魔導鍛冶と、不器用な竜王の執着
昨夜、帝国騎士団長レオンハルトが放った白銀の衝撃波によって、私の『クロノス時計工房』の一階店舗は見るも無惨な有様になっていた。
割れたショーケースのガラスが床一面に散乱し、繊細な時計の真鍮ギアやゼンマイが埃にまみれて転がっている。私は朝からほうきを手に片付けに追われ、十四歳の見習い少年テオの手の傷に包帯を巻き終えたところだった。
「テオ、今日は無理をしないで。奥の部屋で休んでいてね」
「でも、姉ちゃん……。あの壊されたショーケース、おじいちゃんが大切にしてたやつだろ? 僕も手伝うよ」
「いいの。それより、壊された魔導回路を修復するための素材が完全に底を突いちゃったわ。隣のルーカス親方のところに行って、必要なものを分けてもらってくる」
私が作業用エプロンの紐をきつく締め直した、その時だった。
リビングの薄暗い隅から、低く地響きのような声が鼓膜を震わせた。
「……人間、どこへ行く」
あぐらをかいたまま、不機嫌そうに金の瞳を光らせたのは、竜王ドラグニルだった。彼の赤い髪の隙間から覗く強靭な角は、私との『寿命共生接続』によって一時的に微弱な輝きを取り戻している。だが、彼らは私から数メートル以上離れれば、数分で再び『秒生者』の極限状態へと転落し、急速に老衰して死に至る呪縛の最中にある。
「隣の鍛冶屋よ。すぐそこだから、ついてこなくていいわ」
「だめだ。お前が俺の視界から消えることは許さん。お前が死ねば、俺も死ぬのだろう。人間はすぐに壊れる。俺が直々に監視してやる」
ドラグニルは不器用に、しかし狂おしいほどの執着を隠そうともせず、巨体を縮めるようにして私を睨みつけた。彼はかつて、力ずくで私から寿命を奪い返そうとして激しい拒絶反応を起こし、血を吐いた過去がある。直接の暴力が不可能だと理解してからは、このように「監視」という名目で私を独占しようとするのだ。
私はため息をつき、引き出しから『覇王の魔力伝導手袋』を取り出して両手にはめた。極薄の魔導繊維で作られたこの手袋があれば、彼らの強大な魔力が私の指先に直接過負荷をかけるのを防ぎ、マイルドに伝導させることができる。これなしで彼らに触れ続ければ、私の華奢な肉体はいつかガラスのように結晶化して崩壊してしまうのだ。
「わかったわ。でも、鍛冶屋の中では静かにしていてね」
私はドラグニルを従え、隣にある『街の鍛冶工房・ルーカスの店』へと向かった。一歩店に入ると、凄まじい熱気と金属を叩く重厚な音が五感を支配する。スキンヘッドに豊かな赤髭を蓄えた巨漢、ルーカス親方が、汗を流しながら巨大なハンマーを振るっていた。
「おお、ステラ! 昨夜はえらい騒ぎだったな。マルクスから聞いたぞ、ごろつきどもを叩き出したそうじゃないか」
「ええ、ルーカス親方。ちょっとお店が壊れちゃって……。今日は『魔導エーテルオイル』と、できれば『クロノス鉱石』を分けてもらいにきたの」
「エーテルオイルか。あれは高価だが、ギデオンの孫娘のお前になら、いくらでも融通してやる。ちょっと奥の倉庫を探してくるから、そこで待ってな」
ルーカスが奥へ引っ込んだ隙に、私はドラグニルの腰にぶら下がっている古い白い角笛に目が留まった。それは彼の竜骨から削り出されたという小さな角笛だった。
「……触るな、人間」
ドラグニルが低く警告したが、私は引き寄せられるように、手袋をはめた指先でその角笛の表面にそっと触れてしまった。
その瞬間、私の脳裏に、固有能力である『時の声を聞く力』が強制的に起動し、過去のビジョンが濁流のように流れ込んできた。
――燃え盛る巨大な竜の城。黄金の王座。人間の王族たちが、友好の同盟を装いながら、ドラグニルに差し出された杯に毒を盛る光景。
『愚かな竜王め。これで貴様の強大な寿命と力は、我々人間のものだ』
同胞を皆殺しにされ、信じていた人間に裏切られたドラグニルの、引き裂かれるような絶望と激しい人間不信の記憶。彼が人間にこれほどまでに心を閉ざし、それでいて私にだけは不器用に縋りつく理由が、その瞬間に痛いほど理解できた。
「……ステラ?」
ドラグニルが、私の琥珀色の瞳に浮かんだ涙を見て、怪訝そうに顔を覗き込んできた。私は慌てて指を離し、首を振る。
「なんでもないわ。……ただ、あなたの痛みが、少しだけわかった気がして」
「戯言を。人間に俺の何がわかる」
彼は傲慢に鼻を鳴らしたが、その金の瞳の奥には、かすかな動揺が走っていた。
ルーカスからエーテルオイルと鉱石を受け取った私は、不足している他の精密パーツと今日の食料を調達するため、ルミリオンの青空市場へと足を向けた。ドラグニルは私の後ろを「尾行」しているつもりらしいが、二メートルを超える逞しい体躯と、隠しきれない竜の覇気は、市場のカラフルな屋台の陰に隠れても全く隠れ切れていない。周囲の買い物客が、その圧倒的な美貌と威圧感に怯えて道をあけていく。
「ステラ!」
