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聖騎士の檻、脱出への秒読み

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「明日から、イージス騎士団本部の私の兵舎に住み、私の監視下に入るのだ」


 白亜の石造り、国教騎士団『イージス』本部の地下尋問室。その冷たい空気の中で、漆黒の軍服をまとった総長ギデオン・ヴァンスから放たれた言葉は、私の耳の奥で最悪の警鐘となって鳴り響いた。


(へ、兵舎に軟禁……!?)


 ギデオンの強固な胸板に抱きしめられたまま、私の脳裏を、血に染まったスケジュール帳の幻影がよぎる。私の左手薬指には、マフィアの首領ヴァレリウスから贈られた、位置情報を常時送信する「微小発信機付き琥珀の指輪」が嵌められている。そして隠しポケットには、天才錬金術師ジュリアンから渡された、すべての秘密が詰まった「四重偽装ホログラム手帳」があるのだ。


 もし、この鉄壁のセキュリティを誇る聖騎士たちの要塞に四六時中閉じ込められたらどうなるか。他組織との密会はおろか、定時連絡すら物理的に不可能になる。それは、私の「四重スパイ」という綱渡りの終焉を意味し、バレた瞬間に待っているのは、スチームギギロチンによる公開処刑――すなわち、確実な死だ。


「うっ……!」


 恐怖と焦燥、そして限界を超えたストレスが、私の胃壁を容赦なく雑巾のように絞り上げる。冷たい汗が背中を伝い、喉の奥に鉄の味が広がった。私は「胃痛耐性『アイアン・ストマック』」を極限まで稼働させ、苦悶の表情を「可憐な聖女の儚げな苦痛」へと瞬時に変換した。


「レン!? どうした、顔色が……!」


 ギデオンが慌てて私の肩を支え、覗き込んでくる。その切れ長の冷徹な瞳には、今や私の身を案じる不器用な過保護さだけが揺れていた。彼のトラウマ――「大切な人を守れなかった」という過去の傷をハックした代償が、この異常なまでの監禁欲となって暴走しているのだ。


「は、あ……息が……胸が、苦しくて……」


 私は胸元を押さえ、わざと呼吸を荒くした。過呼吸による失神を装う「危機回避的仮病『フェイク・コラプス』」だ。実際に胃が引き裂かれそうなほど痛むため、演技のリアリティは百パーセントだった。私の瞳から一滴の涙がこぼれ落ち、ギデオンの漆黒の軍服に染みを作る。


「レン、しっかりしろ! おい、誰か医者を――!」


「い、いえ……総長閣下。私の持病……なんです。幼い頃から、心臓が弱くて……。発作が起きると、いつもの、ドクター・アリスターの薬でなければ……効かないのです……」


 私は弱々しく首を振り、ギデオンの服の袖を震える指先で掴んだ。このまま騎士団お抱えの軍医に診察されれば、ただの「重度の胃潰瘍と精神的ストレス」であることが一発で露呈してしまう。王室医であり、私の秘密の協力者でもあるアリスターの元へ逃げ込むのが、唯一の生存ルートだった。


「アリスター……王室医療局のあの皮肉屋か。分かった、今すぐ馬車を出させる。しっかりしろ、レン。私がついている」


 ギデオンは私を羽毛のように軽い動作で横抱きにすると、尋問室の重厚な扉を蹴り開けて、長い廊下を大股で走り始めた。彼のまとう「聖銀」の香りに包まれながら、私は脳の半分で、アリスターとの交渉手順を「マルチタスク・アイ」を用いて高速演算し始めていた。


     *


「――おいおい、何を持ち込んできたかと思えば、今度は国教騎士団の総長様をお供に従えての御来院か? 私の診療所をただの避難所か何かと勘違いしていないかね、アシュレイ書記官」


