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深夜の禁書庫と汚れた帳簿

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深夜の盟主府は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。しかし、静心閣(セイシンカク)の主である古小魚(コ・ショウギョ)にとって、その静寂はむしろ死神の足音のように不気味だった。


「う、うう……胃が、胃が千切れる……」


小魚は豪華な金糸大袍(きんしだいほう)の胸元を掻きむしり、豪華なベッドの上でのたうち回っていた。昼間、演武場で華山派の一番弟子・岳飛雲(ガク・ヒウン)の挑戦を『鞘のロック細工』という泥棒の手品で退けた代償は、あまりにも大きかった。極限の緊張が彼の脆弱な胃壁を焼き、冷や汗が顔に貼り付けた「蛇皮の変装マスク」の接着剤をじわじわと溶かしていく。口の中に酸っぱい鉄の味が広がり、小魚は枕に顔を押し当てて呻いた。


生き延びた。確かに昼間は、相棒の包子(パオズ)との完璧な連携で、あの傲慢な天才剣士を『不戦の教え』という大嘘でひれ伏せさせた。だが、高台から見下ろした亡き盟主の娘、謝青桜(シャ・セイオウ)のあの氷のように冷たい瞳が、小魚の脳裏から離れない。彼女は騙されていない。父である沈長青(シン・チョウセイ)が、弟子を教え諭すためにあんな奇妙な『手品』を使うはずがないと、直感的に見抜いているのだ。


(あの娘は、近いうちに必ず仕掛けてくる。言葉や小細工が通用しない、直接的な『内力の測定』……手首を握られて脈を診られたら、その瞬間に俺が武功皆無のコソ泥だってことがバレて、切り刻まれる!)


逃げ道はなかった。華山派を牛耳る三長老たちは、自分を傀儡として操るために徹底的に監視している。そして謝青桜は、父の正体を暴こうと牙を研いでいる。この包囲網を破り、彼らの支配から脱却するには、こちらから主導権を握るしかない。


小魚は痛む胃を押さえながら、懐から「亡き盟主の日記」を取り出した。白檀の香煙が薄暗い寝室に漂う中、彼は何度も暗記したページを脳内でめくった。沈長青が遺した、華山派の闇の記録。そこには、財務を担当する二長老・趙無極(チョウ・ムキョク)の致命的な弱点が記されていた。


『二長老・趙無極は、盟主府の公金を揚州の塩商ギルドの会長・金万両を通じて私的に洗浄し、莫大な富を築いている。その決定的な証拠となる裏帳簿は、歴代盟主しか立ち入りを許されぬ地下深くの禁書庫に封印した』


小魚の目が、暗闇の中で鋭く光った。


「あの強欲な趙無極を脅迫し、俺の『からくり開発資金』を吐き出させる。そのためには、その汚れた帳簿が絶対に必要だ」


小魚は覚悟を決めた。彼はベッドから滑り降りると、金糸大袍の下に、泥棒時代に愛用していた黒い軽装を忍ばせた。手首の内側には「仕掛け鉄扇「玄機」」を固定し、懐には細い針金と、父・古千手が遺した泥棒の聖典「盗経(とうきょう)」の記憶を詰め込む。深夜の盟主府へ、ただのコソ泥としての『仕事』を開始する時間だった。


静心閣の裏戸を音もなく開き、小魚は夜の闇に身を投じた。華山派の警備兵たちの巡回ルートは、昼間のうちに「嘘の匂い嗅ぎ」の観察眼で完全に把握している。風が松の葉を揺らす音に自身の足音を同期させ、影から影へと滑るように移動する。武功の軽功は使えないが、人の視線の死角を突く「空空泥棒術」の歩法は、超人たちの目すらも欺くことができた。


険しい岩肌を削って作られた地下通路を降りていくと、空気は急激に冷え冷えとし、湿気を帯びていった。最深部に到達した小魚の目の前に、巨大な鋼鉄の扉が立ち塞がった。「華山・禁書庫(カザン・キンショコ)」。歴代盟主以外、入るだけで死罪とされる絶対の禁地である。


扉の中央には、鈍い光を放つ重厚な真鍮の錠前が鎮座していた。「九重の複雑なカラクリ錠」だ。本来なら、盟主の印章である「龍紋玉璽」を鍵として差し込まねば開かない。だが、小魚は懐から、一本の極細の鋼鉄製のヘアピンを取り出した。


「一流の嘘つきは、まず自分自身を騙す。そして、一流の泥棒は、錠前と対話する」


父の言葉が脳裏に蘇る。小魚は冷たい鋼鉄の扉に耳を押し当て、ヘアピンを鍵穴の奥深くへと静かに差し込んだ。彼の指先は、常人の十倍以上の触覚感度を持っている。鍵穴の内部で、極小の真鍮のピンがバネの力で押し返してくる微細な抵抗を、指の皮膚だけで感じ取る。


カチリ。


第一のピンが上がった。だが、これはまだ一重目に過ぎない。二重目、三重目と進むにつれ、内部の構造は複雑な迷路のようになっていく。焦って力を込めれば、内部のギアが噛み合い、警報の鐘が鳴り響くか、あるいは鍵穴から猛毒の針が噴き出して即死する。


(落ち着け……。呼吸を一定にしろ。胃痛に惑わされるな)


額から冷たい汗が流れ、目に入って視界を遮る。胃の奥から鋭い痛みが突き上げ、肺が空気を求めて激しく痙攣した。咳き込みそうになるのを、小魚は自らの唇を噛み切ることで強引に抑え込んだ。口の中に広がる鉄の味が、彼の意識を冷徹に引き戻す。


指先をコンマ数ミリの精度で微振動させ、五重目、六重目のピンを解除していく。八重目のピンに達した瞬間、内部で「カチリ」と不自然に重い音が響いた。ギアが逆回転しかけている。


(しまっ――!)


