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白亜の偽善、審問官の来訪

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意識が覚醒した瞬間、アレンの脳を支配したのは、頭蓋の裏を直接炙られるような灼熱と、右目の奥に広がる濃い暗闇だった。


「マリーは……マリーは無事か……」


 掠れた声でアレンが呟くと、ベッドの傍らに控えていた老執事セバスチャンが、静かに、しかし深く頭を下げた。


「ご安心を、アレン様。オットーが持ち帰った『霧の谷の魔導霧草』を、料理長のニコラがただちに調合し、マリー様へ投与いたしました。暴走していた魔力毒は一時的に完全に凍結され、お命に別条はございません。現在は奥の寝室で、穏やかに眠っておられます」


 その言葉を聞いた瞬間、アレンの胸を万力のように締め付けていた不協和音の痛みが、微かに和らいだ。最愛の妹を救うという内面的な誓いは、ひとまず果たされたのだ。だが、引き換えに支払った代償はあまりにも大きかった。アレンは自らの左腕に意識を向けたが、指先一つ動かない。完全な麻痺。さらに、シーツの上に散らばる自らの髪を見つめれば、その毛先はまた一段と白銀の領域を広げていた。感覚共有と魔脈演算の過負荷が、彼の脆弱な肉体から確実に寿命を削り取っている証拠だった。


「アレン様、まだお体を動かしては――」


 城内専属医師のルイーゼが制止の声を上げるのを手で遮り、アレンは自らの意志で魔導車椅子「レガリア」へと体を移した。車椅子に組み込まれた古代の浮遊石が、アレンの微弱な精神波を感知して静かに青い光を灯す。しかし、その駆動音はどこか不規則で、前回の地磁気の乱れによる負荷から完全には回復していないことを示していた。


「休んでいる時間はない、セバスチャン。城門が騒がしいな。何が起きている?」


 セバスチャンの老いた顔に、深い憂慮の影が走った。


「……聖光教団の異端審問官、ジュディスと名乗る者が、百名の聖光騎士を引き連れてグレイロード城の門前に到着しております。彼らは、城内に潜伏する『魔族の調査』を名目に、強制的な立ち入り検査を要求しており、ヴァンとレオが門前で辛うじて押し留めている状態です」


「教団の猟犬が、もう嗅ぎつけてきたか」


 アレンは残された左目で窓の外を見つめた。夜明けの冷たい朝霧の中、城門の前には白銀の甲冑を纏った騎士たちが整然と並び、その中心には純白の戦闘ローブに身を包んだ女が立っていた。彼女こそが異端審問官ジュディス。表向きは平和の使者を装いながら、その瞳の奥には、領内の魔族を根絶やしにするための狂信的な偽善の光を宿している。


 城内には、吸血鬼の女王エリザベート、エルフの皇女ファラ、そして獣人の女王ゲルダの使節団が滞在している。もし教団の強制捜査を許し、彼女たちの存在が公になれば、グレイロード領は即座に血塗られた戦場と化す。アレンは深く息を吸い込み、自らの冷徹な知性を極限まで研ぎ澄ました。


「レガリアを動かせ、セバスチャン。私が直接、あの白亜の偽善者を出迎える」


 城門の重厚な石造りの広場には、張り詰めた沈黙が満ちていた。満身創痍で大盾を失ったヴァンが、亀裂の入った鎧を軋ませながら教団の前に立ちはだかり、レオが鋭い眼光で細剣の柄を握りしめている。


「そこを退きなさい、グレイロードの兵士たち。神聖なる教皇の委任状に基づき、これより城内の不浄なる魔族の調査を行う」


 ジュディスの冷酷な宣告が、朝霧を切り裂いて響いた。彼女は純白のローブの袖から、金色の刺繍が施された教皇の直筆委任状を取り出し、ヴァンに突きつけた。その背後では、聖光騎士たちが魔導剣に微弱な光を灯し、いつでも武力突撃を行う構えを見せている。


