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共鳴度15%の信頼と、黒炎の嫉妬

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「カイル様! カイル様、目を開けてください! お願いですから……!」


ミリーの悲鳴のような叫び声が、カイル・レオンハルトの鼓膜を激しく叩いた。


冷たく湿った「共鳴の書庫(レゾナンス・アーカイブ)」の空気。背中に感じる古びたソファーの感触。カイルは、泥のように重い瞼をゆっくりと押し上げた。左目の「解析のモノクル」がチカチカと不規則な青い光のノイズを放ち、彼の視界を歪ませている。


「ごほっ、うぐ……っ!」


喉の奥からせり上がってきた鉄の味に耐えきれず、カイルは激しく咳き込んだ。ソファーの脇に膝を突いていたミリーが、涙をボロボロとこぼしながら、血で汚れたカイルの口元を濡れタオルで拭う。彼女が抱える薬杯からは、胃痛を和らげるためのハーブの香りが微かに漂っていたが、その温かい湯気さえも、今のカイルには酷く遠いものに感じられた。


「おい、無茶しやがって。生きて戻ったのは褒めてやるが、その頭はどうした」


カイルの細身の身体を支えていた隻眼の剣士、レオン・ベルハルトが、渋い顔のままカイルの頭を指差した。カイルが自分の手で髪に触れると、指先に触れたのは、これまでのような艶のある黒髪だけではなかった。精神世界へのダイブ――セレスティアの「心の檻」をハッキングした代償として、彼の髪の数房が、まるで雪のように真っ白な白銀色へと染まっていたのだ。


「脳細胞を……使いすぎただけだ。それより、セレスティアは……」


カイルは掠れた声で、自身の胸元に視線を落とした。肌に刻まれた四本の「血印」のうち、神聖教会の聖女を示す純白の刻印が、今は穏やかで温かい光を放っている。モノクルのレンズ越しに見える魔力糸の接続率は、確かに「15%」を示していた。彼女の深い孤独に寄り添い、その痛みを「痛みの代償(ペイン・シェア)」で引き受けたことで、聖女との間に初めて「生存のための妥協」を超えた、真の信頼の絆が芽生えたのだ。


だが、その奇跡的な安堵感は、一瞬にして打ち砕かれた。


ドクン――!


カイルの心臓が、まるで万力で締め付けられたかのように激しく脈打った。胸の血印が、今度は不気味な紫黒色の光を放ち、猛烈な熱を発し始める。


「ぐあぁっ……!? 息が、胸が熱い……!」


「カイル様!?」「おい、どうしちまったんだ!」


カイルは胸元を両手でかきむしり、床に転がり落ちた。体内で氷と炎が同時に爆発したかのような狂おしい苦痛。それは、遠く離れた魔界の首都ディスピアから、ソウルリンクの太いパスを通じて直接送り込まれてきた、剥き出しの「怒り」と「独占欲」の波動だった。


     * * *


その瞬間、魔界の漆黒の城塞都市ディスピアの最上階。魔皇ヴェロニカの私室である「黒薔薇の間」は、嵐のような闇の魔力に包まれていた。


「……誰よ」


豪華な天蓋付きのベッドの上で、ヴェロニカは自身の胸元を強く握り締め、荒い息を吐いていた。彼女の美しい漆黒の角が怒りに震え、瞳は深淵のような闇の色に染まっている。胸元に刻まれたカイルとの血印が、見たこともない純白の光を帯びて明滅していた。


彼女の卓越した魔力感覚は、ソウルリンクのハブであるカイルの魂が、つい先ほど、自分以外の「誰か」――それも、あの忌々しい神聖教会の聖女セレスティアと、極めて深く、親密に溶け合ったことを瞬時に察知していた。


「私の『おもちゃ』に勝手に触れて、そんな甘い光を流し込んでいるのは、どこのどいつよ……!」


凄まじい嫉妬が、ヴェロニカの胸を焦がした。カイルは彼女が「いつか呪いを解いて殺すため」に生かしているはずの獲物だ。それなのに、あの生温かい聖女の光が、カイルの魂を通じて自分の内側にまで流れ込んでくる。その事実が、魔皇としての彼女のプライドを、そして一人の女性としての独占欲を激しく逆撫でした。