 下町の静かな路地裏にある、消毒液の香りが立ち込める診療所。白衣を着崩したドクター・アリスターは、冷徹そうな眼鏡の奥の瞳で私を睨みつけ、大げさにため息をついた。


 ギデオンは、診療所のボロいベッドに私をそっと横たえると、アリスターの胸ぐらを掴みかねない勢いで詰め寄った。


「ドクター、彼女の心臓の持病とは何だ! なぜこれほどまでに衰弱している!? 君が主治医なら、もっと適切な治療法があるはずだろう!」


「総長閣下、医療の領域に武力を持ち込まないでいただきたい。彼女の病は、一言で言えば『過剰な外因性圧迫による心因性循環不全』……要するに、あなたのようなお堅い軍人に四六時中監視され、息の詰まるような兵舎に押し込められようとしたことで、繊細な心臓が悲鳴を上げているのですよ」


 アリスターは私の視線(必死の懇願)と、私の胃の異常な硬直を触診で瞬時に察知し、完璧な即興の嘘を紡ぎ出した。さすがは私の胃の守護神、話が早くて助かる。


「な……私の警護が、彼女を追い詰めていたというのか……?」


 ギデオンが激しく動揺し、その逞しい身体を強張らせた。自らの「守りたい」という意志が、逆に私を殺しかけているという事実は、規律を重んじる彼の理性をハックするのに十分すぎる破壊力を持っていた。


「その通り。彼女の心臓は、湿気が多く、規律の厳しい軍事施設の空気には耐えられません。治療に必要なのは、静かで慣れ親しんだ環境での生活、そして何より『適度な運動と、自発的な移動の自由』です。もし彼女を兵舎に軟禁などすれば、一週間と持たずに心不全で帰らぬ人となるでしょうな。これは王室医としての正式な診断書です」


 アリスターは、机の上の書類に素早く万年筆を走らせ、それらしい偽の診断書をギデオンに突きつけた。ギデオンはその書類を、まるで呪いの魔導書でも見るかのような悲痛な表情で見つめている。


 私はベッドの上で上体を起こし、力なく、しかし気高き「聖女」としての微笑みをギデオンに向けた。ここからが「嘘の二重構築『ダブル・ブラフ』」の真骨頂だ。


「ギデオン様……ドクターの言うことは気にしないでください。私は、あなたの傍でお役に立ちたいのです。兵舎での生活がどれほど過酷でも、あなたを守るためなら、私の命など……」


「ダメだ! そんなことは絶対に許さん!」


 ギデオンが私の言葉を遮り、私の前に跪いた。彼の大きな手が、私の冷たい(実際は緊張で冷え切った)手を包み込む。彼の瞳には、激しい後悔と、私を失うことへの恐怖が満ちていた。


「私の独善が、君を再び死の淵へ追いやるところだった……。レン、頼むから自分の命を粗末にしないでくれ。君が死んでしまっては、私の盾は何の意味も持たないのだ」


「ですが、私の安全のために、あなたが心配してくださるのに……」


「警護の方法は変える。兵舎への居住は撤回しよう。君はこれまで通り、自分のアパートから図書館へ通勤してくれ」


(よし……! 軟禁回避!)


 私は胸中で激しくガッツポーズをしながらも、顔には「彼の優しさに救われた、儚げな感謝の微笑み」を完璧に維持した。しかし、ギデオンはそこで引き下がる男ではなかった。


「ただし、妥協案だ。君の安全を確保するため、私が個人的に手配した専用の防弾馬車で、毎日図書館へ通勤してもらう。そして、週に二回、体調の良い日だけでいい。その馬車で騎士団本部へ通い、私の執務室で翻訳業務を行ってくれ。片道一時間、これなら私の目の届く範囲で、君の身体への負担も最小限に抑えられるはずだ」


