熱砂の誓い、散りゆく鉄花
「あと一刻……あと一刻、炉の火を絶やすな!」
趙大刀の絶叫が、鍛冶場に満ちる焦熱の空気を震わせた。その直後、雷鳴のごとき轟音とともに分厚い木壁が内側へと弾け飛んだ。飛び散る木片と土煙の向こうから、二メートルを超える巨大な鋼鉄の影が雪崩れ込んでくる。太守府の放った狂戦士、鉄槌(テッツチ)である。
言葉を持たぬ殺人機械は、侵入と同時にその巨大な鉄槌を頭上高くに掲げた。遠心力を伴って振り下ろされる巨槌は、趙大刀が命をかけて守る炉、そしてその傍らにいる小空をまとめて粉砕せんとする軌道を描いていた。
「小空、動くな!」
鉄猛の「殺気感知」が、敵の凶刃が描く死の線を正確に捉えた。背負った「天啓の鉄匣」が、敵の放つ狂気的な殺気に呼応するように微かに共鳴する。大刀が炉の中にある今、彼には武器がない。左腕はだらりと下がったままで、動かすことすら叶わない。右手一本、そして己の肉体だけが、この窮地を切り抜ける唯一の盾だった。
鉄猛は迷うことなく小空の前に立ちふさがった。重心を極限まで下げ、両足を大地の奥深くへと融着させるがごとく固定する「千斤墜(せんきんつい)」を発動する。同時に、丹田から沸き立つ内力を皮膚の直下へと急速に集約させ、全身の筋肉を鋼鉄化する「鉄骨硬気功」を巡らせた。彼の皮膚が、焦熱の光を反射して鈍い黒鉄色へと変色していく。
ズゥゥゥン!
鉄槌の巨槌が、鉄猛の掲げた右腕と正面から激突した。肉体と鋼鉄がぶつかり合ったとは思えぬ、地を揺るがすような金属音が鍛冶場に響き渡る。衣服の下に仕込んだ「鉄骨鎧」が衝撃を物理的に分散したものの、一流の達人たる鉄槌の圧倒的な質量と剛力は、鉄猛の右腕の骨をきしませ、内臓へと直接凄まじい振動を伝えた。
「ぐ、うっ……!」
喉の奥に熱い血がせり上がり、口端から一筋の黒い血が流れ落ちる。それと同時に、左肩の古傷から「ミシッ」と不穏な破壊音が響いた。全身の関節が悲鳴を上げ、肉体が耐えられる運動強度の限界――「筋骨限界(きんこつげんかい)」が容赦なく彼を蝕んでいく。右手一本でこれほどの衝撃を受け止め続けることは、彼の老いた肉体を内側から自己崩壊させるに等しかった。
「お師匠様!」
阿飛が叫び、青鋼の短剣を抜いて地を蹴った。彼は左右非対称の不規則な軌道を描く「蛇行歩」を繰り出し、鉄槌の死角へと回り込む。鉄槌が鉄猛を押し潰そうと全神経を集中させているその隙を狙い、阿飛は鎧の継ぎ目である膝の裏へと短剣を突き立てた。
「おおおっ!」
鋭い金属音が響き、短剣の先が鉄板の隙間を貫いて鉄槌の肉に達した。鉄槌は短い呻き声を上げ、鉄猛に加えていた力を緩めると、鬱陶しい羽虫を払うように巨大な腕を横へと振り抜いた。阿飛はその強烈な裏拳を辛うじて短剣の腹で受け止めたが、衝撃に耐えきれず、後方の薪の山へと激しく吹き飛ばされた。
「阿飛!」
頑石が叫び、肺の奥から漏れる重く湿った咳を堪えながら前に出た。彼の「金剛不壊盾術」が発動し、巨大な玄鉄の大盾が、鍛冶場の壊れた入り口から侵入しようとする太守府の州兵たちの行く手を塞ぐ。しかし、頑石の呼吸は異常に荒く、その巨体は病魔の進行によって目に見えて重くなっていた。彼が盾となって耐えられる時間も、そう長くはないことは明らかだった。
「鉄猛、あと一撃……あと一撃で焼き入れが完了する! 持ちこたえろ!」
炉の前で、趙大刀が全身から滝のような汗を流しながら、ふいごを狂ったように動かしていた。炉の温度は白熱の極限に達し、赤く焼けた九環大刀の刀身に、西域産の「玄鉄の削り粉」が不気味な黒い粒子となって融解し、鋼の奥深くへと吸い込まれていく。刀身が、まるで生き物のように脈動し、冷たい輝きを放ち始めていた。
鉄槌は阿飛の攻撃に怒り狂い、再び巨槌を振り上げた。今度は、鉄猛の動かない左半身、すなわち完全な死角を狙った無慈悲な一撃だった。
(――動け、我が身体よ!)
