「命の境界線(ソウルリンク)」の刻印
「無能な穀潰しめ。魔力も持たぬ書記官など、我が帝国学術院には不要だ」
冷酷な宣告と共に、背後で重々しい鉄門が閉ざされた日のことを、カイル・レオンハルトは忘れていない。叔父ハンスの裏工作と、かつての同僚フェリックスの裏切り。すべてを失い、宮廷から追放されたカイルが流れ着いたのは、どの陣営の法も届かぬ中立地帯――古代遺跡「逆命の円陣」の地下深くであった。
カイルにあるのは、亡き父アルベルトが遺した研究手帳と、独自の魔力分解理論を授けてくれた偏屈な師オズワルドの教え。そして、左目に嵌めた「解析のモノクル」だけだ。魔力はゼロ。しかし、古代ルーン言語の解読において、彼の右に出る者は大陸に存在しない。
「さて……この円陣の構造を書き換えれば、少しは魔素の安定化が図れるはずだが……」
カイルは薄暗い遺跡の最下層で、床一面に広がる不気味な青い魔法陣を見つめていた。その中央には、千年の時を経てもなお冷たい微光を放つ金属の杭――「逆命の楔」が突き刺さっている。それはかつて彼の先祖であるレオンハルト一世が関わったとされる、世界の均衡を保つための古代遺物だった。
その静寂は、頭上から響いた天をも引き裂くような大爆発によって、唐突に打ち砕かれた。
「――神聖教会の不浄なる犬め! 我が魔王軍の領域を侵した罪、その命で贖うが良い!」
「黙りなさい、魔族の眷属。神の光の前に、汝らの闇はただ霧散するのみです」
凄まじい衝撃波が遺跡全体を揺らし、天井の石材が激しく崩れ落ちてくる。カイルは慌てて「解析のモノクル」を指で叩き、頭上の魔力密度を測定した。レンズの奥で、赤と紫の暴力的なルーン文字が狂ったように点滅している。
激突しているのは、大陸最強の四大陣営の頂点に立つ女傑たちだった。
神聖教会の象徴であり、冷徹なる絶対の「光」を体現する聖女セレスティア。魔王軍を率い、破壊の「闇」と黒炎を操る魔皇ヴェロニカ。さらには、天空を統べる竜族の傲慢なる女帝イグニスと、精霊を従え無口に「風」を操る亜人連合の盟主シルフ。
世界を滅ぼし合う天敵たちが、偶然にもこの遺跡の直上で激突したのだ。最強の四天が放つ最高位魔術の余波は、カイルのような非戦闘員など、一瞬で消し炭にするに足りるものだった。
「嘘だろ……なんでこんな場所で……!」
カイルは必死に「解析のモノクル」を覗き込み、円陣の暴走術式を解読しようとした。しかし、四大勢力のマナが複雑に絡み合い、古代ルーンの配列はパズルのようにねじ曲がっている。脳内演算を極限まで引き上げた瞬間、カイルの鼻からタラリと赤い血が流れ落ちた。脳のオーバーヒートだ。魔力のないカイルには、この規模の術式を直接制御する手立てがなかった。
その時、イグニスが放った灼熱の「竜火」が、ヴェロニカの展開した「暗黒障壁」を貫通した。暴走した熱エネルギーの余波が、津波となって地下最下層のカイルへと降り注ぐ。
「しまっ――」
轟音。天井が完全に崩落した。巨大な瓦礫がカイルの細身の肉体を直撃し、骨がきしむ音が暗闇に響く。肺から空気が押し出され、視界が急速に赤く染まっていく。カイルの胸元から流れ出た鮮血が、床に刻まれた「逆命の円陣」の溝を伝い、中央の「逆命の楔」へと吸い込まれていく。
【警告。管理者の生命活動が著しく低下。防衛プロトコルを起動します】
脳裏に響いたのは、遺跡の管理AIアトラの冷徹な合成音声だった。
カイルの血を触媒として、千年の眠りから覚醒した「逆命の円陣」が突如として血のような赤い光を放ち始めた。円陣から伸びた四本の光の鎖が、空間を無視して、直上で戦うセレスティア、ヴェロニカ、イグニス、シルフの胸元へと突き刺さる。
「なっ……これは、何の術式ですか……!?」
「私の魔力回路が……逆流している……!?」
頭上から、最強の女たちの驚愕の悲鳴が聞こえた。だが、それは始まりに過ぎなかった。
カイルの心臓の鼓動が、ドクン、と大きく脈打った後、静かに停止しかける。瀕死の肉体が死の深淵へと沈んでいく。その瞬間、ソウルリンク――「生死の境界線」が完全に接続された。
「う、あ、ああああっ!!」
セレスティアが、ヴェロニカが、イグニスが、シルフが。大陸を一人で滅ぼせるはずの強者たちが、同時に胸を押さえてその場に崩れ落ちた。彼女たちの胸元には、カイルの胸に刻まれたものと全く同じ、不気味に発光する四本の「血印」の傷跡が浮き上がっていた。
魔力ゼロの書記官が受けている「胸骨骨折」と「心肺停止」の激痛と窒息感が、リンクを通じて四人の肉体へと100%の感度でフィードバックされたのだ。最強の魔力回路が、カイルの瀕死状態によって強制的にシャットダウンされ、彼女たちは指一本動かすことすらできなくなった。
「は、はあ……、はあ……」
カイルはアトラの声を頼りに、師オズワルドから教わった「痛覚分散呼吸法」を無意識に開始した。心拍数を極限まで下げ、脳のショック死を防ぐ。カイルが呼吸を整えるにつれ、四人の激痛もわずかに和らぐ。しかし、リンクが切れたわけではない。
崩落した瓦礫の隙間から、這うようにして姿を現したカイル。その胸元には、青く、そして赤く脈打つ四本の血印の傷がはっきりと刻まれていた。
目の前には、武器を構えたまま、しかし自身の胸を驚愕の表情で押さえ、荒い息を吐く四人の最強の美女たちが立ちはだかっていた。彼女たちの瞳には、底知れぬ混乱と、魔力ゼロの男に向けられた冷酷な殺意が宿っている。
「……貴様、我が肉体に何をした……?」
竜帝イグニスが、喉を鳴らしながらカイルを睨みつける。だが、彼女が一歩踏み出そうとした瞬間、カイルの胸の血印が激しく発熱し、その激痛がイグニスの心臓へと直接還流した。
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