「……我が領主の許可なき立ち入りは、いかなる権威であっても認められん」


 ヴァンがかすれた声で応じるが、盾を失った彼の防御陣形は、百名の精鋭を前にしてあまりにも脆弱だった。ジュディスは軽蔑を隠そうともせず、薄い唇を歪めた。


「無駄な抵抗は、自らが異端の協力者であることを証明するだけですよ。それとも、力ずくで神の正義を執行されることをお望みですか?」


 その時、城門の奥から、静かな駆動音とともに一台の車椅子が現れた。漆黒の貴族外套を羽織り、病的までに白い肌をした銀髪混じりの美青年――アレン・グレイロードが、静かにジュディスの前に滑り出してきた。


「朝早くから、随分と賑やかなお出ましですね、審問官殿」


 アレンの声は静かで、しかし広場全体に響き渡るほどの冷徹な響きを湛えていた。ジュディスはアレンの姿を認めると、一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに完璧な偽善の微笑を張り付かせた。


「お初にお目にかかります、アレン・グレイロード当主。私は教皇庁より遣わされた異端審問官ジュディス。この地に不浄なる魔族が潜伏し、人間を脅かしているとの告発を受け、調査に参りました。病弱な貴方では魔族の脅威に対抗できないでしょう。さあ、私に超法規的審問権の署名を。我々が貴方と領民を保護して差し上げます」


 ジュディスは慇懃に書類を差し出し、アレンに署名を迫った。署名すれば、領地内の司法・軍事権は教団に奪われ、実質的な支配権を失う。それは「最下層の当主」への格下げを意味していた。


 しかし、アレンは車椅子の上で微動だにせず、懐から一冊の古びた法典を取り出した。


「お言葉ですが、ジュディス殿。我がグレイロード領には、初代当主ジークハルトが定め、中央帝国および聖光教団も署名した『グレイロード領地法・外交特権条項』が存在する。城内において、領主の許可なき軍事行動および魔法行使はすべて『違法』となる」


「ふふ、そのような地方の小法律が、教皇の委任状に勝るとお思いですか?」


 ジュディスは冷笑したが、アレンは残された左目で彼女を冷酷に射すくめた。


「では、五十年前、聖光教団が帝国と交わした『境界中和条約』の第十二条をご存知ないわけではあるまい。そこには『国境の緩衝地帯における外交交渉および使節の安全は、当該領主の主権のもとに保護され、教団の審問権はこれを侵害できない』と明記されている。現在、我が城に滞在しているのは、正式な外交プロトコルに基づく三国使節団だ。これに手を出すことは、教団自らが帝国との平和条約を破棄し、宣戦布告を行うものと見なされるが……その覚悟がおありか?」


 アレンの言葉が響いた瞬間、ジュディスの完璧な微笑が、氷が割れるように静かにひび割れた。彼女の背後に控える聖光騎士たちの間にも、動揺のざわめきが広がる。彼らが「帝国の秩序」を重んじるポーズを取っている限り、公式な国際条約の矛盾を突いたアレンの法理的防壁を突破することは不可能だった。


「……随分と口の回る領主様ですね」


 ジュディスの声から慇懃さが消え、本物の冷酷さが剥き出しになった。彼女の視線が、アレンの乗る魔導車椅子「レガリア」へと向けられる。彼女の瞳の奥に、不気味な探知の光が灯った。教団上層部から極秘裏に命じられている「始源の鍵」の探索。その鍵の波長が、アレンの車椅子に組み込まれた古代の浮遊石と異常に一致していることを、彼女の鋭い魔力知覚が捉えていた。


「その車椅子……そして、そこに組み込まれた古代の浮遊石。それは我が教団の失われた聖なる遺物、あるいは異端の技術である疑いがあります。安全のため、一時的に押収させていただく必要があるのでは?」


