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悪鬼の覚醒、十悪の祠の誓い

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悪人谷(あくにんがい)を包む濃密な毒霧が、紅蓮の炎によって引き裂かれていく。乾坤剣派(けんこんけんぱ)の「影追衆(かげついしゅう)」が放った無数の火矢は、宋仁(ソ・ジン)が密告した毒霧の死角を正確に貫き、谷のいたる場所を地獄の業火へと変えていた。


「燃やせ! 悪人の巣窟を、一人残らず根絶やしにせよ!」


 炎の向こうから、正道を騙る者たちの傲慢な叫び声が響く。住人たちの悲鳴と、肉が焼ける嫌な匂いが風に乗って漂ってきた。かつて「乾坤剣派」の天才弟子でありながら、陸傲山(リク・ゴウザン)の陰謀によって経脈をズタズタに断たれ、廃人としてこの崖底に落とされた落子夜(ラク・シヤ)は、燃え盛る広場の片隅で漆黒の「鉄爺の黒鉄湾刀(てつじいのこくてつわんとう)」を地面に突き立て、かろうじて身体を支えていた。


「ごふっ……!」


 子夜の口から、どす黒い血が激しく吐き出される。宋仁を処刑するために「十悪魔功・第一重(どくけつじゅんかん)」の毒真気を過剰に使用した代償は、彼の不完全な疑似経絡を容赦なく破壊し、五臓六腑を内側から締め上げていた。さらに、万年氷床(マンネンヒョウショウ)の冷気がもたらした「寒毒(かんどく)」が、急激な火災の熱気との寒暖差によって暴走を始め、両足の骨に万本の針を突き刺されたような激痛を走らせる。一歩を動かすことすら、骨が砕けるような苦痛を伴った。彼の左腕は、魔功の副作用によって不気味な灰色に変色し、すでに完全に感覚を失って力なく垂れ下がっている。


「子夜! ぐずぐずするな、先遣隊がもうこの広場を包囲し始めてるぞ!」


 風万里(フウ・バンリ)が、右腕の傷から血を流しながら、炎の霧を切り裂いて駆け寄ってきた。その背後、炎に包まれる剣塚の物陰から、うごめく無数の骨格が子夜の「絶対骨格感知(ぜったいこっかくかんち)」の視界に光る線となって浮かび上がる。乾坤剣派の精鋭たちだ。


「……祠(ほこら)へ行く」


 子夜は奈落の底から響くような低い声で呟いた。感覚の消えた左腕を、引き裂いた黒い長衣の布で胴体に硬く縛り付け、右腕一本で重い黒鉄湾刀を握り直す。一歩歩くたびに、足の骨がみしみしと不気味な音を立てて軋んだが、「無痛の肉体」の呼吸法がその悲鳴を冷徹に遮断していた。彼が向かったのは、谷の最深部にひっそりと佇む「十悪の祠(じゅうあくのほこら)」だった。


 石造りの重厚な祠の扉を押し開けると、外の喧騒が嘘のように遮断され、冷たくて不気味な静寂が子夜を包み込んだ。祠の奥には、悪人谷を創設した十人の怪人「十悪」が、影のように並び立っていた。魔僧・空寂(クウジャク)の狂気を孕んだ隻眼、千毒手・妙姑(ミョウコ)の焼けただれた不気味な顔。そして、かつて万毒坑の底で子夜に解剖針を突き刺されて麻痺し、そのまま放置されていた小蛇(ショウジャ)もそこにいた。だが、今の小蛇の瞳に宿っているのは、かつての嫉妬ではない。目の前で宋仁を完璧な知略と凄惨な毒刃で粛清した子夜に対する、歪んだ、しかし絶対的な「敬意」の光だった。


「戻ってきたか、我らの最高傑作よ」


 空寂が、首にかけた頭蓋骨の数珠をがちりと鳴らし、冷酷に微笑んだ。


「外の偽善者どもがお前の命を刈り取りにきた。ここで犬のように死ぬか、それとも悪鬼としてすべてを喰らい尽くすか、選ぶ時間はもうないぞ」


「お師様方……」


 子夜は重い足取りで、祠の中央に鎮座する血塗られた石壇へと歩み寄った。彼の疑似経絡は崩壊寸前であり、呼吸をするたびに肺が焼けるように痛む。だが、彼の瞳に宿る緑色の光は、決して消えることはなかった。


「俺に、あの偽善の門派を、陸傲山を地獄へ引きずり落とす力をくれ。そのためなら、この肉体が泥のように溶け落ちようとも構わない」


「いい目をしているねぇ、子夜」


 妙姑がしわがれた声で不気味に笑い、一本の古い黒い油紙の巻物を石壇の上に置いた。それこそが、十人の怪人が共同で執筆した禁断の書「十悪の秘伝書・第一巻(じゅうあくのひでんしょ・だいいっかん)」だった。その横には、鋼鉄の芯が入った粗末な藁人形――「十悪の身代わり人形(じゅうあくのみがわりにんぎょう)」が置かれている。