活気ある市場の雑踏をかき分けて、聞き慣れた爽やかな声が響いた。短い茶髪に街の警備隊の青い制服を凛々しく着こなした青年――私の幼馴染であり、警備隊長を務めるマルクスだった。
「マルクス。パトロール中?」
「ああ。昨夜、君の店がごろつきに襲われたと聞いて、心配で飛んできたんだ。テオは大丈夫か? ……って、ステラ、顔色が悪いぞ。酷く疲れているじゃないか。ほら、荷物を持ってやる。少し肩を貸そう」
マルクスは心から私を心配し、親しげに私の肩を支えるようにそっと手を添えた。幼馴染としての、他意のない温かい接触だった。
しかし、その瞬間、市場の空気が一変した。
チリ、と肌を灼くような熱波が周囲の空間に走り、気温が急上昇を始める。
「……っ!?」
物陰からその様子をじっと見つめていたドラグニルの金の瞳が、激しい嫉妬と怒りによって、血のような赤色に染まっていた。彼の足元の石畳が、漏れ出た竜の熱量によってミシミシと音を立ててひび割れていく。
「その汚い手で……俺の番(つがい)に触れるな……!」
ドラグニルの口元から、超高熱の『竜気の呼吸』が周囲に漏れ出した。市場の気温は一瞬にして沸点近くまで跳ね上がり、屋台に並ぶ新鮮な野菜や果物が一瞬で干からびていく。周囲の住民たちは「息が……苦しい……!」「熱い、助けてくれ!」と胸を押さえてバタバタと倒れ始め、市場は一瞬にしてパニックに陥りかけた。
「何だ、この異常な熱気は!? 敵襲か!」
マルクスが即座に『忠誠の鉄剣』を引き抜き、ドラグニルに向かって構えた。「ステラ、俺の後ろに隠れろ! この大男、普通じゃない!」
「待って、マルクス! 剣を収めて!」
私が叫んだが、遅かった。マルクスがドラグニルに一歩近づこうとした瞬間、ドラグニルが放つ圧倒的な竜王の覇気だけで、マルクスの鉄剣は熱に耐えかねてチリチリと音を立ててひび割れ、近づくことすらできずに赤く焼けてしまった。
「くっ……、剣が……!?」
ドラグニルの怒りは頂点に達していた。彼にとって、私は自分の命を繋ぐ唯一の光であり、誰にも渡したくない絶対の存在だ。彼の不器用な独占欲が、ルミリオンの街そのものを熱波で崩壊させかねない勢いで暴走していく。
(力で彼を止めることはできない。彼の人間への恐怖と、私を失いたくないという極限の寂しさを満たすには、これしかない……!)
私は『覇王の魔力伝導手袋』をはめた両手を広げ、制止しようとするマルクスを突き抜けて、ドラグニルへと真っ直ぐに走り寄った。
そして、無防備な彼の逞しい腰に、後ろから全力で抱きついた。
「ドラグニル! 落ち着いて、私はここよ! あなたの目の前にいるわ!」
私の胸元に埋め込まれた『命の魂砂時計』を、彼の背中に強く押し当てる。手袋を通じて、私の心臓の鼓動を彼の荒れ狂う心拍と同調させ、砂時計の寿命エネルギーを彼へと還流させた。
その瞬間、暴走していた熱波が、私の砂時計の魔力と同調(ライフ・リンク)したことで急速に中和されていく。周囲を焼き尽くそうとしていた恐るべき熱は、まるで春の陽だまりのような、心地よい温もりへと変換された。
「……ステラ……?」
ドラグニルが凍りついたように動きを止めた。彼の金の瞳が大きく見開かれ、背後から自分を強く抱きしめる私の体温を、本能的に貪るように感じ取っている。
「私はどこにも行かないわ。あなたの手を離さない。だから、その力を収めて……お願い」
彼の耳元で優しく囁くと、ドラグニルは顔を真っ赤に染め、ぶつぶつと不満を漏らしながら竜気を完全に収めた。
「……お前が、俺のそばから一歩でも離れるのが悪い。俺は、お前を誰にも渡さん」
彼はそっぽを向きながら、私の持っていた重い魔導エーテルオイルや金属パーツの袋を強引に奪い取るようにして抱え、私の荷物持ちとして不器用に甘んじるのだった。その姿は、まるで主人に褒められたくて従順になった大きな獣のようだった。
マルクスは、その圧倒的な破壊力を持つ大男が、ステラの一言と抱擁だけで大人しくなった姿を見て、驚愕のあまり言葉を失っていた。そして、赤く焼けた自身の剣を見つめ、脳裏に古い伝説に語られる「竜王」の姿を重ね合わせていた。
(あの大男……ただの居候じゃない。まさか、伝説の……)
私たちは、静まり返った市場を後にして、工房への帰路についた。ドラグニルは不機嫌そうに荷物を抱えつつも、私の隣をぴったりと寄り添うように歩いている。その距離は、先ほどよりも確実に近くなっていた。
しかしその時、私の背筋に、氷を突きつけられたような冷たい戦慄が走った。
市場の喧騒の裏、古い時計塔の長い影から、私たちの様子をじっと見つめる、冷酷な『暗殺者』の視線が存在していた。
その視線に共鳴するように、私のポケットの中の『ギデオンの壊れた懐中時計』が、チリチリと不吉な振動を返し始めるのだった――。
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