 ジュディスが懐から金色の魔力測定器を取り出し、レガリアに向けて聖光の魔力を放とうとした。アレンの移動手段そのものを奪い、物理的に無力化しようとする冷酷な脅迫だった。


 アレンは「感覚共有」を起動し、ジュディスの魔力波長を瞬時にマッピングした。彼女の指先から放たれる聖光の干渉が、レガリアの駆動石を腐食させようとしている。アレンは背後に控えるセバスチャンへ、目線だけで極秘の信号を送った。


(セバスチャン、レガリアの防衛障壁の周波数を、教団の光の波長に同期させろ。過負荷による共鳴を起こす)


 セバスチャンがアレンの意図を察し、レガリアの背面にある魔導エンジンに静かに手を触れた。アレンは自らの残存魔力を指輪を通じて流し込み、駆動石の浮遊エネルギーを一時的に極限まで増幅させた。


 キィィィィィン!


 鼓膜を突き刺すような高周波の共鳴音が広場に響き渡った。レガリアから放たれた青い障壁の波動が、ジュディスの持つ魔力測定器の光と激しく衝突し、そのエネルギーを内側から爆発的に増幅させた。


 パシィィィン!


 鋭い破裂音とともに、ジュディスの手に握られていた金色の魔力測定器が、物理的に細かく砕け散った。ジュディスは驚愕して半歩後退し、自らの煤けた手を見つめた。


「なっ……!?」


 しかし、その代償はアレンの肉体にも牙を剥いた。聖光魔力による干渉波がレガリアの駆動輪の一部に逆流し、バキリという鈍い音とともに、右側の駆動石の固定具が一時的に破損した。車椅子が微かに傾き、アレンの胸に激しい動悸と、肺が押し潰されるような苦痛が走る。アレンはハンカチで口元を抑え、激しい咳を噛み殺した。ルイーゼが悲鳴を上げそうになるのを、彼は眼光だけで制した。


 その緊迫した対峙の裏で、城壁の影から一人の男が滑り出るように動いていた。幽閉されたバルトの残党が、アレンの毒殺未遂の証拠をジュディスに手渡し、彼を告発しようと教団の騎士へ近づこうとしていたのだ。しかし、その男の足元から伸びた影が、不自然に歪んだ。影の中から現れた漆黒の針が、男の影を地面へと物理的に固定する。カレンの「影縫いの歩法」。カレンは声も立てずに男の背後に実体化し、その首筋に漆黒のダガーの柄を叩き込んで昏倒させた。証拠の書類は、ジュディスの目に触れる前に、暗闇の中へと静かに回収された。


 ジュディスは砕けた測定器の破片を見つめ、怒りに震える手を戦闘ローブの袖に隠した。法的にも、そして物理的な小競り合いでも、目の前の病弱な領主に裏をかかれたのだ。


「……見事な手際ですね、アレン殿。ですが、神の光から永遠に逃れられる闇など存在しません。この地に不浄がある限り、私は立ち去りませんよ」


 ジュディスは冷酷な微笑を再び浮かべ、聖光騎士団に撤退の合図を送った。彼女は公式な介入を阻まれたことで、城下町の大聖堂へと退き、水面下での「自作自演のテロ」の準備へと移行することを決定したのだ。


「いつでも歓迎しますよ、審問官殿。我がグレイロードの法が、貴方たちを正しくお迎えするでしょう」


 アレンは車椅子の上で静かに答え、去りゆく白亜の軍勢を見つめていた。しかし、彼が勝利の余韻に浸る時間はなかった。朝霧の向こうから、斥候のオットーが、血相を変えて広場へと駆け込んできたのだ。


「ア、アレン様! 大変です! 城下町の孤児院から子供たちが拉致されました! そして街ではすでに『魔族の仕業だ』という噂が流布され始めています!」


 アレンの左目の瞳孔が、冷酷に細められた。ジュディスの裏での工作が、早くも開始されたのだ――。

HẾT CHƯƠNG

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