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不均等な天秤、最初の誓約

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「くっ……!」


 鋭い牙が、アレン・グレイロードの首筋の皮膚を容赦なく貫いた。その瞬間、新婚の間に、肉体が内側から焼き尽くされるような激痛が奔る。


 ルザリア吸血帝国を統べる真祖の女王、エリザベート・フォン・ルザリア。彼女の牙から注ぎ込まれたのは、支配の呪いを帯びた、沸騰するほどに熱い真祖の血液だった。吸血鬼の血はアレンの脆弱な血管に侵入し、彼の精神を強制的に隷属させ、ただの肉人形――「下僕(スロール)」へと作り変えようと暴れ狂う。


(この激痛……予測の範疇だ。私の魔力回路は魔力毒でボロボロだが、だからこそ……空っぽの受け皿としては完璧に機能する!)


 アレンは脳内で冷徹に演算を開始した。彼の肉体は「極微」の極限にあり、普通ならこの衝撃だけで心臓が停止していただろう。だが、アレンは盲目の魔導士オズワルドから伝授された「毒物中和呼吸法」を即座に起動した。


 細く、長く、肺の奥に溜まった毒素を吐き出すように息を制御する。心拍数を強制的に一定の脈動へと縛り付け、体内に侵入した真祖の血の拡散速度をミリ秒単位で遅らせる。脳の神経網を巡る魔力の奔流を数式化し、支配の呪術が脳幹に到達するのを物理的に阻害した。


「無駄な抵抗を……。大人しく我が血にひれ伏し、魂を差し出せ、アレン!」


 エリザベートがアレンの首筋に顔を埋めたまま、喉を鳴らして囁く。彼女の銀髪がアレンの鎖骨を擽り、薔薇と血の混ざり合った甘美な香りが嗅覚を麻痺させようとする。彼女はアレンの精神が屈服し、己の所有物になるのを確信していた。


 しかし、アレンの左手薬指に嵌められた「三重誓約の指輪」が、突如として不気味な黄金の輝きを放ち始めた。


 キィィィン、と鼓膜を劈くような金属音が精神世界に響き渡る。先代当主アルベルトが遺したこの呪具は、アレンの心臓の鼓動をトリガーにして、エリザベートの強大な魔力回路へと直接その楔を打ち込んだ。指輪の内部に存在する「天秤」のシステムが起動し、アレンの体内に侵入した真祖の魔力を、強制的に天秤の片側へと縛り付ける。


「なっ……何、これ……!? 私の魔力が、吸い出されて……!?」


 エリザベートの真紅の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。彼女はアレンを支配するはずが、逆に自らの魔力の流れがアレンの指輪へと固定され、強制的に「吸血同調」のパスが繋がってしまったことに気づいたのだ。


 さらに、エリザベートにとって予想外の事態が起こる。アレンの体内に侵入した彼女の血の呪いが、アレンの血液に触れた瞬間、異様な「融和」を始めたのだ。アレンの体内に眠る、未覚醒の「始源の君主」の血脈。それは世界を創造した古い神々の意志を宿した、絶対的な調和の力。その血脈がエリザベートの真祖の血を拒絶するどころか、極めて高い「適合感」を伴って優しく包み込み、破壊的な呪いを、純粋な治癒のエネルギーへと変換し始めた。


「う、あ……ああっ……!」


 エリザベートの口から、支配者らしからぬ艶めいた吐息が漏れた。魔力の逆流と、アレンの血がもたらす異次元の適合感が、彼女の全身の神経を物理的に愛撫したのだ。彼女の心拍数が跳ね上がり、指輪を通じてアレンの脳裏に彼女の動揺、快感、そして「この存在を失いたくない」という本能的な独占欲の萌芽が、リアルタイムで流れ込んでくる。


 アレンの体内で、暴走していた魔力毒がエリザベートの真祖の生命力によって一時的に中和されていく。青白かった彼の頬に微かな赤みが戻り、麻痺していた四肢に力が宿る。アレンの肉体生命度は、死の淵である「極微」から、一時的に自力での歩行や執務が可能な「微弱(同調初期段階)」へと引き上げられた。


「はぁ、はぁ……貴様、私に……何をした……?」


 エリザベートはアレンの首筋から牙を引き抜き、大きくよろめきながら後退した。彼女の唇には、アレンの鮮血が妖しく付着している。彼女は胸元を押さえ、信じられないものを見る目でアレンを見つめていた。彼女の支配術式は完全に無力化され、それどころか、アレンが死ねば彼女の魔力回路も同時に崩壊するという、不均等な「共生関係」に縛り付けられていた。


 アレンは首筋の傷口を細い指先で拭い、にやりと冷徹な笑みを浮かべた。その瞳には、真祖の女王の威圧に屈しない、絶対的な知性の光が宿っている。


「言ったはずです、エリザベート陛下。下僕ではなく、対等な盟友として、血の契約を結ぶと。……これで、契約成立だ」


 アレンの声には、先ほどまでの弱々しさは消え失せ、領主としての冷徹な覇気が宿っていた。「吸血同調」により、彼はエリザベートの感覚を共有している。彼女が本国元老院に対して抱く恐怖も、アレンを失うことへの焦燥も、すべて彼の掌の上にある。


「貴様のような人間に、この私が縛られるなど……!」


 エリザベートは悔しげに唇を噛んだが、彼女の真紅の瞳は、アレンの存在を完全に「己の唯一の番」として認識し始めていた。彼女のプライドはそれを認めようとしないが、指輪を通じて繋がった魂の絆は、もう誤魔化しようがなかった。


 アレンがゆっくりと車椅子から立ち上がり、家紋入りの杖を床に突いた。その時だった。


 グレイロード城全体を揺るがすような、凄まじい魔力の震動が新婚の間にまで伝わってきた。窓の外が、一瞬にして異常な色の光に染まる。


 アレンの指輪が、激しく危険な警鐘を鳴らし始めた。感覚共有のノードが、城の門前で発生した二つの巨大な魔力の嵐を検知する。一つは、大気を切り裂くような鋭く冷酷な精霊の風――エルフの皇女ファラの使節団。そしてもう一つは、大地を物理的に踏み鳴らす、荒々しい黄金の獣の覇気――獣人の女王ゲルダの軍勢。


 最初の婚姻誓約が結ばれたその瞬間、残る二人の女王の影が、牙を剥いてグレイロードの門前に到着したのだ。

HẾT CHƯƠNG

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