「ならば、血誓を立てよ。我らの技をすべて受け継ぎ、悪人谷の徒として生きることを、その血をもって誓うのだ」


 子夜は躊躇うことなく、黒鉄湾刀の刃を自身の右手のひらに押し当て、深く切り裂いた。滲み出たのは、万毒坑の試練によって黒く変色した、猛毒を帯びた血液だった。彼はその黒い毒血を、石壇の表面に刻まれた不気味な術式へと直接注ぎ込んだ。


 ジュウウウ、と石が焼ける不気味な音が響き、注がれた毒血が黒紫色の怪しい光を放ち始める。血誓の儀(けつせいのぎ)の起動。その瞬間、子夜の胸元に、十悪の紋章である黒い蓮華の傷跡が不気味に浮かび上がり、彼の魂と疑似経絡に、裏切りの際の経脈破裂死を規定する絶対の呪いが刻み込まれた。


 同時に、石壇の上の「十悪の秘伝書・第一巻」がひとりでに開き、内部に記された「砕骨血功」の完成された口訣が、真気の波動となって子夜の脳内へ爆発的に流れ込んできた。断裂した経脈の隙間を、鋼鉄以上の強度で強制的に再結合する、血功の真理。


「ぐ、あああああああッ!」


 子夜は頭を抱え、処刑台での激痛をも超える凄まじい精神的衝撃に絶叫した。体内の疑似経絡が急激に自転を始め、暴走する血気が彼の骨の髄へと力強く浸透していく。そのあまりの負荷に、子夜の長く伸びた黒髪の数束が、一瞬にして雪のように白い白髪へと変色していった。寿命が急速に削り取られていく物理的な代償。しかし、彼の右腕には、かつてないほどの圧倒的な剛力と、十悪のすべての意志を背負った魔功の真気が満ち溢れていた。


「……行くぞ」


 子夜は秘伝書を懐に収め、身代わり人形を腰に差し、漆黒の湾刀を引き抜いた。祠の石扉が再び開かれ、外の燃え盛る炎と、影追衆の殺気が彼を迎え入れる。彼の瞳は、完全に人間性を捨て去った「悪鬼」のそれへと変貌していた。


 祠の外に出た瞬間、炎の霧を切り裂いて、影追衆の先遣隊十数人が落子夜を取り囲んだ。彼らは白い麻布を頭に巻き、乾坤剣派の洗練された剣を構えている。


「出たな、悪人谷の魔徒め! 雷烈長老の命令に基づき、ここで成敗してくれる!」


 先遣隊の指揮官が叫び、一斉に剣を突き出してきた。その美しい「乾坤十三剣」の軌跡が、子夜の「絶対骨格感知」の視界の中で、あまりにも遅く、隙だらけの光る線として視認される。


(風無痕の影歩、夜魅の暗器。敵の死角は、そこだ)


 子夜は「無影息(むえいそく)」を発動し、自身の呼吸と心音を、周囲の炎が爆発する轟音に完璧に同調させた。一瞬にして、敵の感覚から子夜の存在が消え失せる。


「なっ、消えた……!?」


 敵が動揺した瞬間、子夜は「影歩(えいほ)」を起動。寒毒に蝕まれた足の激痛を無痛の肉体でねじ伏せ、地面の摩擦音を完全に消去して、敵の包囲網の死角へと滑り込んだ。彼の右手が瞬時にスナップを利かせ、袖口から極細の「黒鋼解剖針」を扇状に放つ。「暗器百花乱舞(あんきひゃっかりょうらん)」の執行。


 シュシュシュッ!


 音もなく放たれた無数の針が、前方いた五人の弟子の膝や肘の関節の隙間に、寸分の狂いもなく突き刺さった。彼らは悲鳴を上げる間もなく、真気の流れを遮断されてその場に崩れ落ちる。関節を麻痺させられた彼らは、ただ泥のように地面を這いずることしかできない。


「化け物め! 死ね!」


 背後から、先遣隊の副隊長が乾坤剣派の強力な剣気を放ちながら突進してきた。その刃が子夜の背中に迫る。だが、子夜は避ける動作すら行わなかった。いや、寒毒による足の硬直で、物理的に避けるのが遅れたのだ。


 ドゴォォォンッ!


