鉄の墓場と錆びた燃料
酸性雨が、天を衝くガラクタの山に降り注ぎ、絶え間ない金属の悲鳴を響かせている。
第十三特区の外縁に位置する巨大廃棄物集積場――通称「ジャンク・ヤード」。そこは不老不死の支配層が住まう空中都市「アイオーン」や中層区「エデン」から排出された、あらゆる機械の死骸が堆積する鉄の墓場だった。空気中には経年劣化を促す微細な時間ノイズが漂い、吸い込むだけで肺が錆びつくような鉄錆の臭いが立ち込めている。
「……はぁ、っ……」
時任刹那は、口元を覆った白衣の袖に微かな血の斑点を見つめ、静かに呼吸を整えた。
先日の時計台広場での『十秒の全体逆行』、そしてレンによる強引な心臓蘇生術『ハート・リブート』。その代償は、刹那の肉体に重くのしかかっていた。心臓と肝臓の生物学的年齢は「四十九歳」まで急速に老化し、心筋には電気ショックによる不可逆的な熱瘢痕が刻まれている。生え際の右側から右頭部にかけては完全に雪のような白髪となり、右目の視力は極端に低下していた。歩くたびに、胸の奥で錆びた歯車が噛み合うような鈍い痛みが走る。
「無理をするな、先生。まだ病み上がりだ。最悪、俺がヤードの奴らを力ずくでねじ伏せてやる」
隣を歩くジン・ヴァレンティンが、革ジャケットの肩をすくめ、背負ったショットガンを軽く叩いた。ジンの赤いバンダナが、灰色の雨の中で唯一鮮やかに揺れている。
「力ずくでは解決しない。ここを支配するガリクは、力ではなく『貸し借り』のルールで動く男だ。それに、今の私のデバイスには、時守の探知を避けるための遮蔽素材がどうしても必要なんだ」
刹那は胸元に手を当てた。衣服の下で、プロトタイプ「生体時間維持デバイス」が、燃料切れを示す不気味な赤色の明滅を繰り返している。このデバイスが完全に停止すれば、心臓は再びエントロピーの逆流に耐えきれず停止する。延命のための『予備バッテリー』と、時守の目を欺く『特殊時間遮蔽合金のスクラップ』の入手――それが、この死地に足を運んだ目的だった。
二人がジャンクの山を登りきると、そこにプレハブ小屋を改造した粗末な事務所が見えてきた。周囲には、武装した屈強な用心棒たちが十数人、鋭い眼光でこちらを睨みつけている。
「おいおい、誰かと思えば、診療所のヤブ医者とリベリオンの狂犬じゃないか」
事務所の影から、肥満体を揺らしながら現れたのは、ヤードの支配者・ガリクだった。首に何重もの金の鎖を巻き、葉巻の紫煙を燻らせるその男の手首には、数十年分もの「残余時間」を示す緑色のメーターが、これ見よがしに輝いている。
「何の用だ? ここは俺の縄張りだ。タダでガラクタを拾わせるわけにゃいかねえぞ」
「取引に来た、ガリク。ヤードの奥に入らせてもらいたい」
刹那が静かに告げると、ガリクは下卑た笑みを浮かべ、太い指を突き出した。
「いいぜ。だが入場料だ。お前たちの手首から、それぞれ『三十日分』の寿命クレジットをこの端末に転送してもらう。それがここのルールだ」
「三十日だと!? ふざけるな、スラムの貧民からそれだけ奪えば、即座に『秒級』に落ちて死ぬのがわかっていて言っているのか!」
ジンが激昂し、ショットガンの銃身をガリクに向けようとした。瞬間、ガリクの背後に控えていた用心棒たちが、一斉に自動小銃を構え、銃口をジンと刹那に固定した。一触即発の緊迫感が、酸性雨の降るヤードを支配する。
「リベリオンの小僧、俺のヤードで銃を抜くのがどういう意味か、教えてやろうか?」
ガリクの目が冷酷に細まる。刹那の脳裏に、数秒後の惨劇――用心棒たちの銃撃により、ジンが胸を撃ち抜かれて泥水に沈む『死の予感(デス・フラッシュ)』のノイズが走った。刹那はジンの前に片手を出し、静かにそれを制した。
