数字の牙、悪徳親族を撃退せよ
「おいおい、没落したグランツ家の哀れな生き残りのお嬢様よぉ! 従兄のギルバート様が、親切にも『借金の取り立て』に来てやったぞ! さっさと門を開けな!」
凍てつく朝の空気を切り裂き、グランツ伯爵邸の古びた正門を乱暴に叩く音が響き渡る。木製の門扉が悲鳴を上げるたび、積もった雪がハラハラと舞い落ちた。
「……朝から騒がしい不良債権ですね」
ユリア・グランツは、冷徹な声音で呟いた。彼女の傍らでは、真っ白に洗い上がったシーツを大切そうに抱えた光神バルドルが、琥珀色の瞳を不安げに揺らしている。井戸端から移動してきたユリアの背後には、一分の隙もない漆黒の執事服を纏った老家令セバスが、静かに控えていた。
「お嬢様、お下がりください。あのような無作法な輩、私が即座に叩き出してまいります」
「いえ、セバス。門を壊されては、その修繕費が我が家の極貧家計をさらに圧迫します。私が直接対応します。バルドル様、そのシーツを汚さないよう、屋敷の中へ」
「えっ、でも、お嬢さん……! あいつら、君に酷いことをしに来たんだろ? 僕が光の力で追い払ってあげるよ!」
「あなたの神力は現在〇・一%です。無駄な魔法消費は翌日の『おかず減額』の対象になりますよ」
「うっ……それは困る、けど……」
バルドルが唇を噛んで引き下がるのを見届け、ユリアは毅然とした足取りで正門へと向かった。セバスが重い閂を外すと、勢いよく門が開き、不快な芳香剤の匂いと共に一人の男が踏み込んできた。
金髪を過剰なオイルで撫で付け、趣味の悪い宝石を指にいくつもはめた肥満気味の青年――クライン子爵家の嫡男、ギルバート・フォン・クラインである。彼の背後には、いかにも粗暴そうな傭兵風の護衛が二人、ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべて控えていた。
「ひゃはは! ようやく面拝を拝めたな、ユリア! 相変わらず貧相な格好をしてやがる。宮廷会計士の座を追われ、父親が死んで借金まみれになった気分はどうだ?」
ギルバートは、ユリアの実用的な乗馬服と、すっかり色褪せたグランツ邸の庭を見回し、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ご挨拶ですね、ギルバート従兄様。我が家の敷地に無断で踏み込み、門扉を破損させようとした行為は、帝国器物破損罪に抵触します。現在の修繕見積もりを算出し、クライン子爵家へ請求書を送付してもよろしいのですよ?」
ユリアは感情を一切表に出さず、事務的なトーンで淡々と言い放った。
「相変わらず可愛げのない女だ! そんな減らず口を叩けるのも今のうちだぞ。おい、これを見ろ!」
ギルバートが懐から取り出したのは、不気味な黒い魔力を帯びた羊皮紙だった。そこには、ユリアの亡き父エドワード・グランツの署名と、グランツ家の魔法印が刻まれている。
「これはお前の死んだ親父が、ヴァルター侯爵様から借り入れた莫大な債務の『借用書』だ。元金五百ゴールド。そして、今日がその利息の支払期日だ! 今すぐ一括で支払うか、さもなければ……この屋敷の所有権を我がクライン家が譲り受ける。嫌なら、お前が俺の愛妾にでもなって、身体で払うんだな!」
「なっ……!」
その瞬間、邸内から飛び出してきた人影があった。灰金色の髪を乱し、怒りに肩を震わせる十四歳の少年――ユリアの実弟、ルーク・グランツだった。彼は亡き父から譲り受けた、刃の潰れた古い儀礼用短剣を抜き放ち、ギルバートの前に立ちはだかった。
「姉上を侮辱するな、この泥棒め! 父上がお前たちのような卑劣な奴らに、そんな不当な契約を結ぶはずがない!」
「はっ、没落貴族のガキが吠えてやがる! おい、やっちまえ」
ギルバートの合図で、巨漢の護衛が一歩前に踏み出し、鉄パイプのような腕をルークへと振り下ろそうとした。ルークが恐怖に身を硬くした、その刹那。
「止めなさい、ルーク」
ユリアの冷徹な声が響き、彼女の手がルークの肩を強く引き戻した。
「姉上……!?」
「刃物を引っ込めなさい。あなたの現在の剣技では確実に返り討ちに遭い、我が家に無駄な治療費と医療費が発生します。現在の予算において、突発的な医療費を支払う余裕は一ペニーもありません。それに、怪我をすればあなたの家庭教師の授業効率も低下し、教育投資に対する純損失となります」
「そ、損益の話ですか……!?」
ルークが呆然とする中、ユリアは彼の短剣を優しく、しかし有無を言わさぬ力で鞘へと収めさせた。
「おいおい、小娘、随分と冷たい姉貴だな。だが賢明だ。そのガキが怪我をせずに済んだのはな――」
「おい、小娘。この羽虫どもを叩き潰していいか?」
地響きのような低い声が、庭の奥から響いた。燃えるような赤髪を揺らし、肩に巨大な薪割り斧を担いだ男――闘神レグスが、ぎらぎらとした真紅の瞳でギルバートたちを睨みつけながら歩み寄ってきた。彼の強靭な肉体から放たれる野生の殺気に、ギルバートの護衛たちが本能的な恐怖で一歩後退する。
「ひっ……な、何だ、この大男は……!?」
「レグス様、あなたも斧を下げてください。器物破損、あるいは傷害罪で告訴された場合、示談金と法廷費用で我が領主府は確実に破産します。肉体労働でその負債を返済してもらうには、あなたの寿命が三回ほど尽きる計算になります。我が家の貴重な労働資源を、そのような非効率な損失に費やすわけにはいきません」