「片道、一時間……」


 その言葉を聞いた瞬間、私の脳内の「四重アリバイ運行方程式」が、凄まじい速度で再計算を開始した。


 毎日、往復で二時間。その時間は、ギデオンの監視下にある馬車の中に閉じ込められる。つまり、私の自由に動ける「タイムバジェット」から、毎日二時間という莫大なリソースが強制的に差し引かれるのだ。これは、他組織との突発的な接触や、ミラベルとしての情報収集のスケジュールを極限まで圧迫することを意味する。


「……分かりました、ギデオン様。あなたの不器用な優しさに、甘えさせていただきますね」


 私は微笑みながら、アリスターがこっそり手渡してくれた「アリスター特製『胃粘膜保護剤・改』」の小瓶をそっとポケットに忍ばせた。この薬の効果時間は十二時間。これからの過酷な移動地獄を生き抜くための、私の物理的な生命線だ。


 ギデオンは私の承諾を聞き、ようやく安心したように、その整った耳元を微かに赤くして頷いた。だが、彼の不器用で重すぎる愛は、私の運行方程式を完全にバグらせていた。これから、秒単位でのスケジュール管理がさらに苛烈を極めることになる。


     *


 月曜日、午前八時。

 霧深いルテティアの朝。ギデオンが手配した、漆黒の金属で補強された頑丈な馬車が、私の時計塔のアパートの前に停車していた。御者は騎士団の制服を着た無口な男だ。


「アシュレイ閣下、お乗りください。総長閣下の命令により、安全なルートで図書館へお送りいたします」


「ええ、よろしくお願いするわ」


 私は地味な下級書記官の制服に身を包み、丸眼鏡の位置を直しながら馬車に乗り込んだ。車内は防弾仕様の鋼鉄板が仕込まれており、異様なほど頑丈だが、同時に逃げ場のない鉄の檻のようでもあった。


 馬車がガタゴトと音を立てて発車する。私は膝の上で「四重偽装ホログラム手帳」を開き、フートと同期させた。眼鏡の奥の瞳が高速で動き、ルテティアの地図と、私の移動ルートを示す光のラインが脳内に投影される。


(今日のスケジュールは……午後一時に図書館でジュリアンへの偽造報告書の作成、午後四時にシエルからの緊急連絡の待機、そして夜にはヴァレリウスへの定時連絡。この馬車移動の一時間が加わったことで、すべての乗り継ぎが三十秒の猶予もない砂の城になっている……!)


 胃の奥がキリキリと痛み始める。私はアリスターの薬を一口含み、痛みを無理やり脳から遮断した。大丈夫、私の計算に狂いはない。この一時間の移動時間さえも、完璧な「アリバイの盾」として機能させてみせる。


 馬車は順調に進み、軍事区を抜けて、歓楽街『ノクターン』の境界にある入り組んだ路地裏へと差し掛かった。ガス灯が霧に濡れて妖しく光る、日中でも薄暗いエリアだ。


 その時だった。


 ――ヒヒィィィン!!!


 突如として、馬の激しいいななきと共に、馬車が急ブレーキをかけた。私の身体が大きく前方に投げ出され、チタンの壁に肩をぶつける。


「な、何事ですか!?」


 私が窓の外を覗き込もうとした瞬間、馬車の周囲を取り囲むように、黒いトレンチコートを着た大柄な男たちが霧の中から音もなく現れた。その手には、帝国警察の装備ではない、裏社会で流通している消音器付きの蒸気拳銃が握られている。


「動くな。静寂の仮面劇(ファミリー)の命令だ」


 男たちの背後から、見覚えのある二メートルを超える巨躯の影――ヴァレリウスの忠実な用心棒ボリスが、冷酷な瞳でこちらを見つめてゆっくりと歩み寄ってくるのが見えた。


(ヴァレリウスの……部下!? なぜ、ギデオンの馬車が狙われているの!?)


 冷たい汗が、私の額から一気に噴き出した。左手の薬指に嵌められた「琥珀の指輪」が、不気味に熱を帯びて脈打っているように感じられた。

HẾT CHƯƠNG

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