「許さない……。私以外の女の温もりで満たされるなんて、絶対に許さない……!」


ヴェロニカの感情の暴走に呼応するように、彼女の身体から「深淵の黒炎」が噴き出した。それは彼女自身の意志を超え、ソウルリンクの逆行路を通じて、境界線の地下にいるカイルの心臓へとダイレクトに流し込まれた。


「カイル……! 苦しみなさい。私だけの痛みで、その身体を焼き尽くしてあげる……!」


     * * *


「熱い……! 身体が、内側から焼かれる……っ!」


共鳴の書庫の石床の上で、カイルの身体から、音もなく揺らめく漆黒の炎が噴き出し始めていた。それは魔力を持たないカイルの肉体を燃料にするかのように、彼の衣服を焦がし、周囲の床を黒く変色させていく。


「カイル! しっかりしろ!」


レオンが慌ててカイルを抱き起こそうと手を伸ばしたが、その瞬間、凄まじい闇の熱風がレオンを襲った。並の戦士なら一瞬で消し炭にする魔皇の黒炎。レオンは「守護の魔剣」を抜いて防御障壁を展開したが、その熱風の圧力に抗いきれず、数メートル後ろへと物理的に吹き飛ばされた。


「くそっ、近づけねえ! この炎、ただの魔法じゃねえぞ! お前への嫉妬と殺意がそのまま物質化してやがる!」


「ミリー、下がれ……っ! この炎に触れるな!」


カイルはミリーを突き飛ばし、必死に「痛覚分散呼吸法」を行おうとした。だが、流れ込んでくるヴェロニカの精神波は、これまでの肉体的な痛みとは全く異なっていた。それは、脳の髄まで直接侵食してくるような、ドロドロとした暗い「独占欲」と「裏切られたことへの絶望」だった。呼吸を整えようとしても、感情の嵐が脳内の演算回路をノイズで埋め尽くし、呼吸のリズムがすぐに乱れてしまう。


(このままじゃ、本当に書庫ごと焼き尽くされる……。ハッキングでこの炎を消すことはできない。これは魔術式じゃない、彼女の『心』そのものが暴走しているんだ……!)


カイルは激痛に歪む顔のまま、必死に思考を巡らせた。力で抵抗することはできない。自分には魔力がない。レオンの剣でもこの感情の炎は斬れない。ならば、どうする?


(彼女が求めているのは、僕を破壊することじゃない。僕が他の女と繋がったことへの、耐え難い『孤独』と『嫉妬』だ。だったら――)


カイルは、胸元の血印を強く握り締めた。そして、自身の精神の深部、アトラの魔導コアと直結した領域へと意識を向けた。


「感情のフィードバック制御……、起動……!」


カイルは自身の脳内に、かつて平凡な書記官として暮らしていた頃の、穏やかな記憶を呼び起こした。亡き母エルザが淹れてくれた薬草茶の温かさ。父アルベルトと共に、古い書物を静かにめくっていた読書室の静寂。陽だまりの中で、ただ平穏に、誰の脅威も感じずに過ごしていた、あの日々の「絶対の安らぎ」。


カイルはその穏やかな記憶のイメージを、自身の血印を通じて、ソウルリンクのパスの逆方向へ――ヴェロニカの魂へと向けて、全力で流し込み始めた。


(ヴェロニカ……。受け取ってくれ。僕には、君を裏切る意図なんてない。これは、僕たちが生き延びるための、ただの『調停』なんだ……)


カイルの優しい、そしてどこか哀愁を帯びた精神波が、血印を通じて魔界のヴェロニカの脳内へと直接届けられた。


魔皇城のベッドの上で身悶えしていたヴェロニカの脳裏に、突如として、体験したことのない「温かい陽だまりの記憶」が広がった。それは、弱肉強食の魔界で、常に周囲を警戒し、誰一人信用できずに生きてきた彼女が、生まれて初めて触れる「無条件の安らぎ」だった。カイルが抱く、穏やかで優しい心の色彩が、彼女の荒れ狂う嫉妬の黒炎を、内側からそっと包み込んでいく。