「ちっ、相変わらず数字、数字とうるせえ女だ……!」
レグスは忌々しげに舌打ちをしたが、ユリアの「おかず減額」の脅しを思い出したのか、しぶしぶ斧の刃を地面に向けた。しかし、その視線は依然としてギルバートの首筋を虎のように狙っている。
ユリアは、取り乱す男たちを完全にスルーし、懐から愛用の『銀縁の会計眼鏡』を取り出して耳にかけた。レンズの奥で、微弱な魔力鑑定の数式が静かに起動する。
「ギルバート従兄様。その『偽の借用書』、私に監査させていただきましよう」
「ふ、ふん! 見るがいいさ! 帝国法に基づき、署名も魔法印も完璧な本物だ!」
ギルバートは虚勢を張りながら、羊皮紙をユリアの前に突きつけた。ユリアはそれを手に取ると、眼鏡のフレームに軽く触れ、自身の脳内で『神速暗算』を開始した。彼女の群青色の瞳の奥で、無数の青い数式と数字が高速でスクロールしていく。
「……なるほど。元金五百ゴールド。支払期日は本日。ここまでは良いでしょう。ですが、金利の項目に極めて悪質な記述がありますね」
ユリアの冷たい声が、庭園の凍てつく空気を貫いた。
「金利は月利二〇%の複利計算。さらに、別項目として『管理手数料』が月利一〇%と記載されています。これは、利息にさらに利息を上乗せし、名目を変えて手数料を搾取する典型的な『二重金利の罠』です」
「な、何が悪い! 契約書にエドワードが合意したんだ、文句を言われる筋合いはない!」
「いいえ、大ありです。帝国最高会計法第十四条『法定上限金利制限法』において、元金百ゴールドを超える債務に対する金利の上限は、年利一五%と定められています。手数料や名目を変えたとしても、実質的な金利がこの上限を超過している場合、その超過部分は法的に『絶対的無効』となります」
ユリアのペン先が、借用書の特定の行を鋭く指し示した。
「あなたの計算式によると、この借用書の累積債務額は金貨三千枚に達していますが、帝国法を正しく適用した場合、法的な支払義務が存在する金額は元金を含めてもわずか五百二十ゴールドに過ぎません。差額の二千四百八十ゴールドは、完全なる違法請求。つまり、恐喝です」
「な、何だと……!?」
ギルバートの顔が、みるみるうちに青ざめていく。まさか、没落して精神的に追い詰められているはずの令嬢が、一瞬でこれほど精密な法的・数学的論破を展開するとは夢にも思っていなかったのだ。
「さらに言えば、この魔法署名」
ユリアは眼鏡のレンズを指で叩き、羊皮紙の底に刻まれた魔法印を凝視した。レンズの魔力鑑定波形が、不自然なノイズを検出している。
「我がグランツ家の正当な当主印には、星紡ぎの血脈に同調する固有の魔力波形が刻まれています。しかし、この署名に使われている魔法インクは、帝国東部の闇市場で流通している低級な『幻影インク』ですね。時間の経過と共に魔力成分が変質し、波形が崩れています。――つまり、この署名は、父の筆跡を複製した完全なる偽造公文書です」
「ぐっ……、ば、馬鹿な! そんなはずは……!」
「偽造公文書の行使、および違法金利による恐喝罪。これらを今すぐ王都中央会計監査院、および帝国裁判所へ告発いたします。元宮廷会計士としての私の公式監査署名を添えて提出すれば、クライン子爵家は即座に資産凍結と爵位剥奪の審議にかけられるでしょう。クライン家の現在の純資産規模では、この法廷闘争のコストに耐えられず、確実に連鎖倒産しますね」
ユリアは、極めて事務的な、しかし容赦のない「破滅の決算書」をギルバートの目の前に突きつけた。
「ひ、ひぃ……!」
ギルバートは、まるで本物の牙を持つ獣に睨まれたかのように、ガタガタと膝を震わせた。彼の背後にいた傭兵たちも、ユリアの背後に控えるレグスの殺気と、彼女自身の冷徹な知性に圧倒され、完全に戦意を喪失している。
「さあ、どうされますか? この偽造書類を私に引き渡し、無断侵入の示談金として銀貨五十枚を今すぐ支払って退散するか。それとも、このまま帝国法に基づいてクライン家を破産させますか? 選択にかける時間は三十秒です。私の執務時間は一分あたり銀貨三枚分の価値がありますので、これ以上の遅延は損失となります」
「お、覚えてやがれ、この悪魔女め……!」
ギルバートは、偽の借用書をユリアの足元に投げ捨てると、無様に尻餅をつきながら門の外へと逃げ出していった。護衛の傭兵たちも、慌てて彼の後を追って走り去る。
「フン、精々今のうちに吠えておくがいい! ヴァルター侯爵様が直々に、過去の全債務の一括返済を命じる令状を出すぞ!」
ギルバートの負け惜しみの捨て台詞が、凍てつく空気に不穏な影を落としたが、ユリアは眉一つ動かさず、地面に落ちた羊皮紙を拾い上げた。
「……ふぅ。一ペニーの無駄もなく、不良債権を一時的に処理できましたね」
ユリアが眼鏡を外して息を吐くと、背後からレグスが呆れたように、しかしどこか感心したような笑みを漏らした。
「おいおい、小娘。お前、本当にただの人間か? あいつ、完全に魂が抜けたような顔をしてやがったぞ」
「数字は嘘をつきませんから、レグス様。さて、彼が残した捨て台詞の通り、本物の財政危機が迫っています。休んでいる暇はありませんよ」
ユリアは家計簿を胸に抱え直し、次なる戦いを見据えて、冷徹な瞳を輝かせた。
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