男神たちの内職と、秘められた嫉妬のグラフ
「――繰り返しますが、我がグランツ領主府の金庫は現在、完全に底をついています」
冷え切ったグランツ伯爵邸の居間。ユリア・グランツは、使い込まれた厚い羊皮紙の帳簿――『グランツ家の家計簿』を机の上に広げ、冷徹な声を響かせた。窓の外では、まだ厳しい冬の風がすきま風となって石造りの壁を叩いている。
悪徳親族ギルバートを法的論破で追い返したものの、彼が残した「ヴァルター侯爵による一括返済命令」の猶予はわずか数日。金貨千枚という莫大な現金を調達しなければ、この屋敷も領地もすべて没収されてしまう。まさに破産寸前の崖っぷちだった。
「そこで、本日より我が家における『超・節約令』をさらに強化します。当然、ただで飯を食う居候は一人たりとも認めません」
ユリアは銀縁の眼鏡を指先で押し上げ、居間の長椅子に並んで座る五人の美男神たちを鋭く見据えた。天界でのクーデターに敗れ、神力を奪われて地上に墜落した彼らは、今やただの「恐ろしく顔が良くて大食いな人間」に過ぎない。空腹のあまり、全員が死にそうな表情でユリアを見つめ返している。
「おい、小娘。俺たちを飢え死にさせる気か? 昨日から薪ばかり割らされて、俺の自慢の筋肉が悲鳴を上げてるんだぞ!」
赤髪を乱暴にかきむしりながら、闘神レグスが不満げに吼えた。彼の胃袋からは、抗議するように「ぐうう」と大きな音が響く。神力を失った彼の肉体は、一般人の数倍のエネルギーを消費する、我が家計簿における最大の赤字要因だった。
「レグス様、労働の対価は保証します。本日より、あなた方には『日給制』を導入します」
ユリアは机の上に、チャリンと音を立てて五枚の硬貨を並べた。鈍い銀色の輝きを放つ、それは紛れもない【帝国銀貨】だった。
「日給は一律、帝国銀貨一枚。働いた者にのみ支払われます。働かざる者食うべからず、それがグランツ家の第1条です」
「なっ……! 余を誰だと思っている! 天界を統べる主神たるこのオーディンに、そのようなはした金で泥仕事をしろと言うのか!?」
白銀の髪を揺らし、傲慢な態度で立ち上がったのはオーディンだった。神力がなくとも、その王者としての風格と威圧感は健在だが、ユリアには一切通用しない。
「王としての存在感だけでは、ジャガイモ一つすら買えません、オーディン様。ノーワーク・ノーペイです。労働を拒否されるのでしたら、本日の夕食は抜きとなります。セバス、彼の分のスープの準備は不要です」
「かしこまりました、お嬢様。本日のゲオルグ特製塩漬け肉のスープは、四人分として計算いたします」
背後に控える老執事セバスが、完璧なマナーで一礼する。スープに肉が入ると聞いた瞬間、オーディンの美しい顔が屈辱と空腹で引きつった。
「ぐっ……お、おのれ、不遜な小娘め……! 余に何をさせようというのだ!」
「馬小屋の掃除と、老馬のブラッシングです。厩務員のディーターの指示に従ってください」
「主神であるこの余に、馬の糞尿の処理を……!?」
オーディンは絶望的な表情を浮かべたが、胃袋の悲鳴には勝てず、しぶしぶと居間を出て馬小屋へと向かっていった。その無様な後ろ姿を見送りながら、ユリアは残りの神々に本日のタスクを言い渡した。
「レグス様は引き続き裏庭での薪割り。本日のノルマは八十束です。ゼノ様は裏庭の雑草刈りと、枯れ枝の剪定。バルドル様はエリザの手伝いとして、屋敷全体の床磨きをお願いします。そして、エルメ様は――」
「おや、私は何をお手伝いすればいいのかな? 可愛い主様(マイレディ)」
ゆるやかにウェーブした緑がかった銀髪を揺らし、知恵神エルメが胡散臭いほど美しい微笑みを浮かべてユリアに急接近した。彼は机に両手を突き、ユリアの顔を覗き込むように距離を詰める。エメラルドグリーンの瞳が、いたずらっぽく輝いていた。
「あなたには、私の隣で帳簿の整理を手伝っていただきます。元宮廷会計士の私の計算スピードについてこられる知性があるのは、あなただけですから」
「おや、それは光栄だね。君の隣を独占できるなら、喜んでこの知恵を捧げよう」
エルメが甘い吐息を吐きながら、ユリアの耳元で囁いた。その瞬間、ユリアは懐から愛用の『銀縁の会計眼鏡』を取り出して耳にかけた。レンズの奥で、微弱な魔力鑑定回路が起動する。
ユリアの視界が切り替わった。眼鏡の特殊能力によって、神々の頭上にカラフルな棒グラフが出現する。それは、彼らがユリアに対して抱く感情をリアルタイムで数値化した【感情の視覚化グラフ】だった。
エルメの頭上を見る。
【感謝:20%】【独占欲:50%】【嫉妬:40%】
(……なるほど。知恵神は私をからかいながらも、裏ではかなり計算高い執着を抱いているようですね)
ユリアが冷静に分析していると、居間の隅の影から、漆黒の長髪を持つ影神ゼノが音もなく実体化した。彼の深い紫色の瞳は、ユリアに急接近しているエルメを冷酷に睨みつけている。その瞬間、ゼノの頭上のグラフが激しく明滅した。