鉄猛は心の中で叫んだ。左肩の筋が部分断裂し、激痛で意識が飛びそうになるのを、「調息調気法」による一瞬の呼吸で強引に繋ぎ止める。彼は右手一本で、鉄槌の巨槌の軌道を見極め、避けるのではなく、その自重を利用して受け流す戦術を取った。巨槌が振り下ろされた瞬間、鉄猛は右手を伸ばし、槌の柄の結合部を正確に叩いた。軌道をわずかに逸らされた巨槌は、鉄猛の耳元をかすめ、鍛冶場の床の土を深く穿った。
「今だ、鉄猛! 受け取れ!」
趙大刀が咆哮した。彼は真っ赤に焼けた、しかし玄鉄の補強によって漆黒の冷たい光を宿した新生「九環大刀」を、素手で炉から引き抜くと、鉄猛に向かって放り投げた。
空を切って飛ぶ大刀。鉄猛は右手へと内力を集中させ、その柄を空中で完璧に掴み取った。掴んだ瞬間、大刀の背に通された九つの鉄環が「シャン、シャン、シャン!」と、かつてないほどに剛烈で、澄んだ金属音を響かせた。玄鉄の削り粉によって刀身の密度と硬度は劇的に向上し、鉄猛の「鉄腕」にこの上なく馴染む、不滅の刃へと生まれ変わっていた。
「おおおおおっ!」
鉄猛の口から、地鳴りのような咆哮が漏れた。彼は「筋骨限界」による左肩の激痛を、沸き立つ闘志と内力で強引にねじ伏せ、大刀を右手一本で上段へと掲げた。新生九環大刀の刃先に、半透明の鋭い「刀気」が立ち上る。
「鉄骨九環刀――一刀両断(いっとうりょうだん)!」
振り下ろされた一刀は、空間そのものを切り裂くような轟音を伴っていた。鉄槌は本能的な恐怖を感じ、巨大な鉄槌を盾にしようと掲げたが、新生九環大刀の圧倒的な硬度と破壊力の前には、いかなる防具も無意味だった。
キィィィン――ザシュゥゥゥ!