「待て、ジン。……ガリク、取引の品は時間クレジットだけではないはずだ」
刹那は、ジンが背負う袋から、先日の戦闘で赤虎から鹵獲した『時間結晶が埋め込まれた特殊合金棍棒』を取り出し、ガリクの前のテーブルに置いた。棍棒の先端に埋め込まれた低純度タイム・コアが、微かに青い光を放っている。
「ほう……。赤虎のオモチャか。だが、これだけじゃ三十日分の価値には届かねえな」
「なら、これならどうだ?」
しゃがれ声と共に、スクラップの影から一人の老人が姿を現した。白髭に覆われた頑固そうな顔、作業用グローブを嵌めた太い指。老回収屋のテツだった。彼は手にした金属カゴをテーブルの上に乱暴に置いた。その中には、鈍い銀色の光沢を放つ金属の破片がいくつか入っていた。
「……チタン鉛の遮蔽合金スクラップか。テツ、お前、これをどこで……」
ガリクの目の色が変わった。時守の探知機を欺くことができるこの希少金属は、裏社会ではクレジット以上の価値で取引される超一級品だ。
「ガリク、この医者はな、先代のクラウス先生の跡継ぎだ。俺は昔、クラウス先生に肺の病をタダで治してもらった恩がある。このスクラップは俺の取り分だ。こいつらを中に入れろ。それで文句はねえな?」
テツはガリクを睨みつけ、頑固に言い放った。ガリクは葉巻を深く吸い込み、しばらく棍棒と合金のスクラップを見比べた後、不機嫌そうに手を振った。
「チッ……、義理人情なんざクソ食らえだが、この合金の価値は認めざるを得ねえ。いいだろう、二時間だけヤードの探索を許可してやる。ただし、用心棒を一人、監視につけさせてもらうぞ」
「感謝する、テツ」
刹那が静かに頭を下げると、テツは無愛想に鼻を鳴らした。
「クラウス先生の弟子なら、簡単に死ぬんじゃねえぞ。……奥に、面白いガキが待ってる。ついてきな」
テツの案内に従い、刹那とジンは用心棒の監視を背後に感じながら、ヤードの深部へと足を踏み入れた。巨大なプレス機の死骸や、錆びついた装甲車の残骸が迷路のように入り組む中を、テツは迷いのない足取りで進んでいく。
やがて、廃棄されたコンテナの内部に、不自然な明かりが灯っている場所に辿り着いた。そこは、無数のジャンク部品や電子基盤、そして分解された『時間加速の靴』のパーツが散乱する、秘密の工房のようになっていた。
「おい、シン! クラウス先生の跡継ぎを連れてきたぞ!」
テツが声をかけると、山積みの基盤の奥から、ボサボサの茶髪に油汚れのオーバーオールを着た青年が顔を出した。十九歳の天才エンジニア、シンだった。シンの瞳は、刹那の胸元で明滅する生体維持デバイスを見つめた瞬間、好奇心で異常に輝いた。
「す、すごい……! これ、クロノス第三研究所のプロトタイプ維持デバイスだろ!? 生体同調用のグリッドが埋め込まれてる……! 本物を見るのは初めてだ!」
シンは刹那の白衣を掴まんばかりに身を乗り出し、額のゴーグルを跳ね上げた。
「シン、挨拶は後だ。先生のデバイスは燃料が空で、先生自身の寿命を直接消費している。予備のバッテリーがどこにあるか知っているな?」
ジンの言葉に、シンは我に返り、慌てて頷いた。
「あ、ああ! テツのじいさんが、時守の巡回を避けて、ヤードの最深部にある古代ボイラーの地下に隠したんだ。でも、あそこは残留放射能が強くて、普通の人間じゃ近づけない。僕が作った特殊探知機を使わなきゃ、瓦礫の底から見つけ出すのは不可能だよ」
シンは自作の改造マルチツールと、液晶の割れた古い探知機を手に取った。探知機の画面には、時間エントロピーの歪みを示すノイズが不規則に走っている。
「案内するよ。でも、監視の奴にバレないようにしてくれ」