小魚は瞬時に指先を止め、ヘアピンを引いた。あと一呼吸遅ければ、毒ガスが噴き出すところだった。彼は深呼吸をし、心拍数を意図的に下げた。これぞ「絶対的パニック耐性」。死の淵にあっても、彼の脳の一部は冷酷なほど冷静に、次の『嘘(選択)』を組み立てていた。再度針を刺し込み、今度は逆の角度から圧力をかける。


カチ、カチ、カチ――。


最後の一打が響き、重さ数百斤の鋼鉄扉が、音もなく内側へと滑り開いた。小魚は素早く滑り込み、背後の扉を元の位置へと戻した。


禁書庫の内部は、埃と古い紙の匂いに満ちた、不気味なほど静かな空間だった。しかし、ここからが本当の地獄だった。床の石畳をよく見ると、微かに色の違う部分が格子状に並んでいる。「感圧板の矢の罠」だ。一歩でも踏み外せば、壁の隙間から数千本の鋼鉄の矢が放たれ、侵入者を肉塊に変える。


小魚は「盗経」に記された幾何学の死角を思い出した。


「……光のある場所には、必ず人の歩いた軌跡が残る。達人であっても、体重をゼロにすることはできない」


小魚は姿勢を極限まで低くし、床の塵の積もり具合を凝視した。微かに塵が薄く、石畳の角が磨耗している一筋のルートが見える。歴代盟主が歩いた、唯一の安全な道だ。小魚はスリの足運びで、体重を爪先に均等に分散させながら、その細いルートを正確にトレースしていく。


突然、胃が激しく痙攣した。身体のバランスが崩れ、右足が安全なルートから数寸外れた石畳を踏みそうになる。


(動くな!)


小魚は空中で無理やり身体を捻り、左膝を床に突き立てることで、落下を阻止した。安全な石畳の表面に、彼の冷や汗がポタポタと滴り落ちる。心臓が破裂しそうなほど激しく叩いていた。息を整え、彼は再び立ち上がった。


書庫の最奥、歴代盟主の肖像画が掲げられた祭壇の下に、隠し引き出しがあった。小魚は仕掛け鉄扇の先端を使い、引き出しの裏側に仕込まれた極小の毒針トラップを静かに解除する。そして、中から一冊の古い、革表紙の帳簿を取り出した。


ページをめくると、そこには趙無極の精緻な筆跡で、揚州の塩商ギルド・金万両との間で交わされた、公金の洗浄ルートと、毎月の横領額が克明に記録されていた。これこそが、二長老の息の根を止める「汚れた帳簿」だった。


「手に入れたぞ……!」


小魚は帳簿を懐の金糸大袍の奥深くへと滑り込ませた。これで、趙無極は俺の命令に逆らえなくなる。からくり装置の開発資金も、脈を偽装するための薬品も、すべてこの男の裏金から引き出せる。


安堵の笑みが小魚の唇に浮かんだ、その瞬間だった。


カツン――。


禁書庫の鋼鉄扉の外から、冷たく、規則正しい足音が地下通路に響き渡った。地響きのように重く、一切の迷いのない歩調。その足音の主を、小魚は一瞬で理解した。


(鉄面判官……!)


華山派の規律を絶対視する執法長老、鉄面判官(テツメン・ハンガン)だ。彼は盟主であっても規則違反があれば容赦なく弾劾する、この盟主府で最も厄介な司法の番人だった。深夜の禁書庫の巡回。もしここで見つかれば、どれほど盟主の威厳を装おうとも、「深夜の禁地への無断侵入」という規律違反で、その場で拘束され、徹底的な取り調べを受けることになる。そうなれば、偽物の正体は一瞬で暴かれる。


足音は、鋼鉄扉のすぐ前で止まった。


「……ふむ。扉の角度が、コンマ数ミリずれているな」


扉の外から、鉄面判官の冷徹な、金属が擦れ合うような声が聞こえてきた。真鍮製の判官筆が、カチリと音を立てて構えられる気配が伝わる。


古小魚は禁書庫の暗闇の奥、本棚の影に身を潜め、金糸大袍の袖を白く染まるほど強く握りしめた。胃の激痛が再び彼を襲うが、彼は呼吸の音さえも完全に消し去り、暗闇の同化へと神経を研ぎ澄ませた。扉がゆっくりと開き始め、一筋の松明の光が、書庫の内側を冷酷に照らし出していく。

HẾT CHƯƠNG

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