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書庫防衛戦:牙を剥く魔王軍急進派

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「ガ、ガガ……ギギギ……!」


 千年の眠りから目覚めた鉄巨人タロス・ワンの咆哮が、共鳴の書庫の入り口全体を激しく震わせた。その巨大な両の眼光が深紅に輝き、崩落した石扉から雪崩れ込んできた魔王軍の魔獣たちを赤々と照らし出す。


「ルゥゥァァァッ!」


 鋭い牙と引き裂くような爪を持つ魔獣――魔界の獰猛な「黒狼」の群れが、一斉にタロスへと跳躍した。しかし、タロスはその巨大な鉄の拳を無造作に薙ぎ払う。凄まじい質量と風圧。先頭を走っていた三頭の魔獣は、悲鳴を上げる間もなく壁へと叩きつけられ、黒い霧となって霧散した。


「カハッ、ゴホッ……!」


 カイルは崩落した石床に膝を突いたまま、激しく咳き込んだ。前話で吸い込んでしまった高濃度の魔素の粉塵が、肺を内側からじりじりと焼き続けている。右目の端からは、タロスの強制再起動による脳への過負荷で、ツリと一筋の血が流れ落ちていた。


「カイル様! これ以上は……お身体が持ちません!」


 ミリーが泣きそうな顔でカイルの細身の身体を抱きしめ、その背中を必死にさする。カイルの右手の指先には、起動キーをハッキングした代償として刻まれた、青く焦げ付いたルーンの焼き印が脈打っていた。タロスの魔力炉が稼働するたびに、その熱がカイルの血印を通じて彼の心臓へと直接フィードバックされ、強烈な不整脈を引き起こしているのだ。


「大丈夫だ、ミリー……。痛覚分散呼吸法を……維持する」


 カイルは震える唇で息を吸い、三秒間保持し、十秒かけてゆっくりと吐き出した。心拍数を極限まで下げることで、魔素の毒の循環を遅らせ、脳がショック死するのを防ぐ。左目の「解析のモノクル」を指で直すと、レンズの奥でタロスの稼働状況が赤く点滅していた。出力は僅か五十パーセント。しかも、前話で粘土と石で簡易補修した関節部が、魔獣たちの執拗な攻撃によって悲鳴を上げ始めている。


「レオン! タロスの左膝の裏だ! そこが一番脆い。魔獣どもを近づけるな!」


「任せとけ! お前の『眼』が機能してる限り、この盾は破らせねえ!」


 隻眼の剣士レオンが「守護の魔剣」を構え、弾弾と跳躍した。カイルの指示通り、タロスの左足元へ滑り込み、死角から鉄巨人の足関節を狙っていた魔獣の首を一撃で切り裂く。レオンの剣技は鋭く、タロスの圧倒的な質量攻撃と完璧に噛み合っていた。入り口の狭い通路がボトルネックとなり、魔獣の群れは一歩も奥へ進めずにいた。


 だが、その均衡を破る影が、頭上の暗闇から音もなく舞い降りた。


「ふん、千年前の壊れかけを動かした程度で、この私を止められると思ったか? 調停者の出来損ないめ」


 冷酷な、羽ばたきの羽音が響く。漆黒の甲冑を纏い、背中からハエの羽のような不気味な半透明のマントを羽織った青年――魔王軍急進派の大尉バルト・ベルゼブブが、高速飛行術によって書庫の天井の脆弱な岩肌を突き崩し、カイルの頭上から直接急襲を仕掛けてきたのだ。


「しまっ――レオン、上だ!」


 カイルが叫ぶのと、バルトがその鋭い毒爪を振り下ろすのはほぼ同時だった。落下するバルトの影を、レオンが咄嗟に大剣で受け止める。キィィィン!と激しい金属摩擦音が響き渡り、衝撃波が書庫の石床を丸くくり抜いた。


「くっ……重てえな、ハエ野郎!」


「消え失せろ、人間の羽虫が」


 バルトが冷酷に囁き、その爪から黒緑色の霧――禁忌の魔術「毒風の散布」を放った。ドロドロとした酸の性質を持つ毒風が、瞬時に書庫の内部へと拡散していく。壁の古い書物が触れた瞬間に黒く腐食し、カイルの肺に強烈な化学臭が突き刺さった。


「ゴホッ! ガハッ……! 息が……っ」


 ただでさえ魔素中毒で悲鳴を上げていたカイルの肺が、毒風を吸い込んだことで完全に悲鳴を上げた。全身が急激な酸欠と激痛に包まれ、視界が急速に白んでいく。ソウルリンクを通じて、遠く離れた神聖都のセレスティア、そして魔界のヴェロニカの胸元にも、カイルの窒息に伴う強烈な苦悶が流れ込んだはずだった。だが、今のカイルにはそれを気にする余裕すらない。


(このままじゃ、僕もミリーも、この書庫の文献もすべて溶かされる……。ハッキングでこの毒風を消すことはできない。術式があまりにも広範囲に拡散しすぎている……!)