四人は、ヤードのさらに奥、地面が赤黒いヘドロと鉄錆で覆われた最深部へと進んだ。頭上には、旧時代の巨大な円形ボイラーが、まるで死んだ怪獣のように沈黙している。周囲の空気は不自然に重く、手首のメーターが微かに共鳴して震える感覚があった。
「この下だ。瓦礫の下に、時守から盗み出した真鍮製の『予備バッテリー』が眠ってる」
テツが一本の錆びついた鉄板を指し示した。シンが探知機をかざすと、ノイズが突如として規則的な高周波の電子音へと変わった。
「ビンゴだ! この瓦礫の、ちょうど二メートル下。時間波動の周波数がプロトタイプデバイスと完全に一致してる!」
ジンが即座にショットガンを背負い、屈強な肉体を駆使して、泥にまみれた巨大な鉄骨や瓦礫を力任せに退け始めた。刹那もまた、胸の痛みに耐えながら、スカルペルを触媒にして瓦礫の隙間に手を滑り込ませる。
泥を掻き分けたその先――金属のハッチの奥に、青く澄んだ光を放つ、真鍮製の頑重なシリンダーが横たわっていた。クロノス第三研究所の極秘燃料、「プロトタイプデバイス用予備バッテリー」だった。
「これだ……」
刹那がそのシリンダーを手に取った瞬間、シリンダーの放つ神聖なコバルトブルーの光が、彼の右目の濁った視界を微かに照らした。これで、デバイスの安定稼働が可能になり、自身の臓器にかかる負担を劇的に軽減できるはずだった。
「やったな、先生! これで――」
ジンが歓喜の声を上げようとした、その瞬間だった。
ズズズ、と足元の地面が不気味に震動し、古代ボイラーの深部から、ゴボゴボという不快な液体の沸騰音が響き渡った。
「……な、何だ、この音は!?」
シンが探知機を見つめ、その顔から一瞬で血の気が引いていく。探知機の画面は激しいノイズで完全に真っ白になり、警告の電子音が悲鳴のように鳴り響いた。
「逃げろ! ボイラーの底の残留時間結晶が、僕たちの掘削の衝撃で臨界に達したんだ! 有毒な『時間剥奪放射能』が漏れ出すぞ!」
古代ボイラーの亀裂から、不気味な灰色の霧が爆発的に噴出し始めた。その霧が触れた周囲の錆びた鉄骨は、一瞬でボロボロの塵へと朽ち果て、泥水は一瞬で干からびて砂へと変わっていく。
「うあああああッ!」
背後で、彼らを監視していたガリクの用心棒が悲鳴を上げた。噴出した灰色の霧が、彼の右腕に直撃したのだ。用心棒の手首に刻まれた「日級」のメーターが、凄まじい速度で「分級」「秒級」へとカウントダウンを始め、彼の右腕の皮膚が一瞬で乾燥し、老婆のような深いシワだらけに変貌していく。
「ひっ、腕が、俺の腕が枯れていく……! 助けてくれ、医者!」
用心棒は泥水の中にのたうち回り、刹那に向かって必死に左手を伸ばした。灰色の有毒な霧は、風に乗ってガリクたちの待つ事務所の方向へと急速に広がりつつある。
バッテリーの回収に成功した歓喜は、一瞬にして、生物の寿命を根こそぎ奪い去る絶望の嵐へと塗り替えられた。
「先生、構うな! ここから脱出するぞ!」
ジンが刹那の肩を掴み、ハッチから引き剥がそうとする。しかし、刹那の黒い瞳は、灰色の霧の中で急速に老化し、死にかけている用心棒の姿を真っ向から見つめていた。
(ここで見捨てれば、この男は数秒で完全に砂となって消滅する。だが、救うために『時間逆行』を使えば、私の四十九歳の心臓は今度こそ完全に停止する……)
激しいエントロピーの嵐が吹き荒れる鉄の墓場。予備バッテリーを握りしめたまま、最弱の医師は、己の命と医師の魂を天秤にかける、極限の選択を迫られていた。
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