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暴虐の代償

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泥染めの包帯の下で、右足は完全に冷たい「鉄の塊」と化していた。残された時間は、呼吸三回分の極限の戦闘のみ。夜叉丸は、新之助を救い出すため、大山門の闇へと静かに這い戻っていった。


 天照山の夜霧は、炭焼きの勘吉が放った湿った薪の煙と混ざり合い、大山門の周囲を乳白色の深淵へと変えていた。視界は三歩先すらおぼつかない。だが、右足の感覚を完全に失った夜叉丸にとって、この白濁の闇こそが唯一の味方だった。


 お蘭の薬種店で施された「寒氷草」の湿布は、凄絶な破壊と引き換えに、右足の白熱するような激痛を凍てつく無感覚へと変えていた。一歩を踏み出すたび、骨折して歪んだ骨が肉を裂く感触はある。しかし、脳がその痛みを感知しない。ただ、鉛のように重い右足を、左足の強靭な跳躍力と腰の旋回だけで強引に引きずり回しているに過ぎなかった。


(長時間は持たない。寒氷草が神経を完全に焼き尽くす前に、全てを終わらせる)


 夜叉丸はボロ布のフードを脱ぎ捨て、懐から「赤塗りの般若面」を取り出した。門番小屋の端材を削り、裏切り者の血で染め上げたその不気味な仮面を、自らの顔に革紐で強く縛り付ける。仮面を装着した瞬間、視界は左右三十度に制限され、呼吸は般若の口を模した隙間から細く吐き出されるのみとなった。同時に、泥と炭で染め上げた漆黒の「泥染めの黒衣」が、夜霧の水分を吸って彼の輪郭を完全に闇へと同化させていく。


 ここからが、大山門の防衛網を掻い潜る綱渡りだった。


 夜叉丸は、大山門の裏手に回り込んだ。そこには、事前に安酒と「血銭」で買収しておいた衛兵、甚平の持ち場がある。霧の向こうから、不規則で重い呼吸音が聞こえてきた。甚平だ。彼は夜叉丸が融通した強い濁り酒に酔い潰れ、槍を抱え込んだまま、大山門の裏壁に背を預けて深い泥睡に落ちていた。夜叉丸が計算した「空白の数分間」は、確かに確保されていた。


 だが、真の脅威は別にある。


(……来る)


 夜叉丸は、濡れた泥の上に完全に身を伏せた。泥中を滑るように低姿勢で移動する「泥中滑走歩」を使い、大山門の砂利道との境界へ近づく。その時、大山門の正面から、規則正しい、だが極めて軽い足音が近づいてきた。


 夜警隊長、「鉄爪の鬼火」だ。


 鬼火の両手には、鋭い三本の鉄爪が装着され、夜霧の中で冷たく光っている。彼は異常なほど聴覚が鋭く、大山門周辺の「かすかな砂利の音」すら聞き逃さない。風が僅かに止み、夜叉丸の足元の砂利が、彼の体重移動の余波で小さく「チリ……」と擦れ合った。


 その瞬間、鬼火の足音が止まった。鬼火の耳が、音のした方向へと鋭く向けられる。


(「寒氷呼吸法」、起動)


 夜叉丸は肺の奥深くに冷たい霧を吸い込み、心臓の鼓動を強制的に停止させるかのように、運気を極限まで沈静化させた。心拍数は毎分三十回以下へと急降下し、体温は周囲の濡れた泥と完全に同調していく。脳への酸素供給が途絶え、視界の端が冷たい灰色に染まる。凄まじい目眩が夜叉丸の精神を揺さぶるが、彼は指先一本動かさず、泥と同化する「絶対的静止」を貫いた。


 鬼火は鉄爪を構えたまま、数秒間、彫像のように動かずに耳を澄ませていた。だが、聞こえるのは嵐の去った後の木の葉から滴り落ちる雨垂れの音だけだった。夜叉丸が発する音も、熱も、生命の気配すらも、完全に消失していた。

「……野良猫か」

 鬼火は忌々しげに呟き、再びゆっくりと巡回へと戻っていった。その足音が遠ざかるのを確認し、夜叉丸はゆっくりと肺に空気を戻した。激しい眩暈と喀血の衝動が喉を突き上げたが、それを強引に飲み込む。寒氷草の毒素が、確実に彼の命を削り取っていた。


 夜叉丸は再び移動を開始した。外門練武場の奥にある、古びた木造の物置小屋。そこが、新之助が監禁されている拷問部屋だった。


 小屋の周囲には衛兵の姿はない。猪俣暴山が「下男への拷問を邪魔されるのを嫌い」、周囲の者を全て遠ざけたからだ。その傲慢さが、夜叉丸にとっては最高の間合いを作り出していた。


 夜叉丸は、小屋の湿った木壁に音もなく取り付いた。左足の親指に全神経を集中させ、壁の隙間に指先を掛け、音を立てずに這い上がっていく。屋根の隙間から、物置小屋の天井裏へと滑り込む。梁の上は埃と蜘蛛の巣にまみれていたが、夜叉丸の「無音の歩行」は、その埃すらも舞い上がらせない。


 天井裏の隙間から、夜叉丸は真下を見下ろした。


 物置小屋の内部は、一本の松明の赤い光に照らされていた。部屋の中央にある頑丈な木の柱に、新之助が縛り付けられている。彼の継ぎ接ぎだらけの短い着物は引き裂かれ、背中には暴山の拷問鞭によって刻まれた生々しい肉割れの傷から、血が滴り落ちて床を赤く染めていた。新之助は力なく頭を垂れ、かろうじて息をしている状態だった。


 そして、その前に腰を下ろしているのが、鉄剣会の残虐な巨漢、猪俣暴山だった。


 暴山は百五十キロを超える巨体を木箱に預け、傍らに置いた濁り酒の徳利から、直接酒を煽っていた。その顔は醜く赤く染まり、目はサディスティックな悦びにギラギラと輝いている。彼の太い指先が、拷問台の上に並べられた、錆びついた鉄製のペンチや針を愛おしそうに弄んでいた。


「おい、新之助よぉ……」

 暴山は不気味な笑みを浮かべ、新之助の濡れた髪を乱暴に掴み上げて顔を上向かせた。

「お前が健太を殺して、金を奪ったんだろ? 正直に吐きゃあ、一瞬で首を撥ねてやる。だがなぁ、黙ったままだと、夜明けまでにその爪を一枚ずつ、このペンチで剥いでいくことになるぞぉ」


 新之助は腫れ上がった目をかろうじて開き、掠れた声で、だがはっきりと答えた。

「ぼ、僕じゃない……。夜叉丸兄貴も……何も知らない……」

「あぁん? あのゴミ門番の名前を出すんじゃねえよ。あの足の不自由な犬が、健太を殺せるわけがねえだろ。……よし、まずはその生意気な指先から、躾けてやるか」


 暴山は不気味に笑いながら、机の上の重い鉄ペンチを手に取った。そして、新之助の細く震える人差し指へと、その錆びた刃先をゆっくりと近づけていく。


 天井裏の暗闇の中、般若面の下で、夜叉丸の瞳が極限まで冷たく研ぎ澄まされた。


 彼の右手は、錆びた薪割り刀の柄を、音もなく握りしめていた。寒氷草の麻痺効果が、右足の感覚を完全に奪っている。残された時間は、あと僅か。暴山がペンチを新之助の指に掛けようとした、まさにそのコンマ一秒の瞬間、夜叉丸は天井裏から、音もなく真下へと舞い降りた。

HẾT CHƯƠNG

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