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不敬なる指先と、熱き鼓動

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防音と魔力遮断の結界が施された「漆黒のフィッティングルーム」は、密閉された濃厚な沈黙に支配されていた。壁一面を覆う黒いベルベットがランプの微かな光を吸い込み、中央に立つヴァルハイト帝国の女王、エルゼ・ヴァルハイトの姿を妖艶に浮かび上がらせている。


 彼女の緋色の髪が、肩口からはだけた白い肌の上で、まるで燻る炎のように揺れていた。黄金の瞳が、至近距離に立つユリオを鋭く射すくめる。だが、その瞳の奥には、羞恥と、己の命を蝕む呪いへの恐怖が、隠しきれずに揺らめいていた。


「……仕立て屋。これ以上、我を待たせるな。それとも、我が肌に触れるのが恐ろしくなったか?」


 エルゼは強がりの言葉を吐くが、その声は微かに震えている。手の甲のカサついた皮膚からは、今も微小な灰が空気中に溶け出していた。激痛と肉体の崩壊が、静かに彼女の精神を追い詰めているのだ。


 ユリオは深く息を吸い、首から下げたアンティークな「魂の採寸メジャー」を手に取った。職人としての冷徹なまでに真剣な眼差しを彼女へと向ける。


「恐れてなどいません、エルゼ様。ただ、これより行うのは、あなたの命を繋ぎ止めるための『施術』です。私は仕立て屋の矜持にかけて、妥協をしません。……『採寸時の不敬免除』を適用します。これより、あなたの肉体に直接触れさせていただきます」


 ユリオが厳かに宣言した瞬間、エルゼの体にまとわりついていた王族特有の「威圧のオーラ」が、まるで薄い衣が剥がれ落ちるように、淡い光の粒子となって消えていった。試着室という絶対中立の聖域が、彼女から「女王」の鎧を剥ぎ取り、ただの「一人の女性」へと引き戻したのだ。


「くっ……。好きにするが良い。ただし、不必要な接触を試みれば、この部屋を出た瞬間に首を刎ねるからな」


 顔を真っ赤に染め、そっぽを向くエルゼ。ユリオは静かに微笑み、一歩、彼女の懐へと踏み込んだ。


 二人の距離が、互いの吐息を感じ取れるほどに縮まる。ユリオは両手を伸ばし、彼女の細い首筋へとメジャーを回した。指先が、彼女の熱く火照った白い鎖骨へと、静かに触れた。


 その瞬間、ユリオの指先から「体温同調(サーマル・シンクロ)」の感覚が起動した。


(熱い……! まるで内側から炎で焼かれているようだ。それに、この鼓動の速さは……)


 指先を通じて、エルゼの異常な体温と魔力抵抗が、ユリオの脳内へダイレクトに流れ込んでくる。同時に、彼女の心臓が、まるで捕らえられた小鳥のように激しく脈打っているのが伝わってきた。羞恥と緊張、そしてユリオの指先がもたらす冷涼な魔力への戸惑いが、彼女の鼓動を狂わせている。


 ユリオが持つ「魂の採寸メジャー」が、彼女の肌に触れたことで青白く光り始めた。メジャーの革の表面に、彼女の正確なサイズとともに、精神の動揺を示す魔力の数値が、キラキラとした光の文字となって浮かび上がる。数値は、彼女の「ときめき」と「恥じらい」が極限に達していることを示していた。


「ふあ……っ!?」


 エルゼの口から、押し殺したような艶やかな吐息が漏れた。ユリオの冷たい指先が彼女の熱を優しく吸収していく感覚に、彼女の背中が小さく弓なりに反る。


「動かないでください、エルゼ様。誤差は一ミリも許されません」

「お、おのれ……。この我を、このような目で、このような手で……」


 エルゼは黄金の瞳を潤ませ、怒りと羞恥の入り混じった表情でユリオを睨みつける。だが、ユリオの瞳は、いやらしい欲望など微塵も宿していない、極限まで澄み切った職人のものだった。


 ユリオは精神をさらに集中させ、胸の中央にある「糸巻きの痣」に魔力を通した。


「呪詛視(カース・アイ)」――起動。


 ユリオの瞳が淡い銀色の輝きを放ち、エルゼの美しい肉体を透かして、その魔力器官を捉えた。彼女の心臓の奥底、そして主要な経絡の分岐点に、黒くひび割れた炎のトゲ――「灰化の炎呪」の呪糸が、無数に絡みついているのがはっきりと見えた。


 特に、鎖骨の奥と肩甲骨の間に、呪詛が集中する「結節点(ノード)」が存在している。


「失礼します。骨格の歪みと、呪いのトゲの正確な深さを測ります」


 ユリオはメジャーを滑らせながら、彼女の背中へと回り込んだ。そして、無防備に晒された彼女の背中、美しい肩甲骨の周囲に、直接指先を当てた。「骨格呪詛診断」の開始である。


