、その影に隠れるようにして、魔導センサーの杭の間をすり抜けていった。


一歩、二歩、三歩。杭から放たれる青い探知光が、ソウタの外套の表面をかすめる。だが、スキャナーは彼らを「ただの凍りついた岩石」と認識し、警報を鳴らすことはなかった。


センサーの境界線を越えた瞬間、ソウタは外套の魔力遮断を解除した。激しい呼吸と共に、温かい血が全身を駆け巡る。ハンスは膝をつき、激しく喘いだ。


「死ぬかと思ったぜ……。お前、本当に人間か?」


「ただの仕立て屋ですよ、ハンスさん」


ソウタは冷たくなった右手をさすりながら、静かに微笑んだ。だが、彼らの安堵は長くは続かなかった。


――ウゥゥ……。


地を這うような、不気味な獣の唸り声が、凍てついた霧の奥から響いてきた。ソウタの「点群脳内再現」が一瞬にして警告の赤色に染まる。


「しまっ――」


ソウタが叫ぶより早く、ハンスが彼の身体を近くの巨大な岩石の影へと突き飛ばした。二人は雪の中に身を伏せ、息を殺した。


霧の奥から現れたのは、青く輝く鎧を纏った軍勢――領主直属衛兵団のパトロール隊だった。その先頭を歩くのは、重厚な「氷霜の鎧」を身にまとった冷酷な隊長、ブラッド。そして彼の傍らには、鎖に繋がれた三頭の「魔導犬」が、雪の上に鼻を押し付け、不気味な咆哮を上げていた。


魔導犬の瞳は赤く発光し、大気中に漂う微弱な「魔力の匂い」を追跡している。ソウタたちがセンサーを突破した際の一瞬の魔力変化を、鋭敏に察知したのだ。


「何かいるな」


ブラッド隊長の冷酷な声が、凍りついた静寂を切り裂いた。


魔導犬たちが風上の匂いを嗅ぎ、ソウタたちが隠れている岩陰に向かって、一斉に鋭い牙を剥き出しにした。

HẾT CHƯƠNG

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