【嫉妬:80%】
(ゼノ様の嫉妬値が急上昇しています。これはまずいですね。彼らの嫉妬が暴走すれば、領地の気象や環境に悪影響を及ぼします)
「ゼノ様、どうかしましたか?」とユリアが問いかけると、ゼノは無表情のまま、すっと視線を裏庭へと向けた。
「……裏庭の雑草、すべて刈り終えた」
「え? まだ作業を開始して十分も経っていませんが……」
ユリアが不審に思って窓の外を見ると、裏庭を覆い尽くしていた頑固な雑草が、まるでカミソリで刈り取られたかのように、完璧に更地になっていた。だが、地面の影が不自然に波打っている。ゼノは、ユリアの関心をエルメから逸らすため、無意識に自身の影の魔力――【影の庭園管理】の権能を使って一瞬で作業を終わらせたのだ。
ユリアは眼鏡の奥の瞳を細め、家計簿のページを鋭くめくった。
「ゼノ様。我が家の家計の掟、第2条を忘れたわけではありませんね?」
「……第2条?」
「【無断神力使用の罰金制度】です。教会の追跡を防ぐため、また魔力の浪費を防ぐため、私の許可なき神力の使用は一回につき、翌日の『おかずの肉を一品減額』します。ゼノ様、あなたは今、明らかに影の魔力を使いましたね?」
その宣告を聞いた瞬間、ゼノの頭上のグラフがさらに紫色に染まった。
【嫉妬:90%】【絶望:70%】
「……主(ユリア)のために、やったのに。肉が減る、のは……悲しい」
普段は寡黙で冷徹な暗殺の神が、肉の減額を告げられて子犬のように肩を落とす姿は、シュール極まりない。だが、ユリアは一切の妥協を許さない。
「ルールはルールです。ですが、今回は作業の迅速さを評価し、罰金は保留とします。その代わり、次のタスクに移ってください」
「……わかった。主の言う通りにする」
ゼノは一瞬で表情を和らげ(嫉妬値が50%に低下)、再び影の中に溶けるようにして裏庭へと去っていった。
「ははは、相変わらず手厳しいね、マイレディ。でも、そんな冷たい君も実に魅力的だ」
エルメは楽しげに笑いながら、ユリアの隣の椅子に腰掛けた。彼はユリアの『手書きの家計簿』を覗き込み、美しい指先でユリアの眼鏡のフレームに軽く触れた。
「さあ、レオンが仕掛けてくるであろう経済封鎖に備えて、この領地の『本当の資産』を整理しよう。私の知恵を、君のその美しい帳簿にどう書き込んでくれるのかな?」
エルメのウェーブした銀髪から、微かにハーブのような甘い香りが漂い、ユリアの頬をかすめる。彼の距離感は、明らかに「手伝い」の域を超えていた。エルメの頭上の【独占欲】のグラフが、静かに上昇していく。
その時だった。
ズズズ、と居間の床から伸びる影が不自然に蠢き、部屋全体の気温が急激に低下し始めた。ゼノが裏庭から、影を介して強烈な嫉妬の波動を送ってきているのだ。
さらに、裏庭の方向から――。
――ドゴォォォォン!!!
地響きのような、凄まじい破壊音が屋敷全体を揺らした。地上の物理法則を無視したような衝撃に、居間の窓ガラスがビリビリと激しく震える。
「な、何事ですか!?」
ユリアが慌てて眼鏡をかけ直し、窓の外を凝視する。裏庭では、赤髪の闘神レグスが、巨大な丸太を素手で真っ二つに叩き割り、その拳から凄まじい闘気を立ち昇らせていた。彼の頭上の【嫉妬】のグラフは、すでに測定不能の真っ赤な領域に達している。
「おい! 小娘! 薪割りが終わったぞ! おい、こっちを見ろ! 俺のこの筋肉と成果を、ちゃんとその帳簿に記録しやがれ!!」
レグスは引き裂かれた丸太の山の上で、己の強靭な肉体を誇示するように、ユリアに向かって吼えていた。エルメがユリアに急接近したことに激怒し、力技で彼女の視線を奪おうとしたのだ。
「……はぁ。神々の嫉妬心は、労働意欲の燃料としては優秀ですが、我が家の備品の耐久値にとっては完全な『負債』ですね」
ユリアは、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。家計簿の余白には、神々の不器用な労働によって破損した箒やバケツの修繕費(帝国銀貨二枚分)の赤字が、早くも記帳されようとしていた。神々を養うための内職は順調に進んでいるが、現金の調達期限は刻一刻と迫っている。
その時、居間の扉が勢いよく開き、息を切らした厩務員の少年ディーターが飛び込んできた。
「ゆ、ユリア様! 大変です! エルム村で、原因不明の奇妙な疫病が流行り始めて……領民たちがパニックになっています!」
その知らせを聞いた瞬間、ユリアの脳裏に、ヴァルター侯爵の卑劣な笑顔がよぎった。領地の経済活動が完全に停止しかねない、新たなる巨大なプレッシャーが、没落令嬢と五人の神々へと襲いかかろうとしていた。
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