大槌の鉄頭が紙のように真っ二つに裂け、続いて鉄槌の全身を覆う分厚い鉄板鎧が、不気味な火花を散らしながら縦に両断された。鉄槌の巨体は、一言の呻き声も上げることなく、左右へと綺麗に分かれて砂地へと崩れ落ちた。分厚い鉄板鎧すら容易に切り裂く、圧倒的な切れ味。これこそが、新生九環大刀の真の姿だった。
しかし、勝利の余韻に浸る時間は一瞬たりとも残されていなかった。
「囲め! 逃がすな! 矢を放て!」
鍛冶場の外から、無数の怒号と、甲冑の擦れる金属音が押し寄せてくる。壊れた壁の隙間から外を見れば、太守府の用心棒「雷轟」が率いる州兵の増援が、すでに鍛冶場を幾重にも包囲していた。脱出路である南門も北門も、完全に槍衾の壁によって塞がれている。
鉄猛は趙大刀を連れ出そうと、彼の方へ歩み寄った。しかし、趙大刀は炉の傍らに座り込んだまま、自らの腹部を片手で押さえていた。その指の隙間から、黒い血が不気味に流れ落ちている。彼は、鉄槌が乱入した際の混乱の中、すでに敵の放った毒矢に射抜かれていたのだ。その顔色は急速に土色へと変わりつつあった。
「趙大刀、手を貸せ! 共に脱出する!」
「無駄だ、鉄猛……」趙大刀は力なく首を振った。その瞳には、しかし職人としての、そして一人の侠客としての、決して消えない誇りの炎が揺らめいていた。「俺の命は、この毒でもう長くはない。だが……あんたに渡したあの刀は、俺の魂そのものだ。俺の叩いた刀を信じろ、そして……そのガキを生きて目的地へ届けてくれ!」
「趙大刀!」
「行け! 鉄骨鏢局の掟を、信義を、ここで終わらせるな!」
趙大刀は最後の力を振り絞り、炉の背後に備蓄されていた、火器製造用の大量の黒色火薬の樽へと這い寄った。彼はふいごの風を逆流させ、炉の白熱した火花を火薬樽へと強引に吹き込ませた。
「走れぇぇぇっ!」
趙大刀の最期の絶叫が響いた。鉄猛は涙を噛み締め、背後に隠れていた小空を右手で抱きかかえると、薪の山から這い上がった阿飛の襟首を掴み、北側の崩れた壁へと向かって脱兎のごとく跳躍した。
「千斤墜――!」
空中で鉄猛は自らの重心を極限まで高め、小空と阿飛を自らの分厚い背中の下に隠すようにして地面へと着地した。その直後、鍛冶場全体が、天を衝くような紅蓮の爆炎とともに吹き飛んだ。
ドガァァァン!
猛烈な爆風と衝撃波が鉄猛の背中を襲う。衣服の下の「鉄骨鎧」が熱気と衝撃を防いだが、背中に受ける物理的な衝撃は凄まじく、鉄猛は激しく吐血しながらも、その場に仁王立ちのまま耐え抜いた。崩落する炎と煙、そして飛び散る鉄の火花が、夜明けの砂漠を赤く染め上げていく。
「お師匠様……趙大刀のおじさんが……」
阿飛が、燃え盛る鍛冶場の廃墟を見つめながら、声を詰まらせた。小空は鉄猛の胸の中で、恐怖と悲しみに震えながら、木彫りの小刀を血がにじむほどに固く握りしめていた。
「……振り返るな。走るぞ」
鉄猛は、趙大刀の最期の言葉をその胸に深く刻み込んだ。多くの人々の犠牲の上に、この「鏢」は運ばれている。その事実が、彼の肩に、天啓の鉄匣よりも重い精神的責任――「侠義」の重みを課していた。彼は大刀を握り締め、阿飛が確保していた馬車へと二人を乗せ、孤境の町外れへと続く暗い街道へと馬を走らせた。
鍛冶場の崩壊による大混乱の中、彼らは包囲網の最も薄い北の街道へと脱出することに成功した。燃え盛る鍛冶場の煙が、夜明けの空に黒い龍のように立ち上っている。
だが、逃亡の安堵が彼らを包むことはなかった。
街道の先、朝霧が立ち込める一本道の真ん中に、一人の男が静かに佇んでいた。紫色の不気味な刀気をまとった剛刀を肩に担ぎ、冷酷な笑みを浮かべる男――太守府の第一の用心棒、雷轟(ライゴウ)であった。
「趙大刀の自爆には驚かされたが……ここまでだ、鉄猛。そのガキと黒い箱を置いて、ここで大人しく灰になれ」
雷轟の剛刀から放たれる、雷鳴のような鋭い刀気が、朝霧を切り裂いて鉄猛たちの行く手を完全に阻んだ。
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