「な、何よこれ……。何が、私の中に流れ込んでくるの……?」


ヴェロニカの暴虐な衝動が、その温もりに触れた瞬間、嘘のように和らいでいった。彼女の身体から噴き出していた黒炎が、徐々にその勢いを失い、ただの揺らめく影へと戻っていく。カイルの優しい精神波は、彼女の孤独な心を最も深く癒やす「甘え」の感情へと変換されていた。


だが、カイルの肉体にかかる負荷は、それで消えたわけではなかった。相反するセレスティアの「光(信頼)」と、ヴェロニカの「闇(嫉妬)」が、カイルの貧弱な魔力回路の中で激しく衝突し、火花を散らしているのだ。


「ごふっ……!」


カイルは再び床に血を吐いた。身体の血管が、光と闇の二色のグリッドとなって浮き上がり、彼の肉体を引き裂こうとしている。


「カイル様! もう止めてください!」


ミリーの悲鳴が響く中、カイルは最後の力を振り絞った。セレスティアとのハッキングで獲得したばかりの、あの純白の光の残滓を、脳内で急ぎスキャンする。


「聖なる干渉(セレスティア共鳴)……、展開……!」


カイルが祈るように唱えると、彼の周囲に、透き通った純白の光の障壁が一時的に展開された。その聖なる光は、書庫の床や壁に燃え移りかけていたヴェロニカの黒炎の残火を、パチパチと音を立てて浄化し、完全に消滅させた。


光と闇の衝突が収まり、書庫に静寂が戻った。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


カイルは力なく床に倒れ込んだ。彼の周囲に展開されていた光の障壁は霧散し、胸の血印の輝きも、灰色に近い鈍い色へと落ち着いていく。だが、その代償はあまりにも大きかった。


「カイル様、お髪が……!」


ミリーが震える手でカイルの頭髪に触れた。カイルの黒髪は、今回の凄絶な魔力の衝突による過負荷により、全体の三分の一ほどが完全な白銀色へと変色していた。カイルの体温は急激に低下し、指先は氷のように冷たくなっている。


「おい、書記官。命は繋ぎ止めたようだが、お前の身体、完全に限界を迎えてるぞ。心臓の鼓動が、さっきから酷く不規則だ」


レオンがカイルの胸に手を当て、深刻な表情で告げた。痛覚分散呼吸法で辛うじてショック死を防いだものの、カイルの神経摩耗は、もはや通常の急速では回復しないレベルに達していた。このまま数日放置すれば、カイルの心臓は過負荷に耐えかねて停止し、ソウルリンクで繋がった全員が死亡することになる。


その頃、魔皇城のヴェロニカの私室には、彼女の異変を察知した直属の薬師、ゼクス・ネビュラが、怪しげな試験管を携えて静かに姿を現していた。


「おやおや、我が君。あの『人間』との感覚共有で、随分と面白いマナの揺らぎを起こしていらっしゃる。……ですが、あの器(カイル)は、この負荷には耐えられませんよ。手遅れになる前に、少し特別な『処置』が必要のようだ」


ゼクスは目の下のクマを動かし、不気味な笑みを浮かべながら、カイルの肉体維持のための特効薬の研究を開始する決意を固めていた。


しかし、カイルには魔界の薬が届くのを待つ時間などなかった。


「レオン……、ミリー……。アジールの街へ……行く」


カイルは、白銀に染まった髪を揺らしながら、消え入るような声で告げた。


「アジールの闇市場に……ギルダの店がある。そこで手に入る『共鳴の薬草(シンパシー・ハーブ)』がなければ……僕の神経は、あと三日ももたない……」


カイルの視界が、再びゆっくりと暗転し始める。命を繋ぐための、次なる過酷な交渉の舞台――アジールの路地裏へと、カイルの運命は急速に傾きつつあった。

HẾT CHƯƠNG

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