 強烈な剣気が子夜の背中を直撃した。しかし、鋭い衝撃波が彼の肉体を切り裂く直前、子夜の懐に隠されていた「十悪の身代わり人形」が、不気味な黒い光を放って物理的に身代わりに砕け散った。致命傷は完全に吸収されたが、剣気の凄まじい衝撃波が子夜の胸骨を直撃し、彼の呼吸が一時的に完全に停止する。激しい喀血とともに、子夜は前方に吹き飛ばされた。


「やったか!?」


 敵が勝利を確信したその一瞬、地面に這いつくばった子夜の口から、どす黒い血液が激しく滴り落ちた。その血液は、地面に触れた瞬間にジュウジュウと不気味な音を立てて沸騰し、周囲の空気を腐食性の紫色の霧へと変えていく。千毒血刃(せんどくけつじん)の自動発動。


「う、うわああああッ! 足が、足が溶ける!」


 近づこうとした弟子たちの靴や衣服が、地面に広がった毒血の霧に触れた瞬間から黒く焼けただれ、肉を激しく腐食させ始めた。広場は一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わる。敵の陣形は完全に崩壊し、極限のパニックが彼らを支配した。


「終わりだ」


 子夜は立ち上がり、黒鉄湾刀を両手で握り締めた。彼の疑似経絡を流れる完成された「砕骨血功」の真気が、湾刀の黒い刃に不気味な血のオーラを纏わせる。狂屠(キョウト)直伝の「血染湾刀術(けつせんわんとうじゅつ)」。


 漆黒の湾刀が、炎の赤を吸い込むように不気味に黒く輝き、一気呵成に振り下ろされた。美しさを一切排除し、ただ敵の武器を叩き折り、肉を削ぎ落とすことに特化した質量の一撃。


 ギィィィンッ!


 金属が粉々に砕け散る爆音が響き渡り、乾坤剣派の洗練された剣が、その重心から真っ二つに叩き折られた。折れた刃の破片が飛び散る中、漆黒の湾刀はそのまま副隊長の首を骨格の継ぎ目から綺麗に撥ね飛ばした。血飛沫が炎に照らされ、不気味な雨となって降り注ぐ。


 子夜は止まらなかった。右腕一本で重い湾刀を振り回し、逃げ惑う先遣隊の弟子たちの関節を正確に切り裂き、その首を次々と撥ねていった。彼が通った後には、ただ黒く溶け落ちる死体と、首を失った骸の山だけが残された。正道が掲げる「正義」の軍勢は、悪人谷の「悪鬼」が放つ圧倒的な暴力の前に、一瞬にして全滅したのだ。


 炎上する悪人谷の広場に、再び息の詰まるような静寂が戻ってきた。生き残った谷の住人たちは、炎の向こうに立つ落子夜の不気味な白髪混じりの姿を見つめ、恐怖のあまり誰もが息を呑んでいた。彼らは確信した。この少年は、自分たちを売ろうとした宋仁を処刑し、迫り来る正道の大軍を一人で壊滅させた、真の悪鬼なのだと。


「ごふっ……はっ、はぁ……」


 子夜は湾刀を地面に突き立て、激しく咳き込んだ。喉から流れる血は、以前よりも黒く、不気味な毒の香りを漂わせている。彼の髪の半分は、すでに完全な白髪へと変わっていた。魔功を極限まで活性化させた代償は、彼の肉体を内側から確実に蝕んでいた。


 だが、彼の復讐劇は、まだ始まったばかりだった。


 子夜は口元の血を乱暴に拭い、谷の出口である「悪人谷の毒霧の境界(あくにんがとのどくむのきょうかい)」へとゆっくりと歩みを進めた。風万里が物陰から姿を現し、無言で彼の背後に従う。彼らが目指すのは、正道の支配地域である中原。かつて自分を陥れ、家族を虐殺した「乾坤剣派」の偽善者たちを、一人ずつ地獄の底へと引きずり落とすための旅路の始まりだった。


 しかし、谷の出口を塞ぐ濃い毒霧の境界に近づいた瞬間、子夜の「絶対骨格感知」の視界が、前方の霧の中に佇む、極めて冷たく、強固な骨格の群れを捉えた。


 霧の向こう、出口を塞ぐように、峨眉派(がびは)の静空(セイクウ)が率いる「辺境追跡隊」が、周囲の空気ごと毒霧を凍らせるほどの強固な「寒氷の陣」を展開して待ち構えていた。その中心には、凍てつく「寒霜剣」を構えた若き天才女剣士・冷心(レイ・シン)の骨格が、静かに、しかし絶対的な殺気を放ちながら立っていた。


 谷の出口を塞ぐ、正道の冷酷な防衛線。落子夜は漆黒の湾刀をさらに強く握り締め、凍てつく霧の向こうを見据えた。彼の瞳に宿る緑色の光が、新たなる死闘を予感させるように、凶暴に揺らめいた。

HẾT CHƯƠNG

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