 カイルは薄れゆく意識の中、必死にモノクルを覗き込んだ。レンズの奥で、部屋を満たす毒風の魔力構造――風の流動性と毒の腐食属性が交差する配列が、無数の光の糸として視覚化される。魔力ゼロのカイルには、この毒風を吹き飛ばす風魔術も、中和する回復魔術も使えない。


 だが、彼には「知識」があった。


(風は流れる。ならば、その流れを『結界の再構築』へとハッキングして繋ぎ直せばいい!)


 カイルは震える右手を伸ばし、床に刻まれた書庫の防衛結界の制御線に直接指先を触れさせた。右手のルーン火傷がジリジリと激痛を訴えるが、構わずにハッキングコードを脳内で展開する。


「結界ルーンのバイパス敷設……起動!」


 カイルの指先から、青い古代ルーンの文字列が床の防衛線へと流れ込んだ。書庫の結界の「外部魔力受け入れバイパス」を強制的にこじ開け、その照準を、バルトが放った毒風の術式中心へとロックする。


 次の瞬間、部屋を埋め尽くしていた黒緑色の毒風が、カイルの足元に向けて渦を巻いて収束し始めた。バルトが「なっ!?」と驚愕の声を上げる。


 毒風はカイルの身体を傷つけることなく、彼の指先から床の防衛線へと吸い込まれ、美しい青い光の帯へと分解されていく。腐食の毒は無害な魔力へと反転され、破損していた書庫の外周結界を修復する補強エネルギーへと強制変換されたのだ。ピキピキと音を立てて、書庫を覆う防衛障壁の輝きが、かつてない強度で復活していく。


「おのれ、人間の分際で私の魔術をハッキングしたというのか……!」


 バルトのプライドが激しく逆撫でされた。彼はレオンを力任せに蹴り飛ばし、宙へ跳ね上がると、その毒爪をカイルの細い首元に向けて直接突き出した。魔術が効かないならば、物理的にその息の根を止めるのみ。バルトの速度は、非戦闘員のカイルの動体視力を遥かに凌駕していた。


「死ね、異端の調停者!」


 ミリーがカイルを庇おうと身を挺したが、それよりも早く、バルトの爪がカイルの胸元へと迫る。カイルの心臓が、死の接近を本能的に感知し、激しく脈打った。その瞬間――


 ドクン!と、カイルの胸元の四本の血印が、見たこともない四色の暴虐的な光を放って爆発した。


「――四天の加護(パッシブ・シールド)!」


 カイルの意志とは無関係に、ソウルリンクの自動防衛プロトコルが強制起動した。カイルの胸元から、白(光)、黒(闇)、赤(炎)、緑(風)の四色の魔力の盾が同心円状に広がり、不可視の巨大な障壁を形成する。それは、カイルの死を絶対に許さない四人の宿敵たちの魔力が、システムを介して自動的に集束した絶対不可侵の盾だった。


 バルトの毒爪がその四色の盾に接触した瞬間、凄まじい衝撃波が尋常ならざる熱量と共に発生した。バルトの黒い甲冑がミリミリと音を立てて軋み、彼の半透明の羽が一瞬でへし折れる。


「ぐあぁぁぁっ!?」


 バルトは自身の放った衝撃の数倍の反射エネルギーを浴び、書庫の天井へと叩きつけられ、血を吐いて床へと転がり落ちた。彼の自慢の甲冑は半壊し、立ち上がることすらままならないほどの重傷を負っていた。


「ば、馬鹿な……。今のは……魔皇様の闇の魔力だけではない……教会の光、竜族の炎、精霊の風……なぜ、一人の人間に、これほどの異なる属性の加護が同時に宿るのだ……!」


 バルトは恐怖に満ちた目でカイルを睨みつけた。カイルは血印からの急激な魔力徴収による強烈な心不全で、息を荒くしながらも、静かにモノクルを直して彼を見返した。


「バルト……。僕を殺せば、君たちの皇女ヴェロニカも同じように死ぬ。その意味が、まだわからないのか」


「くっ……おのれ、この屈辱は……!」


 バルトはこれ以上の戦闘は不可能と判断し、残った魔獣たちを盾にしながら、崩落した天井の隙間へと這い上がり、這う這うの体で撤退していった。タロス・ワンがそれを追おうとしたが、カイルは起動キーを軽く叩いてタロスを停止させた。これ以上の稼働は、カイル自身の生命力を削り尽くしてしまう。


「ハァ、ハァ……終わった、のか……」


 レオンが剣を収め、カイルの元へ駆け寄る。ミリーも安堵の涙を流しながら、カイルの煤だらけの顔を拭った。だが、書庫の安全が守られた安堵も束の間、アトラのホログラムが再び不気味に明滅し始めた。


『カイル様、バルトの通信ログの傍受に成功しました。……極めて深刻な情報です』


 アトラの合成音声が、冷たく書庫内に響く。


『撤退するバルトの背後から、魔王軍急進派のトップである将軍ゴルゴス・ザ・デストロイヤー本人が、あなたの「生死の境界線(ソウルリンク)」を人質にして皇女ヴェロニカを失脚させるため、数千の大軍を率いて境界線へ向けて進軍を開始した模様です。接触まで、残り僅かしかありません』


 その報告を聴いた瞬間、カイルの胸の血印が、まるで来るべき大戦を予感するように、冷たく不気味に疼き始めた。

HẾT CHƯƠNG

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