 ユリオの細い指先が、彼女の背骨に沿って滑り、歪みを診断していく。エルゼの体は、ユリオが触れるたびにビクビクと小さく震えていた。その震えは、羞恥だけのものではなかった。肉体が灰となって崩れ去ることへの、底知れない恐怖。そして、帝国の王座を背負い、主戦派のゲオルグ大公ら周囲の敵に弱みを見せられないという、孤独な重圧がもたらす震えだった。


(この人は、ずっと一人で耐えてきたんだ。誰にもこの恐怖を打ち明けられず、高慢な態度で自分を武装して……)


 体温同調を通じて、エルゼの「孤独な本音」がユリオの心に流れ込んでくる。ユリオの胸に、職人としての、そして一人の男としての強い包容力が芽生えた。この頑なな鎧をまとう少女を、自分の仕立てる服で、優しく包み込んで救いたい、と。


「エルゼ様……もう、一人で無理に鎧をまとう必要はありませんよ。ここでは、あなたはただの顧客であり、守られるべき一人の女性です」


 ユリオが彼女の耳元で、穏やかに、だが絶対的な安心感を与える声で囁いた。同時に、彼の指先から「感情の調律」の波動が、彼女の背中を通じて伝播していく。


「な……何を、不遜なことを……」


 エルゼは言い返そうとするが、言葉が続かない。ユリオの温かく清浄な魔力が、彼女の荒んだ心を深い安らぎで満たしていく。彼女の頑ななプライドが、試着室の暗闇の中で、ゆっくりと氷解していくのが分かった。


 だが、その瞬間、彼女の心臓の奥の呪詛が、ユリオの清浄な魔力に反発するように激しく脈打った。エルゼの顔が劇的な苦痛に歪み、彼女はユリオの胸に崩れ落ちかける。


「う、ぐっ……! 炎が、胸の奥が、燃える……!」


 灰化の炎呪が暴走を始め、彼女の白い肌から黒い火花が吹き出しそうになる。ユリオは躊躇うことなく、崩れ落ちる彼女の体を片腕でしっかりと抱き留めた。その豊かな胸元と、肌の熱がダイレクトにユリオの体に伝わる。


「痛覚縫合(ペイン・ステッチ)を施します。少しだけ、我慢してください」


 ユリオは右手の人差し指に嵌めた「銀の魔導糸の指輪」を輝かせ、仕立て用の頑丈なミスリル針を構えた。呪詛視で捉えた、彼女の鎖骨の奥にある呪いの結節点(ノード)――そこへ向けて、自身の生命魔力を通した極細の魔導糸を、一針、素早く突き刺した。


 キィン、と試着室の空間に、極小の金属音が響き渡る。


 ユリオの針が彼女の肌に触れた瞬間、彼女の体から立ち上っていた黒い煙と激痛の霧が、嘘のように消え去った。代わりに、彼女の鎖骨の表面に、温かい光を放つ美しい銀色のシーム(縫い目)が浮かび上がる。


「あ……っ……」


 エルゼは大きく目を見開き、自身の胸元に手を当てた。長年、彼女を昼夜問わず苦しめ続けていた、あの焼き尽くすような激痛が、完全に消失していた。


 痛みが消えた安堵と、初めて得られた深い安らぎに、エルゼの黄金の瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。


「痛みが……消えた……? 温かい、魔力が、我が内を満たしていく……」


 エルゼはユリオの胸に顔を埋めたまま、信じられないというように呟いた。ユリオは彼女を優しく支えながら、額ににじみ出た汗を拭った。彼女の痛みの残滓を一時的に指先から引き受けたため、ユリオの右腕には激しい疲労と痺れが残っていたが、その表情には職人としての確かな達成感があった。


「……ですが、これはあくまで一時しのぎに過ぎません」


 ユリオは静かに、しかし重大な事実を告げるために彼女の肩を優しく押し戻し、その黄金の瞳を見つめた。


「あなたの体内の『灰化の炎呪』は、想像以上に根が深いです。この暴走を完全に抑え込み、あなたの命を本当に救うためには……中立都市の闇市場にのみ流通するという、伝説の『白銀の魔導糸』を用いた、新しい抑制ドレスを仕立てる必要があります」


 その言葉は、彼らがこれから立ち向かうべき、新たな危険と混沌に満ちた裏社会への挑戦を意味していた。エルゼは潤んだ瞳でユリオを見つめ返し、彼の手を強く握りしめるのだった――。

HẾT CHƯƠNG

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